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第四十一話 嫉妬 ☆

 妃奈の胸元で銀竜のネックレスが揺れる。昔話を聞いて欲しいと言った筈のアレクは、しかし話を始める気配がない。代わりに、銀竜のネックレスを懐から取り出した。

「切れていたので、コンラに鎖を直してもらったのだ」

「ありがとう……ございます。失くしてたんだと思ってました。嬉しい」

 アレクからもらった銀竜のネックレスは、妃奈が竜になったときに切れて落ちてしまっていたらしい。胸元からなくなっているのに気づいたときはがっかりしたものだ。ペンダントヘッドを手にして嬉しそうに笑う妃奈にアレクも小さく笑む。

「……すぐに助けてやれなくて悪かったな」

 切なげにそう言って抱きしめるアレクに、胸が熱くなる。抱きしめられたまま小さく首を横に振った。シャルロ山でアレクを怒らせた挙げ句、まんまと偽リューク伯の罠にかかったのは妃奈の失敗だ。

「私の方こそごめんなさい。これ以上アレクに迷惑をかけたくないと思っていたのに、結局迷惑をかけてしまいました」

 そう言った途端、抱きしめていた手が解かれた。両肩を掴んで身体をぐっと離すと、アレクのラピスラズリ色の瞳が妃奈の瞳をのぞき込む。

「そちに迷惑をかけられたことなどないぞ? そちは何故そう思うのだ?」

 瞳をのぞき込まれて妃奈は泣きそうになった。

 あざの話を……アレクにしておかなくちゃだよね。不幸に巻き込んでうとまれる前に、向こうの世界に戻るはずだったのに、すぐに帰れないのならば、事情を話して王宮から出してもらうしかない。これ以上の災難を避けるためにも。

 ようやく戻れたアレクの元から再び去ることを考えれば、痛いほどに苦痛だけれど……。

 妃奈は、泣きそうな心持ちで、自分が不幸を招く痣を持っていることを説明した。同じ痣を母も持っていたこと、そのせいで両親は不幸になったこと、以前つきあっていた妃奈の彼は、二人とも不幸になったこと。

 妃奈が痣の話をはじめた途端、顔をしかめたアレクだったが、徐々に機嫌が悪くなり始め、話し終えた頃にはすっかり仏頂面になっていた。

「私はここにいるだけで、アレクに迷惑をかけているんです。だから、一刻も早く、私を王宮から出して欲しいのです。これ以上、アレクに何かあったらとハラハラするのも辛いし、何か起こってから後悔するのも嫌なんです。そんな思いをするくらいなら、私は城下で一人暮らしをしたいと……」

 そこまで言ったところで、妃奈の言葉は遮られた。

「その痣とやらを見せよ」

「え?」

 妃奈は激しく瞬いた。

 見せよ? 今、痣を見せろとのたまいましたか? いや、でも、それは……。

 妃奈のあざは太股の付け根にあるのだ。

 たじろぐ妃奈に、アレクは重ねた。

「痣を見せてみよと言ったのだ」

「あの……でも、それは、その……痣の場所がですね、そのぉ……」

 非常に見せにくいところにあるのだ。気軽にめくりあげてお見せできるような場所にない。

「余には見せられぬと言うわけか? 偽リュークには見せたのに?」

「――っ!」

 アレクは知っているのだ。たぶん、それがどこにあるのかも。偽リュークに無理矢理見られたことも……。偽リュークの血を飲んだのならば、アレクが知らぬ筈がなく。

 痣を無理矢理見られた時に叩かれた頬の痛みと屈辱が思い出されて、瞬時に、弾けたように涙がはらはらとこぼれた。


「……妃奈、すまなかった。妃奈。泣くな」

 声を殺して苦しげに泣き始めた妃奈に、急に眉間のしわを解いて、おろおろとし始めたアレク。弱り切った表情でのぞき込む瞳や、とおった鼻筋や、横顔の輪郭がすごく美麗だと、妃奈は泣きながらぼんやりと思う。

「余が悪かった。嫉妬したのだ。あんな奴が知っているそちのことを、余が知らぬことが腹立たしかったのだ。すまぬ。辛い目にあったそちの気持ちを思いやることができなかった。ゆるせ」

 妃奈は泣きながら小さく首を振る。困惑した様子のアレクに、そうじゃない、許さないと言ってるのではないと、再び強く首を振る。

 震える指先で、シーツをめくりあげる妃奈の手をアレクが押さえる。

「もうよい。見ずとも良いのだ。本当は分かっておるのだ。偽リュークの血を飲んだ。やつの記憶で見た。だから見せる必要などない」

「――見て」

 妃奈はアレクの制止する手が重なったまま、構わず寝具をめくりあげた。寝具の下は全裸だ。寝具をめくりあげただけで、妃奈の白い脚は露わになった。

「アレクの目で見てください。不幸を呼ぶ痣を……」

 白い太股の付け根にある痣は、竜の片翼。以前は変わった形の翼だと思っていたけれど、今ならばすぐに分かる。

 これほどまでにはっきりと、自分には竜の刻印が記されていたのに、そうとは思い至らなかったのが不思議なくらいだ。それほどまでに、その痣は精密に竜の片翼を描いていた。

 アレクはしばし、魅入られたようにその痣を見つめていたが、やがて長い指先を痣に這わせた。 指が痣にふれた途端、ビクリと妃奈が身震いする。

「……本当に、罠のような位置にあるのだな」

「……アレク?」

 罠……って?

 涙の膜が張ったままの潤んだ瞳で、妃奈が肩上のアレクを見上げると、アレクが震えるようなため息をついた。

「妃奈、それはワザとなのか?」

「え?」

 何がワザとなのか問おうとした妃奈の唇が塞がれた。痣に触れていたはずの指先は、その範囲を広めていた。もっと深く、もっと敏感な場所へ。

 動揺して逃げようとするが、妃奈の身体はアレクの腕に固定されてびくともしない。

「アレク、私は不幸を呼ぶんです。私といると不幸になるって、私、ちゃんと言いましたよ? 私は、アレクが不幸になるところなんて見たくないんです。アレクを不幸にするくらいなら私はっ」

 皆まで言わさず、恐い顔でアレクは妃奈を遮った。

「妃奈、そちは余を誰だと思っているのだ。見くびるな」

 目を見開いて見上げる妃奈に、アレクは何度も口づけを落とした。

「どうやら、そちは勘違いしておるようだ。そちは皇帝の寵愛を受けているのだ。逃げられるとでも思っているのか?」

 逃げるつもりなど……ないけれど……。

 いつの間にか組み敷かれた状態で、妃奈はアレクの熱を体中で受け止めていた。熱く溶け合う肌はしっとりと汗ばんでおり、ムスクと汗とアレクの匂いに包まれる。どこか遠くで、獣の吠える声が聞こえた気がした。


 ■■□


「そちは不幸など呼ばぬぞ?」

 弾む息を整えていた妃奈の耳に、アレクの穏やかなしかし満ち足りた様子の声が聞こえる。

「え?」

「そちがもたらすのは幸運だけだ。しかも、ただの幸運ではない。強すぎる幸運だ。そちは金竜を内包しておるのだ。不思議ではあるまい?」

「でもっ」

「この世界の東の大陸には、過ぎたるは及ばざるが如し、と言う言葉がある。強すぎる幸運は、時として毒にもなる。そう言うものだ」

「……本当に、そうなんでしょうか」

 横になったまま見つめる妃奈の髪をいじりながら、アレクは不敵に笑んだ。

「余がそれを証明して見せよう。だが、それにはそちの協力が必要だ。少々茶番につきあってもらわねばならぬ」

「もちろん、協力はしますが……茶番って……」

「明日の朝、説明する」

 何か計画が始まっているのらしい。竜旗が揚がったのもその計画の一端なんだろうか。

 妃奈は「はい」と小さく返事をする。

 あれ? ところでアレクは何か話があるって言ってなかった?

 妃奈は首を傾げる。

「アレク、昔話はどうなったんですか? 聞いて欲しい昔話があるって……」

 あぁ、とアレクは苦笑する。

「そちが痣の話などするものだから、頭に血が上って、そっちのけになってしまった。それも明日の朝しよう。今日はもう遅い。そちは休め。再び余が襲いたくなる前にな」


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