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第四十話 夜食

 天蓋付きの寝台の上で妃奈は目覚めた。

薄い、だけど質の良い布が垂らされた寝台の中は、柔らかな繭に包まれているようでホッとする。未だ夢とうつつの間を行ったり来たりしながら、ゆるりと辺りを見回す。ここは、妃奈が初めて双翠宮に通された部屋なのらしい。寝台に施された彫刻や、薄い布を通して見える鏡台や燭台の形に見覚えがあった。

 あれ? 全部夢だったのかな? シャルロ山から連れ去られて、どこかのお城で偽リューク伯に鎖で繋がれて、王宮に戻れたのにアレクはいなくて、テオ殿下に叱られて血を吸われて、でもそれが実はアレクで……鎖を解いてくれたんだけど、なんか私、金色の竜になっちゃって……。

 そこまで考えて、急速に覚醒した。

 ガバっと起きあがる。

 あれ夢だった? 違うよね。夢じゃないよね。ってか、ちょっと待って?

 ――私、何も身につけてない!

 寝具の中を覗いて驚愕する。何度確認しても、下着一つ身につけていない。

 あれ、やっぱり夢じゃなかったんだ! 竜になったときに服が裂けて……。

 声も出せずに固まる。


 既に深夜なのか王宮は静まりかえっている。前には、階下で誰かしら衛兵が見回っている靴音が聞こえたものだが、耳をすませても何の音も聞こえなかった。

 ところがその時、突然ドアの向こうに、近づいてくる靴音が聞こえた。ドアがゆっくりと開く。妃奈は、慌てて寝具を引っ張り上げて眠っているふりをした。

 人影が部屋に入ってきた途端、部屋のそこここにともされた灯火ともしびが一斉に揺らめいた。

 だ、誰? アレク? まさかテオ殿下とかじゃないよね。あれは……アレクだったよね。あ、もしかして、リンだったりする? いや、これは私の希望的予想なんだけどさ。

 ――服~。服が欲しいんですががが……。


 人影はゆっくり寝台に近寄ると、手にしていた物を近くのサイドテーブルに置いた。カチャリと何か硬質な物を置く音が夜の静寂に響く。そしてその人影は、無言のまま天蓋から垂れ下がった布をあげて寝台に上がってきた。重みで寝台がギシリと沈む。

 ええええ~。誰? 誰? 誰? 誰~?

「妃奈? まだ目覚めぬのか?」

 アレクの声だ。分かった途端ホッとして気持ちが温かくなる。

 でもなぁ、私、今裸だしなぁ。テオ殿下じゃなくて良かったけど、ここはできれば侍女の誰かだったら良かったよなぁ。どうしよう。うーむ。

 悩みつつ寝たふりを続けていると、大きなゴツゴツとした掌が頬を撫でた。

 うぁ、びっくりした。ビクッとしてしまったのが、伝わらなかっただろうか。

 内心冷や冷やしながら、なおも寝たふりを続けていると、髪を梳きあげながらアレクは続けた。

「なんだ、まだ目覚めておらぬのか。ならば仕方がない、余の好きにさせてもらうか」

 はい? 今なんて? 好きにするって言いましたか? 何をどう好きにするんですかね……。

 当惑していると、包まっていた寝具の中に手が伸びてきた。

 反射的にぱちっと目を開けると、悪戯っぽくのぞき込んでいるラピスラズリの瞳と目があった。

「まだ寝ていて良いのだぞ?」

「へ、陛下! もう目が覚めましたっ」

 そう言った途端、アレクがくつくつと笑った。 もしかして狸寝入りバレバレ?

 妃奈はひきつった笑いを浮かべる。

 短く切られた金の髪。だけど、その瞳は深いラピスラズリ色でホッとする。

「なぜ寝たふりをする? そちは余に会いたくなかったのか?」

 悲しげなアレクに妃奈は、動揺して首を振った。

「会いたかったですっ。ずっとずっと陛下の元に戻りたくて仕方がなかったですっ。でも……」

 アレクは黙ったまま続きを待っている。

「……でも、私、今何も身につけてなくて……服を身につけてから陛下には会いたかったかなぁって……」

「服などいらぬ」

 え?

 ぽつりとこぼれ落ちたようなアレクの言葉に、妃奈は固まった。

「深夜に皇帝が寝所を訪れたのだ。服などいらぬだろう?」

 ええええ? いや、それは、確かに今は深夜かもしれませんけどね? 確かにここは寝所だし、アレクは皇帝ですけどね? でもぉ、そんなことよりも、もっともっと重要な話し合うべきことや、確認したりしなければならないことがある筈ですよね? 私の認識が間違っていなければ……。

 寝具に包まったまま、あわあわと口ごもる妃奈は、気づけば、いつの間にかどっかりと座ったアレクの膝の上に座っている。背後から抱きすくめられた状態の耳元でアレクが囁くものだから、ぞくぞくする感覚に妃奈はクラクラする。

「話し合いは後だ。そうだ、そちはお腹が減っておらぬか? 減っておるだろう? ずっと食事をとっておらぬ筈だからな」

 アレクは妃奈の返事を待たずに、ドアの向こうに呼びかけた。すぐさま見張りの衛兵が入ってきた。寝台の薄い布越しにかしこまった様子で礼をとる姿が見える。

 ひぇぇぇ、いくら布越しだからって、この状態の場所に衛兵を呼ぶ? ふつー呼ぶ? 信じられないよ。しかも、用事は軽食の準備だよ? どこの王様ですか、あなた……って、この人皇帝だったよ。

 パニクって、妃奈がひとりボケとつっこみをやっている間に、美麗な軽食が銀製のトレイに乗せられて、手際良く寝台の中に運び込まれた。

 こんな時って、どんな顔してればいいんだろ?

 アレクの膝の上で身を縮ませながら、妃奈はひきつった顔で途方に暮れる。

 食事を運んできてくれた人は、リンではなく、今まで見たことのない年輩の女性だった。貫禄があると言って差し支えない落ち着いた物腰。だけど、トレイを置いて一礼した瞬間の、妃奈に向けられた視線がやけに鋭かった。

 うわぁ、いたたまれない。

 だけど、運び込まれたトレイを見た途端、妃奈は喜色を湛える。

 うわー、美味しそう。いい匂い~。

 黄金色のスープからは、カボチャのほっこりした甘い匂いが漂っているし、茹でた鳥と新鮮な野菜を挟んだサンドイッチは、彩も良くとても美味しそうだ。しかも嬉しいことに、デザートに、瑞々しいシーブイツサヒルアメルの盛り合わせが添えられている。

 濃厚なスープの匂いに、思わずお腹が鳴る。焦ってお腹を押さえ込んでいると、背後で小さく笑う気配がした。

「まずはスープから飲むか?」

 え? あの、スプーン……どうしてアレクが持ってるの? そして、どうしてアレクがスプーンでスープをすくってるの?

 困惑する妃奈の口の前でスプーンが静止する。おずおずと背後を見上げると、少し困惑した顔が見下ろしている。

「どうした? 口を開かねばスープは飲めぬぞ?」

「あの……自分で飲めますが……」

「そうか? しかし肩が冷えるぞ?」

 そうだった。そうだったよ。こんな状態で腕を出せば、肩が冷えて……ってゆーか、この状態で腕を出して動かしていたら胸元が肌蹴てしまうじゃあないの! 無理! 無理無理無理~。

「あの、陛下? やはり服を……」

 持ってきてもらってほしいと言う言葉は、途中で遮られた。

「ならぬ」

 ええええ~。そんなぁぁぁ。

 結局、スープもサンドイッチも果物も、全部アレクに食べさせてもらった、というか、食べさせられた。最初、もう寝具がおっこちてもいいやと腕を伸ばしたのに、それはアレクによって丁寧に寝具に埋め込まれた。風邪をひくだろう? という言葉と共に。

 風邪をひくって、風邪をひくって……。それって、最初から自分で食べるって選択肢は、なかったってことなんじゃないですか?

 一匙一匙丁寧に口に運ばれるスープは、ほっこりと温かく、滋味豊かな味がする。

 妃奈は妃奈でも、鳥のヒナにでもなった気分だ。

 最初は、食べさせられるという慣れぬ事態に動揺して、味なんか分からないほどだったのに、スープを飲み干した頃には、すっかり身体の芯が温まって、ゆったりとほぐれた気分になっていた。

 スープが終わると、サンドイッチがアレクの手で口に運ばれた。サンドイッチは野生味の強いレタスとオリーブの実がアクセントになっていて、コクのある鶏肉を引き立てている。とても美味しい。

 いつの間にか、食べさせられることへの戸惑いなど吹っ飛んで、夢中で、口に運ばれた物を咀嚼(そしゃく)する。

 獰猛な野獣になった気分で。

 サンドイッチや、よく熟れて果汁が滴りそうなシーブイッサヒルアメルをつまむアレクの指先が、妃奈の口の中まで侵入する。

 アレクの指は、剣を握るからだろうか、ゴツゴツしている。

 たくさんの人を殺めた手だと思う。同時に、たくさんの民を守っている手だとも思う。恐ろしいだけではなく、優しいだけでなく、強く、そして哀しい手だ。その手から食べる食べ物は、すべて血になり肉になり、心も体も強くなれる気がした。

 サンドイッチからはみ出したマヨネーズも、シーブイッサヒルアメルの果汁も、指に絡みついた滴の一滴さえも残さず舐めとった。

 口に含んだ指先から、アレクの熱と匂いが伝わってくる。

 アレクがクスリと笑った気配がした。

「獰猛な獣を餌付けしている気分だ」

 アレクの指先を舐めながら、妃奈はアレクを見上げる。

「……アレク、私は竜なんですね? 銭塘君や紫竜と同じ……」

 妃奈が口に含んでいる手とは別の手が、妃奈の頭を柔らかく撫でた。

「その話の前に、少し昔話を聞いてくれるか?」

 アレクは、デキャンタに入ったワインをグラスに注いで、一つは妃奈に持たせ、一つは自分で持つと、軽く縁を合わせた。その透明な音は、夜の闇に吸い込まれていった。


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