第三十九話 金竜
コンラに大至急作ってもらった魔導具は二つ。一つはテオに扮するために瞳の色を変える為のもの。小瓶の中で薬液に浸された親指大の細長い石は瞳の端をちょんとごく軽くつつくだけで、数時間瞳の色を変えることができる。といっても、瞳の色の濃さを変えられるだけなので、元々深い青色であるアレクの瞳は、一度つつけば水色に二度つつけばグレーに変化した。もう一つは、深紅の石がついた耳飾りだ。今までつけていた黒い、ほとんど力のない魔封じの耳飾りの代わりに、中程度押さえ込むものを作らせた。
「え~、そんな強い魔封じの耳飾りなどつけたら、陛下は全然血を摂取できなくなりますよ? そんなものを陛下に渡したら、俺がリュシオンに叱られます」
コンラは文句を言って、なかなか作ろうとしない。そこで、アレクは声を潜めて説明する。
「常に身につけるわけではない。この黒い石の魔封じでは、妃奈の前では無いのも同然なのだ。余が理性を失ってしまえば、加減ができなくなる」
そう言った途端、コンラは激しく瞬きをした後少し顔を赤らめて、そういうことなら、と小さく呟くとススッと武具司の中へと消えていった。
おい、ちょっと待て、そういうこととは、どういうことなのだ? コンラよ、おまえは何を想像しておるのだ。
アレクの問いただす声に返答はなく、通りすがりの武具司の職人たち数名が、アレクに気づいて驚いた様子で跪拝するので、決まりが悪くなり、軽く咳払いをすると、その場を逃げるように立ち去ったのだった。
「で? 俺の姿で彼女を半殺しにするわけか」
テオに扮装したアレクの前で、こちらも別人に扮装した姿のテオがアレクに向かい合う。赤い髪に赤い瞳。赤い髪は被り物のようだ。
「別に、おまえに悪事をなすりつける為にこの姿でやるわけではないぞ?」
「どうだか」
テオは肩をすくめる。
「……正直に言うと、おまえの姿でやった方が、あれは絶望しやすいだろうと計算はしている。下手な希望は命取りになる。実際余自身、あれに酷いことをしたくない気持ちの方が強いからな」
「そんなにやりたくないなら、代わりに俺がやろうか?」
ニヤリと笑むテオに、アレクは力なく笑うと、次いで毅然と言い放った。
「あれに酷いことをしたくない以上に、余以外の者があれに酷いことをする方が許せないのだ。誰かに殺されるくらいなら、余が殺す」
それを聞いたテオは高らかに笑った。
「おまえたち二人は、まるで竜と竜主のようだな。そういうことなら俺はもう何も口は出すまいよ。幸運を祈っている。では、一足先に計画を開始する。じゃあな」
そう言い残すと、テオはアレクを残して立ち去った。それを見送りながら、アレクは一人呟いた。
「竜と竜主か……恐らくそうなのだろうよ」
あれを失うかもしれないと思うだけで、居ても立っても居られない。
お伽噺に出てくる金竜と青年は、あの後どうなったのだったか……。
全体が金色の光に包まれた妃奈を抱きしめながら、アレクは何度も声をかける。
「妃奈、落ち着け妃奈!」
金色に輝き始めた体躯は、やがてその形をも変え始める。長い黒髪はその色のまま鬣に、手は前足になり鋭い金色の鉤爪が付き、着ていた服は裂けて、金色に輝く羽毛をまとった大きな翼が背中からにょきりと生えた。全体的に金色の羽毛に覆われており、金色のまつげに縁取られた黒い瞳やサラリとした鬣やさほど大きくない体躯を見れば、金色の天馬のようにも見える。竜だと気づくのは、両手足についている鋭い鉤爪と、天馬にはあり得ない円錐状の尾のせいだろう。アレクが今まで見たことがない美しい金竜が、目の前に現れた。
「金色の……竜……」
子どもの頃から憧れてきた金色の竜。シャルロ山に行く度に、その姿を探して歩いた湖の畔。こんな形で相見えることになろうとは……。
アレクは唇を噛む。
混乱した様子で苦しげに身を捩る金竜は、三度咆哮した。悲鳴にも似た悲しげな鳴き声。
一瞬空間が歪んだ気がして、アレクは咄嗟に金竜の首に手を回した。
「妃奈っ!」
空間が捻れ、その中心に真円の真っ黒な隧道が渦を巻いて出現する。
もはや、止める手だてはないのか?
「……妃奈っ。妃奈、聞くがよい。そちは一体、どこに逃げようとしているのだ? 向こうから逃げ、またここからも逃げるのか? いつまでそうやって逃げるつもりなのだ? 何処まで逃げれば、そちの安息の地は見つかるのだ? 妃奈、目を覚ませ。安息の地など、そもそもどこにも無いのだ。自らの力で切り開いたその地こそが、安息の地となりうるのだ。そうは……思えぬか?」
隧道の渦が心なしか緩やかになった気がする。
「妃奈、ここに、余の傍に居るが良い。そちに住みよい豊かな国を造ることを約束しよう。そちはどんな国が欲しい? 言うてみるがよい」
「……ア……レク」
まろい鼻先からこぼれ落ちた声は、透明な鈴の音のようで、金色の睫に縁取られた黒目がちな瞳から透明な滴が幾筋も流れて落ちた。
「アレク……アレク、私……私は……」
ふと我に返り、自分の姿に気づいたらしい妃奈が動揺してよろめく。同時に空間の捻れが揺らいで、巨大な力が弱まっていく。
「妃奈、目を閉じてみるが良い。そちはそちだ。何も問題ない」
混乱して泣きじゃくる妃奈の鬣を何度も撫でながら、アレクがゆっくり諭す。やがて金色の体躯は、その輝きを徐々に収めてゆき、妃奈はゆっくりと元の姿へと戻っていった。同時に隧道と空間の捻れが霧消した。
ふわりとアレクの腕に戻ってきたのは、白くて細い柔らかな身体。その白さを際だたせている長い黒髪。少し赤みを帯びた鼻先に濡れた頬。そして、少し苦しげに開けられた唇は薄い桜色で、血の気が足りていないようにも見える。が、再び腕の中に戻ってきた妃奈の元の姿に、アレクは深く安堵のため息をついた。
「どうやら無事だったようだな」
ホッとした様子で近寄ってきた銭塘君に、アレクは慌てて妃奈の身体を隠した。
「……なんだよ」
銭塘君が口を尖らせて、妃奈の様子を見ようと首を伸ばす。
「寄るな。妃奈は何も身につけておらぬのだ」
「いいじゃんか。見たって減るもんじゃ無し」
「いいや、減る。絶対減る」
そう言いながら着ていた自らのマントでグルグル巻きにすると、ケチとか、独り占めしやがってとか、悪態をついている銭塘君を無視して、アレクは妃奈を抱えて部屋を後にした。




