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第三十八話 断脈縄(だんみゃくじょう)

 遠い……遠い昔のお話。

 色とりどりの髪と瞳を持つ人族と、色とりどりの体躯(たいく)を持つ竜族が共に棲む国があった。基本的に人族と竜族は関わることなく棲む場所を分けてそれぞれ暮らしを営んでいたが、唯一、人族と関わりを持つ竜がいた。巨大で知恵と力を持ち、生贄(いけにえ)を要求する邪悪なその黒い竜は、その国の高い山の頂に棲んでいた。村人が願い事をするために山頂の(ほこら)に赴くと、翌日、その願いに応じた黒い石が祠の前に置かれる。その石の数は、すなわち竜が要求する(にえ)の数なのだった。その竜は、日照りも長雨も風も雪も、おおよそ天候にかかわる現象のほとんどを操ることができた。よって、黒竜は恐れられると同時にあがめ奉られる信仰の対象だった。

 かつてない干ばつが続き、かつてない人数の生贄を黒竜が要求したある年、一人の金色の髪を持つ青年が金色の体躯をもった竜を伴って、その国の、とある小さな村にやってきた。

 村の人々は驚いた。色とりどりの髪を持つ彼らだったが、金色だけは見たことがなかったから。竜にしてもそうだった。色とりどりの竜がいたが、金竜だけは見たことがなかった。しかも、彼が連れていた金色の竜は人語を難なく操ることができた。金竜は言語が異なる金髪の青年と村の人々をつなぐ通訳者として、さらには、困窮していた村人の代表として、邪悪な黒竜との交渉までをも請け負った。

 この国が、レムス帝国と呼ばれる以前の、昔々のお伽噺。


 縋るように宙を掻く手を握りしめ、テオに扮していたアレクは妃奈の身体を抱きしめた。金色に輝き始めた指先。白熱する身体。

 止められなかったのか? まだ足りなかったのか?

「妃奈? 妃奈っ! 銭塘君(せんとうくん)! どうすればよいのだっ!」

 助けを求めて名を呼ぶアレクに、銭塘君は静かに首を振った。


 北塔に竜旗を掲げた。紫の地に黒竜が描かれた旗はレムス王家の正式な旗だ。これを北塔に掲げるということは、皇帝の交代を意味する。皇位継承順位は基本的には決まっているが、すべてのレムス王族の血の継承者のうち、少なくとも過半数の承認が必要になる。だからこそ、王族関係者は竜旗が掲揚されるや否や、続々と竜旗の下に馳せ参じる訳なのだ。リューク伯は自らは血の継承者ではないが、妻のガウラはレムス王族だ。代理などと言ってやつは必ずやってくる。アレクはそう読んだ。アレクの読み通り、偽リューク伯は王宮にやってきた。


「ちっ、物騒なブツを使いやがる」

 尋問を終え、自室に戻ったアレクは人払いをすると、銭塘君を呼び出した。既に人型になって別室で控えていた銭塘君は、捕らえた偽リューク伯から聞き出した呪具の名に舌打ちをする。

 断脈縄だんみゃくじょう というのが、妃奈の脚に付けられた鎖の名だった。

「それは、どういったものなのだ?」

 テオに扮したアレクが首を傾げる。

「俺たち竜は、常に気脈地脈水脈から力をそそぎ込まれている。それが竜のもつ強大な力の源なのだ。その鎖には、文字通りその脈から切り離す呪が施されていると言うわけだ。どうりであの鎖に触れただけで気分が悪くなるわけだ」

 銭塘君はさも不快だと言わんばかりに首を振った。

 困惑した表情でアレクが問う。

「……確認しておきたいのだが、あれは竜を、その脈とやらから切り離すものなのだよな。では、妃奈は……」

「竜だよ? おまえはもう気づいているのだろう?」

 さらりと口にする銭塘君にアレクは息を飲んだ。

「……いや、まさかとは思っていたのだが……」

「何故まさかと思うのだ?」

「何故……と言われても、妃奈は人の姿で余の前に現れたのだし……それ以外の姿を見たことがないし……」

「俺だって、今は人型だぜ?」

「おまえは最初、竜型で現れたではないか。しかもおまえはシャルロ山で竜替えの儀式中に現れたのだし……。それに妃奈自身、そんなこと一言も……」

「じゃあ逆に、なんで妃奈のことを竜じゃねぇかと疑ってたんだよ?」

「それは……それは、おまえの血を飲んだ時にだな……」

 銭塘君の血は、妃奈の血と同じ風味だったのだ。

「はっ、陛下の味覚は万能なことよ」

 肩をすくめる銭塘君に、アレクは嫌な顔で睨みつけた。そんなアレクをものともせず、銭塘君は続ける。

「妃奈は自分が竜であることなど知りもしないだろう。向こうの世界では、竜など架空の、幻の生き物だからな。自覚などなくて当然だ」

「……向こうの世界も知ってるといった口振りだな」

 睨むアレクに、銭塘君はとぼけた様子で肩をすくめた。

「まぁよい。その辺は後ほど詳しく聞き出すことにしよう。問題の断脈縄を解く鍵を、偽リュークから取り上げてあるのだ。そう言う性質のものなら、外すことに問題はない筈だな?」

 アレクがホッとした様子で問うと、銭塘君は顔色を変えた。

「問題がないだって? とんでもない!」

 銭塘君の説明はこうだった。

 断脈縄は、様々な脈から流れ込むエネルギーを堰止めているだけに過ぎない。つまり断脈縄を解くということは、ダム湖と化したエネルギー溜まりを決壊させることにほかならない。

「それはつまり……」

 どういうことなのだ?

「推測だが、やつらは妃奈を使って隧道を造るつもりなんだろう。巨大な力を一気にそそぎ込まれて竜型に変化へんげした妃奈が、本能のままに逃げて向こうの世界に行けば、そこにはロムルスの世界へと通じる隧道ができる筈なんだ」

 そのような状態で竜化して異世界へと通じる隧道などを造ってしまえば、そのショックは計りしれず、それまでの記憶を失うか、最悪、命を落とす可能性もあると銭塘君は言った。

 なんてことだ。

 妃奈は人型のままこちらにやってきた。だからてっきり自分が間違えて召喚してしまったのだと思いこんでしまったのだ。もし、向こうでも()むに()まれぬ事態に陥って、こちらに逃げてきたのだとしたら、彼女の記憶が一部失われていることにも説明がつく。

 逃げた先で、更なる窮地に陥っていると言うわけか。

 哀れな。

「ではどうしたらよいのだ? このまま放って置くわけにも行くまい?」

「簡単だろう? 急激にエネルギーをそそぎ込まれても溢れないほど妃奈が空っぽならば良いのだ」

「つまり……」

「半分ほど殺す勢いで血を吸ってみるとか?」

 銭塘君が肩をすくめる。アレクは眉間にしわを寄せた。

「……今、そんな冗談を言っている場合か?」

「俺、冗談なんか言ってねぇぞ?」

 銭塘君は口をとがらせる。

「おまえの言葉など信じられるかっ」

「だったら竜医でも竜丁でも、誰にでも訊いてみればいいだろうがっ。竜がエネルギー過多になった時はどうすればいいかってなっ」

「この役立たず竜めっ」

「役立たず皇帝なのは、おまえの方だろうがっ」

 怒って捕まえようとしたアレクの手に銭塘君がカブリつき、痛っとアレクが振りほどいたところで、竜型に変化してフワリと舞い上がった銭塘君が鉤爪でアレクの頭を鷲掴みにする。すかさずアレクが頭上の銭塘君の両足を掴んで振り回す。

 部屋にあった調度品が吹っ飛び、鏡が割れ、ソファの上にあったクッションは破れて、中の羽毛が舞い上がった。

 途中、大きな物音に中を覗いた衛兵が、慌てて止めようと入ってきたが、銭塘君に火を浴びせかけられ逃げ出した。直ちにリュシオンが呼ばれたが、中の惨状を一目見るなり、放って置きなさいと一言言い捨てて立ち去った。


 焦土と化したような部屋の中、アレクは床に大の字になって転がり、大きなため息をついた。足下には同じように疲労困憊した様子の竜型銭塘君が壊れたこうもり傘のように転がっている。

「余が妃奈を半殺しにせねばならぬのだな?」

「殺すなよ。殺したら俺がおまえを殺す」

 銭塘君の言葉に、アレクが虚ろに笑う。

「余が妃奈を殺す前に殺すがよい」

「……そんなことをしたら俺が妃奈に恨まれる。妃奈はおまえのことを……あーっ、畜生! しゃくに障るぜ。いつもいつも、レムスの野郎~。やつがいないと思ったら、やつの子孫までが俺の邪魔をしやがる!」

 きょとんとした様子でアレクが見つめる中、銭塘君はイライラした様子で人型に戻ると、脱げた服を拾い集めた。

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