第三十六話 王宮へ
「リュシオン、待ってください」
部屋に案内するやいなや、踵を返して出て行こうとしているリュシオンを妃奈は呼び止めた。
王宮に戻れたのは良かったが、王宮の様子ががらりと変わっていた。なによりも……アレクがいない。どこにも。
「陛下は? アレクはどこですか?」
追いすがる妃奈にリュシオンは冷たい一瞥をくれた。
「陛下は、現在王宮にはいらっしゃいません」
「どうして? あの、どちらへ……」
「あなたには、そのようなことを知る必要がないかと思いますが?」
必要あるよ! 大ありだ!
「知る必要がないと、どうしてあなたが決めるんですか?」
あぁ、そう言えばと、何かを思いついた様子でリュシオンが返答する。
「エルの国に帰りたいというお話ならば、もう少し待っていただくようにと、テオ殿下はおっしゃっておりました。今、レムス帝国は、ご存じの通り混乱しております。ご不便をかけますが、今しばし、ご寛恕いただきたく……」
「そんなことではないですよっ! アレクは、陛下は無事なんですよね? 銭塘君は一緒なんですか? 一緒なんですよね? だったらどうして、陛下には竜が現れなかったなんて噂がたっているんですか?」
ここに戻る少し前、離宮で偽リューク伯は喜色を湛えてこう言った。
アレクシオス皇帝陛下が逃走したらしいと、原因は、今年の竜替えで、陛下には竜が現れなかったからだと。
そんなの嘘だ。ちゃんと銭塘君が現れたのに、どうしてそんなことになってるの? そりゃ、銭塘君は小さいし、しゃべるし、人間の姿に変身できるし、普通の竜ではないかもしれない。実際のところ、銭塘君がどのような竜なのか、竜としてどのような資質があるのかは知らないけれど、竜であることに間違いは無い筈で……。
「妃奈様、この国では、竜無しは王族の恥と言われます。皇帝に竜が現れなかったなどということを声高に話されては、よく思わぬものもおりましょう。どうかお控えくださいますように……」
「そんなこと言ってないでしょう!」
妃奈はイライラしながら声を張り上げる。
王宮に戻ってすぐに、詳細を確認するべく銭塘君を呼んだ。何度も呼んだ。だけど、銭塘君からの応答はなく、代わりのように紫竜が窓辺に現れ、王宮の中庭を旋回した。
「それから妃奈様、紫竜をお部屋から呼ぶのは少し控えていただいた方が良いと思います。臣下の中には、陛下がこのような状況に陥っている時なのに、これ見よがしに竜を呼ぶのはどうかと顔をしかめる者もおりますので……」
「そ、そんなつもりでは……」
狼狽えて黙り込む妃奈に、話はこれで終わりと言わんばかりの態度で、リュシオンは部屋を後にした。
なによう、リュシオンってば、嫌みな態度に拍車がかかってない?
妃奈はドアに向かって文句を言う。
妃奈が案内された部屋は、以前使っていた部屋とは違う部屋で、鍵こそ掛けられていないが、ドアの外には衛兵が見張っており、妃奈が部屋から出ようとすると注意する。
必要のない外出はお控えくださいとかなんとか。
もっとも、王族が王宮に集まっている今、妃奈が出歩くことは確かにあまりよろしいことではないらしい。
自分自身ではあまり分からないのだけれど、かなり濃密な血の匂いが傷口から漂っているらしく、金髪の人、つまり王族が妃奈を見る目が怖いのだ。鮫の水槽に血を垂らした状態のような……。
それにしても、足が痛いな。どんどん痛くなってる気がする。
鎖、外してもらえないのかな。あの後、偽リューク伯には会ってないし……。どうなってるんだろう……どうなるんだろう、この国は……。アレクは、銭塘君はどこに行っちゃったんだろう。
離宮の厨房でおむすびを作った後、妃奈は偽リューク伯や慎也とともに、あっという間に王宮へ移動した。召喚された先は双翠宮、翡翠の間。その部屋の玉座に座り、冷徹な視線で見下ろしていたのは、テオドシウス殿下だった。金色の短髪にアイスグレーの瞳、頬の痣。召喚したテオドシウス殿下は、三人を冷ややかに見下ろした。
「リューク伯ならびに王エル殿、此度はレムス帝国竜旗の下へよう参られた。定め通り、一週間後、新皇帝選出の詮議が開催される。それまでは双翠宮にてゆるりとご滞在くだされ」
そして、こう続けた。
「時に、リューク伯。そちの名を語る偽物を、今王宮にて捕らえてあるのだが……」
何言ってるんですかっ、そっちが本物で、こっちが偽物ですよっ、とがなり立てようとした妃奈は、偽リューク伯の指示で慎也に口をふさがれた。
ごめんね、おねーさん、とあまりにも申し訳なさそうに慎也が耳元で囁くので、気の毒になって妃奈は口をつぐんだ。
確かに、今ここでがなりたてても、どっちが本物かなんて、妃奈には証明すらできないのだ。ここは慎重になるべきなのだろう。
確認をしたいと言われ、偽リュークは衛兵とともにその場を後にした。その後、慎也と妃奈は、それぞれ別の部屋に案内されて、今に至っている。
アレクが居れば、どっちが本物かなんて、すぐに分かるんだろうに。
テオ殿下は、アレクの逃亡をどのように考えているんだろう。
心配しているのか、チャンスだと考えているのか……。
そのとき、ドアがノックされる音が響いた。侍女のリンかもしれない、何か話が聴けるかも……と期待に目を輝かせてドアを開けると、そこにはテオドシウス殿下が佇んでいた。




