第三十四話 変身
「アレク……やめろ。気持ちが悪い」
テオの不機嫌そうな声で、アレクは目を開いた。ついさっきまで妃奈の柔らかな身体を抱きしめていたはずなのに、気づけば硬い筋肉質な身体を抱きしめている。しかも、眼前にあるのは自分とそっくりな男の顔だ。
アレクはおもいっきり顔をしかめると、腕を解いた。
「端で見ている方はもっと気持ちが悪いですよ」
リュシオンが肩をすくめ、その隣で少年の姿をした銭塘君が、そのとおりそのとおり、と何度も頷いている。
「テオ、召喚するのが早すぎだ」
「時間に正確なのが俺の信条だ。問題は、アレクの時間の使い方だろう」
テオが不満そうに眉間にしわを寄せる。
妃奈がどの部屋にいるか分からなかったから、探し出すのに手間取ったのだとアレクは苦々しげに返す。
銭塘君の部屋の説明では、どの階かは分かっても、どの部屋か特定することができなかったのだ。
双子の特権なのか、アレクとテオは大体の場所が分かっていれば、厳密な位置が分からなくても互いを召喚することができた。
「で? 妃奈はどうしたんだよ。連れてこれなかったということは、あの鎖は皇帝へーかでも切れなかったってことか?」
銭塘君はマホガニーのテーブルに腰掛け、足をぷらんぷらんさせながら問う。アレクはそれを一瞥して眉間にしわを寄せる。
「リュシオン、この行儀の悪い小僧を窓から放り捨てろ」
「御意」
リュシオンが銭塘君の襟首を掴んで持ち上げると、銭塘君はジタバタしながら悪態をつく。
「おいこら、やめろ。いたいけな子供になんちゅーことするんじゃ、この悪い大人たちめっ。俺にこんなことして、ただで済むと思ってるのか?」
リュシオンは掴んで持ち上げた銭塘君の顔をのぞき込んだ。
「銭塘君。さすがの私も、子供の姿をしたあなたを窓から放り捨てるなどできかねますのでね、お座りになるのならば椅子にお願いできますか?」
言葉だけ聞けば丁寧なお願いだが、そこには有無をいわさぬ圧力があって、銭塘君は上目遣いでリュシオンを見上げると、コクコクと頷いた。
「未だ飲み込めぬのですが、彼は本当に竜なのですか? 人型に変身する竜など、伝説でしか聞いたことがないのですが」
椅子に座らせられた銭塘君は、リュシオンの言葉を聞いてふんぞり返った。
「聞いて驚け? 俺がその伝説の竜なんだ」
「私が聞いた伝説の竜は、人型に化けて村の娘たちを拐かす悪い竜のお話だったんですけどね」
とリュシオンが肩をすくめると、そりゃ俺じゃねーな。竜違いだと銭塘君も肩をすくめた。
「おまえだろ」
とアレクが苦々しげに口を挟む。
「妃奈を繋いでいた鎖は、あれはネメアの魔導具だ。不用意に切断すればどのような呪いが発動するか分からぬ。だから今回は諦めた。急くな。いずれにせよ、偽リュークは妃奈を傷つけることはあっても殺すことはない。それだけは断言できる。そのうち、やつは放って置いても向こうから妃奈を連れて王宮へ来るはずだ」
そこへノックする音がして、コンラが入ってきた。左の足は義足になっており、まだ慣れぬ様子で杖をついている。
「おぉ、コンラよ。身体の具合はどうだ?」
「陛下、身体の調子は上々ですよ。義足にもだいぶ慣れてきましたしね。あ、それよりも頼まれていたものができあがったので、取り急ぎお持ちしましたよ」
そう言いながら、コンラはアレクに小さな木箱を渡した。
「中の小瓶に入っていますが、使用しない時は必ず小瓶に戻してください。その際、同梱してある薬液で満たしてから入れてくださいね」
頷きながらアレクは小箱を懐にしまう。コンラはそれを確認して、小さく会釈すると、ふと足下で自分をしげしげと見上げている銭塘君に気づいた。
「あれ? この子供は? 陛下の隠し子ですか?」
アレクは苦々しげに銭塘君を見やる。
「こんなかわいげののない子供が余の子供であるわけがなかろう」
そうですか、と言いつつ首を傾げて見ているコンラに、アレクが再び口を開く。
「銭塘君、こやつがコンラだ。そちが謝りたいと言っていた相手だ」
「謝る? この子が俺に謝るんですか? なんの件で?」
コンラがきょとんとした様子で首を傾げる。
「やっぱりおまえがコンラかぁ。この前食った足と同じ匂いがすると思った」
はい? と固まるコンラに、こいつが内向竜紋鏡の芯の竜だったのだとアレクが補足説明する。
「ええええっ? この子供が……竜……なんですか? しかも、内向竜紋鏡の芯?」
「あの時は悪かったな。俺、てっきりおまえのことを生贄だと思ったからさぁ」
「は、はははは……は?」
虚ろなコンラの笑いが響く。
「君も陛下も人が悪いな。俺をからかっているんですよね?」
「そう言えば、俺もこいつの竜姿を見たことがないぞ? 本当に竜なんだろうな」
テオが口を挟む。
「こいつは間違いなく竜だ。残念ながら、今年の余の竜替えの儀式で現れたのだ。銭塘君、良い機会だ。この場で竜の姿になって見せておくがよい。ここにいる者には、そちの真の姿を覚えてもらっておいた方がよかろう」
残念ながらとは失礼な、とぶつぶつ言いながら、銭塘君はブルリっと身体を震わせた。着ていた服がスルリと落ちて足下にわだかまり、中からフワリと翼を羽ばたかせて舞い上がった黒竜が、アレクの頭に着地した。
「黒竜……」
リュシオンが呆然と銭塘君を見上げる。
「銭塘君、速やかに余の頭から降りよ。余の頭は止まり木ではない」
アレクがむっとする。銭塘君はフワリと飛び立ち、今度はコンラの頭に着地すると、首を伸ばしコンラの顔をのぞき込んだ。
「まだ骨の欠片くらいなら腹ん中にあるぜ? 出す?」
銭塘君の変身に呆気にとられていたコンラは、たちまち顔をしかめた。
「出さなくていーですよっ! 俺の大事な左足です。食べちゃったからには、無駄にせずにしっかりと身につけてくださいっ」
□■■
男が一人、アイスグレーの瞳でしげしげと鏡をのぞき込んでいる。短い金髪、右頬には三日月型の黒い痣。容姿を知っている者が見れば、彼のことをテオドシウス殿下と呼ぶことだろう。
「どうだ? 完璧だろう?」
クルリと振り返って、後ろでソファに寝そべっている竜型の銭塘君に声をかける。
「テオはもっと目つきが鋭いな」
「ん? 目つきか……。こうか? こうか?」
鏡の前で百面相をしているアレクに銭塘君はため息をつく。
「妃奈は無事でいるんだろうな……」
ぽつりと呟く銭塘君に、アレクは小さく笑う。
「気になるか?」
「おまえは気にならないのかよ」
「気にならぬ訳がないだろう? ……なぁ、ずっと気になっているのだが、そちは本当に余の竜なのか?」
「さぁな、たぶんそうなんじゃないか? としか俺には答えられないな」
「たぶん、そうなのか」
アレクは大らかに笑ってから、急に顔をしかめると、寝そべっている銭塘君の首根っこを掴んで持ち上げた。
「いいか、たとえおまえが誰の竜であろうと、余のものである妃奈に口づけるとは不届き千万なのだぞっ! 今度あのようなことをしてみろ、窓から放り投げるだけでは済まぬからなっ」
銭塘君はジタバタしながら、小さく火を吹きつつ文句を言う。
「もうおまえには二度と血を飲ませね~」




