第三十一話 激怒
「なぁ、偽リュークの件は、あとどれくらいで片がつく?」
双翠宮、アレクの居室。バルコニーの手すりに腰掛け、足をぶらんぶらんさせながら、銭塘君が問う。先ほど王宮に到着した銭塘君は、アレクの指示で小さな男の子に変化していた。緻密な刺繍が施された青い子供用の上着を羽織り、白いパンタローニに黒い長靴。上着に付いている金色のボタンには、ロサルリアの花を象った彫りが施されているところを見ると、どうやらこの服は、アレクが幼少の頃に着ていたものなのらしい。黒髪は短く切りそろえられており、利発そうなブラックオパールの双眸は少し愁いを帯びている。
「長引かせるつもりはない」
アレクは疲れ切った様子で、しかし一時も休む余裕はないと言いたげな表情で手元の書類に目を通し始めていたが、あぁ、そう言えばこいつが戻ってきていたのだったと呟くと、バルコニーへ歩み寄った。
銭塘君は既にここと離宮とを二往復している。一度目は妃奈の居場所を特定したことを知らせに。二度目はアレクが妃奈の傍で彼女を守れと命令したにもかかわらず、何故か戻ってきた。
竜らしく、素早く天翔ることができるのは吉報だが、竜のくせに、竜主の命令よりも妃奈の頼みを優先させるとは、なんという不届き千万!
ところが、アレクの苦言などどこ吹く風で、戻ってくるなり、銭塘君は、自分が如何に変化することが上手であるか、囚われた妃奈の下女として如何に守備よく忍び込んだかを自慢げにしゃべった。では少年に変化してみよとアレクが命じると、銭塘君は、即座にその場で少年に変化した。しかし、何も身につけていない状態の少年銭塘君に感心しているところに、リュシオンがテオとアデルを連れて部屋を訪れたので、一先ず手近にあった上着を着せ、何か服を着せるようにと女官に預けていたのだった。
先ほどまで、テオやリュシオンやアデルと顔をつきあわせ、偽リューク伯の件について、ああでもないこうでもないと話し合っていた。つい先ほど、本物のリューク伯が自分の竜に乗り王宮に辿りついたのだ。負傷しており、数年前から囚われの身になっていたガウラ叔母の救助を求めてきた。ガウラ叔母は、テオによって、リューク伯よりも一足先に救助されており、そのまま王宮の薬師司に運び込まれていた。心労の為か、かなり弱っており、あまり容態が良くないらしい。
「セレン妃の友人だということだったので、油断してしまったのだ」
しかも、あまりにも自分によく似ていたので、それも油断する一因となってしまったと、リューク伯は悔しそうに唇を噛む。偽リュークがリューク伯の所領であるレルモアに現れたのは三年前のこと。旅行中だったセレン妃と共にやってきたのだと、リューク伯は薬師司で手当てを受けながら語った。
シャルロ山の頂上で、銭塘君に妃奈の尾行を命じた後、アレク自身は王宮にとって返した。竜替えの祝賀パーティを急遽取りやめ、捉えておいた筈のセレンと偽リュークの取り調べを自ら行おうとして、アレクはほぞを噛んだ。尋問するはずだった偽リュークが牢から消えていたのだ。リュシオンのねちっこい尋問の成果で、既に偽リューク伯だということが露見したその男は、自らをジャンルカと名乗った。しかし尋問できたのはそこまでだった。竜替え祝賀パーティの準備で慌ただしくなったリュシオンは、王宮内から牢がある塔に移すよう手配した。彼がそこに移されたことを知るものはごく僅かで、当然の事ながら牢には厳重に鍵をかけてあったし、見張りもたてていたとリュシオンは言う。
「申し訳ありませんでした。王宮内では見張りが行き届かなくなると判断したものですから。私の判断ミスでした」
リュシオンは叩頭する。
リュシオンの判断は恐らく間違っていなかった。アレクは顔を上げるよう指示する。
塔にある牢は王宮にある牢の中で、最も堅固なものだ。そこから脱出したなら、召喚魔法が使われたとしか考えられない。レムス王族が関わっているはずだ。この世界で、魔法を使える君主を戴いている国はいくつかあるが、召喚の魔法はレムス王族のお家芸だった。
ネメアのクリスティーナ等、目星をつけたレムス王族の動向を探らせる為に密偵を走らせる。
しかし、一番の問題は、どうやって召喚者が偽リュークの位置を知ることができたかなのだ。塔には無数の牢がある。召喚するには正確な位置情報が欠かせない。つまり王宮内部にも手引きをするものが居ると言うことになる。
第三王妃セレンは、ネメア公国との関係上、さすがに確たる証拠もなしに牢には入れられなかったので、自室にて軟禁状態にあったが、偽リュークの詳しい動向は知らない様子だった。彼女は偽リュークに丸めこまれて、便宜供与を行っていたらしい。彼女には、当分の間、軟禁状態下に置くことを言い渡してある。
一刻も早く自分の手で妃奈を取り返したい。そうは思うものの、王宮が混乱したままでは、いくら妃奈を助けだそうと同じ事の繰り返しになってしまう。だからこそ断腸の思いで、自ら妃奈を追うことよりも王宮内の混乱を鎮めることを優先した。銭塘君に妃奈を守るように命じておいたものの、内心は気が気ではなかった。偽リュークが逃亡中ならば尚更だ。なぜならば、かつてシャルロ山で飲んだ偽リュークの血の記憶の中に、彼が妃奈の名を口にした過去があったからだ。
バルコニーに座って、足をぶらんぷらんさせている銭塘君にアレクは命じる。
「おい、血をよこせ」
「おいー、おまえ、竜からまで血を飲むつもりかよ~」
銭塘君は顔をひきつらせながらバルコニーの手すりからずり落ちた。
王宮に帰ってよりのち、話を聞くよりも早いと、アレクは側近を含め、王宮中の臣下の血を飲んだ。無論、アレクが血を飲むことによってその血の主の過去の行動を知ることができることは隠したままだ。リュシオンなどはアレクの体質が変わったと涙を流さんばかりに喜んだが、一通り飲んでしまえば、後は二度と一滴たりとも飲む気になれなかった。七割弱の者で気分が悪くなり、二割の者で嘔吐し、残りの一割は口に含んだ途端吐き出した。一割にも満たないごく僅かの者の中には、リュシオンのように苦いくらいで飲める者もいたが、これもやはり二度と飲む気にはなれなかった。
もう一度飲みたいと思える者は、ただ一人。
妃奈……だが、余はそちの血が飲みたいから会いたいと思うわけでは決してないのだぞ。そちが傍にいないだけで、何か自分の中の大事な物が欠落しているような、何か忘れ物をしているような心持ちになるのだ。こんな気持ちは初めてだ。
「妃奈の様子が知りたい。銭塔君、おまえの目に映った妃奈を見たいのだ」
再度、血を差し出すように懇願すると、銭塘君は眉間にしわを寄せた。
「アレク、おまえまさか……血を飲むことで……そうか……おまえもそうなのか……」
首を傾げるアレクに、銭塘君がぽつりと呟いた。
「レムスもそうだった」
瞠目するアレクに、銭塘君は続けた。
「飲みたいならば飲めばいい。だけど、おまえ自身がつらいだけかもしれないぞ? さっきの話だと、おまえ、しばらくは王宮を離れられないんじゃないのか?」
しかし、そんな銭塘君の言葉を無視して血を飲んだアレクは、放心した後、荒れ狂った。
こいつは、牢につながれていた筈の偽リュークではないか!
この神出鬼没さは、間違いなく召喚魔法が行使されたことにほかならない。ジャンルカは塔に移されて間もなく脱出し、離宮にて妃奈を待ち伏せていたのだ。アレクが一番恐れていた最悪の事態だった。
妃奈を傷つける者は決して許さぬ。あれを縛る者も許さぬ。余以外の人間が、あれを拘束するなど言語道断だ。あれに触れて良いのは余だけなのに!
アレクは慌ただしく自室のドアを開けると、声を荒げた。
「リュシオン! 今から離宮に向かう。明日の朝議は取りやめだ!」




