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第二十九話 偽リューク伯

本話には暴力シーンがあります。苦手な方はご注意ください。

 赤っぽい茶色の髪、濃い茶の瞳。その容姿は紛れもなくリューク伯なのだけれど、余裕しゃくしゃくな様子で部屋には行ってきたからには、彼がチンピラの筈だ。

 妃奈は窓辺に座り込んだまま、近づいてくる男を睨んだ。

「あなたは誰? リューク伯じゃないんでしょう?」

 ニヤついた顔。でも目は笑っていない。男は妃奈の間近まで来て片膝をつくと、素早く妃奈の(あご)を掴んだ。

「威勢がいいな。小鳥ちゃん」

 掴んだ顎を力任せに持ち上げて、目を細めてのぞき込んでくる瞳には、冷徹で凶悪な光が潜んでいる。年齢的には父と同じくらいの年だろうか、顔だけだと年齢不詳に見えるが、節くれ立った指の質感が年齢を重ねていることを告げていた。

 妃奈も負けるものかとその瞳を睨み返す。

「いいな。その瞳。ねじ伏せたくなる」

 顎を掴む指から逃れようともがいた妃奈の両手を、男は掴んで一つにまとめると片手で押さえつけた。そのまま妃奈の身体を床の上に押し倒して馬乗りになる。

 淡いオレンジ色の大理石の床に後頭部をぶつけて、星が飛んだ。

 いったーい。

 いくら敷物があるとはいえ、その下は大理石だ。石なのだ。

 こんのチンピラめー。頭割れたらどうするのだぁ。

 ぎゅっと目を閉じて痛みが過ぎ去るのを待っていると、いきなり首筋に痛みが走った。

 ひっ……切られた?

 慌てて目を開けると、男の爪先が朱に染まっていた。緻密で美しく彫られた鋭い銀の付け爪。男はその朱に染まった爪先を恍惚とした表情でしげしげと眺めると、ぺろりと舐めた。

 妃奈は小さく震えながら男の動作を見つめる。

 この人、なんか変じゃない?

「魔力か。分からんな。こっちの世界の人間は、みんな変だよな」

 あざ笑う男を妃奈は瞠目して見あげる。

 こっちの世界の人間? ということは、この男は私と同じ、向こうの世界の人間ってことじゃないの? ネメア公国に現れた胡乱な外国人って、この人たちなんじゃない?

「あなた、何者なの? なんの為にこの世界に来たの?」

「なんの為かって? そんなの決まってる。力を手に入れるためさ」

 力を……手に入れるため?

 身をよじり、少し力がゆるんだ男の腕からの脱出に成功すると、妃奈は重い鎖を引っ張りながら後退する。妃奈につられて、重い鎖がゴソリと大理石の床を這いずる。そんな妃奈を男は面白そうに見下ろした。

「くくっ、逃げようたって無駄な考えだぞ? その鎖には呪が施してあるからな。おまえはこの鎖から逃れられない。北のばあさん特製の鎖だ」

 そう言いながら近づいてきた男は、嬉しそうに妃奈の髪を梳き上げて匂いを嗅いだ。

 うううう……気持ちが悪い。

 鳥肌が立つ。

「私なんか掴まえたって、魔力の有無さえ分からないあなたに、なんの力が手にはいると言うの?」

「確かに、正直なところ、あんたに魔力があろうとなかろうと俺には関係ない。俺が欲しいのは、あんたが持ってる強運。それだけさ。だからもう二度と逃がすつもりはないからな。小鳥ちゃん」

 再び、男の手から逃れて後ずさりながら妃奈は小さく笑う。

「私が持ってるのは強運だけじゃないですよ? 凶運も併せ持ってることを知らないの?」

 そう妃奈が言った途端、男は莫迦みたいに笑い出した。

「あーっはははっ、そんな事、小鳥ちゃん自身がマジで信じてるんだ。かわいいな。心配はいらない。おまえはちゃんと俺が用意したきれいな鳥篭で飼ってやるからな。せいぜい可愛い声で鳴いて、俺を楽しませろよ」

 なっ、なに? 凶運を併せ持ってると教えてくれたのは母や祖父だ。ちがうの? 鳥篭って……なんのこと?

「さて、教えてもらおうか。小鳥ちゃんの(あざ)はどこにある? (あざ)の確認さえ済めば、すぐにでもこんな世界から脱出だ」

 妃奈は瞠目して男を見上げる。

 この人、(あざ)のことまで知ってるの? しかも、すぐにでも元の世界に戻るって……戻れるの?

「なぜ(あざ)のことを知ってるのかって顔だな。俺は何でも知ってるさ。おまえの母親には首筋にあった。彼女が自殺したのは誤算だったが、まさかその娘まで(あざ)持ちだったとはねぇ。俺も結構な強運の持ち主だ。それとも、これももたらされた強運なのかね」

 妃奈は唇を噛んだ。

 この人……この人が、母さんを死に追いやった張本人なんじゃない?

「母に……何をしたの?」

「おまえの母親には何もしてない。するわけがない。大事な痣主(あざぬし)だったんだから。大事に飼うつもりだったさ。だが、おまえの父親には死んでもらった。痣主(あざぬし)と繋がったことのある人間はすべて排除しなければ、強運の流れを独占するにはできない。しかし、まさか痣主(あざぬし)まで死んでしまうとはな。誤算だったよ。やはり一度結びついてしまうと、断ち切るのが難しい」

 この人が父さんをっ! もしや、父の会社の倒産は仕組まれたことだったのでは?

「だが今ではおまえの父親には感謝しているよ。次の痣主(あざぬし)を残してくれたわけだからな。さぁ、小鳥ちゃん、おまえの(あざ)はどこにある? まぁ、黙っていたって構わないがね。全部脱がせて隅々までチェックするまでだからな」

 そう言うと、男は無表情なまま、妃奈が着ていたドレスの胸元を掴むと、一気に引き裂いた。胸元を飾っていた豪華なレースが千切れて下着が露わになる。

 突然の凶行に、妃奈は息を呑んだ。

 妃奈が着ている薄紫色のドレスは、今朝、竜替えの儀式の後に、アレクが王宮から召還してくれたものだった。アレクの王宮への帰還用にと用意された衣装と一緒に召還されたのだ。王宮の方でこの色を選んだという事は、妃奈の竜となった紫竜のことがすでに伝わっていたのかもしれない。

 とてもよく似合うと、アレクも銭塘君も言ってくれていたのに。

 ひどい……。

 涙目で睨みつける妃奈に、リューク伯そっくりな男は薄ら笑いを浮かべた。

「首回りにはないようだな」

 そう言いながら、ツイーっと首筋を指でなぞる。先ほど付け爪で傷つけられた首筋がジクジクと痛んだ。

 妃奈の(あざ)は足の付け根にあるのだ。そんなところをこんな男に見られるくらいなら、母同様、死んだ方がましな気がしてくる。

 妃奈は、パニエで膨らんだドレスの裾を押さえながら睨みつけた。

 しかし、その仕草を見た途端、男はくつくつ笑い出した。

「小鳥ちゃんは、分かりやすいな。そうだ、素直なのが一番だ」

 私ってば、なんて莫迦なの? 自分をグーで殴りたい。

 呆然としている妃奈のドレスの裾に、男の伸びてくる。パニエがめくられて、白い足が露わになった。

「やめて……」

 必死でドレスの裾を下ろしながら、ぴったりと足を閉じる。

「抵抗してじらすのもいいが、今はそこまでして俺を悦ばせることはないぞ?」

 だっ、誰がおまえなんか悦ばすかっ! ってか、このおっさんドSですか! ドSをがっかりさせる方法って何? 検索! 誰か検索してくださいぃぃぃ!

 シュルっという幽かな音がして、妃奈の背後の、優美なドレープを描いてまとめられていたカーテンがはらりと開いて、カーテンをまとめていた紐で妃奈は両手首を縛られた。

「なっ、なにを……」

「手が邪魔だ。おまえは俺を楽しませる気満々なようだから、せいぜい楽しませてもらおう。おまえも好きなんだろう?」

 ふざけるなっ! 死んでもおまえなんか楽しませるかっ。

 めちゃくちゃにもがいて、男の間合いから逃げ出した。鎖を足の力だけで引きずりながら、置いてあった花瓶だの壁の絵だの本だのを投げつける。両手を括られた状態のまま投げるものだから、手首から垂れ下がっていた残りの紐が、ますますグルグルに巻き付いた。鎖が繋がっている足首からは、力任せに引っ張ったせいで擦れて血が出始め、足首の血濡れた感触がどんどんひどくなった。

 アレク! アレク助けて!

 泣きながらドアノブをがちゃがちゃ鳴らす。

「投げるものが無くなったか。しかし、壁の絵まで投げるのはやりすぎだろう? きれいな絵だったのに……破れてメチャメチャだ」

 男はさほど残念でもない様子で、にやにや笑いながら近づいてくる。背後はもうドアだ。もう逃場がない。

「来ないで!」

 睨みつけると、括られたままの両手を頭上でドアに押しつけられた。片手で押さえつけられたまま、ぱしっ、ばしっ、と容赦なく男の平手が妃奈の両頬を殴打する。

 両頬が熱くなり、口の中が切れて血の味がした。痛みと恐怖が妃奈から抵抗する力を削いでいく。足から力が抜けて、ドアにもたれたままズルズルとへたり込んだ。

 そんな様子の妃奈を男はあざ笑った。

「抵抗はもう終わりか? 他愛もないな。そんなことなら最初から従順にしていれば良かったんだ。莫迦な奴」

 男はそう言い捨てると、静かに涙を流しながら座り込む妃奈の膝を折り曲げ、再びパニエをめくり上げた。

 妃奈の右足の付け根には竜の片翼によく似た形の(あざ)がある。母の首筋にあった(あざ)は薄目の藍色だったが、妃奈の(あざ)は黒かった。ところが、(あざ)を確認した男の口からため息にも似た落胆の声が響いた。

「……なんてことだ。(あざ)が変色している」

 男の言葉に、のろのろと妃奈も自分の(あざ)を見る。それは母と同じように薄い藍色をしていた。

「誰だ? 誰と繋がった?」

 ぼんやり座り込んでいる妃奈の髪を掴んで顔を上げさせると、男は瞳をのぞき込む。

 ダレトツナガッタ?

 しばらく考え込んでから、妃奈はようやく男が意味するところに気づく。言えば殺すつもりなのだろう、妃奈の父親のように。だけど、たとえ殺すつもりがないとしても、それが誰かなんて、そんなこと言うつもりなど(はな)からない。せいぜい勘ぐればいい。いい気味だ。

 黙り込んでいると、肩を掴まれてガクガクと揺さぶられた。

「言えっ!」

 胸ぐらを掴まれて、再び頬を叩かれる。固く口を閉ざしたまま叩かれるままになっている妃奈に、男は舌打ちすると、急に、叩くのをやめた。

「……そうか、分かったぞ。アレクシオス・ドゥ・レムス。皇帝か!」

 動揺してはダメだ、妃奈! こいつはカマをかけているだけだよ。そうに決まってる。

 そうは思うものの、動揺を隠せているのか心配で、つい男を伺って視線を投げてしまう。

 男は舌打ちをしてから続けた。

「迂闊だった。現皇帝は女に興味がない、そんなセレンの言葉を真に受けた俺が莫迦だった」

「ち、違いますよっ。皇帝が相手なんて、そんな恐れ多いことっ!」

 ムキになって言い返す妃奈の言葉を、しかし男は易々と肯定した。

「……それもそうか。皇帝がおまえなどに手をつけるわけがないか」

 そうだそうだと安堵して頷く妃奈に、男はくつくつと笑った。

「本当に分かりやすい奴だ。やつがそんなに大事か?」

 あ……。

「相手が皇帝ではちと厄介だが、まぁ、無理ではない。俺の獲物に手をつけた代償を払ってもらわねばな」

 妃奈が触ってもびくともしなかったドアノブは、男が回すといともたやすく開いた。すぐにネメアのクリスティーナに連絡しろと外にいる誰かに怒鳴っている男の足にすがりつき、

「ちがうっ、アレクじゃない。アレクは関係ない!」

 と喚いたが、そんな妃奈を男は忌々しげに部屋の奥へ蹴飛ばすと、再びドアを閉め鍵をかけた。

 ガシャン、カシャン、カタン、キキキーッと複雑な音がして、幾重にも施錠されたのだと気づく。絶望的な思いで、妃奈は床に泣き崩れた。


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