第二十八話 拉致監禁?
波の音が聞こえていた。
よせては返し、返してはよせる、穏やかな波の音。
海に面したバルコニー付きの窓から、朱に染まった光が射し込んでいた。天蓋付きの豪奢な、しかし、南国風の明るい色調のベッドの上で妃奈は目覚めた。
はっと身を起こすと、右足首に違和感がある。
鎖? 拘束されてる?
慌てて足首に繋がった鎖をたぐり寄せた。
何よこの鎖……。
ジャラリなどという可愛い擬音ではなく、ゴソリと低い音をたてる鎖は、どうみても象か何かを繋いでおくような太いものだ。部屋の中では動き回れるようにしてあるのか、かなり長さのあるその鎖のもう片方は、ベッドの足に固定されていた。しかし、引きずって歩けるような重さではない。綱引きの綱以上の重さだ。手で持ち上げて引っ張りながら歩かないと、足を痛めそうな重さ。
ちょっとー。人のこと何だと思ってんのよ。ゴジラじゃあるまいしぃぃぃ。ここには、こんな太い鎖しか無いわけ? これじゃ、拉致監禁じゃなくて、ほとんど捕獲じゃないのよぉぉ。
怒りにまかせて、鎖を綱引きの綱よろしくズルズルと引っ張りつつ窓辺へ歩み寄る。窓の外を見下ろして、妃奈は息をのんだ。
海だ。
カクカクした曲線のバルコニーの手すりから下をのぞき込む。
断崖絶壁だ! まただよ~。
この世界は……ってか、この世界の城という城は、断崖絶壁の上に建てなければならないという決まりでもあるのか?
妃奈は呻いた。
何故か突然怒りだしたアレクに、シャルロ山の山頂に置き去りにされた。
働き口を紹介してくれって言ったのがそんなにいけなかったのかなぁ。皇帝なんだし、ハローワークよりも強力なコネを持ってると思ったんだけど……。でもさぁ、もしそんなコネクション持ってなかったとしても、あそこまで怒る必要あったか?
あーっ、待てよ? もしかして、手土産の一つもなしにそんなことを頼んだのが悪かったとか? 金色の饅頭が詰まった菓子とか、ぴよことか?
妃奈は思わず一人失笑し、ふと水平線に視線を投げた。
――違うよね。嘘だよ。本当はちゃんと分かってる。アレクはそんなことでは怒らない。
苦笑しながら首を振る。
アレクは私なんかよりも、もっとずっとずっとたくさんのことが見えていて、危険なこととか、自分に何ができて何ができないのかとか、だから誰をどのように配置して使えばいいのかとか、きちんと把握してる。
彼は皇帝だから。
そして、たぶん、私に何が足りないのかもちゃんと分かってた。
なのに、私はそのアレクの意図を見抜けずに、何か間違ったことを言ったのだろう。
私に足りなかったものってなんだろう。
――竜主としての心得とかかな……。
そうだよ~。きっとそうに違いない。
もし私が、紫竜の竜主としての自覚があれば、こんな事態にはなっていなかったんだろう。
アレクが、紫竜に対する責任を持てと怒ってたのは、そういうことだったんだろう。
妃奈は一人うんうんと頷いた。
アレクが飛び立ったとほぼ同時に舞い降りてきたクリーム色の竜。それに跨がっていたのは、リューク伯だった。彼が今一つ信用できない人だという予感はあった。しかも、クリーム色の竜に乗ったリューク伯が殺気立っていたのにも気づいていた。
なのに……。
「リューク伯? 忘れ物ですか?」
などと暢気に問いかけながら歩みよるという愚行を、妃奈は冒してしまったのだ。
リューク伯は、険しい表情でいきなり妃奈の手首を掴んで歩き出した。
「こいっ」
「ちょっ、なに? なにするんですか?」
「大人しくついてこい。手荒な真似はしたくない」
声が、以前聞いた時よりも低い気がした。
「はぁ? ついてこいってどこに行くんです?」
反射的に足を突っ張って、立ち止まる。しかし、リューク伯は妃奈の腕を掴んだまま止まらなかったものだから、妃奈の腕にグンとテンションがかかった。
「放してください。行き先も分からないまま、あなたについて行くことはできませんっ。一体なんなんですか? どうして私があなたについて行かないといけないの?」
そう言い放った途端、舌打ちをする音がした。次いでリューク伯は、低く口笛を吹いた。するとどうだろう、クリーム色の竜が地響きをたてながら歩いてくるではないか。竜は、淡い黄を帯びた白っぽい体躯と赤い瞳と黄色いトサカを持っていた。
もしこの時、妃奈が紫竜を呼んでいたら、事態は違うものになっていたのかもしれない。しかし、妃奈はただ呆然とクリーム色の竜が近づいてくるのを見ていた。近づいてきた竜は、トサカの付け根から鞭のようにしなる触手を伸ばして妃奈に巻き付けた。その刹那、体中にビリビリとした衝撃が走り、目の前が真っ白になり、その後のことは何も覚えていない。
これから私は、どうしたらいいんだろう。何をするべきなの? アレクはどうしろと言っていたっけ?
最後まで紫竜に対して責任を持てと言っていたくらいしか思いつかない。
こんな所から紫竜を呼んでも、声は届かないんだろうしなぁ……。
兎に角、私は自力で王宮に戻ることを考えるべきなんだろう。とすると、まずは、ここがどこなのかを知らないとだ。
ちょっとした考え事をしているうちにも、夕方の光は刻々とその色を深めており、海に張り出したバルコニーごと朱に染め上げられている。ふと思いついて、ドアノブを回してみたけれども、回る気配はなかった。もっとも、扉が開いたとしても、鎖の長さより先には行けないのだけれど……。
扉の横の壁に地図が掛けられていた。
海に張り出した半島の先っぽに城、そこから伸びる主要な道や町村、海には海路と帆船、そして空きスペースには、この地方の名産品なのだろう果物や魚介などが美しく描かれていた。
この半島の先にある城が、ここなんだろうか。
この地図もそうなんだけど、王宮の書庫でも見せてもらったレムス帝国の地図は、国ごとのパーツに分けられたものしかない。全体図を見たいと書庫の人に言ったら、全体地図は極秘軍事資料にあたるので見せられないと閲覧を断られた。
まぁ、そんなもんなのかもしれないなぁ。
でも、この半島、どこかで見たような気がするんだよね。
次第に薄暗くなっていく部屋の片隅で地図とにらめっこをしていると、廊下を歩く複数の足音が近づいてきているのが聞こえた。誰かが怒って声を荒げているのも聞こえる。
「それでは話が違う! あの小娘を連れてくればガウラを解放すると言ったではないか!」
「あーあ、そのつもりだったさ。だが、リューク夫人は逃亡した。誰かが彼女の部屋の封印を解いたらしい。だから、その先のことは知らんよ」
「では、この鍵は渡せぬ。あくまでも交換という条件だった!」
小娘って……私?
妃奈はドアに耳をつけて、外の会話を拾う。
どうやら、人質になっているリューク夫人との交換条件として自分が指名されていたのらしい。
それって、もしかして……いや、でも……。
嫌な予感に、妃奈が顔をしかめたとき、ドアの外で男の悲鳴が響いた。次いで、かなり大きめな人が床に倒れる音。
「俺さぁ、しつこいやつ嫌いなんだよね。知らないものは知らないからさぁ」
そう言いながら、更に倒れた人を蹴っている鈍い音と、うめき声が聞こえる。
ちょっとー、何よ、このチンピラ! 感じ悪っ!
――あんたの方がよっぽどしつこいじゃないの!
この最後の心の声は、実際に口に出してしまっていたらしい。ドアをガンガン叩きながら、おもわず悪態をつく。
すると、蹴っている音がやんで、開錠する音が聞こえた。
やばーい。チンピラきたー。
慌てて後ずさる。ゴソリと鎖が鈍い音をたてて妃奈を引き留めた。
うわぁぁぁ。やばいやばいやばいよ~。
慌てて綱引きしながら窓際まで後退したが、それ以上に為す術はなく、窓にへばりついている妃奈に、ドアを開けて入ってきたチンピラがゆっくりと近づいてきた。




