第二十二話 竜殺し
ネメア公国に異国人が突如として現れたのは、五年ほど前のことだったのだそうだ。地響きとともに大地にぽっかりと穴が開き、その奥に銀色のドーム型の建造物が現れた。その際、ネメアの農夫たちの幾人かが、その建物から飛び出した金色の竜を見たという。
金竜は、ドームを囲った縦穴の岩肌や森の木々のあちらこちらに身体をぶつけ、身を捩りながら、まるで気が触れたように飛び回っていたという。とても悲しげな声で鳴いていたらしい。しばらくするとドーム型の天井の天辺から何か雷のような光がほとばしり出て、その光に包まれた瞬間、金竜は苦しげな鳴き声をひと際高く響かせて落下した。
テオは、それらの話を捉えた賊から聞き出した。レムス国境付近の村々を荒らしていたネメア公国からの盗賊たちだ。
「おまえは、その異国人達の一味なのだろう? 何のためにレムス国にいる? 目的は何だ! 内向竜紋鏡を割ったのはおまえではないのか?」
テオは妃奈の首筋に剣を突きつけたまま矢継ぎ早に問う。
ひぇぇ、剣だよ。本物だよ。刃物は人に向けちゃいけないんだよ~。
瞠目したまま、小刻みに首を横に降りながら、妃奈は否定する。
「か、鏡は私が行った時にはもう割れていました。それに、私はあそこに鏡があることすら知らなかったんだし……」
「では、レムス国に来た目的は?」
目的なんか無いよう。私がこの世界へ来たことに何か目的があるのなら、私が教えてほしいくらいだ。
目を潤ませながらそう言ってみたが、テオが剣を下げる気配はない。
ところで、妃奈は考えを巡らせる。
銀色のドーム?
実際に見た訳ではないのでなんとも言えないのだが、聞いた限りでは、その形状はこの世界の物というよりも、妃奈が所属していた世界、つまり今の日本にある方が普通な気がした。しかし、それは妃奈が向こうの世界の人間だから気づけることで、こちらの世界しか知らない筈のテオが推し量れることではない気がする。では、何故、テオは妃奈をその者達の一味だと思うのか。
「殿下は、何を根拠に私がその者達の一味だと思うんですか?」
妃奈の問いに、テオはおもむろに剣を下ろした。剣を首筋から外されて妃奈がほっとしたのも束の間、ぐいっと顎を掴まれた。瞠目して見上げたテオの瞳に驚愕する。
瞳の色が……。
いつもは冷たい雰囲気のアイスグレーの瞳が、紅く変じていた。血のように赤い瞳。そして、口元から覗く白く鋭い牙。
息をのんで後ずさるが、背後は木だ。木の瘤が妃奈の背中にガツッとぶつかった。
「何を証拠にだと? それは簡単だ。おまえの血が証明している」
え?
テオは妃奈の首筋を伝っている血を舐めとった。首筋を舌が這う感触に妃奈はすくみ上がる。
怖い。心の奥底から恐怖が這い上がってくる。声を上げて助けを求めたいのに、金縛りにあっているかのように声すら出せない。体が動かない。
「これほどまでに強い魔力を持つ人間の血を、俺は知らない。そして、ここまで強い魔力をもつ生き物も、一種類を除き俺は知らない。この血こそが、おまえが竜殺しである何よりの証明だろう!」
竜殺し?
驚愕して目を見開いている妃奈の首筋に、テオは牙をたてた。
痛みと恐怖で泣きだしたいくらいなのに、指一本動かすことができない。
かつての夢(リアルだったけど)と同じだった。でもアレクの時は、こんなに怖くなかった。双子なのに違うものなんだなぁなどと、よく回らなくなってきた頭で考える。しかし、アレクの名を思い浮かべたことで、助けを呼ばねばということに、ゆるゆると気づく。それほどまでに、思考能力が低下していた。
アレク……アレク、助けて。
「……ア……レク」
妃奈がそう口にした刹那、紫竜が甲高く鳴く。
その鳴き声を合図にしたかのように、妃奈の視界が暗転した。
あぁっ!
召喚されたのだと気づいたときには、妃奈は既にアレクの腕の中にいた。視野の端で丸太小屋の暖炉の火がぱちんと爆ぜた。
「……っ、アレク!」
思わずその胸にしがみつき、その動作で身体の縛りが解けていることに気がついた。今度は逆にガクガクと身体が勝手にふるえる。
怖かった。テオ殿下こえーよ。血ぃ飲まれたよー。
「妃奈、大丈夫か?」
「テ、テオ殿下がっ……」
テオ殿下が、その後、何て言う? あなたの弟に、血を吸われました……って? でも、そんなのアレクにとっては何でもないことなんじゃない?
むしろ、今までアレクが血を飲まなかったことの方が普通じゃないのでは?
妃奈が口ごもったまま震えていると、アレクの大きな掌が頭の上に乗って、なだめるように何度も撫でた。
「すまなかった。うっかり言い忘れていた。王族と言えば聞こえはよいが、本性は魔物。テオが怖い思いをさせたようだ。すまなかったな」
分かったもらえたことに安堵する。
アレクは続けた。
「竜替えの儀式の日には多くの王族が王宮に集う。しばらくはなるべく余から離れるな。傍に居られぬ時は、自室で大人しくしておるが良い。よいな?」
妃奈はしがみついたままカクカクと頷いた。
見上げると、心配そうな深いラピスラズリの瞳と目があう。ところが、アレクの方こそ息が上がっていて、妃奈よりも具合が悪そうに見えた。
「アレク? 具合が悪いの? 傷が痛むの?」
驚いて妃奈が問うと、アレクは苦笑した。
「少し魔力を使い過ぎたようだ」
どうしよう。私のせいだ。私なんかを召喚したから……。
動揺した妃奈の顔を見て、アレクは首を振る。
「いや、そちだけのせいではないのだ。でも、そうだな。妃奈、少し力を分けてもらっても良いか?」
妃奈は即座に頷いた。
アレクの役に立てるのなら、血だって惜しくない。心からそう思える。
ぎゅっと目を閉じたまま血を吸いやすいように頭を傾けて首筋を差し出す。ところが、クスッと笑う気配がして、長い指先が妃奈の顎を掴んだ。妃奈は慌てて目を開ける。
え? 血を分けてくれって意味じゃないの?
「余は、血よりもこちらの方が良い」
そう言うと、アレクは妃奈に口づけた。舌を絡め、何度も深く口づける。
血どころか、心ごと、食べ尽くされているみたいだ。
アレクの肩にしがみつき、妃奈が息も絶え絶えになっていると、丸太小屋のドアがバタンと開いた。
「アレク! その女から離れろ。そいつは竜殺しの一味だっ」
テオ殿下だった。
「……テオ、ドアを開ける時はノックくらいするものだぞ」
アレクはようやく口づけをやめると、開口一番、文句を言う。
目を潤ませたまま妃奈が振り返ると、殺気立ったテオがドア口で仁王立ちしていた。
うわぁぁ、テオ殿下ってば、まだ剣を構えてるよー。こんな状態の人に、ノックしろって言うか? フツー……。
妃奈は顔をひきつらせる。
テオは殺気立ったまま、ずかずかとアレクと妃奈の前に進み出た。
アレクは妃奈を庇うように背後に押しやると、自らもすらりと剣を抜き、テオと向かい合う。
いやいやいやいや、どうして、兄弟で、しかもほぼ同じ顔した双子が、剣をつき合わせてるんですか? やめましょうよぉ。兄弟喧嘩は是非、剣抜きでっ。
セレンさんは? リューク伯は? レピオス先生は? ちょっとー、みんなどこに行っちゃったんですか? 二人を止めてもらおうとキョロキョロとあたりを見回すが誰もいない。
一瞬だけ、セレン王妃がいなかったことにホッとしたが、今はそれどころではない。
もぉぉぉ、肝心な時にいない王族さんたちだよ~。
妃奈が一人あわあわしていると、アレクは抜いた剣で自らの左手の親指を傷つけた。それを見たテオもまた、しょーがねーなぁと言わんばかりの態度で、自らの左手の親指を傷つける。そして、互いに歩み寄ると、傷つけた指を相手の口にくわえさせた。
妃奈はそれをポカンと見守る。
え? なにそれ……。
「で? 何?」
テオがふてくされたように問う。アレクはテオの血を味わうように飲み下すと、納得したように一人頷いた。
「余の血はどうであった? いつもより魔力が強かったであろう?」
アレクがそう問うと、テオは僅かに目を見開いた。
「アレク、知っていたのか? いつから?」
「最初から知っていた。おまえが片っ端から王族の者の血を飲んで、魔力の強い順に並べた表を作っていたのも知っておる」
テオはさらに驚愕した顔をした。
「なんでそれを……」
「テオ、おまえが血を飲むことで魔力の強弱を推し量ることができるように、余は、その者が何をしていたかを知ることができる。妃奈は竜殺しなどしてはおらぬ……と思う」
ええええっ? アレクには、そんな特殊能力が? ってか、それなのに私に関しては、竜殺しをしていないと、思う……ですか? 断定じゃないの?
驚愕している妃奈をちらりと見て、アレクは続けた。
「いずれにしても、レムス国に来てから数ヶ月経つ妃奈が、その体内から魔力を失っていないのがその証拠であろう? しかも、今、余の体内に満ちている魔力の多くは昨夜妃奈から補充したものなのだ。竜を殺して摂取したものであるのならば、時間が経てば、あるいは他者に搾取されれば、失われる筈であろう?」
昨夜私から、補充……って、それ……。
補充? もしかして、アレ、補充だったですかっ? 単なる補充行為だったんですか?
愕然としてアレクを見つめる。
妃奈と同様に、テオも驚愕してアレクの顔を見つめている様子だったが、しかし彼は別のところに引っかかっていたらしい。最初はぽかんと口を開いてアレクを見ていたテオが、次いで赤くなって怒りだした。
「ってことは、何でもお見通しだったってことじゃねぇかっ」
そ、そうですよ。そこが一番の問題でしたっ。うんうんと頷きながら、妃奈もテオと同様に、アレクを注視する。
「血を飲んだ時から二、三日くらい前までの過去ならば、鮮明に辿ることができるのだ。だが、それより前になると断片的にしか分からなくなる。分かると言っても、その程度だ」
「冗談。そんな事信じられない」
テオが顔をひきつらせる。
「まぁ、信じられないのは分かる。今まで誰にも知られないようにしてきたからな」
「じゃあ、何を知ってるんだ? 例えば、俺の何を知っている?」
「そうだな。訊かれたから言うぞ? おまえがノエルの大事にしていたオルゴールを壊したあげくリュシオンのせいにしたことや、歴史の勉強を怠ったことを告げ口した姉上の部屋に忍び込み、大量のがまカエルをベッドの中に隠したのを知っておるな」
それを聞いたテオは、驚愕の表情をした。
テオ殿下……いたずらっ子だったんですね。
妃奈は遠い目でテオを見つめる。
「の、ノエルのオルゴール件は、わざと壊したのではないぞっ」
真っ赤になって言い訳をするテオに、アレクは微笑みながら追撃発言をした。
「それも知っておる。だからノエルには余から、経緯を説明しておいた。濡れ衣を着せられたリュシオンが気の毒だったからな。でも、好きだからこそいじめたくなる時もあるのだと、きちんとフォローしておいたぞ? おまえがノエルにぞっこんなのは知っていたからな」
それフォローになってたのか? 妃奈はごくりと唾を飲み込む。
しかし、アレクの追撃は続いた。
「あぁ、そうだ。おまえがオルゴールをしつこくにおっていたことや、頬ずりした挙句落として壊したことは、黙っておいてやったぞ? これらの余の配慮があってこそ、今では良き伴侶としておまえの傍におってくれるのだろう? 余に感謝しても良いぞ?」
それを聞いたテオ殿下は真っ赤になり、次いで真っ青になった。
うわぁ、まさかの黒歴史公開? テオ殿下が気の毒になってきたよ。
がっくりと肩を落とすテオ殿下の背中を、思わずぽんぽんと叩きたくなったけど、やめておいた。ここはそっとしておいた方が良いのだろう。
テオが黙り込むと、アレクは穏やかな笑顔のまま妃奈に向き合った。
「妃奈、このことは他言無用だ。テオは既に分かっていると思うが、そちも誰にも言ってはいかんぞ? 言ったかどうか、すぐに分かるのだからな。まぁ、調べるために毎晩そちの血を飲むのも悪くはないが……」
いつになく不敵な様子でにやりと笑うアレクが、一瞬魔王に見えたのは気のせいですか?
後で聞いたところによると、互いの血を飲ませ合うのは、秘密を共有するときに行う王族の儀式なのだそうだ。
でも、そんなのやる必要あったか? アレクってば、相手の弱み握りたい放題じゃんか~。




