第二十一話 テオドシウス殿下とセレン王妃
「アレクっ、どうして俺を召喚しなかった?」
丸太小屋の中にテオの怒声が響く。アレクの双子の弟であるテオドシウス殿下は、顔の造作こそアレクとうり二つだが、アレクよりも薄い金髪にアイスグレーの瞳をしている。髪は短く切り揃えられており、右頬には三日月型の黒い痣があった。アレクと違って、いかにも武人という風情だ。
「テオ、久しぶりだな。来てくれて嬉しいぞ」
上半身を脱いで傷の治療をしてもらいながらアレクが破顔する。
俺の質問に答えろ! と文句を言うテオはそっちのけで、元気にしていたかとか、奥方は息災かとか、我が甥子殿はそろそろ初竜の時期ではないか? などと、ニコニコしながらテオの家族のことばかり聞きたがる。『初竜』とは、レムス王家に生まれた子どもが、初めて、ここシャルロ山に来て竜を呼ぶ儀式を行うことだ。初竜の儀式は、竜を呼ぶ呪文を操れるようになった時点で行われる。早い子で三歳、遅くても六歳までには行われるレムス王族の大事な儀式だ。
「アレクっ」
テオに睨みつけられて、アレクはため息をついた。
「かなりヤバかったのだ。そんなところにおまえを呼びだせるか。怪我でもしたらどうする。危ないだろ」
「このバカアレクっ、危ないのはおまえだ。死ぬところだったんだぞ! いい加減、兄貴面するのはやめろっ。双子の癖にっ」
テオが顔を紅潮させて怒鳴る。
「双子とはいえ、おまえはいつだって余の後をついて回っていたではないか。遊ぼう遊ぼうって……」
上目遣いで、言い訳をするアレクを、テオが遮った。
「そんな太古の話をしてるんじゃないっ」
手当していた医師が、まぁまぁと、にらみ合う二人の間をとりなした。
「さて、傷の手当ては終わりましたぞ。かなり深手でしたからな、今夜は熱が出ることがあるやもしれませぬ。薬を調合しておきましょうな」
アレクの傷の治療をしているのは、さっきテオが召喚した薬師司所属のレピオス医師長だ。モジャッとした薄紫色の髪の毛には白いものが混ざっており、同じ色合いの眉毛が目に覆い被さるほど伸びている。そのせいで瞳の色は今一つよくわからない。老齢な見かけによらず、傷を縫合していく手つきは素早くて正確で実に見事だ。アレクは深手ではないと言っていたのに、傷はかなり深くて何針か縫う必要があったようだ。
「おぉ、そうだ。レピオス。コンラの容態はどうだ?」
アレクが問う。
コンラは命にこそ別状はなかったが、残念なことに、左足の膝から下を失っていた。
「竜に掴まってそれくらいで済んだのじゃから、良しとせねばならんじゃろうて。コンラは陛下のお力のお陰じゃと感謝しておりましたぞよ。しかし、竜が狩ったものを取り上げるなどと、陛下は無茶をしなさる。コンラは陛下が危ないのではないかとそれは心配しておりましたぞ?」
レピオス医師は、鞄から様々な薬草を取り出しながら、訥々と語った。
コンラは幼い頃からアレクやテオとともに、このレピオス医師長の世話になってきた。当時から利発だったコンラは医師長のお気に入りでもあった。
良かった。コンラさん、無事だったんだ。
妃奈は安堵のため息をつく。そして、チラリとアレクの隣にいる女性に視線を送った。
アレクが治療を行っている隣で、不安げな様子でそれを見守っているきれいな女性。彼女はアレクの第三王妃なのだそうだ。名前はセレン。銀色の髪を豊かに巻いて、濃い青色の石をふんだんに使って飾りたてており、とても優雅だ。瞳は水色。その淡いブルーは、アレクの瞳の色とグラデーションになっているようで、とてもお似合いなカップルに見えた。
セレン妃には竜がいないので、ここまでリューク伯爵の竜に同乗させてもらってきたのだと彼女は言った。セレン妃は、現在、訳あってリューク伯の城に滞在中なのらしい。水色の竜がリューク伯の竜だ。
妃奈は、既に指も肩も手当をしてもらっており、痛みを和らげる薬草も飲まされていた。薬のせいで少しぼんやりするかもしれぬよとレピオス医師が言っていたとおり、先ほどから妃奈は、王族の人たちのやりとりを、ぼんやりと聞いていた。
「叔父上、よう来てくださった。お変わりないか? 叔母上は?」
叔父上と呼ばれたリューク伯は、赤っぽい茶色の髪に濃い茶色の瞳をした四十代後半か五十代前半くらいの人だ。王族なのに金髪ではないと言うことは、恐らく、叔母の方がレムス王族の血筋なのだろう。リューク伯は陽気な性質らしく、始終笑みを浮かべており、先ほど妃奈にも、にこやかにあれこれと話しかけてきたのだが、なんだか、妃奈はとても居心地が悪かった。
この人、ちょっと怖い。目が笑っていない。
アレクの質問に、リューク伯はにこやかに応える。
「ガウラは最近気分が優れぬ事が多うございましてな。医師の診断では、女性特有の気の乱れなのだとか。年に一度の陛下の竜替えなのだからと王宮に参じたがっていたのですが。陛下にお目にかかれず残念がっておりました」
「そうか。それは心配なことだ。ガウラ叔母には、セレン王妃がすっかり世話になっておることだし、礼をせねばと常々思っておるのだが、よしなに伝えてほしい。何か入り用なものがあればリュシオンに言っておいてくれ。用立てしよう」
「お心遣い、深謝致します。陛下」
深々と叩頭してリューク伯が下がると、アレクはセレン王妃に視線を投げた。
「セレン、そちはどうだ? 息災にしておるか?」
視線を向けられた王妃は、少し怯えた様子で狼狽えた後、アレクの質問はそっちのけで、形式どおりの挨拶文を読み上げるように早口でしゃべった。
「……陛下におかれましては、ご無事でなによりでございました。王宮に一報がもたらされた折には、心配で居ても立ってもいられず、リューク伯のお力をお借りして馳せ参じましてございます」
「……そうか、心配させてすまなかったな」
「いえ、滅相もございません」
「で……そなたは、王宮にはいつ戻るのだ?」
ぎこちない空気を漂わせながらも、王妃を気遣っている様子のアレクに、なんだか息苦しさを覚えた妃奈は、紫竜の様子を見てきますと言いおいて、丸太小屋を後にした。
王妃様、綺麗だな。もっと早くにお目にかかれていたら良かった。そうしたら、あっさり諦めもついたただろうに。こんなにアレクを好きになる前に、諦められたのに……。
どんどん惨めな気分になってくる。
苦しい。苦しいな。こんなに苦しい思いをするのなら、やっぱり好きにならなければ良かった。こんなこと少し考えれば分かる筈なのに。バカだ……私。
明日、アレクの竜替えの儀式が済んだら、私、どうしよう。本当に、もう元の世界には戻れないのかな。
アレクの側妃になるのは苦しすぎる。無理だと思う。かといって、所領をもらってそこを治めるなんてのは、もう全然違うと思う。アレクが統治する、このレムス国の民の一人になって、城下町で暮らすというのが一番性に合っている気がした。
OLなんて職業はこの国にはないような気がしてきたし、だったら、何をしようか。この国は豊かな国で食材が豊富だから、料理修行をしてシェフになる? それとも漁師になる? それとも農業する? ここは花の種類も豊富で向こうの世界のと全然違ってるようだから、花屋を開くのも楽しそうだ。フラワーアレンジメントの教室に少し通っていたから、それを活かせば……。
そこまで考えたところで、ツキンと胸に鋭い痛みを感じた妃奈は、突然歩みを止めた。
城下の町も、店も、森も、この世界のどこにいても、アレクなしでは、モノクロームだ。
そう考えた途端、ぶわっと涙が盛り上がった。
拭っても拭っても溢れてくる涙に、目を何度もごしごし擦りながら歩く。ただひたすら歩く。
紫竜は、既に傷の手当てが済み、湖の畔で休んでいた。手当をしてくれた竜手によると、特に深刻な怪我はしていなかったとのこと。
湖畔には、テオ殿下の緑の竜とリューク伯の水色の竜、そして紫色の竜が並んで羽を畳んで休んでいる。三頭の竜が並んでいる光景は圧巻だ。
さすがに怖じ気づいて、妃奈が遠くから見つめていると、妃奈を見つけた紫竜が、きゅる、と鳴いてゆっくり近づいてきた。甘えた素振りで、頭をすり寄せてくる。妃奈は紫竜の鼻面を何度も撫でた。
「大した怪我がなくて、良かったね」
妃奈の言葉が分かるのか、紫竜はきゅるる、と愛らしい声で鳴いた。
この紫竜は、妃奈の竜になったのらしい。アレクはそう言った。だから、妃奈の言うことしかきかないのだと。レムス王族でもないのに竜主になるのは前代未聞なのだそうだ。
「ねぇ、本当に私はおまえの竜主なの? おまえはそれでいいの?」
寄せてきた鼻面を撫でながら話しかける。
きゅる、と小さく鳴いた紫竜がグアッと口を開けたかと思うと、妃奈の襟首を咥えて引っ張り上げた。
「うわぁぁぁぁ、ちょっと! 何するの? やだ、やめてよ。私、高いところ駄目なんだって!」
咥えられたまま、紫竜の背中に押しつけられて、妃奈は空中でジタバタともがく。
そのとき、背後で声がした。
「こら、やめよ。おまえの竜主は、おまえに乗るつもりはないらしいぞ」
アレク?
ぱぁっと顔を輝かせて、見下ろすと、短髪の金色の髪が見えた。
テオ殿下?
竜の横っ腹をリズミカルに叩く音がして、それを合図のように、紫竜が少し残念そうに妃奈をゆっくりと着地させた。
「あ、ありがとうございます。テオ殿下」
妃奈が深々とお辞儀をすると、テオは意地悪げに笑う。
「黒髪の王、エル殿は高所恐怖症か? そんな方が竜主になって、果たして竜に乗りこなせるものなのかな?」
「あ、あの、私、本当に竜主なんでしょうか。陛下はそうだとおっしゃるのですが……」
テオは質問に答えるつもりが無いらしく、ちらりと妃奈を見ただけだった。
テオ殿下はアレクと違って怖い感じだ。
妃奈は首を竦める。質問に答える代わりにテオが問う。
「エル殿は、いくつの金色の実を竜に食べさせた?」
え? エル殿?
「え? あ、金色の実なら一つだけ……。あのぉ、あの実は一体、何なのでしょうか……」
「あれは契約の木の実と呼ばれている」
あの金色の実は、竜と契約するときに用いる実で、竜替えの際、竜が現れたと同時に湖に流れ着くのだそうだ。その実を竜主が与え、それを竜が食むと契約成立となる。竜は食んだ数だけ竜主に仕えることになる。一つなら一年、二つならば二年、三つならば三年、それ以上ならば、もうよい下がれと言うまで、竜は仕え続ける。
え……あれって、そんな重要な木の実だったの? 知らなかった。
「ところでエル国には、良い竜手はおるのだろうか」
レムス国王宮の東には竜舎がある。竜だけは他の生き物の乗騎とは全く別にされていて、特別に竜だけを扱う竜手によって管理されている。竜手とは、竜の身のまわりの世話をする竜丁、体調管理を行う竜医、そして竜の栄養管理を行う竜養師の総称のことだ。
「いえ、そのような人は、というか、そのような職種自体がないのですが……」
竜の世話をする人なんかいる訳がない。竜自体が架空の生き物なんだし、ってか、それよりも、エル国って何?
オウ・エル? も、もしかして、みなさん、私のことを王エルって呼んでましたか? ひぇぇぇぇ、なんてこと!
妃奈が呆気にとられていると、テオが難しい顔をして更に問う。
「では、エル国では誰が竜の世話をしておるのだろうか?」
いやいやいやいや、誰も世話なんかしていませんよ。王エルだって誤解だ。慌てて訂正しようとして、ふと、思いとどまる。
『……そちの身を保証する肩書きを、努々(ゆめゆめ)揺らがせてはならぬ。心しておくがよいぞ』
アレクの声が聞こえた気がしたからだ。
「あの、実は、私の国には竜自体が棲息しておりませんので、世話をする者もおりませんのです」
妃奈の返答をきいたテオは、一瞬、眉間にしわを寄せた後、そうか、と小さく呟いた。
あれ……なんか私、まずいこと言った? これも言うべきじゃなかったのかな。
「ところで、王エル殿はどのような魔法を使われる? 癒し系か結界系か、攻撃魔法を使われるようには見受けられないが……」
この世界では王族=魔法使いなんだろうか。それともレムス国だけなんだろうか。ここは正直に言った方がいいよね。魔法なんか使えないんだし。
「私は魔法を使えません。というか、私の国では魔法を使う者がおりませんので……」
そう言った途端、妃奈は近くにあった大きな木の幹に背中を叩きつけられた。
「なっ……」
何をするんですか? と言う問いは、突然首筋につきつけられた剣に瞠目して、思わず呑み込む。見上げると、怒りを含んだアイスグレーの瞳が睨みつけていた。
「おまえ、国はどこだ? 最近、ネメア公国を混乱させていると言う胡乱な異国人の一味と同じではないのかっ?」
首筋にチリッと痛みが走り、生温かい液体が、妃奈の首から鎖骨を伝って胸まで流れた。
「あ、あの、私は……」
隣国ネメア公国を混乱させている異国人? 知らない。そんなのと私は関係ない。
しかし、恐怖で竦んで、うまく言葉が出てこない。
近くで紫竜がぐるる、と不穏な鳴き声を上げる。しかし、それを上回る低い声で緑竜が威嚇する声が聞こえた。




