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第二話 レムス城

少し長めです。お時間のある時にどうぞ~

 言葉が通じてない訳じゃないとは思うんだよね。

 妃奈は首を傾げる。

 その証拠に、ノドが渇いたなぁと呟いただけで、このゴージャスなティーセットはあっという間に用意された、黙々と、淡々と。

 この部屋に出入りする係りの人は数名いるが、ほとんど口をきいたことがない。話しかけても返ってくるのは、『はい』か『いいえ』か『リュシオン様を呼んで参ります』だけだ。私としゃべってはいけない決まりなんだろうか。


 焼きたてのスコーンに、クロテッドクリームとルビーのような木苺ジャムをのせて頬張る。至福の瞬間だ。口に残る甘い余韻を香りの良い紅茶で流して、満足のため息をつく。

 あ、いやいや、食べ物に夢中になってる場合じゃないでしょ。

「あの……」

 一礼して出て行こうとしているカワセミのような瑠璃色頭を呼び止めた。歳は三十前後だろうか、背が高く、整った顔の、常にしかつめらしい顔をしたこの男が、リュシオン様なわけなんだけど、ここで唯一口をきいてくれる人間が彼だけなのは、非常に残念な状況だった。なにしろ超絶無口なのだ。必要なことしかしゃべらない。いや、必要なことだってしゃべってないんじゃないかな。しかも笑った顔など見たことがない。

 カワセミ男は、怪訝そうに振り返り、私の言葉を待っている。


 ところで、この世界の人間は、実にカラフルな髪色と瞳の色をしている。リュシオンは、カワセミのように艶やかな青い髪と紺色の瞳をしているし、このティーセットを運んでくれた女性、ミリアというのだけれど、彼女はピンク色の髪に葡萄酒色の瞳をしている。服を着替えるときに来る女性(名前は知らない) は黄緑色の髪に深緑の瞳だし、ベッドメーキングしてくれる年輩の女性(同じく名前は知らない) でさえ淡いブルーの髪に紫色の瞳をしている。染めているのかと訊いたら、誰もから否定の返事が返ってきた。

 変な世界に来てしまったなと思う。


 実は、ここに来たときの記憶がない。私は、どうして、どうやって、ここに来たんだろうか。帰り方は……。


「あの、私、そろそろ家に帰りたいんですが、ここがどこなのかとか、帰り方とか、教えていただけませんか?」

「何か、不都合がございましたか?」

 リュシオンが眉間にしわを寄せる。

 いやいや、そうじゃなくて、そろそろ家や会社の事が心配なんです。ここに居たって、私には何もすることがないんだし、私が帰ってもなんの不都合もないですよね? と切々と訴える。

「つまり退屈してらっしゃると言うわけですね?」

「いえ、そうではなくてですね……」

 妃奈は軽く途方に暮れる。

 帰りたいという訴えが、何度言ってもスルーされると思うのは、考えすぎだろうか。

 再度、帰りたい旨を切り出そうとして、しかし妃奈の言葉は遮られた。

「あなたは、この国にとって、かけがえのない方なのです。帰りたいなどと、どうか二度とおっしゃらないでいただきたい」

 リュシオンの言い方が、まるで聞き分けがない駄々っ子を諭しているかのような口ぶりなので、妃奈は仕方なく次の質問を飲み込んだ。


 んだからね、この国にとっての私の存在意義って、なんなの?


「……そうですね、ずっとこの部屋にいらっしゃるわけですから、退屈なのも分かります。承知しました。何か気を紛らわせるものをお持ちするよう、命じておきましょう」

 ちょ、ちょっとー、一方的に決めつけたまま話を終わらせるのはやめい。


 妃奈は、リュシオンが去った後のドアに向かってため息をついた。ドアの外には、見張りの衛兵が二人常駐している。妃奈がドアをちょっとでも開けると、彼らは槍を片手に立ちふさがってくる。つまり妃奈は監禁されているというわけなのだ。最初の頃は、武器を持っている人にギョッとしたものだが、それにもだいぶ慣れてきた。

 人って、順応する生き物よね。我ながらビックリするよ。

 この部屋の窓から見える景色は、今まで妃奈が見たことのないものだ。木々も花々も、日頃、妃奈が身の回りで見ているものとかなり違う。ここは、どこか外国のお城なんだろうか。

 建物でロの字型に囲われた中庭には、赤や黄色に色づいた木々が幾何学模様に植えられており、見たこともない草花が色とりどりの美しい花を咲かせている。階下に見える列柱回廊にも、見張りの衛兵が常に歩き回っていた。白っぽい石造りの城は、優美であるとともに、堅牢な要塞のようにも見えた。

 遙か遠くに視線を投げると、城の前庭の向こうが崖になっているらしく、その崖下、遙か遠くに、淡いオレンジ色の瓦屋根が軒を連ねているのが見える。白壁にオレンジ色の瓦屋根。とても美しい街並みだ。妃奈がいる部屋は、中庭側にしか窓がないので背後の様子は分からないのだが、どうやらこの城は、小高い丘の上にあるらしい。

 左手前方には、急峻な山々が立ちはだかっており、その麓まで黄金色に色づいた豊かな田畑が広がっている。山々は幾重にも連なり山脈をなしており、山頂に雪を戴いているものがほとんどで、神々しいまでに白く青くけぶっていた。右手前方には、遙か遠くに水平線が見える。

「あ、また影がとおった」

 妃奈は刺繍をしていた手を止めて、窓際に駆け寄った。空を見上げるが、それらしき影の主は見あたらない。時折、窓の外を巨大な影が掠めているのは、かなり前から気づいていた。飛行機ならばエンジン音がするはずなのだが、音は一切ない。何か大型の鳥でもいるんだろうか。


 そもそも高所恐怖症である妃奈が、城の窓から脱出しようなどと思いついたのは、細かい仕事に辟易していたからだった。

 大体、することがなくて退屈している女性には、編み物か縫い物でもさせておけばいいという、その発想が気に入らないのよねぇ。

 窓の下に見える可憐な花々をハンカチに刺繍することニ十枚。針仕事は嫌いではないけれど、こんなのばっかりやっていたって、つまらない。

 やたらヒラヒラして機動性のないドレスを脱ぎ捨て、クローゼットの中にしまわれていた自前のパンツスーツを着込む。妃奈がいつも持っている荷物は、すべてこのクローゼットの中にあった。スマホも入っていたので会社に連絡をしてみたのだが、圏外になっていて繋がらなかった。ネットにも繋がらないし、通信系のゲームもエラーが出て遊べなかった。

 当然か~。

 髪をお団子に引っ詰め、濃紺スーツの上着に袖を通すと、ぴしっとした気分になる。

 やっぱり、OLはスーツを着てなくちゃね。

 意気揚々と窓から踏み出して、しかし途端にクラリとする。

 窓づたいに数メートル歩きさえすれば、城壁の上の回廊に出られるはずなのだ。

 だ、大丈夫。落ちなければ落ちないんだから。

 至極当然なことを自分に言い聞かせながら、十五センチ程の狭い窓枠を一歩一歩進む。

 中庭には見張りの兵士が二名常駐しているが、二人とも内側の動きよりも外側の動きに注意を払っているようで、妃奈がいる部屋の窓には見向きもしない。それは既に調査済みだ。しかも、暇に任せて観察したところによると、この時間、交代なのか三十分ほど、城壁の上の回廊に歩哨がいなくなるようなのだ。首尾良く回廊までたどり着いた妃奈は、小走りに城のロの字型になった正面、城のファサード(立面) の真上へと向かった。

 見下ろして絶句する。

 眼下の広場には、あまたの兵士たちが跪拝していた。その数、ざっと数千。

 野鳥の会の人がいたら、もっと正確な数字が出せるだろうにな~。残念。

 ほとんどの人が、傍らに乗騎を控えさせていた。しかし、その乗騎の異様なことと言ったら……。

 黄色と青のしましまの馬のようなもの、黄緑色の犬のようなもの、赤いバッタのようなもの。

 何? ここ。人ばかりか、生き物全てがカラフルなわけ?

 それらの人々と生き物たちは、城の正面中央につきだしたバルコニーに向かって跪拝しているのだった。バルコニーに立っているのは、豪奢な王冠を載せ、緋色のマントを纏った人。たぶん王様だ。背側から見ているので、顔は分からないが、大柄な背中に、緩やかに束ねた金色の髪が豊かにうねっているのが見えた。


□■□


「いたたたた、痛いよ。ちょっとー、そんなに引っ張らないでよぉ」

 腕を後ろ手にねじり上げられ、引っ立てられながら妃奈は情けない声で懇願する。

 バルコニーに悠然と立ち、群集に向かって訓辞を述べている威厳のある背中。金の髪を緩く後ろで束ね、重々しい王冠を載せたその人の声は、とても深い良い声だった。だけど、その声に聞き惚れているところを、妃奈は衛兵に捕まってしまったのだ。


「妃奈様、何がご不満だったのでしょうか」

 連れて行かれた階下の豪奢な扉の前に、リュシオンが立っていた。その麗しい眉間には深い立皺が刻まれていて、機嫌はすこぶる麗しくなさそうだ。

「え……っと、ずーっと部屋にいたら息が詰まっちゃってぇ、少し散歩を……なぁんて……」

 カワイこぶって上目遣いで見上げてみたが、通用しなかったらしい。忌々しげに舌打ちされた。

 うわ、舌打ちされたよ~。

 やっぱり、二十五にもなってカワイこぶっても通用しないか。

「中で皇帝陛下がお待ちです。くれぐれも粗相の無いようにお願い致します」

 は? 皇帝陛下? さっきみんなにひれ伏されてたあの人? いやいやいや、待たなくていーから。今、そんな偉そうな人に会う心の準備できてないから。仮にその場で粗相しなくたって、既に城の屋根をうろついていて掴まった身だ。問答無用で打ち首になって一巻の終わりとなるのは、目に見えていませんか?

 頭の中で、ライトセイバーを上段の構えにとった恐ろしい形相の皇帝が睨みつけた。

 うわぁ。

 回れ右をして、元来た道を戻ろうとした私の前を衛兵が塞ぎ、首根っこをリュシオンががっしりと掴む。

 ぎゃー、掴まったぁぁ。

「妃奈様、陛下があなたとの面会をお望みなのです。拒否する権利は、幸か不幸か、あなたにありません」

 あうう……。

 幸か不幸かって、あまり幸に思えないのは私の気のせいですか? 皇帝にお茶を運んでくださいとか、出勤簿にハンコをもらってきてください、とか言われたのなら、まだなんとか任務を全うできる気もするんだけどさぁ。何度も言うようだけど、私、ふつうのOLなんだってばぁ。

 心の中で叫んでいるうちに、リュシオンに首根っこを掴まれたままドアの向こうに連行された。


「面を上げよ」

 リュシオンに、ぐいぐい押されるまま皇帝の御前に進み、頭を押されて跪拝していると、声をかけられた。

 目の前には、豪奢な織のタペストリーが掛かっており、椅子に座っている皇帝の膝から下が見えた。御尊顔を拝謁することは、かなわないらしい。声は、タペストリーの奥から聞こえてきた。でもそのせいで、幾分、ホッとする。直に睨みつけられたら、蛇に睨まれた蛙になりそうだもん。

 もっともこれでは、皇帝が上段の構えをとっていても気づけないので、こっちの方が危ないんじゃないかって言われれば、そうなんだけどね。

 妃奈は、カチコチに固まったまま、視線だけで辺りをきょときょとと見回す。白い漆喰壁の部屋。きらんきらんした荘厳なシャンデリア。獣足の棚に飾られている調度品のたぐいも、基本的に、きらんきらんしている。それらを、落ち着いた深い色のマホガニー材のテーブルや椅子が色調を押さえていて、互いの高級さを引き立て合っているようだ。天井は、のびやかな星形のヴォートル天井で、外向きに大きく開かれた窓は、先ほど城壁の上の回廊から見下ろしたバルコニーにつながっているらしい。未だに外の人々のざわめきが、部屋の中にまで伝わってきていた。

「そなたは、妃奈というのだそうだな。どこから来た? バエティカか? それともビブロスの方か? 何をしておるものなのか」

 バエティカ? ビブロス? どこそれ……地球ですか?

 考え込んでいると、皇帝が続けた。

「直答を許す」

 うわ、考え込んでいて良かった。お許しもないまま、直に口をきいていたら危ないところだったらしい。セーフ、セーフ。

「……あの、私は、日本でOLをしています……けど」

 恐怖で声が上ずる。しかし、そう言った途端、周囲に控えていた人々がどよめいた。滅多に表情を変えないリュシオンでさえ、驚いている様子だ。

 ――王エルだと?

 ――二本で……とは?

 密やかなざわめき。妃奈はギョッとして辺りを見回す。

 何? なんですか? みなさんのそのリアクションは一体……何? 聞きとれなかったのかな。あっ、もしかして、日本、じゃ通じないのかも? やっぱり、ここって異世界なのかな。どうしよう、なんて説明すればいいの?

「あ、あの……」

 困惑したまま、再度説明を試みようとした妃奈を、皇帝が遮る。

「王エルよ、我がレムスの国へよう参られた。余の臣下は、どうやら、貴殿の身分を知らなかったようだ。何かご無礼なことがあったのではないだろうか?」

「い、いえ、それは、別に……ってか、身分って、あの、それは……」

 ち、ちょい待って。なんか誤解があるよね。慌てて訂正しようとすると、皇帝は、妃奈の言葉を遮るように更に続けた。

「王エルよ、ここに控えておるリュシオンから、貴殿の様子はよう聞いておる。国が気がかりなのは、皇帝の身である余が、一番よう分かっておるつもりじゃ。国のことを思えば、一刻も早く帰りたいことであろう。されど、この国が、未だ貴殿の力を必要としておるのもまた事実。今少し、この国の為に、余に時間をくれまいか?」

 えっと……皇帝にお願いされちゃったよ。どうしよう。

 そもそも、私がこの国の為に、何をすることができるって言うんだろう。リュシオンから聞いた私の様子って、それはつまり、私が元の世界に帰りたがっているってことだよね。

 でもさ、皇帝って、すんごい気むずかしい人かと思っていたけど、割と話の分かる人っぼくない? 比較すること自体、恐れ多いことだけど、リュシオンよか話しやすそうだ。なんか微妙に齟齬を感じる気はするけど。

 OLが自分の国のことまで気にするかどうかはさておき、更に、自分がこの国の力になれるのかどうかもさておき、ちゃんと帰してくれるのならば、多少の協力はしてもいいかもしれない。

 どうせ、かけがえなど有りまくりな小さな会社の普通のOLだ。ここに来てどれくらい経つのか定かではないが、かなりな日数を欠勤しているはずだから、帰っても既に席がないかもしれない。なのに、ここでは皇帝までが、国のために必要な人だ、かけがえのない人だ、とても美しい、とまで言うのだから満更でもない。ん? 最後の言葉は言ってないって? まぁいいじゃないの。細かいことは気にしなーい。

 御馳走になったご飯分くらいは、働いてもいいだろうと、妃奈は思慮深そうに頷いて見せた。

「ちゃんと帰していただけるのなら、可能な範囲で、協力を惜しむつもりはありません。美味しいご飯もいただいたことですし……」

 そう言った途端、皇帝がフッと笑みを漏らした気配がした。

「心強いお言葉、痛みいる。ところで、ちと教えてほしいのだが、その衣装は、王エルの国の民族衣装であろうか?」

 え? あ、あぁ。このパンツスーツのこと?

「これはOLの公務用の衣装です。普段は、別のものを着用しますが?」

「そうか。では、それを着ていなければならぬと言う訳ではないのだな?」

「はぁ、まぁ。これはOLにとって戦闘服のようなものなので、常に着るのは、逆に苦痛かもしれません」

 実際、窓から脱出するのに、動きやすくて便利だから着ただけだしね。

「ならば良かった。この国では、そのような衣装を作る者がおらぬのだ。よって、申し訳ないが、普段の衣装は、今まで通り、こちらのものを用意させてもらうことでよろしいか?」

 あ、いやいや、そんな事にまで気遣っていただかなくても……。

「もちろん、結構です」

 皇帝陛下ってば、(こま)やかな人なんだな~。

 悦に入っていると、皇帝の凛とした声が響いた。

「リュシオン!」

「はっ」

 王の呼びかけに、リュシオンがかしこまって御前に進み出る。

「彼女は、余の大事な異国からの客人だ。くれぐれも失礼の無いようにするがよいぞ? そうだ、今の居室では手狭であろう、双翠宮(そうすいきゅう)に移っていただくが良い」

「しかし、それでは……」

「構わぬ」

「しかし……」

「余が構わぬと言っておるのだ。それとも何か? 余の許可だけでは足りぬと申しておるのか?」

「滅相もございません」

 不機嫌そうな色を帯びてきた皇帝に、リュシオンはかしこまったまま否定した。が、跪拝した後、一瞬、不審そうに妃奈を横目で見つめる。

 妃奈は、訳が分からないので、とりあえず首を傾げながら肩をすくめて見せた。しかし、リュシオンが不審気な目で見つめた意味は、すぐに分かった。

 双翠宮がどんなところか分かっていたら、妃奈は、その場で丁重にご辞退していたことだろう。


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