第十六話 竜の帰郷
薄紫竜は、輝く朝日を浴びながら飛び立った。
アレクが、もう竜の里に帰るように勧めたのだ。薄紫竜は渋々と翼を広げた。
飛び上がってからも、名残惜しそうに何度も旋回するその影が、鏡のような湖面を這う。なかなか離れようとしない竜に、妃奈も声をかけた。
「竜の里でゆっくりするんだよぉ」
薄紫竜は、妃奈の声にようやく意を決したようで、一声鋭く鳴くと、湖の向こうに連なっている峰々の奥に消えていった。
アレクと妃奈は、その姿が見えなくなるまで手を振った。
「竜替えって、寂しいものですね」
「あれは特に人懐っこい竜だったからな」
赤と青を混ぜて紫。だから火と水の力を持っていた。薄い色をしていたから、何事につけ控えめな力しか持っていなかったが、穏やかで優しい性格をしていた。王宮で竜の世話をしている竜手が、力は弱くても良い竜だと、やけに可愛がっていたのだとアレクは言った。穏やかな笑みを湛えて。
「でもあの子、そんなに色、薄くなかったですよね」
ぐるぐる頭上を旋回している竜は、昨日よりも深い色であるように見えた。
「そう言われてみれば、今日のあいつは少し色が濃かったような気もするな。竜の里に近づいたせいだろうか」
アレクが首を傾げる。
「次の竜は、明日の朝来るんですか?」
「そうだ」
竜の色は能力を表すのらしい。アレクが竜の色の説明を一通りしてくれる。基本的に、赤は火、黄は地、緑は風、青は水の能力を持っているらしい。
テオドシウス殿下の竜は深い緑色で、風を操れるらしく、先日、略奪を目的に国境を越えてきた賊を、竜巻を起こして蹴散らしたという話や、風意外にも毒の能力を持っているらしいという話をアレクは楽しげに語った。
「余の竜と違って、テオの竜は弱かったためしがないのだ」
特にひがむ様子はなく、むしろ誇らしげな様子で弟の竜のことをアレクは語った。
アレクとテオ殿下は仲が良いらしい。
「レムス王族の人は、必ず竜を一頭所有しているんですか?」
「必ずという訳ではないな。余の第一王妃は、訳あって竜の所有を禁止されている。ちなみに第二王妃の竜は黄色で、岩などを軽々と持ち上げることができる上に、雷まで扱える強者だ。小さ目だが気が強い。あれはうかつに近寄るとひどい目に遭う」
「なんだか、凄そうですね」
凄いのだ、とアレクは苦笑してから続けた。
「後は、王宮には常にはおらぬが、叔父や伯母や従兄弟たちが、それぞれ竜を所有しておるな。だいたい、竜は竜主の性質に似通ったものが現れることが多いと言われている」
「そ、そうなんですか」
ということは、第二王妃は怖いってことか~。ひきつった笑いを浮かべていると、柔らかな微笑みを返された。
湖面が弾く光のせいだろうか、アレクが輝いて見えた。思わず見とれていると、アレクの笑みが深くなる。
「朝日に輝く湖は美しいであろう?」
「……ええ。とても」
見つめ合い、微笑み合う。
アレクの竜は、とても穏やかで優しい性質だったということは、つまり、そういうことなのだろう。アレクの穏やかな瞳を見つめていると、独り占めしたい気持ちが泉のように湧きだして、妃奈はそっと目をそらした。
この瞳を見られなくなるのは辛そうだね。
「……そう言えば、第三王妃の竜は何色なんですか? 聞いていませんよね」
「あれには、竜は現れなかった」
竜は竜主を自ら選ぶのらしい。だからレムス王族の一員になると、必ずここに来て、竜の到来を祈る儀式を行う。ところが、第三王妃のように、希に竜が現れない場合もあるのだ。
第三王妃は竜が来なくてがっかりしただろうか。それとも、竜を扱う必要がないとホッとしただろうか。
あれに一人で乗るのは、結構勇気が入りそうだもんね。私だったらホッとするんだろうなぁ。
妃奈は幼い頃から高所恐怖症なのだ。母もそうだった。
高所恐怖症って、遺伝するのかな?
薄紫竜を見送ったその脚で、大鏡があるという祠に向かった。祠は小高い丘の上にあり、しかも辺り一面雪景色で、足場が非常に悪い。
「こんな雪道を、しかも昨夜は真夜中の闇の中、よくたどり着けましたね」
足下をとられて身体が傾ぐ。アレクがすかさず手を伸ばした。
「夕べはこの寒さも足下の悪さも、頭を冷やすのに、ちょうど良かったのだ。もっとも、せっかく冷えた頭にそちが別の火をつけたから、あまり意味はなかったのだがな」
ええええ~、私のせい? 私のせいですか。
一人うろたえていると、突然、抱え上げられた。見上げるくらいの身長差が逆転して、アレクの瞳を見下ろす位置に目線がきて、更にうろたえる。
「あ、あの、アレク?」
「まだ身体が辛いのだろう? 隣でふらふら歩かれては、ハラハラして良くない。しばらく大人しく掴まっておれ」
「い、いえ、そんな、あの、重いですからっ。おろして……」
「よい。そちは身体を休めておれ。もう一晩あるのだからな。夜までには回復してもらわねば」
えええええ~。それって、それって……。
顔から火が出そうだ。心臓が破裂しそうだ。益々ふらふらになりました。
妃奈が赤くなったり青くなったりしているうちに、丘の上の祠に到着した。
アレクは岩屋の前に来ると、妃奈をおろし、呪文を唱える。
岩戸は、岩が転がり落ちる時のような重く鈍い音をたてながらゆっくりと開いた。山小屋から召喚したランタンに火を点ける。
ごつごつとした洞の奥へアレクの背中を頼りに進む。岩屋の奥に歩み入るに従って、闇が濃くなり、静寂が重くなっている気がした。
ふいに、アレクが立ち止まり息を飲む気配がして、妃奈も立ち止まる。
「どうかしたんですか?」
アレクの脇から顔を出して、灯りが照らし出す光景に妃奈も息を飲んだ。
そこには、粉々に砕かれた大鏡の破片が、辺り一面に散乱していた。




