第十二章5 『反逆のジャック②』
シャーリーが今まで送ってきた人生は、決して幸せなものではなかった。
過去のトラウマから、他人と接触するのを極度に避けてきた彼女は、誰かを頼りにすることも出来ず、ただ一人で、孤独に生きてきた。生きるためには、人間(正確には、悪魔だが)としての尊厳も捨て、物を盗み、ゴミ箱の中の残飯を食べるような生活をしてきた。
そんな彼女だったから、あの日フェンリルから、お前は悪魔ではない、もと人間だ、と告げられても、別に大きな驚きがあるわけでもなく、また、今後の生活について悩みうろたえることもなかった。今まで通り、死んだような目をしながら、いつ滅びるかわからない自分の人生を全うするだけ、そういうことしか頭の中には浮かんでこなかった。悪魔としての丈夫すぎる自分の体を恨むことも幾度となくあったが、それはもうどうでもいいことだった。
彼女はもう泣くこともやめた。それでも、時々、かつての唯一の親友を思い出して、恋しくて涙を浮かべることもあった。昔、といっても、シャーリーの見た目は二十代の女性だが、悪魔としてそれよりも遥かに長く生きているので、四十年近く前のことになる。そのときに自分に親しくしてくれた友人がいた。その人をシャーリーは目の前で殺してしまった。原因は固有スキルの暴走だった。その時の凄惨な光景は脳裏に焼きついて今でも時折思い出してしまう。そして、それが人を避ける動機となっている。
あんなものは二度とみたくない。
そう思ってたのに、最近はある男が、シャーリーの行く場所行く場所に現れるので、正直困っていた。カグラ。今も目の前にいるその男はシャーリーにそう名乗っていた。どうやら、おんなじ悪魔らしいが、彼女はキザな男は嫌いだった。
「どうしてここにいるんです?」
「いつもここを通ってるみたいだから、待ってると会えるかなって」
「ストーカー……ですか……」
シャーリーはため息をつく。
「帰ってください。あなたと話すことはないと再三申し上げたはずです」
シャーリーは冷たく突き離す。悪い印象を与えようが関係ない。結果的に、この方法が相手を救うことにも繋がるのだから。ところが、カグラは機嫌を悪くするどころか、嬉しそうに笑って、シャーリーに驚くべき提案をしてきた。
「いっしょに、暮らさないか?」
シャーリーは途端に眼を丸くする。だが、もう一度見たカグラの顔は、茶化すように笑っているどころか、真剣そのものだった。
「な、何を言ってるんですか、あなたは……」
「嘘や冷やかしで言っている訳じゃない。見たところ君は見るに耐えない生活をしているそうじゃないか?」
カグラはシャーリーの、汚れてボロボロになった服や、とてもバランスのとれた食事をしているとは言えないその顔を見て言った。
「余計なお世話です。私のせいで誰かが死ぬのに比べたら、遥かにマシです」
「フェンリルが言ってただろ?俺たちは人間だったんだ。人間らしく暮らして何が悪い。その呪われた固有スキルだって、君が変わらなければ、いつまでも呪われたままだ」
「そんな気安く言わないでください!あなたは死体を見てないからそんなことが言えるんです。蜂の巣状態ですよ。人間の身体中に小さな穴が無数に……。もうたくさんです……」
シャーリーは体を小刻みに震わせながら、涙声で訴えた。浮かんでくるのは、今でも忘れることのできない、友人の無惨な姿だった。そんなシャーリーを見て、カグラは辺りに浮かんでいた黒い玉を、右腕でひとつ触れた。パァン、という破裂音とともに、カグラの服が焼け焦げて、右腕の一部が露になる。
「俺は並みの鍛え方をしていない。だから、蜂の巣になんかならない」
シャーリーは彼の右腕を見た。傷一つついていなかった。カグラがそこまでしてシャーリーに執着する理由が、彼女にはわからなかった。もっとも、そこまで人と深く関わったことのない彼女にとって、人の気持ち、何て言うものを理解できるはずもなかった。
「どうして、私なんかのために、そこまでするんですか?」
「惚れたからだよ」
カグラは迷うことなく言った。シャーリーはそれを聞いて、何とも表現できないような不思議な気持ちになった。そんな彼女を見て、カグラは懐から何かを取り出して見せる。
「そうだ。人間の慣習では、一つ屋根の下で暮らす一組の男女を指す言葉があるらしい。それに倣って、さっきの言葉を言い直そう。……結婚しよう、シャーリー」
女に生まれてきたからには、言われてみたい言葉というものがある。シャーリーはそんなものは知らなかった。けれども、そのときに頬を伝った一筋の涙はきっと、彼女の琴線に触れる何かが起こったことを表すものだった。
しかし、そんな時間は突如としてぶち壊される。
二人の真上から、巨大な何かが音を立てて降ってきた。響く轟音。舞い上がる土煙。辺りには散乱したゴミが風圧で吹き飛ばされていった。
「退がれ、シャーリー!」
カグラは叫ぶ。シャーリーは言われた通りにそれから距離をとった。次第に見えてくる人型の輪郭と大剣のシルエット。
「一体、何の真似だ?ジャック!」
姿を現したのはジャックだった。




