第十章2 『研究所の秘密②』
双葉真矢は嫌われないように生きてきたつもりだった。
それは姉である亜矢に限ったことではない。両親や親戚、学校の友人から地域の大人に至るまで、誰に対しても笑顔を絶やすことはなかった。良く言えば交友関係が広い活発な子。悪く言えば(というか亜矢に言わせれば)、八方美人だった。
逆に言えば、嫌われない性格だからこそ、一番身近な他人である亜矢には嫌われた。そして、あろうことか、そのような事実に真矢は全く気が付かなかった。
こうして、二人は微妙な綱渡りをしながら今まで過ごしてきた。
それが一変したのは、真矢が元素融合体になってからだった。
真矢が元素融合体になった経緯は簡単だった。それは適性があったから。それだけの理由と思われるかもしれない。しかし、他の人にはないものが自分にはあったのだ。しかも、それは数千万人に一人と言われるほどのものらしい。試してみたくなるのは、人間の性というものかもしれない。
その結果、双葉真矢は光のマテリアルとなった。
ただ、同じ遺伝子を持っているはずの亜矢には、適性はなかった。適性がないことが普通のことなのだが、そのことが亜矢の何かを変えた。
元素融合体。亜矢を変えた何か。もたらしたものは非日常。
ある日のこと。偶然、町で真島純という男を見かけた。彼は研究所ではちょっとした有名人だったから、見ただけですぐに彼だと分かった。それで真矢はちょっとだけ彼を脅した。そしたら、別の知らない人に追いかけられるはめになった。それは予想外のことだったから、とりあえず、地の利を利用して、巻いた。
今日は疲れたな、と思いながら家に帰ると、亜矢が、遅かったね、と出迎えてくれた。その時に気付くべきだったのかもしれない。普段は出迎えない亜矢がそんなことをした理由、不気味なくらいの真矢に対するその笑顔、何かを隠すように背中の後ろに組まれた両手に。
結果だけを述べると、靴を脱ぐために背を向けてしゃがんだ真矢に対して、亜矢は隠し持っていたロープを使って、首を絞めた。気絶した真矢を両手両足を縛って監禁した上、気の済むまで好きなだけ痛めつけた。食事もまともに与えなかった。
どうせもう後戻りはできないと、亜矢の行動はエスカレートしていく。
適性がないとわかったときの研究者たちのひどく落胆したような表情が忘れられない亜矢にとって、そんな彼らが大事にしている妹を痛めつけている時間こそが、優越感に浸れる唯一の時間だった。
しばらくすると、そのような仕打ちは止んだが、監禁されている状態に変わりはなかった。むしろ、一人で放置されているからこそ、考える時間も十分にあったし、一人涙を流すことものあった。
ほのかと真美が助けに来るその時まで……。
◇◇◇
真美が厳重に鍵をかけられた部屋に入ると、そこにいたのは、ぼろぼろの服を着て、はだけて、ひどく衰弱した真矢だった。
一歩部屋の中に進むと、ツンとしたにおいが鼻を突く。排泄物がそこらじゅうに散らばっているのが見えた。
「……大丈夫……ですか?」
真美や、そのあとに入ってきたほのかに、まるで気が付いてないように、そこにいた真矢は少しも動かなかった。
「ダ……レ……」
かすかに聞こえる小さな音はそう告げた。それが目の前の少女の口から発せられる声だと気が付くのには少し時間がかかった。
「先輩!ちゃんと生きてますよ!」
「真美、早くロープを切りましょう!」
二人は急いで彼女を解放した。
ぐったりと力なくうなだれる彼女に対し、ほのかは家の中を探し回って見つけた衣類や飲食物を与える。彼女は苦しそうに呻き体を動かしながらも、しっかりと与えられたものを摂取した。
しばらくして、新鮮な空気を吸わせるために、外に連れ出したとき、真矢は口を開いた。
「あなた……あの日、真島純の隣にいた子よね?覚えてるわ」
真矢がはっきりとそのことを覚えていたのは、その記憶が、彼女にとっての最後の屋外での記憶だったから。悲しいことにほのかは真矢の中では最近会った人物なのだった。
ほのかも、覚えているよ、と意思表示をするようにうなずいた。
「あなた心配そうな顔してる。あのね、マテリアルって他の人より、ちょっとだけ丈夫なのよ。だから平気」
気丈に話す真矢。そのことが逆にほのかを不安にさせた。
「マテリアルなら、能力を使って抜け出そうとは思わなかったの?」
「私の能力は強すぎるから、ここで使ったら、きっと隣の家まで破壊してしまう。だから使えなかった」
真矢は自分がもう元気であることを主張する様に、立ち上がって体を動かし始めた。それはこのあとにしなければならないことのための準備体操でもあった。
「さあ、話はこれくらいにして、と。亜矢はどこかな?私いかなくちゃ」
真矢は言った。
「何言ってるの?そんなこと……」
「私の居場所を教えてくれたのは亜矢でしょ。あの子優しいからきっと最後は助けてくれると思ってた。だから、今度は私が亜矢を助ける番なの」
「助けるって……何で?」
「私はね適性があったから光のマテリアルになった。亜矢は適性がなかったから、何もなかった。でもね、亜矢に適性がないわけないんだよ。監禁されているときに亜矢に詳しく聞いたら、適性検査の仕方が私の時とは違ったの」
「というと……?」
「その時に思った。亜矢が受けたのはたぶん適性検査なんかじゃなかった」
真矢は自分の中の怒りをあらわにするように歯を食いしばって言った。
「ここからは私が研究所で知ったことからの推測なんだけど、……亜矢は実験台にされたんだ。たぶん闇の元素の。その影響で亜矢はあんなに凶暴になった。キョウジュとかいう狂ったやつとそこの研究者のせいで亜矢は変わってしまった。許せない。行ってぶっつぶしてやる、あんなところ!」
そこまでいう真矢に対して、ほのかは引き止めることなんてできるはずもなかった。
「行くのはいいけど。本当に体のほうは大丈夫なの?」
「大丈夫だって。眠る時間は十分にあったから」
「嘘でしょ。あんな状態でぐっすり眠れるわけなんかない」
「へへ」
真矢の肯定とも否定ともつかない返事を聞いたあと、三人は出発した。




