第七章2 『水沢慧という女の子②』
攻撃される、ととっさに判断した慧は大量の水を操作して二人の間に障害を作る。その隙に攻撃が届かないと思われるところまで距離を広げた。しかし、甘かった。相手は水に怯むことなく飛び込むと、すぐに空いた分の距離だけ縮められたのだ。それだけではない。手には剣。その眼光は鋭く慧を見据えている。ザッと振り下ろされる剣。反射的に、無意識的に右手の槍で受け止める。重い剣圧。
「くっ……!」
慧は押し倒されないように腰を低くした。見上げたその目に写るは相手の余裕の笑み。
「ごめんね……いや、ありがとうというべきか。察するに君は進んで『この道』を選んだようだ。『逃げる』という選択肢もあっただろうに。盗まれた水属性。水沢博士の娘。居なくなった博士。動機は十分だ」
「うるさい。黙って散れ」
「女の子がそんな言葉遣いしちゃダメだよ」
何か一区切りとつけるように語尾を強く言った織戸は、剣にかけていた力を急に抜く。その時慧はアレっと目を疑った。目線の先の剣の刀身がグニャリと歪むのを見たのだ。そして、それはまるで生き物のように動き出した。三つ四つと先端が分裂すると、それは槍の柄を避けながら慧のもとへと迫ってくる。
思わず後ずさる。なにこれ、と心のなかで呟いた慧は絡み付かれながらも、逃げる、逃げる。しばらくして攻撃が止んだ。気付いたら服はボロボロだった。
「ちきしょう。やってくれたな」
織戸の姿を遠くに捉えながら、慧は再び身構える。
しかし、さっきと違って彼は一歩も動くことはなかった。それはまるで慧の反撃を待っているようにも見える。ならば、と慧は槍を持ち直すと迷わず一直線に距離を詰める。
「ハッ!」
ガッと初撃は弾かれる。慧は一瞬悔しそうな表情を見せたが、間髪を入れずに体勢を立て直すと、もう一度攻撃を入れる。今度は金属音は響かず、慧の手には確かな感触が伝わった。しかし、決定打にはなっていない。続けて放った三回目は惜しいところで防がれる。
「イチ、ニ、サン……」
それは織戸の口から発せられた言葉だった。慧の攻撃に対してそれはヨン、ゴ、ロク、と続く。そのカウントアップは織戸からの情けだった。十発だけは慧の攻撃を受けてやろうと織戸は考えていたのだ。その間にも慧の猛攻は続く。そして、織戸は十発の攻撃を受け終わる。
「キュウ、ジュウ!」
十回目の攻撃は思いっきり上方向に払い除けられた。二人の間に空間ができる。慧がそこで見たのは柄から外された織戸の右手だった。織戸はニヤリと笑う。彼は手のひらを慧の方に向けて叫んだ。
「槍流破!」
金属が織戸の右手に生成される。彼は鋼の元素融合体。慧がその事を再認識する頃には、その金属は真っ直ぐに伸びて慧の胸へと向かっていた。慧がしまった、と思ったときには遅かった。鈍い感触が体を貫いた。
そう思った。
しかし、痛みはない。もう一度状況を確認する。よく見ると織戸の手から延びていた金属の棒は二本。慧はその間に挟まれる状態になっていた。
「どういうつもり?」
慧はそう尋ねたが、織戸は笑うだけで何にも答えなかった。静かな時間が流れる。その間もずっと慧は織戸の顔を睨み付けていた。
突然、カラン、と高い音が辺りに響いた。織戸が持っていた武器を全て手放した音だった。そして彼は両手をあげる。それは明らかに『降伏』を意味するはずだった。慧は右手の槍を織戸の胸に突き立てる。
「なぜ?いちいちあなたの意図がわからない」
「そりゃどうも」
「答えになってないけど」
やっと掴めた父さんへつながる手掛かり。相手の意図がわからずとも、慧はどうしても逃がすわけにはいかなかった。慧は手元の槍を回転させると、柄の部分で織戸の頭を狙った。しかし、直撃する前に織戸は膝を折り曲げたため、空を切ることになった。
しゃがんだ織戸の右手は足もとの剣へと延びる。それを目撃した慧は、まずい、と自身の左足でそれを蹴って遠くへ払い除ける。
けれども、それだけでは終わらない。織戸は手を地面につけてそれを軸にすると、思いっきり慧の軸足を蹴る攻撃方法に変えたのだ。バランスを崩して、地面に倒れ込む慧。衝撃で槍もその手から離れた。びっくりして、とりあえず慧はその場から転がりながら距離を空ける。離れたところで体勢を立て直すと、織戸が近づいてくるのが見えた。
慧の方からも織戸に近づく。対峙する二人。二人とも丸腰である。織戸は右手に握りこぶしを作っている。それを確認した慧はぶつかる直前、体を半回転させ、相手に背を向ける形になりながら、織戸の左側をとった。両の手のひらを織戸に向ける。慧は勝ち誇ったような顔を向ける。
「やりぃ」
「くそっ」
次の瞬間、火災現場でよく見られるような、おびただしい水量が織戸を襲う。その水圧に一人の人間が耐えられるはずもない。そのままされるままに流されると、壁に押し付けられる。慧は落ちている槍を拾うと、壁に押し付けられた織戸に再び突き立てる。
「ボクは手ぶらで帰るわけにはいけないんだ。知ってることは全部吐いてもらうよ」
「俺は多分君が聞きたいような情報は何も知らない」
「嘘つけ。研究所の場所とか、父さんの安否とか、色々知ってるはずだ。もしこのままシラを切るつもりなら……」
慧は突き立てた槍をちょっとだけ引くと、勢いをつけて織戸の体に突き刺そうとした。脅しのつもりだったが、ガツッという感触が伝わった。織戸の破れた服の間から見えたのは防御のために体に巻いていたのか、鎧のようなものだった。
「これは?」
「一応の安全対策ってところかな。きみ怖いし。でもごめんね、残念ながら本当に俺は君が狙っている『獲物』じゃない。君の『獲物』はさっき俺が追い返しちゃった。土属性のマテリアルだったよ」
そう言われて、辺りを見渡すと、不自然なほどの量の土が散らばっているのに気づく。
「じゃあ、あなたは誰?さっき鋼のマテリアルだって……」
「昔々、研究所に一人の青年がいました。研究所の方針に疑問を抱いた彼は、上層部に訴えかけましたが、状況は変わりませんでした。やがてしびれを切らした彼は研究所から逃亡しました。そいつの名前は桐崎織戸。ということで俺も君と同じで元素融合体でありながら研究所にたいして敵対関係にある人間ってことだ。きみが狙ってる研究所側の元素融合体じゃない」
「信じない、って言ったら?」
「信じてもらうしかないね」
織戸は子供のような笑顔を慧に投げ掛ける。その笑みに悪意は感じられなかった。
「それで、私に何を望むの?」
「俺って結構強いでしょ?まあ、君が弱いって言うのもあるけど。君の力になれると思うんだ。どうかな?」
「無理」
「えっ?」
織戸はすっとんきょうな声をあげる。まさか即答されるとも思ってなかったのだろう。慧はボロボロに破れた服を手でさすりながら言った。
「強さをアピールするのにボクの服をこんなにしたのは、何かの趣味かな?そうだとしたら、そんな人とはちょっと行動できないかな」
「ち、違うよ!怪我しない程度に加減したらそんな風になったんだ!」
「ふーん」
慧の指摘に顔を真っ赤にして答える織戸に、慧は冷たい視線を送る。
「とりあえず!そういうのを抜きにしても、君にとっても悪い提案ではないはずなんだが!」
「それもそうなんだけど。どうしようかな」
慧は少し悩む。
「まあいいや、とりあえず家まで来てくれる?野村さんたちに聞けばあなたの言ってることが本当かどうかわかるだろうし」
「そう、よかった」
慧は織戸に近づくと、今度は槍ではなく、優しく手を差し出した。
◇◇◇
「ただいま」
「おじゃまします」
二人は慧の家へとやってきた。織戸は濡れた服を慧は破れた服を着替えるため、新しいものを調達していた。玄関では慧の弟と妹が出迎える。
「おかえりなさい。お姉ちゃん、そのお兄ちゃん誰?」
案の定、織戸を見て妹の愛がそう尋ねてきた。
「ボクの友達だから心配しなくていいよ、愛」
そう言って愛の頭を撫でる。
その後、慧は奥にいる野村のところに向かうと織戸の言っていた事実関係を確認した。結果として、織戸の言っていたことは全て相違なく、信頼を得られた織戸は安堵の表情を見せた。ただ、肝心の研究所の場所は、わからなかった。織戸の知っている研究所の場所は、すでに慧がもぬけの殻だと確認した場所だったからだ。
「役立たず……」
「おい、今なんて言った?」
「ううん、ただの独り言。気にしないで織戸くん」
慧は澄まし顔で返した。それを見て織戸は困った顔をする。
そんなこんなで、二人は振り出しに戻ることになり、始まったのは今まで通りの地道な作業だった。ただ変わったのは、協力者が一人増えたこと、それだけだった。
◇◇◇
水沢家に来て数日、織戸はすっかり顔馴染みとなった。
「ほら、悠、愛。見て」
子供たちとも打ち解けた彼は、良き遊び相手ともなっていた。自身の元素融合体としての能力『鋼の生成』を使って、作品をつくって見せる。
「お姉ちゃんの銅像!」
「すごい!似てる、似てる!」
その声を聞いてか、慧が音を立ててやって来る。自分の銅像をその目で確認した慧は、恥ずかしそうにほほを少し赤らめたあと、何も言わずに、銅像をガシャンと破壊する。
「な、何やってるのかな……」
織戸は慌てて反論する。
「ただの遊びだよ!他意はない!ほら、慧ちゃんかわいいし」
「う、うるさいな」
織戸は壊れた残骸を整理する。慧も片付けを手伝いながら、それとなく聞いた。
「ボクはこれから新しい目撃情報があった場所にいくけど、織戸くん来る?」
「別に良いけど、家の警備は大丈夫なのか?」
「え?どうして?」
慧は聞き返す。今まで家の警備なんて気にしてなかったから、織戸の質問の意図がわからなかったのだ。
「どうしてって、今までどうしてたんだ?慧ちゃんが不在のときにこの家が元素融合体に襲われた時の対策はしてないのかな?住所が割れてるんだし、野村さんたちもいる。襲撃されても不思議はないと思うけど」
慧は顔を伏せて、今までを振り返った。もし彼女が不在のときにそんなことが起きていたとしたら、と考えるだけで怖くなった。今まで一日でも早く父さんを助けなければ、という気持ちが先行して、そういうことまで考えが及んでいなかったのだ。
「ごめん。考えてなかった」
織戸はにっこりと笑いかける。
「まあ、今までお父さんのことで頭が一杯だったから仕方がないよ。今日は俺が家に残るから。これからのことはあとで考えよう」
「そう。ありがとね、織戸くん」
片付けがある程度終わると、慧は織戸を家に残して出掛けていった。
◇◇◇
ある日の昼下がり、織戸はうとうとしていた。この日はたまの息抜きの日だった。
もちろん、状況はほとんど進展していない。けれども、この前の一件で少しの休息も必要だと慧は思ったのだ。そして今日は気分転換に買い物に行く予定だった。
「もしもーし。織戸くん起きてる?」
「ふぇ?」
「くすっ。ボクは悠とちょっと買い物に出てくるから、家のことはよろしくね」
「オーケー。任された。いってらっしゃい」
町に出ることは、いつも家にこもっていた慧にとっては開放的な気分になった。
「おお、すごい。これが今時の携帯端末か」
「お姉ちゃん、買う気がないなら早く店を出ようよ」
悠はため息をつく。しかし、慧の興味を引くものがあると、周りが見えなくなるのは昔からだった。それが水沢慧のいつもの日常なのだ。
そんななか、突然、遠くからこの世のものとは思えない叫び声が聞こえてきた。最初は何かのイベントなのかもしれないとも考えられた。しかし、何だか様子がおかしい。その異常性を何となく感じ取った慧は目付きが変わる。
「悠。お姉ちゃんちょっと様子見てくるから、安全な場所で待ってて」
悠はうなずく。こうして、慧は悠と離れて様子を見に行ったのだ。
この日が、光流のモンスターが暴走したあの日だった。
慧はあまりのことの大きさに、元素融合体を探す暇もなく辺りの人助けをある程度したあと、弟のことが心配になり、もとの場所に戻った。
「悠!」
見ると、弟は無事だったが、大人数に囲まれていた。いっそう警戒心を強めた慧は人だかりを払い除けて、弟のところに駆け寄る。
「大丈夫、悠?」
「お姉ちゃん!」
慧は悠を抱き締める。周りの人は不思議そうに二人を見ている。その中の一人が尋ねた。
「もしかして、慧ちゃん?」
自分の名前が呼ばれてドキッとした。その顔をよく見ると、何だか懐かしい感じがする。名前は確かなんと言ったっけな、と記憶を探って思い付いた名前を口に出す。
「和音?」
ーー悠はこの日、弥彦と出会い、慧は悠を探す中で、和音たちと出会った。それは実に十年ぶりのこと。そしてこの出会いが、慧にとっても、和音たちにとっても、物語は大きく動かす重要な分岐点となるのだった。




