3:不必要
「いらっしゃーーい」
「へいっ!おまちどーさまです!」
「ありがとうございましたー!」
懐中時計を首にかけ、死神の姿で成々軒の、のれんをくぐった。望めば物質はすり抜けられるので、ガラス張りのドアをすり抜け、誰に気づかれる事もなく店内へと侵入できる。
何度も行き来した狭い店内は、数ヶ月前と同じ姿のまま。スープのいい香りが店内に漂い、アナログテレビがナイターを放送中だった。
カウンターに一人。奥の座席に家族が一組座り、みな美味しそうにラーメンをすすっていた。エプロン姿の成瀬が餃子を運んでゆく。
黒服で一人神妙で、壁の花になりじっと成瀬を見つめていた。
――死因は『飛び出し』、交通事故。
……バカよね、ホント。すぐ飛び出しそうだもんね……。
全く落ち着きがないんだから……。
「進、のれんしまえー」
「あいよ♪」
客が帰り、店じまいの時間となると、成瀬はのれんを店内へと下げて、ドアにシャッターを下ろして掃除を始めた。
本当に、親孝行なんだよね。こんなに働く所をしっかりと見たことはなかったけど。
掃き掃除、テーブル拭き、座敷の雑巾がけ。終わると食器を洗って、奥から母親が遅い夕食に声をかけた。
家族団らんを覗きながら、とても胸が痛かった。
一人息子だもん。失ったら泣くだろうな……、おじさん、おばさん……。
**
成瀬の入浴中、こそりと部屋に入ってみた。
……うわー……。入るの、小学生以来かも……。
意外と中は片付いていて、多少出しっぱなしの雑誌やコミックス、ゲーム機などあるけれど、きちんとしていてちょっと感心。
Hなものばかりじゃないんだ……。ちょっと自分の偏見に反省したりして。
カラーボックスの上にコルクボードが立てられ、ピンで写真が何枚か留めてあるのに気がついた。うちのクラスの望月との写真。演劇部の公演の写真。二年の友達との写真。……中央に私の写真。――私が真ん中ですか。
友達数人で夏祭りに出かけた、その時の私が浴衣姿で笑っていた。
これ、成瀬と一緒に行ったやつじゃないよね。友達の誰かに貰ったってことかな?成瀬が頼み込んだ可能性もありうる。
毎年恒例の地元神社のお祭りは、すでに女子友だけで行くようにいつからか変わっていた。子供の頃は、成瀬と一緒に行った事もあったけど……。
親とはぐれて、不安になる私の手を引いて、一緒に探し歩いてくれた事もあった。
新しいサンダルで靴擦れを起こして、おんぶして家まで送ってくれたのは五年生の時だったかなぁ……。
夏祭りだけじゃない。助けてもらった事はいっぱいあったよね。
……優しいんだ、成瀬は。
「はーっ。いい湯だった」
「――!!」
頭にバスタオルをかけ、パンツ一枚で成瀬がドアを開けた。リラックスしまくった姿に思わず声にならない悲鳴を上げた。
声を出しても、聞こえないはずだけど。ちょ、ちょっと、どうでもいいから早く服着てよ!!
「課題あったっけー」
塗れた髪をぐしゃぐしゃ拭きながら、カバンのチェック。――ダメだ。タオルからチラリと覗く腰とか、見てられないから。とにかく部屋の隅で肩をすぼめて背中を向けた。
「やべっ!これだけはやっとかないと!」
カバンをどかして、プリントに取りかかるのは後にして、まずは服着てよぉーー!
「……。へっくし!」
だから言ったじゃない!
くしゃみが出て、ようやくいそいそとパジャマズボンを引き寄せはいた。長袖Tシャツを着て、上にパジャマを重ね着する。
……ほーーーっ……。ひとまず安心。目に悪いよ。
温かくなって来たとはいえ、ちゃんと髪の毛乾かさなくていいのかなぁ?どうやらタオルだけで済ましてしまうみたいだ。男は髪が短いからそれでいいのかな。
「ひーっ!わかんねえ!」
数学の課題に頭を抱えて悶絶している。思わず口を押さえて笑いをこらえた。
「バーカ」
言っても聞こえない。
指で突いても、こうしてすり抜けるもんね。指先が、すぅっと頬をすり抜けて入る。あまり気持ちよくないので、人をすり抜けたりは極力しないようにはしてるんだけど。
じ――っと隣に立って見つめている。こんなに近くにいるなんて。一体いつぶりなんだろう。隣で寄り添って昼寝した。そんな事もあった頃……。
大きい目。染めてるのかな?少し明るい茶色の髪。結構サラサラしている気がする。首とか、手とか、やっぱり男の子なんだなぁ……。
思わず、もっと顔が近づいて。耳元に息がかかりそうなほど。だって、今の私なら気づかれないから……。首に手を回し、頬にそっと口寄せてみた。
唇に温かい頬がふれた。
「……えっ?」
――バッ!目が覚めて慌てて離れた。え?嘘?なんで?なんで触れたの!?
異様に加速する全身の鼓動。顔から身から火が出そうで後じ去った。
頬を押さえて、こちらを見る成瀬。
「なに、今の……」
不思議そうに立ち上がる。もう限界だった。脱兎のように背を向け全力で外に逃げた。
なに?なに?どういうこと?
なんですり抜けなかったの――!??
《必要に応じて、すり抜けられます》
物でも人でも。天使が告げた。
すり抜ける必要がなかったって事?私が、【不必要】って思ったって事?つまりは、私が――。
考えると再び火が出る思いに駆られた。
鎌で空を飛び、自室の窓に転がるように帰還した。熱は一向に冷めてはくれなかった。
時計を外し、黒服からパジャマへと衣装が変わる。身を投げ出すように枕に埋もれた。
「……苦しいよぉ。成瀬……」
右手の中で、無情にも時計の針は進んでゆく。
一日が過ぎようとしていた。あと二日。たったの二日……。
どうするんだろう、成瀬は。
自分の命があと僅かだとしたら……。