2:うるさい幼馴染
気持ちが浮上しないまま机に座り、授業開始までの僅かな時間。頬杖ついて思考するのは奴のことばかりだった。
「かりおぉぉ――――!!」
廊下から大音響が近づいて来た。ドタドタうるさい上履きの音が鳴り響く。眉根を寄せて視線を逸らした。ピクピクとこめかみが痙攣を起こす。……なんだって、そうしていつも五月蝿いんだろうか。
けたたましくドアを叩き開け、息せき切らして二年生が乱入して来た。
「先輩。どうしたんですか」
毎度おなじみ成瀬の登場に、抑揚のない声で前方の望月が振り向いた。クラスメイトで成瀬の友人。表情にはあまり変化がない、暗い男だ。
私は窓際後方の席で、空気を決め込む。見ない聞かない。
「悪い!国語辞書とジャージと、地図帳と何でもいいからノートと、あとあと、ええ――っと!」
対照的にせわしない成瀬は、指折り忘れ物を数えて頼み込む。
「とにかく貸してくれ――っっ!!」
「あと何があったけな今日。シャーペンも貸してくれ。あと実は弁当も忘れたんだ。金もねーんだよ。頼むぜかりお。それから教科書」
「素直に取りに帰って下さいよ。カバンごと忘れたんですか」
同じクラスの望月にすがりつく姿は、はっきり言って週に4回は見て取れた。つまり日常茶飯事。
「学年違うんだからバレますよ先輩」
「いやっ!何とかなるっ!」
相変わらずうっさい……。
「友達がいの、ねー奴だなぁ――……」
「もう先輩はー……」
――はた。うっかり見てしまったのが運のツキ。奴とバッチリ目が合ってしまった。
「愛ちゃん!愛ちゃんなら貸してくれるよね♪」
いつの間にっ! 瞬間移動して、がっしりと私の両手が捕まった。ハートマークを周囲に撒き散らし、弾んだ声でニカニカと犬のように甘えてくる。
「愛ちゃんらぶ!」
「――離さんかいっ!!」
「フガ……っ!!」
必死に手を引き戻し、必殺グーパンチを鼻頭に叩き込んだ。星を飛ばして成瀬は吹っ飛び、近くの机に激突する。
「……。愛ちゃんったら相変わらずねェ……。成ちゃん泣いちゃう」
鼻血を押さえて、芝居がましく成瀬は泣き顔。――ふんっ。演劇部の小芝居には騙されないんだから。
キーンコーーン。カーーンコーーン。
「チャイム鳴ってますよ」
「うおおっ!やべえっ。かりおの薄情もん――――っっっ!!」
どぎゅん!バタバタバタと、騒音公害はフェイドアウトしていった。ため息を付くクラスメイトに、一呼吸遅れて私も深く嘆息していた。
まいったなぁ…………。ゆっくり考えてる余裕もないよ。
**
なんだかんだで、成瀬はちょこちょこと目の前をウロチョロする。普通に友人と喋りに来たり、お弁当を食べに来たり。何でこんなに一年のクラスに通うんだろう。二年に友達もいるっていうのに。
「ただいまー……」
ようやく成瀬から解放される。一軒家のドアを開けて、何度目かのため息と共に帰宅した。
「おかえり――♪」
――ずべっ。
背中越しに挨拶したのはまた『成瀬』。派手に玄関マットにダイブした。なんで家に帰ってまでコイツの顔見なくちゃなんないのよ。
「帰れ!」
言葉にトゲいっぱい生えさせて、退場を求めドアよりむぎゅむぎゅと押し帰す。なかなか奴もふんばって、一行に出てゆく気配がない。
成瀬の手には店名の入ったアルミ製の出前箱が握られていた。……そう、成瀬の家はラーメン店を経営していて、うちは常連さんなんだよね。
「また愛ったら。ごめんなさいね進くん。いつもこんな調子で……」
世間話をしていたのだろう、お母さんは成瀬に不要にも謝罪をする。成々軒のラーメンもだけど、両親はこのお気楽息子がおきにいりだからメンドくさい。
「もう出前取るのやめてよ!!」
「ねぇ、愛ちゃんの部屋でお茶しようよ♪」
「なんで私の部屋なのよっ!」
冗談じゃない!アンタみたいなの入れたら、何されるか分かったもんじゃないじゃない。
「お邪魔しました――!またご注文よろしく★」
全く懲りた様子もなく、幼なじみは意気揚々とポーズを決めて帰って行った。
「二度と頼まないわよっ!!」
牙を剥いて荒々しくドアは閉まる。
「……くっそ~。塩まいてやるっ」
「愛ったら。どうしてそんなに進くん嫌ってるの?」
お母さんはほとほと困り果てて、腕を組んで首を傾げる。
「進くん、いい子よ。家の手伝いもちゃんとして……」
「…………」
――わかってる。わかってるよ。
唇を噛んだ私は、何も返答せずに二階に上がった。
**
――パタン。静かに、後ろ手で自分の部屋のドアを閉めた。
ようやく、誰にも何も邪魔のされない空間に辿り着いた……。机にカバンを置いて、横に置いたままの――懐中時計を重しに乗せていた、天使からのメモを横目にベッドに仰向けに転がった。
誰も悪い奴なんて言ってない。だけど……。
時計の音が二種類、目覚まし時計と懐中時計。二つは微妙にズレて、時の流れを強調するように追いかけ回った。手を伸ばして、机から懐中時計を頭上に吊り下ろす。
成瀬 進。十七歳。高校二年生。いっつもうるさくて、クラスに友達が居るのでよく出現する。明るめの髪色に、良く動く表情の数々。お調子者だけど、友達は多くて、部活は演劇部で時折舞台にも上がっていた。
「愛ちゃん、今日も可愛いね!」
挨拶のようにいつも笑顔でのたまった。バカですけべで――。
「胸パンチって知ってる?」
「何それ」
「こーすんだよ、胸パーンチ♪」
両手のグーで両胸をそっと撃ち、持ち上げるように下から揺らされた。
――血祭りに上げてやった。
「愛ちゃん。可愛いね、愛ちゃ――ん!」
揺れる懐中時計。まるで振り子のようにして。
カチリ。カチリ。秒針は成瀬の死へと確実に歩みを進めてゆく。
寝返りを打ち、枕にうつ伏せ、時計を枕の下に押し込んだ。……音が聞こえないように。
ずっと。ずっと。何一つ変わることなく。幼い頃から、私を呼ぶ明るい声。毎日「可愛い」と言っていた。毎日「好きだ」と言っていた。
―― いつからだろう。
「私も大好き!」と返事をしなくなったのは。
いつからか、「可愛い」も「好き」も、嬉しい言葉じゃなくなって。いつも調子いいことばっか言ってるから、私は信用できなくなったんだ。
誰にでも言ってること、知ってるし。私だけじゃないって、もう解ってるんだから。
……きらいだ。大嫌いだ。
大キライだ成瀬なんか――――!