038 一期一会の贈り物
馬車の中である。
「お姉さん、途中でお茶でも飲んで行きませんか」
アレイスタの右隣に座るアルヴィンが、楽しげに誘ってきた。屈託なく明るい性格とそれに見合った華やかな容姿。いつもどおりの綺羅々々しい王子っぷりだ。
「朝のお茶は終わったじゃんか。
レモネードがいい」
それに口を挟んだのは、アレイスタの左側に座る少年である。アルヴィンと同じふわふわきらきらした容姿に、アルヴィンよりもきついまなざし。いつもどおりの麗しさだ。初対面だが。
ルティスと読んでほしいと言った彼は、マルティネス王子、つまりマティルダ本人である。
初めに彼を見たときは流石に驚いた。よく似た別人や双子の兄弟と言われた方がまだ納得できるような、見事な自然体だったからだ。
見かけは無理に作り変えた不自然さはなく、仕草も優雅な王子様っぷり。姫君と同じ顔だが、男女の差異か顎の骨格などやはり幾分か線が太い。
だが中身は、話し方は違うもののにじむ性格も話し運びも彼女のまま。マティルダだ。
初めは驚いたのだ、ものすごく。が、相手は子供で性差などあってないようなもの、気にする必要はない、とアレイスタはさっさと気にしないことに決めてしまった。将来ちょっと後悔しそうな気はしたが、面倒そうなので目をつぶる。
適応力と割り切りに自信がある彼女である、決めてしまえば後は早く、四半時もしないうちに慣れてしまった。
仕掛けた当人は思惑から外れて舌打ちをしていたが、それは彼女の預かり知らぬところである。
「しばらく会えないんだから、ちゃんとお話したいよ」
ぎゅ、とアレイスタの右腕を抱いて、アルヴィンがすねた声を出す。
確かにお茶と言えば時間をとってゆっくり楽しむものなので、お手軽にスタンドで売られているレモネードを楽しむよりは、ちゃんと話はできるだろう。
だが、問題はそこではない。
「しばらく会えないんだから、ちゃんと楽しみたいだろ」
いつの間にか抱えてられていたアレイスタの左腕の先、手を両手で挟んで、ひらをなでながらマルティネスが反論する。
確かにレモネードはレモンと砂糖、水があればできるもので、たいていどこで飲んでもそこそこ美味しい。茶葉によっては泥水のほうがマシになるお茶よりは、ちゃんと楽しむことができるだろう。
そしてこちらも、問題はそこではない。
「お茶がいいよね」
「レモネードだろ」
二人から視線を向けられ、返答に窮する。ちらと視線を上げれば、向かいの義従兄はいつもの笑顔だが、その左右のロード・ノースベローとエスターにはすと視線を逸らされた。その顔に、明らかにうんざりした色を見つける。
その気持ちはよくわかる。
「お茶!」
「レモネード!」
なんか、こんなテレビ番組あったなあ、と透子であるアレイスタは思った。
誘いはありがたい。
ありがたいのだが、問題はそこではなく。
出発を見送ると2人が訪ねてきたのは、ちょうど食後のお茶の時間だった。そのまま流れで一緒にお茶をしている。そして、少し前に馬車を止めてレモネードも楽しんだ。それぞれをそれなりに時間をかけて。だから、飲みすぎで歩くとちゃぷちゃぷ音がする程度には、両方味わった後なのだ。
今なら水袋の気分がわかるな、とアレイスタは思った。どちらでもよいので、手洗い設備があるところにしてほしい。
そしてルティスは、触り方がやらしいのでやめてください。
ジェラートを口に含む。酸味の強いさわやかな甘さが、のどの奥にさらりと溶けていく。水分はもういいということで妥協した結果だったが、蒸し暑い馬車の中、汗ばんだ体に心地よい。
馬車の中にはマルティネス・アルヴィン・アレイスタの3人だけを残し、大人組は外に出ていた。路肩に止められた馬車の警戒に当たるためというより、単純にかかわりたくないと倦厭されたのではないか、とアレイスタは踏んでいる。
ふう、とついた溜息が3人分重なった。バツが悪い思いをし、アレイスタはわずかに身じろぎをする。
「疲れたなあ」
「疲れたねえ」
「すみませんでした……」
しみじみとマルティネスが呟き、アルヴィンが同意した。その声にアレイスタは身を縮める。
馬車の中が蒸し暑いのは、ドアも窓も閉め切っているから。皆して汗ばんでいるのは、ひたすら動き回ったから。
まあ、両方とも概ねアレイスタのせいである。
少し前。
アレイスタは一人先に戻り、馬車で皆を待っていた。用を足した後に合流しようとしたら、ジョン・ドゥに止められたためだ。それぞれ目立つのに一緒だと余計人目を引くと。
……助言はありがたい。しかし、「ミラーボールが回っている鏡張りの部屋に、虹色ライトを置くようなものです」とは。
話にはできれば例えを入れて説明してほしいと頼んだのも――だって彼は結論しか言わない――、人目を引きたくないと零したのもアレイスタだ。それにしてもあんまりな言いようだと思う。誰が何かは聞かないけれども。
そんなわけで、用を足した後路肩に止められた馬車に先に戻り、一人で買い物に出た皆を待っていたのだった。マルティネスとアルヴィンが出れば、隊士たちはそれの護衛についていくし、御者は御者台から離れない。
ついでに言えば、ジョン・ドゥは初めから外である。アレイスタに所有される無機物だからと、自ら馬車の屋根、つまり荷物置きに乗っている。その身を固定しようとしていたのは、かろうじて押しとどめた。そのままにしていたら、アレイスタは「人(に見える)を馬車の上に体育座りでくくりつけ疾走する主人」という、特殊なプレイを強制する類の主人になるところであった。うっかりステータスに称号がついたりしたら完全なさらし者である。全力で辞退させていただきたいところだ。名誉のためにも。
閑話休題。
さて、一人で馬車にいても、特にやることはない。なんとはなしにドアと窓を開ければ、さわやかな初夏の風が吹き込んでくる。日差しは強くなってきたが、屋内はまだ過ごしやすい時期だ。彼女のように着込んでいなければ、だが。魔道具なので脱ぐわけにはいかないのだ、仕方ない。
人目もないことだしとフードを下ろし、襟元をくつろげる。そのまま見るともなしに外を見ていたら、ふっと気まぐれを起こした猫が入ってきたのである。膝に乗ってくる人懐こさに、珍しいこともあるものだとついうれしくなって撫でていた。
ら、一匹増え二匹増え。あれ、これはちょっとまずいかもと思ったときに、視界の隅で文字が踊った。
【スキル[ブレーメンの指揮者]が発動しました】
家畜を魅了するスキル――レベルが上がると命令できるらしいが、あいにく彼女には無理だ――の発動に、アレイスタは真っ青になった。
そういえば、馬車の中だとSWRKKN-00――つまり隠密用魔道具虹色コート――のスイッチも切っている。柑橘系の香水は朝使ったが、先ほど手を洗ってから付け直してない。そもそも香りが強いものは苦手だ。
まずいと思った時にはもう遅い。いつの間にか猫だけでなく犬と鳥が混ざり、我も我もと集られて身動きが取れなくなっていた。端から見たら巨大な毛玉だろう。このままだと圧死するかもと冷や汗をかくが、すでに助けを呼べる状況でもない。重すぎて身じろぎできないのだ。当然口も開かない。
なんとかしなければともがいていたら、「大丈夫ですか、アレイスタ嬢!アレイスタ嬢!」という、毛玉の向こうからロード・ノースベローの声がくぐもって聞こえた。あとで聞けば、御者の悲鳴に駆け付けた彼は、馬車に鼻づらを突っ込もうとしていたロバと馬を止めてくれたらしい。さすがに来られたらぺしゃんこになるところだ。命の恩人である。
馬車に戻ってきた殿下方や隊士達も、やはり驚きの声を上げたのは言うまでもない。集まった犬猫鳥にお引き取り願い、辺りの騒ぎをそこそこ収め、逃げるようにその場を後にしたのである。今いるのは少しジェラート屋から離れた道だ。
馬車の中が蒸し暑いのは、ドアも窓も閉め切っているから。閉め切ったのは、アレイスタがホイホイになるのを避けるため。皆して汗ばんでいるのは、ひたすら動き回ったから。動き回ったのは、アレイスタにたかった犬猫鳥を馬車の外に出すため。もっとも、彼女の場合大部分は冷や汗だが。
一息ついて、謝ったアレイスタにマルティネスが眉を潜めた。
「別に、というか謝りすぎだ。
気は使わなくていいけど、気をつけろ」
不機嫌そうに呆れをにじませながら、それでも心配を告げる。対してアルヴィンは
「そんなに気にしないで。
それより、大丈夫でよかったです」
無事だったことを喜んでくれた。
「ふふ。
ありがとうございます」
思わず笑みがこぼれたアレイスタに、揃って怪訝そうに首をかしげた。左右に座った、よく似た華やかな様子の2人が、同じように首をかしげる様は年相応で可愛らしい。ついつい笑みが深くなる。
「なに?」
「どうかした?」
「いえ、なんでもありません」
釣り餌を引き受けたのは、思惑があってのことではなく、単なる巡り合わせに過ぎない。
が、思わぬ贈り物が付いてきたということだろうか。
誰かに心配してもらえるということは、ありがたいことだ。優しい知人ができたことをうれしく思い、くすぐったい気分を味わいながら、アレイスタはゆるんだ頬をごまかすようにジェラートを口に運んだ。
今なら大丈夫だろうか。
「……ええと、それで、お話は?」
アレイスタが口火を切れば、2人は微妙な顔で顔を見合わせた。お互い、ひじでつつき合っている。
気まずそうな顔をして、マルティネスがゆっくりと口を開いた。
「よくわかったな」
「……まあ」
あれだけ露骨に時間稼ぎをされれば普通わかる、という突っ込みを心の中にしまったアレイスタである。
朝から、やたら賑やかな2人がいつも以上に話し牽制しあい、不意に押し黙るという居心地の悪い時間が繰り返されている。それこそ、彼女がこうして水を向けるほどだ。義従兄どのをはじめとする隊士たちが、辟易して席を外すほど。
思わず遠い目をしたところ、ぎゅっと手を握られ、意識が引き戻された。
「あのね」
見れば、身を乗り出したアルヴィンに覗き込まれている。至近距離に澄んだトルマリンの瞳があり、ぎょっと身を引いた。と、それにあわせたように横に引かれてバランスを崩す。そのまま、後ろからマルティネスに抱えられる形になった。
アレイスタを挟んだ形にした2人が、目を合わせてうなずき合い、口を開いた。
「探したら」
「そこにずっといないで」
「こっちにも戻ってくるよな?」
「こっちにも戻ってくるよね?」
交互に、言葉を重ねられた。
「……え?」
思いもかけない言葉に呆けたアレイスタをどうとったか、すがるように両側から詰め寄られる。
「戻ってくるだろ?」
「ずっとじゃないですよね?」
「え、いえ、はあ、戻ってこれたらいいなと思ってますが」
少なくても、博士の墓を手入れしたいので、帰ってきたい。墓前に甥っ子を紹介したいという希望もある。
面くらいながらもそう返事をすれば、安堵の表情を浮かべられた。それに、アレイスタは逆にとまどう。
「……え、あの、それが用件ですか?」
なんだかとんでもないことを言われるのだろうか、と身構えていたアレイスタは、少しばかり拍子抜けだ。別に言いにくい内容でもないだろう、と思わず聞けば、2人して何とも言えない奇妙な顔をした。微妙に視線を交わし、マルティネスは視線をそらし、アルヴィンは視線を落とす。
「別に、言いづらかっただけじゃない」
そっぽを向いていたマルティネスが、ぼそりと言った。それに、視線を落したままのアルヴィンが同意する。どういうことかと首をかしげれば、ちらとそれぞれから視線を向けられた。
「一緒にいたかったってこと、です」
重なった声に、呆ける。
「は……」
アレイスタはとっさに反応できず、思わず間抜けな言葉を返した。
左右を見れば、それぞれ耳が真っ赤になっている。と、それをごまかすかのようにマルティネスが大きな声を出した。
「おかしくないだろ、友人なんだから!」
アレイスタは友人などいない。
「大地母神の枝毛」島で会うのは博士かレネ爺さんだけだ。島を出るまでに会ったことのあるのは、義従兄や義叔父を入れても6人。友人など夢のまた夢である。
透子であった時も、正直姉や義兄が素晴らしい理解者だったので、表面的な友人しか持たなかった。なにより家族を優先した彼女なので不満はなかったが、たぶん王子たちの申し出はそういったものではないだろう。
以前。
2人は友達が多いが、一線引いての付き合いだと言っていたのは誰だったか。セバスチャン改め聞き耳のジョージだった気もするし、エスターだったような気もするし、はたまたロード・ノースベローだったような気もする。
理由は聞いていないが、まあなんとなく予想はできる。
マルティネスとアルヴィンが通っているような学校であれば、いわゆるいいとこのお子さん――貴族や裕福な商人の子弟がほとんどだろう。そして親同士の関係は、そのまま彼らに落ちてくる関係となる。つまり他の生徒にしてみれば、2人は将来の上司やお得意様だ。子供とはいえ聡い2人だ、軽く友人にはなれないのではなかろうか。
その2人からの申し出だ。
アレイスタは、自分がどうして釣り餌に選ばれたのかわかっている。
彼女は、どう頑張っても彼らと利害関係が生まれない。貴族でもないし、商人でもない。単純な貧乏人で、たまたまそこにいた、ただの通りすがりだ。すぐに旅立つことが決まっている、運が悪く悪目立ちする釣り餌にぴったりの存在。
それだけのはずが、少なくとも彼らは、近しく思ってくれると言う。
そのことにアレイスタは、戸惑いや小さな罪悪感を覚えた。彼女は彼らを好ましく思っているが、かといって深く関わることなど想像もしていなかった。そして、2人もそうだろうと、ごく自然に考えていた。
「あの、わたしは、」
「だから!」
彼女の口からこぼれた言葉を打ち消すように、マルティネスが声をあげた。2人とも、背けた顔はそのままだ。
「……だから。
何かあったら、言えばいい」
ぼそりと行ったマルティネスの言葉に、ぱっとアルヴィンが顔を上げた。
「そう、悩んでることがあったら聞くし、困ってたら助けたいんです。
役に立つかわからないけど、僕たちも、その、……」
はじめは食いつくようにアレイスタを見ていたが、話しているうちに、徐々にうつむき声が小さくなってくる。それをアレイスタはぼうっと見ていた。
彼女は、話していないことがある。嘘をついたわけではないが、適当に黙っていた。
誰より何より大事な甥っ子のことだ。うっかり正気を疑われ、身動きが取れなくなったら困る。人手はほしいが、慎重にならざるを得ない。協力してもらっている義従兄などに対しては罪悪感もあったが、仕方ないと割り切った。切り替えの早さは彼女の得意とするところである。
だからこそ、表に出したつもりはない。
が、今の言い方では悟られていたということだろうか。
どうしよう、と汗が出そうになる。もし甥っ子を探しにいけなくなったら。サー・エセルバートにも悟られており協力をとりさげられたら。後少しでここを去るはずなのに、こんなことになるなんて。
冷静に考えれば。
彼女が行動を強制的に制限されることなどないだろうし、2人はそんなことを他人に話すような性格でもないし、義従兄は他人の言動で行動を左右されるような人物でもない。なにより、甥っ子のことを特に話さなければならないこともない。
だが、一度あせり始めれば思考というのは空回りするものだ。動揺して思わず視線を泳がせたアレイスタだったが、そこで向き直ったマルティネスとちょうど視線があう。
「気にすんなよ」
ふっと視線を緩めたマルティネスに、思わず視線を奪われる。
「言ったろ、女王にならなかったら、ミンネにしてやってもいいって」
アレイスタは、ようやく自分の思い違いに気がついた。
優しい知人ができたのではない。彼らが優しかったのは、多分自分だからだ。しかも彼らは、話したくないことは話さなくてよいと言う。
ただ、負担なら分けてほしい、と。
かっと頬が熱くなった。
「あ、の」
なんと返事をすればいいのかもわからず、うろうろと視線をさまよわせた。
と、伏せていたアルヴィンが勢いよく顔を上げた。不満の声を上げる。
「あ、ずるい、ルティス兄さまずるいです!
お姉さん、僕ははじめから騎士になるつもりだから、僕のほうがいいですよ!
お嫁さんのほうがいいですけど」
「おい、そっちのほうがずるいだろう!?」
騒がしい声を上げ始めた2人を見ながら、アレイスタは何とも言えない面映ゆさを味わった。
戸惑いや罪悪感は、まだある。どう接していいかはわかっていないし、面倒なことは黙ったままだ。
だが。
釣り餌を引き受けたのは、思惑があってのことではなく、単なる巡り合わせに過ぎない。
だが、思わぬ贈り物が付いてきたらしい。
「そうですね、友人だから」
思わず笑顔がこぼれた。泣き笑いのような顔だったかもしれない。
どうやらアレイスタは、透子のときに持てなかった友人を、初めて得たらしい。
と、視界の隅で文字が踊る。
【マルティネス・ローラン・エリヤ・アルフレッドさんとお友達登録を行いました】
【アルヴィン・ロナルド・アデア・ジェレマイアさんとお友達登録を行いました】
【なお、プレイヤーキャラクター以外との間では、メッセージ機能は利用できません】
【称号[脱ぼっち]を取得しました】
……水を差すアナウンスはやめてもらいたいものである。