037 蜘蛛の糸が切れぬように
王都で過ごす最後の一日は変わらず慌しく過ぎた。
部屋に戻ったアレイスタは風呂を貰い――初日に居眠りをしてしまったためか、必ず先に押し込まれるようになった――、ようやっと一息ついた。魚人だからか、水を浴びるとずいぶんと元気が出てくる。
義従兄が風呂を使っている間に寝るのも申し訳ないので、待つ間に日記を書いた。アレイスタの、ここしばらくの宿屋生活の習慣である。
『ホップ・ステップ・ジャンプで、魔道具を受け取った。虹色に光るコートだった。SWRKKN-00、とタグに書いてあった。今度は何の略か、聞くのが怖い。通常の隠密モードのほかに、緊急モードがあるらしい』
ごく普通の共通語で、ごく普通にその日あったことを書く。以前のように、うっかり日本語で書くようなことはしない。自分の本心を吐露する気もない。日記の本来の使い方ができないのは残念だが、こんなところで甥っ子探しをつまずくのは嫌だった。
『今日も王宮で、ルディやアルの授業を聞かせていただいた。最後ということで、義従兄殿とともに、夕餐にご招待いただいた。美味しかった。とても美味しかった。』
ちなみに、二人の授業はレベルが高く、正直実践系の演習――魔法や護身術――には参加出来なかった。見かけはアレイスタより小さいが、潜在能力はよほど優れている。王族のステータス補正らしいが、恐ろしいことだ。一種の見た目詐欺だとアレイスタは思った。
対してアレイスタは、誘拐犯たちに初め誤解されたとおり、逆見た目詐欺(というか見かけ倒し)である。自己愛の神の加護による副次効果[かっこいいポーズ]が常時適用されているので、一見隙がなく見えるのだ。ステータスで一発でバレるが。
『帰り、七色に光って見せた。アルや他の方は驚いたあと笑ってくれたが、ルディには物凄く怒られた。
もうやらない。2人とも、見送りに来てくれるらしい』
帰りにちょっと湿っぽい雰囲気になったので気を使ったのだが、外にいた警備の方が防犯用のアラームかと飛び込んできたりとそれなりの騒ぎになってしまったので、アレイスタも懲りた。ついでに、スキル[一発芸]が増えた。いつ使えというのだ。本当にもうやらない。
彼女がちょうど書き終わった頃、義従兄が風呂から出てきた。彼は風呂が短い。
「お茶でも入れましょう」
か、と言って立ち上がろうとしたら、ふっと横に座っていたジョン・ドゥが消えた。と、次の瞬間には茶が差し出される。瞬間移動でもしたような速度(実際したのかもしれない)に、アレイスタは笑顔のままいったん動きを止め、言い直した。
「……お茶でもいただきましょうか」
「そうですね」
ティーカップを受け取り礼を言えば、やはり礼は不要だと断られる。とはいえ、言わずにいられるような性格でもなく、アレイスタはあいまいに笑ってごまかした。
義従兄と向かい合って茶をすする。宿では特にやることもないので、こういった穏やかな時間を味わうことが多かった。
相対するサー・エセルバートは、湯を使ったのでいつもは撫で付けている髪が落ちてきている。そのせいか、風呂上がりの彼は普段より幼く見えることを、アレイスタはここ数日で発見していた。
「明日は、朝の鐘2つ頃に出るんでしたか」
「はい、北の街道を行きます」
より正確に言えば、その時間に見送りを受けて出発した後、こっそり戻ってきてお昼に誘拐犯たちに合流予定である。言わないが。
しばらくゆるゆるとティーカップを揺らしていたサー・エセルバートが、ゆっくりと彼が口を開いた。
「あの誘拐犯がまだ捕まっていません。
街道沿いに潜伏している可能性が高い」
なので出発日を延期してはどうか、と勧められる。
「確かに恐ろしいですが、彼らはルディを狙ったのでしょう?
たまたま猫科の方がいたから、私も巻き込まれただけです」
首を傾げ、苦笑しながらアレイスタはごく自然にごまかした。欺瞞だとは思うが、大丈夫嘘はついていない、と自分に言い聞かせる。
2人の間では、ここ数日で同じやり取りが何度か行われていた。その間、サー・エセルバートの押しが珍しく強くないのを幸い、アレイスタは「嘘じゃない。都合が悪いことを言ってないだけ」方針でごまかしている。
実はその間、「鎌かけを回避しました」やらの不穏なアナウンスが流れていたのだが、現在の彼女はステータスを「開示しない」に設定しているため問題ないはずだ。時間を見つけてジョン・ドゥとステータスを見る訓練をした賜物である。コツは、盲点に焦点をあわせるようにすることだ。あのアナウンスはそこに流れているらしい。最近は1時間くらいかければ、なんとか自分で操作できなくもない部分もなきにしもあらず、といったところだった。
「柑橘系の香水も購入しましたし、コートもあります。
大丈夫ですよ」
「そうですか」
いつもの笑顔で繰り返したやり取りを交わす。にっこり笑った後、サー・エセルバートは手の中のティーカップに視線を落とし、口に運んだ。この話しは終わりということだろう、とアレイスタは心の中でこっそり安堵のため息をつく。
ちょうどその時、何食わぬ顔で義従兄がそういえば、と付け足した。
「後から思い出したことなどありませんか?
彼らの会話の中で、どこが地名を口にしていた、とか」
アレイスタが息をついたその瞬間、測ったようなタイミングでの言葉に、息が詰まりそうになる。
ゆっくりと顔をあげた義従兄の、青灰色の瞳に見つめられる。それは静かに凪いでいたが、なぜか普段より色が深い。
一息ついて。
「いいえ。
覚えていることは、お伝えしたことが全てです」
アレイスタは、白々と嘘をつきながら、いっそ鮮やかなほど綺麗に笑った。
「もう少し覚えていたらよかったのですが。
やはり、少し動転していたようで」
あまりお役に立てず申し訳ありません、と苦笑を浮かべながら、ティーカップを口に運ぶ。視線を感じたが、膜を一枚隔てた向こうのことのように感覚が遠い。
全くとんだうそつきだ、とアレイスタは他人事のように思った。
「……そうですか」
何を考えていたのか、義従兄は、少し間をおいて笑った。今まで見たことがないような、楽しそうな子供のような笑顔だった。生憎その笑みがどういう意味なのか、アレイスタにはわからなかったが。
「失礼。
言い方が悪かったですね。
貴女を責めるようなつもりではなかったのです」
「そんな風には」
受け取らなかった、と否定するアレイスタを制し、サー・エセルバートはティーカップを置いた。いつもよりよほど楽しげに笑いながら、言葉を続ける。
「ただ、何かありましたら、気軽に相談してください。
貴女もゴメス、我が一族なのですから」
そう、言われた。
「……ありがとう、ございます」
なぜか、耳鳴りがする。普段ならば喜ばしいはずのその言葉が、心にざっくりと刺さった。
部屋に戻り、後ろ手にドアを閉める。ベッドに腰掛け、アレイスタは一息ついた。じっとしていれば、夜にまぎれて外の喧騒が聞こえてくる。混ざって、隣室の扉が閉じる音がした。サー・エセルバートも寝室に行ったのだろう。しばらくそのままぼうっとしていたが、ぱたん、と彼女はそのまま仰向けに身を倒した。目を閉じ、耳を澄ます。けれど、どれだけ耳を澄ましても、彼女の聞きたい海鳴りは聞こえなかった。
一人目をつぶっていれば、身のうちからじわじわと罪悪感が湧き上がってくる。義従兄にはずっと面倒を見てもらってるのに、その相手に嘘をついてしまった。
そして、それ以上に。
アレイスタもゴメスだと、同族と言ってくれる相手に対して、認めてくれる相手に対して、嘘をついてしまった。
獣人族にとっては、群れの意識は強い。混ざりすぎて人になったゴメス家にしても、それは同じだろう。むしろ、通常の獣人より血が濃くなっている側面があるので、意識も強いかもしれない。
彼にしてみれば、自分は同じ群れの子供だ。位置づけとしては、アレイスタにとっての甥っ子と同じかもしれない。それほど強い思い入れはないかもしれないが、彼女がサー・エセルバートの庇護下にあることは間違いないだろう。
その相手に対して、自分は嘘をついている。
アレイスタにとっての最優先事項は甥っ子だ。だから、嘘をついたことに対しての後悔はない。ダミアンたち誘拐犯は、甥っ子につながる細い希望の糸だ。断ち切られる可能性があるような振る舞いをするわけにはいかない。
彼女は同じ場面を何回繰り返しても、同じように嘘をつく。
後悔は決してない。だが、罪悪感はあった。
ゴメスだと認めてくれた義従兄に、彼女は誠実であれない。
じっと目を閉じて音を聞く。海鳴りがしない分静かだ。ここはアレイスタの住んでいた島と比べて格段に人の気配が多い。
ただ、その中に彼女の家族はいない。そして、海が遠ければ、彼女の同族である魚もいなかった。
かといって、義従兄の手をとるわけにもいかないだろう。
口に含んだお茶の味は、嘘をついた舌の上に苦く残った。
「……おし」
深く呼吸し、気合を入れた。
彼女にとって甥っ子が一番なのはどうしようもない。大体、家族と親戚?だったら家族が大事なのは当然。
考えてもどうしようもないことだ。悪いと思っているなら、甥っ子を見つけた後で謝ればいい。それだけのことだ、と思う。
そう思えば、とたんに心が軽くなる。出発前だからか、心細くナーバスになってるのかもしれないな、とアレイスタは自分を笑った。
「おし!」
もう一度気合を入れる。明日は早いのだ、アホなことを考えてないでとっとと寝てしまおう、と思った。起きたら、また甥っ子に会える日は近くなる。
寝るための準備をしよう、と目を開けて。
「なっ!?」
アレイスタは、心臓が止まりそうになった。目の前に、ジョン・ドゥがいたのだ。
「な、んで」
「お風邪を召されます」
よく見れば、毛布を手にしている。かけようとしてくれていたらしい。
気になるのはどちらかというと時間の方だ、とアレイスタは内心突っ込んだ。いつからここにいたのかとか、ずっと見てたのかとか。
疑問を口にしようとしたところで、扉を叩く音に動きを止める。
「ターシャ?
どうしました?」
寝入る前だったのか、サー・エセルバートが声をかけてきた。アレイスタの悲鳴じみた声を聞きとがめたらしい。
「あ、大丈夫です!
すみませんでした!」
慌てて扉に向かって返事をする。
体を戻せば、毛布を持った泥人形がじっと彼女の動きを待っていた。おずおずと手をだして毛布を受け取る。
「あ、りがとう、ございます」
「我は僕ゆえ、礼は不要です」
また礼を断られた。だって人型なんだもんなあ、とアレイスタは内心呟いた。礼を言うたびにそう言われるが、何かやってもらうだけというのは座りが悪いものだ。
「心配してくださったんでしょう、礼くらい言わせてください」
「ですが」
「いいから」
ジョン・ドゥが反論しようとしたのを、苦笑しながら強引にさえぎった。このやり取りも、ここのところ何回か繰り返しているのだ。
「もう寝ます」
「は。
では失礼します」
一度、眠るところをじっとじっとひたすらに見られた時に、寝付くときは一人にしてくれと言ってある。暗に出て行ってほしいというアレイスタの言葉を聞き入れて、ジョン・ドゥが扉のほうに足を向けた。ずっと向けられていた視線が逸れて、アレイスタはほっと息をつく。
そんな彼女の心情など知ってか知らずか。
「女主人」
そのタイミングで、珍しくジョン・ドゥから声をかけてきた。
「はい」
「先ほど申しましたが、礼は不要です」
またか、とアレイスタは思い、次の瞬間にひゅっと息を呑んだ。
「我は、貴女様の僕、付き従うもの、道具、持ち物です。
不要とおっしゃられない限り、我は永劫お傍に控え、その欲求にお応えします。
それがこの身の喜びなれば」
「……それは」
思わず言葉を漏らした彼女を、泥人形はじっと見ている。アレイスタの言葉を待っていたのだが、あいにく彼女は言葉を続けられずに止まったままだ。彼の台詞の意味を消化しきれず固まったのだった。
しばらく見つめう形になったあと、再度ジョン・ドゥが口を開いた。
「貴女様のために何がしかをなす事は、僕である我にとって当然のこと。
僕は皆、主のために身を粉に尽くします。
例えそれが己の身を破壊するような内容でも、我らは主の言葉ならば喜んで従うでしょう。
だから、礼など不要です」
アレイスタはこの時、猛烈に自分を恥じた。
彼女にとってのジョン・ドゥは、押し付けられた荷物のようなものだった。かわいらしい姿ならよかったのにな、人型でなく話さなければよかったのにな、とも思っていた。モンスターだから、僕だからと、彼の気持ちなど特に深く考えもしなかった。いや、泥人形ゆえ、語れる考えがあるなど思いもしなかった。
経緯はどうあれ、彼はこんな覚悟でアレイスタに接していたというのに。
「……なら」
彼女はゆっくりと口を開いた。身の内から沸き上がる感情をじっと味わい、確認する。
通常なら一方的に押し付けられたその重さを、そら恐ろしく感じたかもしれない。録に知りもしない相手になぜ、と疑問を持ちもしただろう。
だが、この時アレイスタが感じたのは。
申し訳なさに混じっていたのは、紛れも無い歓喜だった。
「やはり、お礼を言わせてください。
私は、今の貴方の言葉が、とてもうれしい」
アレイスタは強くも賢くもない。何か尊敬されるものを持っているかと言われればないだろう。本来なら自分のなんらかの能力を使って手に入れるものだった僕も、なんだかわからないうちに譲り受けた形になってしまった。主としては不十分だろう。
それでも、ジョン・ドゥはアレイスタを主と呼ぶ。この王都に、自分の味方が、何をしても傍にいるだろうものがいる。
彼の覚悟がゲームのシステム上の仕様だったとしても、それに感謝したいと思えた。
だから、と言葉を詰まらせながら、歪む顔に笑顔を浮かべる。
「うれしいと、人はお礼を言いたくなるんですよ」
せめて恥ずかしくない主となるように努力しよう、と思った。
その顔は泣き笑いに近かったが、ジョン・ドゥは何も言わずに頭を下げ、部屋を出て行った。
ドレスを脱いで下着をはずし、布団にもぐりこんで枕元のランプを吹き消す。消してしまえば、ほの暗かった空間は完全に闇に落ちた。けれど、先ほどまでの孤独は掻き消えており、アレイスタはなんとなくあったかい気分を味わいながら目を閉じた。
ちっかちっかちっか ちーっかちーっかちーっか ちっかちっかちっか
ちっかちっかちっか ちーっかちーっかちーっか ちっかちっかちっか
……が、しばらくして、まぶたの裏に痛いほどの明滅光を感じた。一体なんだ空気読めと忌々しく思った直後に心当たりが思い浮かび、慌ててがばと布団を跳ね飛ばし体を起こす。
「いかがなさいましたか」
「きゃあっ!?」
居間に出て行ったはずのジョン・ドゥにベッド脇から声をかけられ、虚をつかれたアレイスタは悲鳴を上げた。思わず扉と見比べる。
「慌てていらっしゃるようでしたので」
気になるのはどちらかというと手段の方だ、とアレイスタは再び内心で突っ込んだ。どうして扉の向こうで慌てた様子がわかるのかとか、どうやってここに現れたかとか。
寿命が縮むからあまり人間離れした行動をとってくれるなと思わず口を開きかけ、扉を叩く音に口をつぐむ。
「ターシャ?
どうしました?」
「あ、はい!
今……」
起きてきた義従兄に素で返事をし、アレイスタはようやく我に返った。そもそも彼女が慌てていたのは。
「しまっ……!」
ヴィ!ヴィ!ヴィ! ヴィーッ!ヴィーッ!ヴィーッ! ヴィ!ヴィ!ヴィ!
ヴィ!ヴィ!ヴィ! ヴィーッ!ヴィーッ!ヴィーッ! ヴィ!ヴィ!ヴィ!
直後に鳴り響く大きな警戒音。思わず耳を押さえても、ちっかちっかと光るコートと連動し、耳障りな音を立てる。
「――、――――――」
音のために緊急事態だと判断したのだろう、勢いよく扉を開けてこちらの状況を眺め、サー・エセルバートは実に微妙な顔をした。その彼の前でベッドを飛び降り、慌ててチカチカ光るコートの袖を探る。ボタンをはじいて機能をオフにすれば、とたんに鳴り響く音が止まった。
沈黙が落ちる。
さて、コート型の魔道具にはエマージェンシー機能がついている。所持者が機能をオフにせずにそれを身から離した場合、剥ぎ取られたと判断して一定時間後に点滅、警戒音を発する。更に一定時間が経過すると、今度はアレイスタの声で助けを求める声を上げ始める。ようするにやたら目立つ防犯ブザーだ。
初めに台本を渡された時は何かと思ったが、アレイスタの声は魅力の値が高いので人を呼ぶには効果的だという。今回はそこまで再生されなかったが、うっかりそこまで流れていたら目も充てられなかっただろう。
今も十分に酷い状態だが。
室内は静かになったが、いまだ耳の奥に音が響いているような気がして、アレイスタは頭を振った。
が、それではごまかされないくらいには部屋の外が騒がしい。
……まあ、理由はわかっている。
「……着替えて、行きましょうか」
「お世話をおかけしてすみません……」
このあと、音に驚いて出てきた宿屋の客に、アレイスタ達が頭を下げて回ったのは、言うまでもないことだろう。