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魚人転生者と召喚被害者  作者: 浩太郎
1章 魚人転生者 エルゲントス王国 王都ロルー
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035 流しきれぬ焦燥

「うぉ!?」


 アレイスタが目を覚ました時、視界に人の顎があった。慌てて起き上がり、それに強か額を打つ。ものすさまじい衝撃で頭が揺れた。


「痛っ……」

「ご無事ですか、女主人」 


 なんだかものすごく痛い。

 額を抑えて呻いていたら、相も変わらず無機質な声をかけられた。ジョン・ドゥである。


 そういえば、彼ははじめアレイスタの座すソファの後ろに立っていた。が、感じられる気配が居心地悪く、アレイスタは彼に向かいの席を薦めた。ところが今度は向かいからの視線の強さがまた居心地悪く、横に移動してもらった。それでも視線は弱まらず――大体にして、彼は瞬きひとつしないのだ、居心地が悪いに決まっている――、さらにこちらを見るのをやめてもらったのだった。挙句、アレイスタは彼を枕役にしたらしい。しかし、なんだか首が痛いということは、あまり寝心地がよくない枕だったようだ。


 そして最後に額をその顎にぶつけたらしい、と、アレイスタはゆっくりと状況を把握した。


「……すみませんでした、あなたは怪我しませんでしたか」

「我は、強化粘土製ですから、通常の骨肉や皮膚より強度があります」


 流石泥人形である。普通より硬いと聞けば、痛さは倍増だ。聞くのではなかった、とアレイスタは思った。


 ずきずきとする額に、ひんやりとした手が当てられる。


「少し腫れています」


 明日はたんこぶか、とうんざりする。同時に、ほうほうの体で魔道具店から帰ったことまで――なんで一緒にポーズを取らされたのか、未だにわからない――はっきり思い出し、余計にうんざりした。


 身じろぎをし、アレイスタは毛布をかけられていたことに気づいた。ジョン・ドゥ……ではなく、大方義従兄が手を回したのだろう。このモンスターが、「アレイスタの身を守れ」という命令以外で行動するのは、今のところ見たことがない。


「エセル様は」

「だいぶ前にお休みです」


 額に触れる手をどかして見れば、テーブルに開いた日記帳がある。上にはカードを置いていた。それを見て、アレイスタはしまったなと思う。そういえば、義従兄が風呂に入っている間に、頭の中をまとめようと日記を開いたのだった。


 カードは、聞き耳のジョージから情報をもらえるチケットだという。もしサー・エセルバートがカードのことを知っていれば、なぜそれを使わないか疑問をもたれるだろう。甥っ子の情報をもらいたいと考えているのだ、彼を介してとう状況は避けたい。

 日記にしても、最後は日本語で書いてしまっている。海流に流され博士に拾われたとしか言っていないが、あまりはっきりと文字を覚えていたと知れれば、その年齢に疑問も沸くだろう。

 それに、と考えてアレイスタは頭を振った。今は考えても仕方ない。


 日記帳にカードを挟み、閉じて手に取る。ふっと息を吐いて気を取り直す。そういえば、とこちらをじっと見ているジョン・ドゥに顔を向けた。


「あの、ありがとうございました」


 礼を言えば、無言で見返される。やはり表情が変わらないので、何を言いたいのかわからない。

 視線に気圧されながら、アレイスタは自分の言葉を補足した。


「その、枕になっていただきました。

 重かったでしょう」

「我は僕ゆえ、礼は不要かと。

 また、我の耐重量は、1024キログラムとなっています。

 我が女主人ミレディは、それに足りておりません」


 だから気にするなと言いたいのだろうか、と考えながら、アレイスタは微妙な気分を味わった。竜かなにかだと思われているのだろうか。


 会話が途切れる。


 相も変わらずじっと視線を向けられる。アレイスタはもぞ、と身じろぎをした。無言で見られるのは、やはり居心地が悪い。1日経ったところで、容易には慣れないものだ。

 ためらってから口を開く。


「その。

 もう少し、好きに動いてくださって、いいんですよ」


 無機質さが只管目立つのが何とかなるといいのだが、と思いながら声をかける。ジョン・ドゥは彼女の言葉を繰り返した。


「好き、とは」

「はい。

 私に命令を求めず、自分で良かれと思ったこと、自分がしたいことをしてくださって結構ですよ。

 後は、時々助言がいただけたりすると助かりますが」


 やんわりと、あまり指示を待たれたり、無言だったりはしんどい旨を伝えてみる。正直な話をすれば無表情も厳しいのだが、流石にそれを取り繕ってもらうのは馬鹿らしい。

 少しは改善されるといいのだが。連れがこれだと精神的につらい。


 その言葉を、どう捉えたか。


「……ぇ」


 額に当てられた手を下げ、口元を指先でぬぐわれる。そのまま、彼はなぜか動きを止め、こちらをじっと見てきた。


 たっぷり1分以上は経っただろうか。


「あの……?」


 声をかけても、ジョン・ドゥはまったく身動きしない。更に、じりじりと時間が経過する。

 続く沈黙に耐えかね、アレイスタは声を上げた。


「……あの!」


 その声に、解凍されたようにジョン・ドゥが口を開いた。


「どうなされましたか」


 こっちが聞きたい、とアレイスタは内心文句を言った。


「あの、何か私の顔についていますか」


 その言葉に、ジョン・ドゥがまじまじと顔を見てくる。先ほどまでとわずかに違い、観察するような視線である。


「特には」

「では、なぜこちらをじっと見てらっしゃるのですか」


 短い言葉に、アレイスタは思わずつっこんだ。そんな彼女に、ジョン・ドゥは微妙に首を傾げる。


「先ほど、我が女主人は我の好きせよにとおっしゃられた。

 それに、従った次第です」


 しれっと言われる。つまり、見たかったから見ていたらしい。その言に、アレイスタは思わず顔を引きつらせた。てっきり、指示を待っているからこちらを見ていると思ったのだが、違ったらしい。


 早まった、かもしれない。


 そんな彼女の心中など意に介した様子もなく、ジョン・ドゥは続けた。


「風呂を準備しております。

 風邪を召される前におあがりください」


 促され、アレイスタはのっそりと腰を上げた。

 なんだか、どっと疲れた。それにどうやら、居心地の悪さは改善されないらしい。





 湯に浸かってぼんやりと風呂の天井を眺めながら、アレイスタは頭の中を整理していた。そもそも先ほど日記を開いたのは、頭の中を整理しながら文字に起こそうとしていたのだ。こういうときに日記は役に立つ。博士の勧めではじめたが、身についてよかった習慣の一つだ。


 眠ってしまったのは疲れもあるだろうが、少し考えが暗いほうに向かいそうになったからだろう、とアレイスタは冷めた頭で自分を振り返った。それをむりやり止めたので、いうなれば強制終了状態になってしまった。思考がぐるぐると意味のないところを回る前に戻すには、エネルギーが足りなかった。


 じっと見ていると、視界がぼんやりとしてくる。空気中では、この目はあまりうまく働かない。

 眉間を押さえて、ふ、と目を閉じる。



 以前の日記は、一昨日になる。甥っ子のことを思い出したその日、馬車泊の時に書いたものだ。書いたことは端的で短く、目を閉じるまでもなくすぐに思い出せる。


 あの時は頭の中がぐちゃぐちゃだった。自分にまだ家族がいることの喜びと、甥っ子と離れ離れになったことを嘆きたい気持ちと、あのトラックから甥っ子が逃れたことに対する大きな安堵と、今まで思い出せなかった不甲斐なさと、今どこで甥っ子が元気にしているかという心配と、更には博士を亡くしてから続く悲しみと喪失感で、心中が千々に乱れていた。博士の葬儀も重なって初めて多くの人に会い、その前で取り乱さないよう自分を押さえつけるだけでいっぱいいっぱいだった。

 正直に言えば、外面を取り繕える程度に大人だったというよりは、それを吐き出していいような相手がいなかっただけで、押さえつけていても整理できてなどはいなかったのだろう。


 だからだろうか。

 馬車で一人になって、ようやく一息ついたところで、涙が溢れてきた。どうして泣いているのかは自分でもわからなかったが、暗闇で嗚咽を抑えながら、叩きつける先を探して日記を書いた。日本語の文字は、がりがりと繊維に引っかかり、ひどく書きにくかったことを覚えている。


 『ひーちゃんに会いたい。ひーちゃんを探さないと。』


 滲んだ箇所もあり、決して読みやすくはないだろう。日記に刻みつけるように書いた文字はアレイスタの心そのままで、あれを誰かに見られたというのはあまりよい気分ではないな、と思う。己のうかつさのせいだが、読めはせずとも心のうちを覗かれたようで、不愉快だった。



 ともあれ、と息をついて、アレイスタはぱしゃんと体を沈めた。一度勢いのまま深く沈み、湯に包まれ体はゆっくりと浮き上がってくる。


 未だ、この身のうちには焦燥がある。かといって、それだけに気を取られて考えが回らないというほどでもない。一昨日に比べれば、その程度には整理がついている。


 甥っ子が生きて北にいるということがわかった。誘拐犯の彼らも、何かしら知っているようだった。前向きに考えて、状況は大きく好転していると言っていい。それが、整理がついた大きな原因だろう。

 少なくとも、聞き耳のジョージにお願いするタイミングを計ることができる程度には、落ち着いている。



 大丈夫だ、きっと会える、と顔を洗って湯船から出る。


 水のシャワーをかぶりながら、深く呼吸する。意識を切り替えて、姿勢を正すように獣態に変化した。一日1度は獣態になり、体調の変化を確認することは、博士に義務付けられて身についた習慣のひとつだ。水をかぶるのは、湯が残ったままだと火傷するからである。魚人は不便だ。


 鏡に映る顔は、赤い鱗の浮いた顔だ。


 顔の上半分だけでなく、腕や胸、足にも赤い鱗が浮いている。全身ところどころから角のようなとげが伸び、間に薄い皮膜が張っていた。ヒレだ。指の鱗――彼女の指についているのは、たぶん爪でなく鱗だと博士が言っていた――も伸び、間の皮膜も長く伸びている。


 アレイスタは自分の獣態を気に入っていた。海洋学者の博士はこちらの姿を好んでいたし、記憶の中でこの姿を選択したのは甥っ子である。確か、アバター設定時に人魚風か魚人風かの2パターンから選べたのだが、甥っ子と2人で「戦隊物みたいでかっこいい」と即決したのだ。鏡に映っているのは、確かに特撮に出てきそうな外見である。どちらかというと退治されるほうだが。


 こうなってしまえば海覇王の頭飾りなど違和感はない。耳の変化した(エラ)と全く同じ形状・色をしているのだ。むしろ、これのおかげか体がいつもよりも軽く感じられた。水の音や変化も、より感じ取れる。魚人形態で過ごせる者にとっては、優れたアイテムなのだろう。


 ただ、これから甥っ子を探して歩き回る予定のアレイスタにとっては、無用の長物だ。甥っ子は海の中にはいないだろうし、人態のときに人ごみで目立つ。複数種族が集まっているところで獣態になるのは別に禁止されるものではないが、単純に生活しにくいので避けるのが普通だった。人に育てられたアレイスタはこの手でどう食事をしたらいいのかわからないし、服をどう着るのかも、そもそも必要かもわからない。マティルダやアルヴィンに見せろとねだられたが、そんな理由で断った。


 それになにより。


 ふ、と呼吸して再度意識を切り替える。獣態から人態に戻る。鏡に映るのは、アレイスタの顔である。

 赤い髪、緑の目は同じだが、赤い鱗は浮いていない。それでも。


 この姿でも透子には遠い。


 手を鏡にぴたりとつける。おでこを寄せれば、硬い鏡が心地よく感じられた。もとより、水を浴びていた体は冷えており、鏡とさして温度に変わりがない。


 北にいると言っていた。確かに。


 甥っ子がもし探してくれているとしても、恐らくあの子には自分が叔母だとはわかってもらえないだろう。


「ひーちゃん……」


 呻くような声を出して、アレイスタは目を閉じた。


 甥っ子が探してくれないのだから、その分も、自分が探すのだ。草の根分けてでも、絶対に。


 待っていて。絶対に会いに行くから。


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