034 妖精王の末裔
アレイスタは馬車に揺られていた。早々に仕事を終えたサー・エセルバートが博物館に迎えに来てくれたのだ。今は彼の案内で情報収集のために各所を回った帰りである。仕事終わりに悪いと断ったのだが、平然とした顔で「戦場に出れば10日以上眠らないのはよくあることですので、この程度で疲れたりしませんよ」と流されてしまった。
一刻も早く甥っ子に会いたい彼女としてはありがたいが、義従兄にしてみれば急ぐ内容でもあるまい。もしかしたら、こちらの焦燥を感じ取られていたのかもしれないな、とアレイスタは思った。
回ったのは、新聞社に商人組合と傭兵組合、神殿である。広告をお願いし、掲示板に場所を買って張り紙をし、訪ね人リストに名前を追加させてもらった。司法隊が情報を集める時によく回るところらしい。ごく普通の事務所、対応してくれたのも事務員らしい雰囲気の人で、全く持ってゲームっぽくない地味さだった。唯一珍しかったのは各所にあった掲示板――遠方との連絡に使っている通信映写板くらいだ。これに貼り付けた内容が各地で共有されるとかで、アレイスタのメモもこれに貼られた。
現在は、その足で魔道具店ホップ・ステップ・ジャンプに向かっている。というのも、自動割り振り設定の様式[魅力的な私]がこのままだとあんまりなので設定し直させてもらいに行くのだ。ついでに、頭飾りが目立つので何とかならないかという相談と、……昨晩思わず投げてぶつけてしまった魔道具OSGGR-01を確認してもらう予定である。なんかへこんで見えるのは、気のせいと思いたい。
「先ほどのメモに少し書かれていたのは、魚人の文字ですか?」
前に座っているサー・エセルバートに、思い出したように問われた。彼の言葉が指しているのは、先程までに利用した情報提供依頼のメモだ。彼女は"川中広貴"という文字を併記しておいたのである。
大陸は共通語が利用されているが、各種族ごと獣態の差があるため、使いやすい言葉や文字を持っていることも多い。アレイスタも魚と話す時、口から空気を吐き出すような音で話す。
が、たぶんというか絶対に、魚人は漢字など書かない。
「すみません、よくわからないです。
ただ、記憶にあるので、ヒントになるかと」
なので、アレイスタはさらっと惚けた。少しばかり申し訳ない気分になるが、言ったところで何になるものでもなし、何より面倒である。
「なるほど。
では、あのクリスマスプデイングのようなものも?」
何を言われたのかわからず、少し考える。そんなこと書いただろうかと思い出し、心当たりがひとつ。
「……あれは、ポケットサイズのモンスターで、光る電気ネズミです。
子供の間で、かわいらしいと評判が高い架空の動物です」
少しでも目印になればと、甥っ子の服装の説明を書いた。そのときに、靴下ワンポイントとして刺繍してあったものを描いたのだ。自分で言うのもなんだが、結構上手く描けた。絶対に菓子には見えないはずだ。
「子供に人気が高いのですね。
見てみたいものです」
貼付けたようなアレイスタの笑顔に何を感じとったか。賢明なるアレイスタの義従兄は、巧妙に絵に対するコメントを避けた。隣のジョン・ドゥは相変わらず置物のように無言である。
「あ、そういえば」
食えないサー・エセルバートの顔を見ていて、思い出した。
「ミンネってなんですか?」
ロマンスグレー……聞き耳のジョージさんに微妙に含みのある言い方をされたので、聞かなければと思っていたのだ。マティルダに言われる前に、どっかで聞いたような気もするのだが、なんだったか思い出せない。
が。
「……誰かに言われましたか」
笑顔が怖いです、義従兄殿。
目が笑っていない、本当に貼り付けたような笑顔に、アレイスタは思わずたじろいだ。少し慣れてきたかと感じ始めていたので、なおさらだ。
「その、ルディに」
ためらいがちに答えた彼女の言葉に、サー・エセルバートは片眉を器用に上げた。気のせいか、笑顔が引きつっている。
「マティルダ殿下、ですか?
アルヴィン殿下でなく?」
「はい」
なぜそこでアルヴィンが出てくるのだ、といぶかしく思いながらもうなずく。が、そんな彼女を見て、彼は額を押さえた。頭が痛い、と言いたげなその動作に、アレイスタは首をかしげた。
「エルゲントス王家が、妖精王の血筋ということはご存知ですか」
「はあ、妖精王の姫を娶られたとか」
ずいぶん話が変わったな、と思いながら頷く。
エルゲントス王国の建国記は博士に習った。この国に住んでいれば、常識の範囲だろう。
「あの場でご覧になったでしょう?
どう見えました?」
そう言われてみれば、たしかにマティルダが魔法で呼び出すのを見た、と思う。が、どうだったかと言えば、いろんな顔が重なって見え、かの王がどんな顔をしていたかも、そもそもどれが王だったのかもわからなかった。
「……その、よく見えなかったというか、色々な顔が見えたというか。
なんだかよくわかりませんでした」
「ふむ」
その彼女の答えに満足したのか、義従兄は頷いた。これはよく知られていることなのですが、と前置きし、言葉を続ける。
「かの王は、何者でもなく、すべての者であったと言われています」
「はあ」
さて何を言いたいのだろう、といぶかしみながら、アレイスタは相槌を打った。回りくどい話し方は不安をあおるのでやめてほしい。
「そしてマティルダ殿下は、かの王の血が濃く出ていらっしゃる。
そのために、名前を2つ持っておられるのです」
「2つですか?
4つでなく?」
たしか、マティルダは長い名前を持っていたはずだ。はじめしか覚えていないが、マティルダ・なんとか、かんとか、なになに、みたいな。名前ばかりくっついた、太郎次郎的な作りだった気がする。
「あの方のもうひとつのお名前は、マルティネス・ローラン・エリヤ・アルフレッド」
「え」
聞き間違いだろうか、とアレイスタは首をひねった。人のことを言えないはしないのだが、さて。
「その、それは男性の名前では?」
「はい。
言ったでしょう?
かの王は何者でもなく、すべてのものであったと」
つまり、先ほどからの話をつなぎ合わせると。
「姿が変わるということですか」
「そのとおりです。
ここでは女王が好まれるせいでしょうかね、私が知る限り、殿下は女性であられましたが」
口に出した推測を肯定され、流石に少し驚いた。が、まあ、アレイスタのように獣態を持つものも多いのだ。そういうこともあるのかもしれないな、とアレイスタは単純に納得した。
そして、はたと会話の始まりを思い出した。
そもそも、自分がたずねた語句と、それがどう絡んでくるのか。
「……その、ミンネとは?」
こわごわたずねた彼女に、サー・エセルバートは目を細めた。
なんだろう、厄介ごとの気配がする。
「騎士は、王に忠誠を捧げます。
同様に、導き手として婦人を選び、その愛を捧げるのです。
その奉仕により、誉を受け騎士は騎士となる」
あれ、なんかとんでもないことを聞いたような気がするな、とアレイスタは思った。
「ええと……?」
「どういった言葉を言われたのですか?」
あんまり考えたくない、と途中から言葉を租借するのを意図的にやめようとしていたところで、問いかけられる。
「確か、女王にならないなら、ミンネに、して、くれる、と……」
つい反射的に思い出し、アレイスタは少し後悔した。せっかく途中から逃避しようとしていたのに、思い出したことで、先ほどからの会話の意味が頭に落ちてきてしまった。遠回しに、愛を捧げてもよい、という主旨の言葉ではないか。なんてことだ。
「……褒め言葉とかお礼じゃなかったんですね……」
頭を抱えた。同時に、以前にどこで聞いたのかを思い出す。甥っ子が、騎士系の称号だかスキルと取得するか迷っていたのだ。確か、「ロードとミンネを設定できるようになるんだけど、その人たちと行動すると補正がつくんだ」とか。でも代わりに行動制限があるしなー、とうなっている顔は実に可愛らしかった。写真をとっておいた。
そこに、相変わらず笑ったままのサー・エセルバートが追い討ちをかける。
「褒め言葉などよりすごいでしょう、貴族の子女が聞いたら嫉妬されますよ。
で、なんと答えたのですか?」
「光栄です、と」
「応えてますね」
というか、自分も好きだと言った気がする。何てことだ、あの時に戻れたら、もう少し慎重にいけと自分に忠告したい。わからない言葉に、適当に応じたりするのではなかった。
「……どうすればいいでしょうか」
「殿下もお若いですし、気が変わることは多いかと。
それに、騎士のそれは忠誠に非常に近いものですから」
あまりミンネを明かしたりはしないものらしいが、現在の騎士の大半は女王陛下に捧げているだろう、と彼は言う。アレイスタはその言葉に縋るしかない。そう、上下関係が存在するとはいえ、守ってやるよ的な意味だったのなら、それは歓迎すべきことなのだし。
甥っ子を知る彼女は、現在のマティルダが幼い外見をしているとはいえ、子供のうちだからと軽く見る気はなかった。思い入れは年齢に比例するとは限らないのだ。とはいえ、どうすることもできないのだが。
アレイスタの困惑した様子に、義従兄は苦笑したようだった。
「まあ、ゴメスと名乗れば王宮の厄介ごとに巻き込まれることもありますまい。
殿下も、無理強いされるような方でもないし、気にせず今までどおりにしていればよいかと。
別に嫌ではないのでしょう?」
たしかに、彼女のことは好ましいと思っている。それに、ある意味、なんらかの好意を示されているのだろう、という予想は合っていたのだ。ただ、ちょっとそれが予想より意味が強く、混乱しているだけだ。後は、知らないのに応えてしまった少しの罪悪感と、ついでに、厄介ごとの気配に困っているだけで。
「……そうですね」
そう、考えても仕方ないのだから、考えるのをやめよう、とアレイスタは顔を上げた。思考を切り替えるのは――というか、棚上げというか――得意だ。
いずれにせよ、とサー・エセルバートが続けた。
「次からは、わからない言葉は、不用意に応えないほうがよろしいかと。
もしくは、彼に聞けばいいのでは」
と、ジョン・ドゥを示される。相変わらず能面のような顔は、なんの変化もない。
「ご存知でしたか?
その、2つとも」
「は。
存じておりました」
ミンネの意味と、妖精王の血筋のことを問えば、即答される。頭飾りの件といい、しれっとした顔が小憎らしい。このやろうめ。
とりあえず。
明日も顔を出して授業に付き合うように言われているが、当面は今のままでいいだろう、とアレイスタは考えた。もし考えなければならない時がきたら、そのとき考えればいい。
ちなみに。
魔道具店ホップ・ステップ・ジャンプでひしゃげた魔道具OSGGR-01を差し出したら、ものすごく怒られた。