030 きっと奥方の名はメアリー
アレイスタはお仕着せのロマンスグレーに先導され、王宮の廊下を歩いていた。食後のお茶の最中に、取調べに協力してほしい旨伝言を受けたためだ。休日だが家庭教師による授業があるらしいマティルダとアルヴィン――王子ではなく愛称のアルで呼んで欲しいとのこと――に付き合えと誘われていたところだったので、2人には終わり次第声をかけることを約束させられた。
事情聴取などはあるだろうと思っていたのだが、協力して欲しいという言い方になんとなく嫌な予感を覚える。何もなければいいのだが、と考えて考えるのを止める。なぜかこの手の予感は考えるだに当たってしまうのだが、ひょっとしたら逆転の発想で考えなければ当たらないかもしれない。……まあ、そんなはずなかろうことは、薄々わかっているのだが。
そういえばと思い出し、今現在道に不案内な彼女を自然にエスコートしてくれる連れを見やる。彼には、飛びついてきたアルヴィンによろめいたところを、支えてもらったのだった。
「あの、先ほどはありがとうございました。
昨日もお世話になりまして」
言っていて思い出したが、昨日もご飯を回してもらったり、着替えを準備してもらったりと世話になっている。ありがたいことだ。
そうアレイスタが頭を下げると、彼はわずかに戸惑ったようだった。
「……いえ、むしろお礼を言いたいのはこちらです。
主家の奪還作戦にご協力いただき、ありがとうございました」
逆に頭を下げられてしまった。
「私は、ほとんど何もしておりませんよ」
「マティルダ様も、アルヴィン様も、貴女を慕っておられる。
それが答えではないでしょうか」
これには苦笑するしかない。
「そうでしょうか」
「そうですとも」
柔和な顔につられ、ふふ、と笑顔を交わす。
「そうそう、一言ご忠告を」
彼は人指し指を立てて、軽く顔の横で振ってみせた。目が楽しそうに笑っている。
「なんでしょう?」
「ミンネという言葉の意味をご存知ないのでしたら、早めにエセルバート卿に確かめられた方がいいでしょう。
それまで、他言されない方がよろしいかと」
「はあ、ありがとうございます……?」
そういえばそんなこと言われたな、と思い出し、アレイスタは固まった。
確か、その単語を聞いたのは、マティルダとともに帰りの馬車に乗り込む直前である。その場にいた者でも簡単に聞き取れるような声量でもなく、そしてまず間違いなくロマンスグレーなこの方はいなかった。なのに、なぜそれを知っているのか。
そんな彼女を見て、彼はいたずらっぽく片目をつぶって見せた。
「壁に耳あり障子にメアリーと申します」
親父ギャグがきた。
一瞬どうしようかと思ったが、アレイスタの――というか、透子のだが――笑いの沸点は低い。仕事場で笑いに飢えていると段々沸点は低くなるので、大抵のことは笑える。些細なことでも笑えるのは、楽しく生きるためのコツだ。まあ、笑わなければやっていられないというのもある。
なので、今回も笑って乗った。
「それをおっしゃるなら、ジョージに目有りでは?」
「……。
左様でございますか」
あれ、なんだろうこの間は。
「……ふふ、左様です」
とりあえず、アレイスタは笑ってごまかした。もしや、つっこみ待ちだったのだろうか。だったら悪いことした。
「次の左側にある大扉を潜った先からが、国軍の利用している領域になります」
ちょうど示された扉から、紺色の制服を着た人が出てくるところだった。遠目で顔はよく見えない。
「あ、じゃあこの辺りで。
案内ありがとうございました」
「いえ、ご一緒します。
恐らく、貴女では扉を開けられないと思いますので」
「よろしくお願いします」
大人しくお願いすれば、微笑ましいものを見る視線を向けられた。
「あちらの扉を潜る前に、これをお渡ししましょう。
いずれ、機会があればご利用ください」
「え」
胸ポケットから出されたそれを、反射的に受け取る。それは硬質なカードだった。裏表をひっくり返してみたが、何も書かれていない。白い陶器のような表面をなでてみると、かすかに凹凸があった。
入館証のようなものだろうか、と使い方について質問をしようとした時。
視界の隅で文字が踊る。
【プチイベント[聞き耳のジョージの謎掛け]をクリアしました】
【セバスチャン改め[聞き耳のジョージ]より、アイテム[ 情報 との引き換え券]を取得しました】
うわあ、なんか怪しいアナウンス流れた。
「これは……」
「私の、感謝の気持ちでございます」
「あの、受け取れません」
厄介ごとの気配というか、裏社会の気配というか、そういうのを感じるので。
そんなアレイスタの心の声は相手に正しく伝わらず(まあ伝わっても困るのだが)、遠慮と取られたらしい。彼は柔和な表情のまま、一歩下がって綺麗な礼をして見せた。
「我が主家の恩筋は私の恩筋です」
「そんな」
「それに、貴女様は殿下方やあのゴメス大尉に好かれ信頼されていらっしゃる。
私のことを貴女に明かされたというのも、証の一つでしょう」
それは誤解です、ジョージさん。偶然なんです。
ここで一息ついた後、彼は困っているアレイスタに向け、茶目っ気たっぷりに片目をつぶって見せた。
「若い女性に断られると、傷つくのですが。
爺のわがままを聞いて、連絡をくださいや」
にこにこと言われれば断りにくく、アレイスタは引きつった笑いを浮かべた。
ありがたい、ありがたいのだが。なぜだろう、微妙に嫌な予感がするのは。
さて、扉を潜って通り名ジョージさん表向きセバスチャンさんと別れ、隊服を着ていない子供のような騎士? ――多分、従者か見習いだろうとアレイスタは辺りをつけた――に先導される。
着いた部屋は思ったより広い。家具があまりないせいかもしれない。飾り気がない室内は大きめのテーブルセットが置かれていたが、それでもかなり余裕があった。甥っ子と住んでいた家の居間より広いかもしれない。博士の研究室と同じくらいか。
狭い部屋でデスクライトに照らされながら事務机でカツ丼を食べるつもりでいたアレイスタは、少し安心した。彼女の発想は貧困である。
室内には先客がいた。サー・エセルバートに副隊長のBBことサー・バーナード、それに女性隊士が1名。彼らは皆、なんとも形容しがたい表情を浮かべながら、壁にかけられた大きな鏡を見ていた。そこには、別の部屋の様子が映っている。
会釈をして部屋に入る。アレイスタに気づいた義従兄殿に椅子を勧められた。BBから席が遠くてよかったとひそかに安堵しつつ――昨夜半獣態の彼を見て気づいたのだが、彼は恐らく熊の獣人だ。そして言うまでもなく、熊は鮭が大好きである――、示されるまま腰掛けて鏡に向かう。
別室では、ジョン・ドゥの取調べが行われているようだった。彼と対峙しているのは金茶の髪のロード・ノースベロー――ダヴィー――で、更に後ろに1人隊士が控えている。彼らには何の動きもないところを見ると、こちらの様子は向こうから見えないらしい。
「もう一度聞きます、お名前は」
「名無しの権兵衛」
「……どこから来たのですか」
「ムーロン、ヴァルブダ、キーナフ、シンヴァリ、シンヤ、ヨウス、シェンエ、クゥロ、エヅ、キョウ、ウィルメ、ヨーデラント、コスロ、キリク、」
「……ストップ、もう結構です。
では、何をしに来たのですか」
「女主人を守りに」
「なるほど、では誰に言われて」
「個人情報保護規定により開示できない」
「エルゲントス王国法典にはそのような記載はありません。
また、国軍司法隊に対して、貴方は自身の権利を侵害しない範囲で、協力の義務があります」
「我は女主人にのみ従う」
常に表情を変えないジョン・ドゥに対し、ロード・ノースベローの顔は段々引きつっていく。ちなみに、ジョン・ドゥが挙げたところをすべて回ると、大陸を横断する勢いだ。
「……で、本名は」
「ジョン・ドゥ」
「本当はどこから来たのですか」
「ムーロン、ヴァルブダ、キーナフ、シンヴァリ、シンヤ、ヨウス、シェンエ、クゥロ、エヅ、キョウ、ウィルメ、ヨーデラント、」
「真面目に応えてください!」
そして冒頭に戻る。
アレイスタは再度面々の顔を見た。そして先ほどの形容しがたい表情の正体を知る。それは、苛立ちと呆れと笑いが入り混じっていた。割合は人によって様々である。
「わはははははははははははは!」
「副長!
何を笑ってるんですか!
あのふざけた態度は許しがたいです!」
可笑しくて仕方ないというように、BBが噴出した。それが気に障ったのか、記録をとっていた女性隊士が語気荒く突っかかっている。まあ、このやり取りを延々筆記させられれば、それは機嫌が悪くもなるだろうな、とアレイスタは思った。
「世界一周でもしてきたのでしょうか」
「そうかもしれませんね」
と、ここでサー・エセルバートがわずかに間を空けた。嫌な予感がする。
「……ターシャには、彼から正しく情報を引き出して欲しいのですが」
うわあ、面倒くさい。
また厄介そうな役割だ、とアレイスタはため息をついた。