021 北に
頭の片隅で、回るルーレットが見える。
からからと回ったそれは、0から3までの数字のうち、3に銀の玉が入って、動きを止めた。
視界の隅で文字が踊る。
【消費MPは3で決定しました】
なんだか不吉な予感がする、と考えかけたアレイスタの思考を遮る様に、鏡の高笑いが響いた。
『ははははははは!
美しい私と話せて嬉しいかい?
わが愛し子よ!
さあ、私が、私の美というものについて教えてあげよう!』
……いえ、この場から逃げたいのですが。
だが、体は固定されており、目の前で今にも開始されそうな鏡オンステージを見つめ続けるしかない。
神が3柱関わってるとアナウンスされていたが、高笑いをしているコレは、たぶん、というか絶対に、自己愛の神だろう。
「レイ。
早くなんとかしなさいよ」
「なんか、気の毒だが。
見なかったことにはできないと思うぞ」
視界の隅で文字が踊る。
【検討事項のスルーに失敗しました】
ちくしょう、めんどくさいなあ!
ため息をかみ殺し、仕方なく銀の顔に意識を向ける。愛想笑いを貼り付けた。威厳もなにもないが、神様だというのだ、下手なことして神罰とかごめんこうむりたい。ひょっとしたら筒抜けかもしれないが。
「……ようこそおいでくださいました、美しい、神様?
お忙しいところありがとうございます。
ところで、その。
すみません、このスキルはどういうものでしょう…?」
『うん?
ああ、まだ確認できないのか。
仕方ないね、美しい私が教えてあげるよ!』
えへん、と咳払いをする鏡。
喉とかなさそうなのに咳払いするのか、とアレイスタは思った。
『鏡よ鏡、は、神々から助言を受けられるスキルさ。
取得条件は、加護を3つ以上持っていること。
起動条件は、加護を与えた神が、助言を与えることに同意することだよ!』
「ええと、それは……」
『うん、君が考えた通りさ。
ヘルプ機能だね!
君があんまりにも運が悪くて弱っちいから、みんな同情したわけさ!』
あ、助言だからね、予言みたいなのはナシだよ!と付けたしつつ、実にあっけらかんと言われた。
身も蓋も無い。
そのとおりだろうが、強くなりたくて努力したアレイスタとしては、このやろうと思う。まじめにゲームをやってなかった透子が悪いのだが。このやろう。
「……ありがとうございます」
「それで、ここから逃げだすにはどうすればいいの??」
アレイスタと鏡のやり取りに、マティルダが言葉を挟んだ。いい加減、しびれを切らしたらしい。
「殿下、人の会話の最中に言葉を挟むのは下品です」
「うるさいわね!
で?」
『……』
「……ちょっと?」
「……?
どうかなさいましたか?」
無言。
聞こえなかったのだろうか、と思ったのだが。
『私たちが加護を与えているのは、君だからねえ』
アレイスタ以外と話す気はないらしい。
「……感じ悪ーい」
「殿下、聞こえますよ」
「その!
ここの格子についてお聞きしてもいいですか?」
後ろの2人のやり取りに、慌てて声を大きくしてごまかす。ヘソを曲げられたりしたらどうするのだ。
『それは、私の専門じゃないねえ』
ええと?
首をかしげたアレイスタに、鏡がちっちっちっと舌を鳴らした。指があったら指を振ったに違いない。
『3柱でそれぞれ専門が違うんだよ。
私の美については、この私が!』
じゃーん、と効果音を口で言いながら説明してくれた。
…ということは、トイレについてはトイレの神様が、貧乏籤については貧乏籤の神様が、助言をくれるのだろうか。
果たして、役に立つ内容はあるだろうか、と内心首を傾げながら
「その、じゃあトイレの神様や、貧乏籤の神様とも話せます?」
『うん、話せるよ。
あ、でも貧乏籤は無理かな』
うーん、と鏡が困った声を出した。
『貧乏籤のは、私と違って信仰が薄いから気配がものすごく薄いんだよねー。
たぶん、話したり見たりはできないんじゃないかなあ』
考えながらか、鏡が首を傾げた。銀のデスマスクがそんな仕草をしても、全然可愛くない。
まあ、貧乏籤だし、と言うか。
「……自己愛の神様は信仰が厚いんですね?」
『ん?
何か言いたげだねえ』
「いえそんな」
顔を引きつらせつつ否定したアレイスタを見て、鏡は面白そうな顔をした。私は心が広いからまあいいけどね!、と言葉を続ける。
『私は長く在る神だし、偉いんだよ?
自己と他者が確立された段階で生まれたから、最古参と言っても過言ではない!
それに、自分のことが心底嫌いって、そうそういないから強いしね!
そして美しい!!』
「へー……すごいですね」
「レイ、声が死んでるわ」
「殿下、言わないほうがいいこともあるのですよ」
おっと、心底どうでもいいと思っていたのがそのままダレてたらしい。
『それにね、』
と、鏡が少しまじめな顔をした。
『貧乏籤のは、君にあわせる顔がないってさ。
ごめんねごめんねごめんね、って』
「それは……」
『ほらさ。
こっちに来る時に、結果、一回さあ、ねえ?』
……まあ死んでしまったけれども。でも。
アレイスタは、少し考えて口を開いた。
「…貧乏籤の神様に、伝えていただけませんか」
『……いいよ。
なんだい?』
見えないけれど、そこにいるはずの相手に、まっすぐに伝える。
「私は、あなたに、感謝しています」
銀の顔が、軽く目を見張った。
「こちらに引き込まれたのは、確かに人によっては貧乏籤だと感じるかもしれません。
ですが、あの時の私にとっては、救いでした」
目を閉じれば、思い出せる。
眼前に迫っていた、大きなトラックの影。その前に立っていた甥っ子の姿を。
手をすり抜けていった小さな手。
「あの子は、あのままだと助からなかったでしょう。
今は一緒にいませんし、……どこにいるかもわかりませんが、それでも生きていると信じることができます」
あのつむじ風に飛び込んで、体を全部使って、確かにここにつなぎとめた。確認はできなかったが、きっとあの子はどこかで元気に生きていると、そう信じてがんばることはできる。
それだけで、アレイスタはがんばれる。いつか会える日を目指してがんばれる。
「……わずかでも可能性があるのは、幸福です」
だから、ありがとうございます。そう笑顔で伝えた。
と。
ぽんと、温かな何かが頭に触れるのを感じた。
驚いて顔を上げれば、きらきらと、上から何か美しい光のようなものが、アレイスタに降り注いだ。
視界の隅で文字が踊る。
【貧乏籤の神の涙を得ました】
-- ありがとう
見上げた、きらきらという光の向こう。
草臥れて窶れ、顔には隈が目立つ痩せて貧相で幸薄そうで、本当に貧乏籤ばかり引いていそうな中年男が、ぼんやりとだが確かに見えた。半泣きでくしゃりと顔を崩し、ひどく嬉しそうに笑って消える。そのとき、アレイスタの耳に、かすかに声が届いた。
-- 北に……
今、
確かに
聞こえた。
『……君さあ、ちょっとサービスしすぎじゃないかい?
……うん?
……んー、まあ、確かに籤の結果だけども』
「……レイ?
大丈夫?
何か見えたの?」
「殿下、少し待ったほうがいいのでは」
憮然と、聞こえない声と会話する鏡。それに、こちらを心配するマティルダとエスターの声に、ようやく我に返った。
聞こえた内容を咀嚼する。
北に、というのは。
籤とは。
さっきまで話していた貧乏籤の結果ということは。
ぽろりと、意識せずに涙が落ちた。
「……!
あ、ああああああ!」
ぼろぼろぼろぼろと、涙が続いて零れ落ちる。
「だ、大丈夫!?
レイ!?」
「おい、どうした!?
殿下、前に出ては駄目です!」
後ろで2人が声をあげたが、もう聞こえなかった。
「ありがとうございます!!」
アレイスタは諦めない。諦め悪く、何が何でも甥っ子を見つけるつもりだ。そしてそのためにがんばれる。
ただ、迷わずにいられるかと言えば、そうでもない。考えても意味はない、無駄だと捨て置いたはずの不安は、ふとした瞬間に忍び寄ってきた。
例えば、荷物を詰めながら。馬車に揺られながら。寝る前に。アレイスタは時間があれば甥っ子のことを考える。自然と今どうしているのかと思う。つらい思いをしていないかと気を揉む。今どこにいるのかと考える。あの時のことを思い出す。
この世界にいるのか。探せるところにいてくれてるか。あの時に傷ひとつついていないといいが。怪我でも軽ければいいが。怪我しなかったか。怪我で済んだか。そして。
後は、考えるのも怖い。
その先にあるのは、あの事故の時。手をすり抜けていく甥っ子を見た時に感じた空白だ。
北に。
その一言がアレイスタにとって、どれほど重いか。
「ありがとうございます!!
ありがとうございます!!!」
ぼろぼろと泣きながら、礼を言う。体が動かないことも忘れて、必死に頭を下げた。
この後、どれだけ貧乏籤を引くことになっても、自分は絶対にかの神を恨めしく感じたりしないだろうと、アレイスタは思った。
だって、あの子は北にいる。