017 2人と2人
お部屋の中は嵐でした。
連行された先は、位置的には先ほどの部屋の真上くらいか。まだ廊下だけどがんがん聞こえる。開けて入るのを躊躇する怒涛のような女の子の怒鳴り声。見張りらしい男は、耳が痛いようで抑えている。
先導役の男に頷き、そっとわずかに扉を開ける。とたんに更に響く声。
「おだまり!
まだ言うの!」
「なんと仰られましても!
私は聞き入れられません!」
両方とも女性の声の、まあド修羅場である。
キーン、と耳に響く怒声に思わず首をすくめて耳を押さえ、横の見張り係、後ろの先導役と顔を見合わせる。
「……なんて言うか。
あんたも、本当にツキがないよな……」
「私もそう思います……」
同情のこもった視線を送られた。なんだろうこの妙な連帯感。
気づいて黙って欲しいという切実な思いを込めて殊更大きい音を立てて扉を開けば、2人とも口をつぐんでぱっと顔をこちらに向けた。
1人は、成人女性だった。こちらが言い返した方だろう。紺色の制服から、すぐに隊士だとわかった。亜麻色の前髪をまっすぐに切っているのが少し風変わりだが、まあざんばらに毛が生えた程度のアレイスタが指摘できるようなことでもない。後ろは邪魔にならないようにか結い上げられている。それにこげ茶の目。
全体的に少し薄汚れており、整った口元も切った痕があった。髪も解れが目立つ。服の染みは、血だろうか。
そしてもう1人。主に騒いでいた方は。
王子によく似て、ふわふわきらきらとした容姿、それに葉のような耳の少女。質が良いが古臭い型のドレスとジャケットを着ている。背丈は、小学校高学年から中学校ほどか。そして、その胸元を見れば、どうやら発育もよろしいようだった。
……てっきり幼女かと思っていたのだが。
自分の胸元を見て、複雑な気分を味わう。種族の違いだろうか、それとも栄養状態の違いだろうか。
女騎士が、幼女じゃなかった姫君を庇うように前に立ち、誰何の声をあげた。
「……そなたは?」
「はあ。
誘拐されてきました」
言ってから、なんて間抜けな台詞だろう、とアレイスタは思った。見ろ、胡散臭い目で見られている。
「その……運が悪くて」
フォローのつもりだったが、イマイチなことは自覚している。言ってから、義従兄の名を出せばよかったかと思い至った。
「……名前は」
「アレイスタ・ゴメスです。
ロザリア・ゴメス博士の養子で、エセルバート・ゴメス卿の従妹にあたります」
が、くれぐれも血のつながりがないことを言っておく。どうもあの血筋は反則らしいので、下手に期待されては困る。
「……ゴメス大尉の?」
「はい、義理ですが、従妹です。
姫君と騎士様の探索に協力していました」
義理を更に強調した。ついでに言えば一昨日会ったばかりなのだが、これは口をつぐんでおく。くれぐれも期待しないで欲しい。というか、自分も助けて欲しい。
捕まってしまいました、と苦笑すれば、緊張を解いたらしい姫君が前に出てきた。慌てて女騎士が彼女を止める。
「姫様!」
「私たちをだますメリットがあって?」
「ですが」
肩を竦めた姫君に、女騎士が言葉に詰まる。振り返った彼女はアレイスタを上から下までチェックするように眺め、にっこりと笑った。
「ちょっと頼りないけど、仕方ないわね。
協力して無事に帰りましょう」
ね、と首をかしげた姫君に笑い返そうとしたところで、女騎士が声を上げた。
その硬い表情を見て、ああ、イヤな予感がするなとアレイスタは思った。彼女の嫌な予感は当たる。
「……私は、何があっても殿下を優先します」
そう言って、女騎士は更に言葉を続けようとした。
とたんに姫が顔をこわばらせ、鋭い声で後の言葉をかき消す。
「止めなさい!」
あー、できたら聞きたくない。なんか嫌な感じの経緯があった気配とか、不幸な役目を振られそうな気予感とか、そんなものがヒシヒシとする。
あの王子だけなんで1人で街中にいたのかとか、このお姉さんは姫様を優先するんだねとか、とかく推察できるようなヒントは勘弁してほしかった。
「あなたは、また私の命令を聞かないつもり!?」
……のだが、アレイスタの願いなど聞き届けられたことはないのだ。
姫様の命令を隊士が無視するということ、その隊士は姫様の安全を優先していること、王子は1人で街中にいたこと。
王子は姫様より年下なこと、エルゲントスは今女王を戴いていること。
多分、王位継承権は。
あの少年。
自分に頭を下げるアルヴィン王子を見て、アレイスタは別人のようだと思った。
彼は、アレイスタに抱きついて小1時間泣いた。怖かったのだろうなと思った。幼い少年としては当然だ。ただ、その後、彼は非常に落ち着いて状況を隊士に説明していたように見えた。自分の感情をコントロールして、それこそ別人かと思うほど。
それが、奇妙に感じた。
態度にブレがありすぎる。途中で子供が大人になったような違和感があった。
王族というのは大層な重荷を子供に課すものだ、とは思ったのだ。
…嫌な予感がしたから、それ以上は考えなかったのだけれども。棚上げは得意だ。
「……私は、誓いの元、自分の職務を真っ当するだけです。
どんな時でも」
ただ、どうもこの場は、それでは許してくれないようだった。
「それが私を傷つけても、あなたはそうするの!?」
姫君の、悲鳴のような声が響いた。
女騎士は、姫君の言葉に答える気はないようだった。彼女は、アレイスタをひたと見つめて、言った。
「……あなたにも、協力していただきたい」
「私は!
誰かの犠牲などイヤよ!」
つまりは、そういうことなのだった。王子は囮に使われたのだ。
自分よりも王位に近い、年上の従姉を、守るために。
あの少年が同じことを問われたか自ら悟ったか知らないが、覚悟して受け入れたに違いない。
おそらく助からない、そういった覚悟をしたのだろう。だから、助かって気が抜けて大泣きした。でも彼の予想に反して従姉はまだ保護されておらず、泣いている場合でないと理解し、責任を感じた彼はそこで意識を切り替えた。事件に居合わせ死にかけた子供ではなく、次々期女王を守れなかった王子として。
出来ることを落ち着いてこなし、必死に頭を下げた。
全くもって大したものだ。だが。
アレイスタは、姫君を見た。
彼女は、涙の膜が張った目を険しく吊り上げ、女騎士を睨みつけている。
彼女の様子を見るかぎり、彼を囮にしたことは、受け入れがたいことだったに違いない。
それに。
ちらりと見れば、女騎士は身じろぎもせずにアレイスタを見据えていた。その顔は相変わらず強張り、手には爪が食い込んでいる。
おそらくは、対する彼女も。
王家に忠誠を誓う者が、彼にーー王族であり、更にまだ年端もいかぬ子供である、二重の意味で庇護すべき対象にーーそれを頼む、それがどれほどのことか。自分の力量不足に、忸怩たる思いに違いない。
少なくとも、透子であるアレイスタは、例えば甥っ子の下に姪っ子がいて、例えばどちらか……など。無理だ。想像するだけで吐きそうになる。現状にだって吐き気がするのに。
「……いい?
彼女の言うことを聞いては駄目よ」
彼女らと王子は、きっと自分や甥っ子の関係によく似ている。
あの可愛い小さい子を守りたくて庇いたくて大事に大事にしたくて、でも逆に庇われてしまって、更に今は別々で安否も行方もわからない。
「協力を要請します」
「お黙り!」
アレイスタは、いや透子は、思い出した後すぐに甥っ子を探しに行くための手筈を整えた。そして、それが出来ることに感謝した。
本来であれば、彼女は終わっているのだ。甥っ子にトラックから庇われたとわかった時の脱力感は、あの砂を噛むような感覚は、きっと絶望に似ている。
透子は、つむじ風を起こした相手に、それこそスライディング土下座で感謝してもしきれないほど感謝している。もっとも、甥っ子に怪我でもさせていたらぶん殴ってやるつもりなのだが。
と考えて、ああ、手の甲を切っていたなと思い出す。よし殴ろう。
いずれにせよ、早く見つけて、あの子を安心させなければならない。
甥っ子は前を向いてくれていると思うが、その心に傷をつけたかもしれないことは許せない。あの子が自分と同じような絶望を味わったならばそれは漱ぐべきだ。
少なくとも、あの子が苦しんだと思えるくらいには、互いが大事だった自信がある。
子供はそんな傷を負わなくていいと、彼女は思う。
「……私が」
なので、安心させるようにふわりと笑った。
「どうしてここにいるのか、申し上げるのを失念していました」
笑って見せれば、先ほどまでの勢いはどこへやら。呆けたようにこちらを見ている姫君と女騎士に、ゆっくりと言い聞かせるように続ける。
「私は、従兄殿と王都を歩いていたときに、1人の少年を保護しました」
「……?
ああ、本当に!?」
一瞬不思議そうに首を傾げたあと、姫君はぱっと顔を輝かせた。それはまさしく、太陽のような笑顔だった。
女騎士も息を飲んで成り行きを見守っている。それに、大きく頷いた。
「はい、王子は元気です。
……あなた方を心配していました」
「……ああ!」
アレイスタの言葉に、姫君はその綺麗な顔を歪ませた。
「ああ、よかった!
よかった…!!
妖精王よ、……感謝、します!」
くしゃりと顔を崩して泣き笑いのような表情を浮かべた姫君から、女騎士に視線を移す。
彼女は、気が抜けたのか、ほっと息をついていた。それでも思うところがあるらしく僅かに微妙な顔をしたのを、アレイスタは見逃さなかった。
その心情を予想しながら、さらに言葉を続ける。
おそらくその心に滲むのは、喜びに混ざる罪悪感と、また彼に憎まれていたらどうしようという不安。
「ルディ姉さまと、エスをよろしくお願いします、と」
でも、そんな後ろめたさは、あの少年の望むところではないはずだ。
あの、甥っ子を思い起こさせる王子に、優しくしてあげようと決めた。彼の今後に、全てが優しくあってほしい。だから、その望む様に憂いを祓う。
「……!」
アレイスタの言葉に、彼女は息を呑んだ。
しばらくして、ゆっくりと顔を手で覆い、俯いた。
「……ああ、ああ……殿下……!!
殿下……!!」
その、肩が震え、嗚咽が漏れる。
自分の騎の様を見て、姫君は未だ涙を流しつつ、酷く穏やかな笑みを浮かべた。アレイスタと顔を見合わせた彼女は、くすりと笑って女騎士を抱きしめた。
2人を眺めながら、早く甥っ子を捜さないとと思う。
あの子と飛んだ先がここでなかったらとは考えない。少なくとも、トラックで即死よりずっとマシな結果になったはずだ。
砂粒ほどでも希望があれば、透子であるアレイスタはそれに向かって頑張れる。彼女はハッピーエンド以外認めない。