016 誘拐犯の潜伏先にて
前略、ひーちゃん
おばさんは、街中で強制クエストに巻き込まれてちょっとピンチです。装備的には手ぶらに近いですが、まあ何とかします。
ここは、なんていうか、すごい居心地が悪いです。早くひーちゃんに会いたい。おばさんもがんばるので、ひーちゃんもがんばってね。あ、でも無理はしちゃ駄目だよ。
透子より
追伸:写真が手元になくて寂しいので、また撮らせてください。
「何考えてるのー?」
「ひいぃいえ!?」
逃避行動をとっていたアレイスタは、耳に息を吹き込むように声をかけられ、全身に鳥肌が立った。
声の主は誘拐犯の男だ。明かりの下で見た彼は、色黒で大柄だった。頭髪は黒で、細かいみつあみがたくさん編まれている。ジャガー人の特徴なのか、琥珀の光る目と発達した顎を持っていたが、野性的を通り越して獣じみていた。
現在の男は、上機嫌でアレイスタの髪を撫で、匂いを嗅いでいる。鼻歌でも歌いそうな気配だ。
「何も……」
考えていません。
アレイスタはとっさにそうごまかそうとしたが、覗きこむ男の目は茶化していても笑っていない。遭遇したときから今までの行動のせいで、穏やかに話しかけられても、一皮向けば獰猛な気配が透けて見える気がする。従兄殿のようにもう少しうまく気配を隠してほしい。
渇いた笑いを貼付け、とりあえず嘘ではないことを口にする。
「……ええと、その。
恥ずかしいので、降ろしていただきたいなあと……」
「えー?」
それまでニコニコとしていた男が顔を上げる。がらりと真顔になった彼は、周りをぐるりと見渡した。
「お前ら」
殺意さえ滲ませた気配に、周りが凍りつく。アレイスタを含め。
そう、室内には他にも複数人がいたのだ。
「じろじろ見てんな。
恥ずかしいってんだろォ?」
慌てて逸らされる視線。なんていうかごめんなさい。そして誰か助けてくれ。
「ああん、何やってんだァ?
邪魔だからさあ、出てけって言ってんだよ」
「し、しかし……」
たじろいだ男たちがこちらに顔を向ける。すがる視線に負けてアレイスタは顔を下げる。
お願い、こっち見ないでください……!
数人がそそくさと室外に逃げていく。アレイスタは、うらやむ気持ちでそれを見送った。
冷や汗をだらだらとかきながら、引きつりそうな顔に必死で愛想笑いを貼り付ける。逃げ出したい心と体を、意思の力で押さえつけた。なんという忍耐、と自分に拍手を送る。
視界の隅で文字が踊る。
【忍耐の神の拍手を得ました】
【スキル[猫かぶり]がLV3に成長しました】
ちくしょう、こんなスキルでどうやってこの場を打開しろというのだ……!
臍を噛みながら、アレイスタはここに来た経緯を思い出していた。
水路脇で遭遇したジャガー男は、アレイスタを捕獲した。それも、彼女が取り出しかけていた信号弾をその場に叩きつけ、抱えて屋根の上を逃走するという、大胆不敵な方法で。
彼の選んだ逃走経路のせいで、アレイスタは凄まじい速度の上下平行運動を強制的に味わわされた。間違いなくこの人生で一番スリリングな経験である。信号弾に気づいた隊士の姿が後ろに流れていく風景に混じっていたが、滲んで見えたのはここだけの話。
死ぬ思いで連れてこられた先は、屋敷と言っていい大きさの一軒家。玄関ホールを抜けた先、居間か談話室かといったところに、彼女を抱えたまま男は入った。
室内には数人の先客がいた。皆、肌は浅黒い。半数は黄色とオレンジ、黒のまだらの頭髪で――多分それは梅花紋で、皆男と同じジャガー人だろう――、もう半分は灰白色だった。灰白色の彼らの種族は、アレイスタの知識ではわからない。
先客たちのリアクションは、驚愕し怖がりつつといったところ。不機嫌そうに周りにいる先客たちを外に追い出し始めた黒ジャガー男は、どうやら他の者に怖がられているようで、遠巻きにされている。
……遠巻きにされているのは、怖いだけでなく、気持ち悪いのもあるかもしれない。
そう考え、アレイスタはげんなりとした。
彼女の現在地は、誘拐犯の黒ジャガー男の膝の上。厳つく恐ろしいチンピラ臭い色黒みつあみ男が小娘を膝に乗せているのは、少女愛好家じみてさぞ気持ち悪かろう。
アレイスタとて不本意だ。が、安全なだけ屋根上よりいくらかマシだと自分をごまかすしかない。怖いし。
「名前は?
聞いていい??」
拒否する度胸はアレイスタにはない。
「はあ……。
ええと、アレイスタ・ゴメスです」
「へえ?」
男が興味深そうに片眉を上げた。アレイスタは男性名である。こちら側では当初未分化だった、あちら側では男性名だと知らなかった。まあそれだけのことだ。
「なんて呼べばいいかな?
アルは嫌なんだけど」
「はあ……その。
別に」
ミズをつけて、ゴメスさんかアレイスタさんでいいのだが。
「長い名前だもんね。
家族からそうは呼ばれてないでしょ?」
どうやら、それは男の選択肢にないようだった。
「ええと、ターシャと」
「ターシャね。
いくつ?」
「孵化して6年になります」
「ふうん、大侵食の頃?
若いね」
アレイスタの孵化した6年前は、第7次大侵食が発生した年である。博士には、大侵食発生の混乱により、両親とはぐれた卵が海流に乗ったのだろうと言われた。
侵食とは、小型のモンスターが大量に発生する現象だ。それは食料を求めて、多種族の生活圏を『侵食』し、甚大な被害をもたらす。モンスターの種類はその時々で様々な種が観察されているが、発生するのは一種類のみだ。
発生する種族が入り乱れるのは、大侵食である。こちらは、小型のみならず、大型の熊のようなモンスターまでが波のように押し寄せる。発生回数は多くないが、襲われる者も少なくない。
いずれも、食物連鎖のバランスが崩れたとか、魔素――魔法の構成要素――が滞るせいだとか、果ては宗教じみた説まで、いくつもの説が提唱されているが、未だに解明されていない。
そのため、この原因不明の天災に対し、国は協力して対策をとっていた。有史以前に決められたこの不文律により、いずれの国で侵食が発生しても、すべての国が出兵する。また、生活圏に結界を張ることが義務付けられていた。
ちなみに、ゲームでは大規模な強制発生クエストとして有名だった。侵食もだが戦争にしても、結界内の一般人に被害が出ることはまずない。これも、有史以来の不文律だった。皆、戦時国際法のようなものがはじめから身についているのだ。それを破った者は、神罰が下るという。
まあおそらく、とアレイスタは考えた。
ゲームのルールとして決められていて、プレイヤーがそれを破れないということなのだろう。破れば運営に罰せられるという感じの。ずいぶんなご都合主義だが、それは悪くないとアレイスタは思う。悲惨なのは嫌いだ。
「俺の名前は、」
「ダミアン!」
男の言葉を区切る形で、ばあん、と扉が勢いよく開いた。入ってきたのは3人の男。扉を開けた先頭の男以外は見た顔ばかりなので、どうやらジャガー男――ダミアンと呼ばれていたが――に睨まれ、逃げ出した男たちが助っ人を呼んできたようだ。
先頭の男はジャガー人ではない。浅黒い肌だが、頭髪は白と言っていい色だ。そして険しく細められた色の薄い目と、眼鏡。
それを見て取り、アレイスタはおやと思った。眼鏡はかなり珍しいが、今日はこれで2人目だ。ちなみに1人目は、……名前が思い出せないが、道で出くわしたサー・エセルバートの同僚の、迷惑でない方である。
彼は、アレイスタを抱えた男を見て、酷く顔をしかめた。
ダミアンと呼ばれた当人も、会話を切られ不機嫌な気配を漂わせている。怖いので勘弁してほしい。
「……その少年は?」
「ああ?
……お前なあ……」
……ああ。私のことですか。
少年を膝にのせてるように見えてたんですか……。
確かに少年を浚って抱いていると思われたら、怖がられても仕方ない。
が。
視線を落として自分の胸元を見る。
……そんなにないだろうか。
「よく見ろ。
俺が男を抱いてるはずねェだろ」
「……ああ」
ダミアンの言葉に理解したらしい白髪眼鏡は、うなだれたアレイスタを見てうろたえたようだった。助けを求めるためか周りを見渡したが、周りはさっと視線を逸らしている。
「……その。
大丈夫だ、単に、そう見えるだけだから……」
慰めてもないし謝ってもない。
「……いえ……」
「ごめんねー、ターシャちゃん。
こいつ朴念仁だからさー」
そう言ったダミアンの胸元に引き寄せられる。身をかがめた彼に頬擦りをされた。そう、忘れそうになっていたが、彼女はまだ男の膝の上である。
ひいいいい、と内心悲鳴を上げてアレイスタは固まった。
「こんなに可愛いのになー。
なあ?」
「お前……」
白髪男は、はっきりと苦虫を噛み潰したような顔をした。ただ、その苛立ちをアレイスタに向ける気はないらしく、まっすぐダミアンに顔を向けている。
「何を考えている」
「あぁ?」
ぶわりと、笑顔のままダミアンの気配が変わった。先ほど、川べりでアレイスタを見つけたときと同じような空気を感じ、とたんに冷や汗が噴出す。
巻き込まれたくない。ここから逃げる方法はないものか。
「お前に、俺の考えなんかわかるわけないだろう?
なあ?」
怖ええええええ!
アレイスタは内心悲鳴を上げたが、対する白髪眼鏡はわずかにたじろいだだけで特に怯んだ様子もなかった。慣れているのかもしれない。
「……ああ。
確かに俺にはわからないだろう。
が、今は急ぐ時だ。
おまけに……」
ちらりと彼は視線を落とした。その対応に、デミアンは毒気を抜かれたようで、まとっていた物騒な気配が霧散する。アレイスタは深く息をついた。怖くて息を止めていたのだ。
「あん?
なにかあったのか」
「少し動きが早い。
相談したいとのことだ」
「……あの爺、俺を呼びつけたのか?
クソ……」
不愉快そうに鼻を鳴らしたダミアンは、だが意外なことに大人しく彼について行くようだ。アレイスタを立たせ、立ち上がったダミアンを見て、白髪男は頷いた。
「ごめんね、ターシャちゃん。
ちょっと待っててね」
他のジャガー人に狙われないだろうか、とちらりと考えたが、ダミアンはとにかくいると怖い。プレッシャーに負けて息が詰まりそうな空気よりは、話し合いの余地があるかもしれない分、他の人間のほうがずっといいだろう、と結論を出す。
申し訳なさそうなダミアンを、にっこりと心からの笑顔で見送る。いってらっしゃいませ!
白髪眼鏡が、部屋の男たちの1人――灰色の頭髪の中から選んだようだ――にちらりと視線を走らせ、指示を出した。
「彼女を、あの部屋に連れて行っておいてくれ」
「俺がですか!?」
悲鳴じみた声に、みつあみ頭と白髪頭がそちらを向いた。怪訝そうな2人の様子に、悲鳴を上げた男は居心地悪そうに視線を逸らした。
「その、身ごなしが。
隙がないように見えましたので……」
……??
その声に、2人がアレイスタを振り返る。じっと観察するような視線に、アレイスタは身じろぎをした。
と、何かに気づいたらしいダミアンが、はじかれたように笑い始めた。同時に、白髪眼鏡が実に奇妙な顔をした。自分からゆっくりと視線を逸らす白髪眼鏡に、アレイスタは感づいた。
理由はわからない。が。
この男、笑いをこらえている。
彼は、ごまかすように咳払いをした。
「……それは、彼女の加護の副次効果のせいだろう。
気にしなくていい。
その……単に、そう見える、ただそれだけだ」
見掛け倒しだと強調する白髪眼鏡の言葉で、アレイスタもようやく気づいた。
アレイスタには自己愛の神の加護がある。副次効果は[かっこいいポーズを取って、相手を挑発することができる]。そのいらん副次効果がこっそり発揮されていたらしい。勝手に。
そしてそのために、動作のひとつひとつが[かっこよく]なっており、隙がないと受け取られ、警戒されていたのだ。なんて迷惑な。
再度うなだれたアレイスタに、白髪眼鏡はまたうろたえたようだった。
「……その。
大丈夫だ、単に、それっぽく見える、それだけだから……」
やっぱり慰めてもないし謝ってもない。ダミアンは、その言葉にさらに笑った。
「ごめんねー、ターシャちゃん。
こいつらアホでさー」
……やめてください。
なんか、すごく傷つきます……。