015 エサは釣果を選べない
王都ロルーは、王城を中心に、放射上に市街地が広がっている。
王城を中心に、その周りの旧市街を守るように外壁が存在する。これが、現在内郭と呼ばれる地域になる。さらに、人口の増加に伴い外壁外に新市街が広まがり、これが外郭と呼ばれていた。
内郭(旧市街)と外郭(新市街)を区切る外壁は侵食から民を守るためのものだった。だが現状、外壁の外側にも市街地が広がったため、意味を成していない。そのため、現在は都市全体が魔道具の守りの元に置かれていた。これは整備され、今や王国の地にあっては端の村に至るまで、同種の守りが施されている。
身分証があれば守りの呪いから抜けるのになんの問題もないが、現在は主要な街道に抜ける道は検問が置かれているはずだ。空を見上げれば、日が暮れた空にうっすらと円を描く呪いが光って見えた。
アレイスタが歩いているのは、外郭の一角だった。王城の周りほど隊士がうろうろしていないが、別に治安が悪くもない。サー・エセルバートは人買いなど絶滅危惧種だと言っていた。ひっかかったアレイスタが異常らしい。
それに、何かあったら、近くにいる隊士の1人がフォローに来てくれる。そのための通信石も(どうやらGPS的な機能もあるようだ)、信号弾も渡されている。ついでに猫科の獣人に絡まれないように、柑橘類の香水を手首にかけてもらった。
拾い聞きなのではっきりわからないが、アレイスタの把握している作戦は、作戦といえるほどのものでもない。
彼らは、この辺りかなと検討をつけた箇所を、しらみつぶしに探している。おそらく、近衛隊の持つ情報が少なすぎて、容疑者を特定することはできないだろうと考えた。探すことをあきらめてはいないだろうが、容疑者を特定できない以上、潜伏が考えられる場所を探すしかない。
いずれにせよ、彼女は指定された箇所を練り歩くだけだ。おそらく、隊士達も引っかかってくれたらラッキーくらいに考えているだろう。吊り上げた魚が狙いと違っても、彼女の知ったことではない。
正直、ぶらぶら歩き回るだけで、あまりやることがない。安全を保障すると言ってもらえたが、側に誰かついているわけでもない。気楽なものだ。
ついでなので、フィッシュアンドチップスの屋台を見つけて買い食いをする。まだ夕食の時間帯だからか、こういった屋台が多く出ていた。そして、彼女は見かけの割りによく食べる。
王都は歩いてみると内郭と外郭で雰囲気が違う。
昼間に歩いた内郭のほうには富裕層が集って洒落た雰囲気が漂っており、今いる外郭のほうには平民が集まり活気が漂っている。行き交う種族も、外郭のほうが見た目バリエーション豊かだ。もとより少ない森の人や石の人、小人や竜人は置いておいて、人に比べて獣人のほうが多く見られた。半獣といった形態もよく見る。羞恥心からか、服が着れない完全な獣態は見なかったが。
屋台も多い。東方のものとして寿司、中華まんにビーフン、ラーメンの様な屋台もあった。開発スタッフに色んな人種が混ざっていたのだろう。ありがたいことだ。途中、彼女はさらにお好み焼きと焼き栗を買い食いした。再度言うが、彼女は見かけの割りによく食べる。
顔を隠して男装しているためか、トラブルも少ない。途中、何度か声をかけられそうになったものの、手首を前に出すようにすれば逃げられた。小半時ほど問題なく過ごせて、アレイスタは少し気を緩めた。
彼女は、ふと堀に目を留めた。
堀は、王城の周りを2周して、さらに外壁の周りを廻っていた。運河としての役割を与えられてもいるようで、そこからいくつか支流が延びている。彼女の目の前にあったのも、そういったものだった。
……一応聞いてみるかな。
彼女は甥っ子を探すに当たり、魚たちに手配書を回していた。口頭でだが。
――人を探してほしいんだけど
――ヒト??ヒトヒト?姫、ひい、ヒト?
――そう、人。黒髪で黒目で、かわいいの。
――かわいい!!かわーかわいー
かわー、知ってる、知ってる!!姫かわいい!!
――ありがとう、でも違う。私じゃなくて。
黒いんだよ。ひーちゃんていうの。
もっとずっとかわいいの。
――姫、ひー、ここ、ココよ!!
――ちがーう。
ひーちゃんは私じゃないの。
黒いんだってば。
……
まあ、やりとりに時間はかかったが――淵に来れるのは小柄なものだけで、そういったものは知能がそこまで高くないのだ――、彼らから聞いたものは、「ひーちゃんこと川中広貴という黒髪黒目の人間の少年」を探してくれている。はずだ。……たぶん。
何か進展があったかを認し、さらにお姫様について知らないか聞いてみてもいいかもしれない。
水路横の塀と柵をひょいと乗り越え、土手を降りる。
しゃがんで覗き込んでみると、暗いせいか魚影が見えない。
「おーい」
手袋をはずし、両手を水面に入れる。手を叩いて魚を呼べば、アレイスタの気配か匂いを悟って、魚たちが集まりだす。
ぴしゃぴしゃと水が軽く跳ねた。
――姫!ひいさま!ひいさまひいさま!
はしゃぎながら飛び跳ね、我先に話しかけ始める。皆が前に出ようとぴちぴち跳ねるさまに、アレイスタは苦笑した。彼らはいつも無邪気だ。
――ひいさまいたー!きたきた!!ひいさま!!
「久しぶり」
――ひいさま、どしたの??どしたの?ここなの??
ここいる?ずっとここ??
「ううん、ここにいるのは今だけ。
今日はちょっと聞きたいことがあって……」
と、視線を感じてアレイスタは手を止めた。
水路をはさんで目の前、柵の向こうに男性が1人立っている。
自分をじっと見てくる男を見て、アレイスタは首をかしげた。
服の上から見ても引き締まった恵まれた体格をしており――がっしりという感じではないが背が高く適度に筋肉がついている、サー・エセルバートと同じタイプだ――、若干顎が発達しているようだ。暗がりに髪色は暗く、目の色はよく見えない。髪は、肩ほどまでに太い毛束が伸びているように見えたので、編んでいるのかもしれない。年代はよく分からなかった。
ただ、息をつめたような気配が伝わってくる。
ざっと見たところ、知らない相手だ。
「……?」
はて、何かあったかと首をかしげ、アレイスタはぎくりとした。
彼女が1人で行動した場合にもっとも面倒ごとを起こすと考えられる、現在のザ・厄介スキル[猫まんま]は逐次発動型。猫化動物および猫化獣人の食欲を刺激し、誘惑することができる。アレイスタは自分でコントロールできないため、効果を阻害するために、手首に猫の嫌う柑橘類の香水をつけていたのだ。
……手首。
ちらりと自分の手を見ると、水に浸かって指先を魚にじゃれつかれている。どっぷり手首まで。
しまった……!!
うかつとしか言いようがない。
急いで通信石を懐から取り出そうとしたが間に合わない。とたん、両肩に感じる衝撃。
ぎぎぎと顔を上げたアレイスタは、自分の眼前にさきほどの男性の顔を見つけて固まった。両肩をつかまれて、じりじりと近づけられる。琥珀の目がらんらんと輝いて恐ろしい。
どうやら、驚いたことに男性は一足飛びで水路を跳び越したらしい。獣人特有の出鱈目な身体能力に、アレイスタは一気に血の気が引いた。足元で心配して騒ぐ魚たちに気づく余裕もない。
野生生物を相手にしたとき、絡まれたくない場合、どうすればいいんだろう。
アレイスタは恐ろしさのあまり、じりじりと視線をそらした。死んだふり、と考えて即座に却下する。フリをしている間に食われたらどうするのだ。
逃げたい。ただひたすら逃げたい。
が、肩をつかまれているので逃げられない。冷や汗でびっしょりの背中が冷たい。完全に腰が引けている。
と、べろりと頬を舐められた。
「ひッ!?」
ぞわわわわわわ、と全身鳥肌が立った。口から短い息が悲鳴のように漏れる。
肩をつかんでいた手を滑らせて、彼女の背をなで上げる。腰から引き寄せられた。
まったく見識のない相手にからまれる時の恐怖がアレイスタを襲った。
虎のヴィンセント・ディオン も怖かった。でも、少なくとも親戚の知人だった。が、現在の相手はまったく見も知らぬ相手である。恐怖しか沸かない。まして、自分より遥かに体格がいい相手である。頭の中は真っ白だ。全身固まってまともに口から悲鳴も出ない。
怖いと思った。
この男は危ない。1人で立ち向かうのは怖い。なにより、獲物を見るような男の目が怖かった。
言うことを聞かない体を無理に動かし、カタカタ歯が鳴っているのを無視して、はくはくと空気を吐き出すだけの口を開ける。助けを呼ぶために。
「……た、すけッ……!」
その口を、がっと片手で押さえられる。
引き寄せたアレイスタの体に覆いかぶさるようにして、アレイスタの顔を覗き込む。
アレイスタの努力を無視するように、額同士を付き合わせて、男性が、にやりと 笑った。
「……いいじゃん。
気に入ったァ」
視界の隅で文字が踊る。
【ジャガー人の誘惑に成功しました】
【偶発事故の神の興味を引きました】
呪うよ神様!!
男の口から覗く犬歯を、アレイスタは泣きそうな気分で眺めた。