011 まあ魚人ですからね
結局。
担当者は予想通りのジャン・ポール、方向性は運と魅力を何とかすること、形は1人で持ち歩いていても目をつけられないようなもの、出来れば2週間以内ほど、で見積もりを依頼した。要するに、当初予定どおりの、目立たず、巻き込まれず、のための道具となった。妥当じゃないか? というジャン・ポールのお墨つきだ。他の2人は、少し残念そうな顔をしていたが。
見積もりが出来たら、宿屋に連絡をくれるという。
……巻き込まれた後は、まあ、大人しくトイレで歌を歌おう。
ついでにステータスを非公開に設定して、ステフェン・スクルドに『お下がり下郎!1号』の使い方を習った。と言っても、あの魔道具で表示されているステータス画面上で、ペンのような魔道具を使って設定変更しただけである。ステータスの公開設定をオフに、所有魔道具欄OSGGR-01の待機設定をオンに。
『お下がり下郎!1号』の待機設定をオンにした瞬間、懐中時計の表面に目が現れ、にんまりと笑った。そのホラーな外見に、アレイスタは軽く引いた。
「適応属性に合わせて仕様が変化するように作ってあるんだ。
今日は遅いから、オンにするだけにしておくけど、次回は調整するから」
もし使ったら教えてねー、と手を振って送り出された。
ちなみに、鶏は、持ち主が引き取りにきました。リアルドナドナに心が痛まないでもなかったが、アレイスタは美味しく頂く立場なので文句は言えない。が、へたれなので視線は逸らしました。ごめんなさい。
アレイスタの心を悟ってか、悄然と去っていく姿が哀愁をそそった。気を遣ったらしいサー・エセルバートが話しかけて意識を逸らしてくれたのが、少しありがたかった。
日も暮れた中宿に帰ろうと階段を降りたところで、横から声をかけられた。
「おい、エル!
エセルバート!」
そちらを見れば、2頭の馬からそれぞれ人が降りてくるところだった。紺色の制服を着ている。どうやら、兵士のようだ。声をかけられたサー・エセルバートは、動きを止め、苦いものを噛み潰したような顔をしている。初めて見た顔だ。ゆっくりと振り向く動作を見て、ああ、彼は関わりたくなかったのだなとわかった。
その気分がわかってか、1人はしてやったりという顔をしているが、もう1人は軽く肩をすくめている。
「……どうした。
見廻りの時間はもっと早いだろう」
「どっかの通りすがりが、人買いの下っ端を捕まえてくれたからな。
取調べが長引いたのさ」
おかげでこの時間だ、と肩をすくめながら、馬を引いて近寄ってくる。サー・エセルバートがそれに合わせて微妙に腕を引いた。彼の腕を掴んでいたアレイスタは、必然的に一緒に下がることになる。兵士が、面白そうに片眉を上げたのが見えた。
「で。
紹介してもらえねえの?」
「おい」
にやにやと笑っていた兵士が、サー・エセルバートの肩ごしにこちらを見下ろしてくる。後ろからついてきた兵士が嗜めるように声をかけたが、引く気はなさそうだ。ため息を吐いたサー・エセルバートが、わずかに体を寄せる。軽く腕を放されたので、フードを外そうとしたら、頭にぽんと手を置かれた。どうやら、外すなということらしい。仕方がないので、軽くフードを引き上げ、顔を覗かせた。相手の顔も見ずに挨拶するわけにはいかない。日本人特有の愛想笑いを添えて。
ら、相手が思ったよりも近くにいて驚いた。サー・エセルバートの肩に腕をかけてアレイスタを覗き込んでいた。息を呑む音が聞こえた気がしたので、相手も驚いたのかもしれない。
近くにいた彼が笑っていた方だろうか、骨格が太く、かなり体格に恵まれている様に見えた。サー・エセルバートと同じ位の高さだが、がっしりとして見える。真ん丸く見開かれた目は、琥珀色。短く刈り込まれた同色の髪はこめかみ辺りに黒メッシュが入っている。口から覗く牙。匂いから判断して獣人。
それを見て取り、アレイスタは嫌な予感がした。
その男性をアレイスタから離すように、サー・エセルバートが腕を入れて胸を押した。彼は、今度はそれに逆らわずに下がる。それでようやく、アレイスタはもう1人を確認することができた。藍色の髪と目、象牙色の肌をして、この世界では珍しく眼鏡をかけている。こちらは、中肉中背といったところか。他の2人に比べたら小さい。
「こいつらは同期です。
こちらは、従妹のアレイスタ嬢」
サー・エセルバートと同種の仕事をしているらしい。どうもお廻りさんみたいな感じみたいだが、似合わないなあと思う。義従兄殿の押しの強い性格は、政治家かヤクザのほうが向いているだろう。もっとも、それを顔に出したりはしないが。
紹介を受けて、アレイスタは服のすそをつまんで軽く礼をした。眼鏡の人が、はじかれた様に自己紹介をしてくれる。
「はじめまして、アレイスタ嬢。
オットー・ペインです」
彼は横でぼうっとしているもう1人を肘で突いているが、こちらはアレイスタをじっと見たまま反応しない。正直、視線で穴が開きそうだ。サー・エセルバートは完全に彼を無視している。
「アレイスタ・ゴメスです」
差し出された手を取って笑顔を向けた。透子ことアレイスタにとって、愛想笑いはデフォルトである。
と、横で体格のよい彼が声を出した。
「……いい……」
そちらに顔を向けて、思わずアレイスタは鳥肌を立てた。ちょっと、今舌なめずりしましたよこの人!? 思わずドン引きしたアレイスタに対して、男は肉食獣の動きで近づいてきた。止める間も有らばこそ、がっと抱きしめられる。彼は、アレイスタの首の辺りに顔を寄せ、すんすんとにおいを嗅いだ。
視界の隅で文字が踊る。
【虎人の誘惑に成功しました】
【猫化動物および猫科獣人の誘惑に成功しました】
【称号[猫まっしぐら]を取得しました】
【スキル[猫まんま]を取得しました】
してないしてない誘惑してない!
心の中で悲鳴をあげる中、恍惚とした声が届いた。
「超イイ……。
すっげ旨そう……!」
「っひいいいいいッ!」
怖い怖い怖い!!旨いって字がおかしい!
喉の音がごろごろと聞こえるのが余計に怖い。
舐めないで!痛い痛い!削られる!何か減る!!
と、アレイスタの悲鳴を聞いて、呆気にとられていた2人が動き始めた。
「離れろ!
このクズ!」
「っちょ、ヴィンス!
なにやってんだよ!」
鬼のようなサー・エセルバートの怒声と、眼鏡のペイン氏の悲鳴じみた声が響く。サー・エセルバートに顔面を鷲づかみにして引き離され、オットーが男を後ろから羽交い絞めにし、なんとかアレイスタは解放された。
恥も外聞もなくサー・エセルバートの背中に隠れてしがみつく。
何この人。怖い、超怖い……!
「この変質者が……」
「ヒッ!?」
「痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ!
潰れる、つぶれるって!」
「!エセル様……!?」
メキメキメキと音がするのに気づき、慌てて止めに入ったアレイスタは、サー・エセルバートの顔を見て軽く後悔した。紳士の仮面が剥げて、地獄の鬼もかくやとばかり、実に恐ろしい顔をしている。いつも笑顔で怖いと思っていたが、笑顔が剥がれたらもっと怖かった。途中悲鳴を上げたオットーは、これを見たに違いない。
正直、初対面の相手などどうでもいいから見なかったことにしたい。が、男の後ろからこちらに注がれるオットーのすがるような眼差しに、しぶしぶ動く。
「あの、エセル様、もう」
「……すみません、ターシャ。
無礼なヤツで」
我に返ったのか、にっこりと笑顔が向けられた。男の顔を鷲づかみにしたままだが。
この怖い「いつでも笑顔」は、剥がれている方がよほど怖いということを目撃した後なので、なんとも言えない気分を味わう。
「その、大丈夫ですから」
だから離してあげてください、と言えば、優しいですねと返される。そういう問題じゃないと心の中で悲鳴をあげつつ、引きつった笑みを浮かべてあいまいにごまかした。単純に、目の前のスプラッタも怖いだけだ。