その後
アルメデスが死んだその瞬間、彼の魔力で創られた化け物たちも砂となり消えた。
被害が無かった訳ではない。死者も出た。
あの出来事から4ヶ月以上経った。傷は治っても今だリハビリ中のギルヘルムと共に第一王子のミュシュライも事態の収拾に努めた。彼も城内でシェリーとともに戦い傷を受けたがその傷は癒えている。
城や城下の復興作業、死者の弔いや医療機関の補充…国内でもやることは多いが、独裁者が消えたカルト国の問題もあった。
皇帝アルメデスの暴挙と彼が既に死んだことを大陸の各国に説明した。その後カルト国の難民の各国への受け入れ態勢の打診、さらにはルディースル国とカルト国の合併を発表した。
元々痩せ飢えた冷たい土地にある小さな国である。進んで手に入れようとする国はなかった。だが間に挟まれた黒の森がルディースル国のものになるのではと危惧した何国かが異議を唱えたが、大きな支援をする事を交換条件に、今はその森にはルディースル国は手を出さないことをギルヘルムは約束した。
腐敗した権力者がカルト国には蔓延っていると考えたが、多くの者たちはあの異形の化け物にされていたらしい。それでも残っている者については復興後に汚職を探り出し権威を奪うつもりだ。
「……ふぅ……。」
山積みになった書類から顔を上げたミュシュライは窓の外に視線を向けた。
暖かな日差しはこの間あった事が嘘のようである。
復興は続けられてはいるものの城内は静かだ。いや、静かと言うより物足りない…と言った方がいいか。
「疲れたか。」
共に書類を捌いていたギルヘルムが声をかけてくる。
「いいえ、父上こそ。」
「私は大丈夫だ。」
確かに4ヶ月前より顔色は良い。だがやはりどこか元気がないように見える。
それはミュシュライが感じている、いや、城内の彼女を知る者たちが感じているであろう物足りなさもそうだが、体すら残さず死んだアルメデスに関してもであろう。
自分は知らないがギルヘルムは昔アルメデスにあった事があると言っていた。その時のことを思い出しているのか…
二人して思考に耽っていると執務室の扉が叩かれる。
「陛下、書類の確認を。」
入ってきたのは手の甲に蔦の模様が描かれたグエンダルである。
「それから、カルト国に集められていた商人たちの行方不明者の表を…何ですか、その顔は。」
嫌そうに眉間にこれでもかと皺を寄せる。
「いいのか、グエンダル。」
「何がでしょう、陛下。」
「分かっているだろう…彼女だよ。」
ミュシュライが口を挟む。
「キーナを追いかけなくて……。」
あの壮絶な戦いの後、ギルヘルムやミュシュライ、他の者たちが気づいた時には既にキーナはこの城から姿を消していた。それはもちろんグエンダルが目を少し離した隙に。
「必要ありません。」
「彼女は皆の命の恩人だ。…私は彼女にこのまま消え去ってほしくない。例え魔物として呼び出されたものだとしても。」
キーナが契約者ではなく魔物だということは少数しか知らない。
「アレンも、シェリー・ノーベルも同じことを言っていました。……ですが、今追うことはしません。それよりもやる事があります。」
「ずいぶん冷たいんだな。」
皮肉で言っても目の前の男は眉ひとつ動かさない。
やらなければならない事があるのは分かっている。だがもっと心の違う部分であの少女を求めているのだ。
迎えに行くのが自分ならどれ程良いか。
「グエンダル、本当にそれで良いのか。今行けばまだ…。」
「陛下、お気遣いは無用です。兎に角、必要な事に集中して頂きたい。」
「キーナは必要じゃないと言うのか。どれ程あの小さな少女が今まで苦しんできたのか想像出来ない訳ではないだろう、お前は。」
「彼女は異界の者です。この世界では身分も後ろ楯も無く、危険な魔力を持っています。」
「確かに、キーナの魔力は危険だ。」
「父上!」
「この目で見たからこそ分かる。あれは野放しにしておけるものでは無い。」
「その通りです。」
そう、ギルヘルムの意見に賛同したグエンダルの襟首をミュシュライは掴み、間近から睨みつける。
「野放しに出来ないからなんだ?あの娘を手にかけるとでも言うのか。」
ミュシュライにとってキーナは妹のような存在だ。生まれて間も無く死んでしまった実の妹の代わりかもしれないが、それでも守ってやりたいと思う。
なのに目の前の男と来たら眉ひとつ動かさず筈危険扱い。なんて残酷な男なのか。
「お前が行かないのなら私が行こう。監視が必要だと思うなら私が傍で彼女を見ている。」
幸い、この国は身分に囚われすぎてはいないし自分の妻の座は空いている。大事な少女が心休まる場所を作ってやりたい。
考えてみるとそれはとても良い案の様な気がしてくる。
「恐れながら、それは不可能です。」
「不可能なものか。」
「…すみませんが私は忙しいので失礼します。」
グエンダルは無表情でミュシュライの手を襟から外し、背をむける。
「私は本気だぞ。」
その背にミュシュライが言うと、グエンダルは扉に手をかけたまま振り返った。
ギルヘルムとミュシュライが息を飲む。
「殿下には出来ません。何故なら、あの娘を傍に置くのは………俺、だからです。」
グエンダルは口の端に笑みを浮かべたまま今度こそ執務室を出て行く。
「迎えにいくのでなく、捕まえに行くんです。」
扉が閉まる前、ミュシュライの耳にグエンダルの言葉が届いた。そして完全に扉が閉まると力が抜けた様にミュシュライは椅子に座った。
「……父上。」
「何だ。」
「人の満面の笑みに寒気がしたのは初めてです。」
「…私も、人の笑みがあれ程恐ろしかったのは初めてだ。」
ギルヘルムはミュシュライに数枚の書類を寄越す。それを見たミュシュライはげんなりとした疲れとは別の溜息をついた。
根回しも完璧、と言う事か。
良かったのか悪かったのか、何か吹っ切れた様な顔をしていたのがまた恐ろしい。
かの少女にこの国に戻って来て欲しいと考えていたが、今はどうか逃げてくれと思ってしまう。
氷の死神に捕まる前に。