男と過去
誰だ。
あの屈託無く笑う少年はどこへ行った?
数刻前に部屋を出て行った、屈託無く笑う少年はどこへ?
歪に笑い、狂気をのせた赤い瞳を自分は綺麗だと思っていたはずなのに。
何故背筋が凍る?
「……サン、今日から“私”が皇帝だ。」
「皇帝?」
「支度をして城内へ移る。この小屋は不要だから燃やせ。」
その声は俺達が決して短くない時間を過ごした小屋に冷たく落ちた。
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暗殺を生業とした流民である一族にいつ自分が捨てられたのは最早覚えていない。
力が無い者は生き残れないのが当たり前であり、それが自分だったと言うだけの話しだ。
そして冷たい路地裏にゴミ同然に踞っていた自分を拾った人間がいたことに感謝すればいいのか否かも分からなかった。
その人間はまだ子供だった。
驚く事に王族であるらしい。
しかしその子供が住んでいるのはきらびやかな王宮の広大な庭の端にひっそりとあるボロ小屋だった。
自分は王宮に足を踏み入れてはいけないのだ。
その子供は寂しそうに笑った。
子供の赤い目は“堕ち子”と呼ばれる忌むべきものであるらしいが、そんな教養を持ち合わせない自分はただ綺麗だなと思った。
外は幾重にも結界が張られているらしいが子供は器用にその隙間を縫って良く城下へ行くらしい。
勿論目を見せない様フードを被るらしいが、その散策の途中で自分を拾ったらしい。
汚い格好で痩せて傷だらけの男を拾うなど物好きだ。
何かの駒か、暇つぶしか。
別に自分の命に一欠片も価値を見いだしていなかったからどうでも良い。
子供は毎日自分の世話をしてきた。
痩せてまともに歩く事が出来ない俺をボロ小屋唯一の寝台に寝かせ、月に一度結界内に他の人間が持ってくる僅かな食材を手ずから食べさせてきた。
そして、世話をしている間ずっとこちらに話しかけてくる。
自分と同じ様に捨てられたとは思えないようなコロコロ変わる表情。
何故、と思った。
何故そのように笑える。
食料を持ってくる男や女がまるで汚い物を見るかのようにお前を見ているのに、そいつらに感謝を述べられるのか。
何を言われても微笑み、この状況に何も言わない。
見ず知らずの人間を拾い世話を焼く。
体がある程度動ける様になった頃にはこの子供の得体が知れなかった。
やはり俺は生きれる事に、助けられた事に感謝できないらしい。なにせ一月以上も自分を世話していた子供へ一度も声を発したことが無いのだから。
沢山の何故。
それが分かったのは自分がこの小屋へ来て二月近くなった頃。
その日子供はまた城下へ行っていた。
そして自分が寝台でぼんやりとこれからどうするのか考えていた時、暗殺業の端くれにいた俺は外に5~6人の殺意を感じ取ったのだ。
やっと来たか。
ただそれだけの思い。
こんな端に監禁されている子供の所へ新しい人間がいたらどうなるかなど簡単な事だ。
俺は殺され、子供はさらに厳重に監禁されるだろう。最悪自分の様に殺されるか。
荒々しい足音と共に入ってきた綺麗な甲冑を着た奴等は自分を見つけるなり剣を突き立ててきた。
「魔物はどこだ。」
一人が聞く。
魔物…あの子供の事か。
「お前はあの魔物に使役されているのか?」
更に聞いてくるが、何だか馬鹿らしい。俺は人間だ。勿論あの子供も。
「もう一度聞く、魔物はどこだ。」
首に刃が当てられ血が流れる。
今度こそ死ぬか。
まぁ、そんなのどうでも良い。
元々誰からも、自分自身も必要とせず死んでいる様なものだったのだから。
…だけど
目を閉じた瞼の裏にチラつくあの笑顔。
「--っ。」
「なに?」
久しぶりに出す声は喉が張り付いて中々うまく発っせない。
「し…らない、知ってい、ても…教えるか。」
俺が殺された後あの子供が帰って来た時どうなるかは分からないが、だとしてもどこにいるかなど言う選択肢など浮かびもしない。
それを聞いて首に当てられていた刃にグ、と力が加わる。
「…そうか、ならば先に死んで待っているがいい。」
路地裏で死ぬよりは何倍も良い死に方だ。
俺は最後を感じ目を閉じた。
だが、俺の最後はいつまでも待っていても訪れなかった。
目を開けるとそこに先程までの甲冑軍団は誰一人と居らず、唯一死ぬ間際に頭を掠めた少年が立っていたのだ。
「………奴等は魔力で飲み込んだ。もうここに来ることもない。」
静かにそう告げる子供は俺から背を向けている。だがその声は悲しさとも苦しさとも怒りだとも言えない感情が含まれている。
「俺、は…生きているのか。」
「――――。」
ドンッ!!
「っぅ!」
俺は衝撃に息を詰まらせた。
呟いた瞬間子供が勢いよく振り返り俺の胸を拳で叩いたのだ。
「…で、」
「?」
「何で…っ、どうして生きることを諦めたんだよ!!」
子供は俺の胸を叩き続け叫びを溢した。
「お前は僕が助けたんだ!!勝手に、勝手に生きることを諦めるなんて許さない…っ、許さないからな!!そんなどうでも良い人生なら僕にくれよ!僕、のっ、傍にいろよ…。」
俯いて表情は分からないが叩く力は段々弱くなり拳は震え、声は悲痛さを滲ませている。
「お前の命は僕のものだっ!」
ああ…、
それは余りに身勝手で子供の様な我が儘。
けれどこれ以上ないほど俺の気持ちは満たされている。
必要ないと、必要とされることもないと思っていた。自分自身ですら。
なのに目の前の子供はそんな自分に今まで見たことの無い悲痛さを目に滲ませすがり付いている。
あの汚い路地裏から俺を見つけ出し必要としている。
今まではの意味を持った生だったか分からなかったが、この子供に見つけ出して貰うためだったと言うのなら今日まで生きてきたことは無駄ではなかったのだろう。
「……アルメデス。」
一度も呼ばなかった子供の名を呼ぶ。
弾けるように子供、アルメデスは顔を上げた。
「お前が傍に居てくれと言うなら、俺はお前の傍に居よう。…俺に生きる意味をくれ。」
「お前、」
「…名を。俺には名がないから、お前がつけてくれ。」
「…………っサ、ン。」
「サン?」
「南の国の言葉で“友”と言う意味なんだ。」
実はずっと心でそう呼んでいた。
そう言って笑ったアルメデスから貰った名を口の中で転がす。
サン
忌み嫌われし赤の瞳を持つ子供、アルメデスの“友”
新しい俺の生がこれから始まるのだ。
そう、感じた。
アルメデスが消し去った甲冑軍団はこの国の騎士団であり、俺に剣を突き付けた奴が隊長だったらしいが騎士団やアルメデスの父である現皇帝があの出来事から何か手を出すことは無かった。
そして傍に居て感じた事はアルメデスは子供らしからぬ子供だと言うこと。
静かに自分の運命を受け入れ、アルメデスが感情的になることはあの日以来無い。
ボロ小屋に住んでいても失われない気品と洗礼された雰囲気、ふと感じる王族の血。
赤い瞳は太陽の光を受けるとまるで宝石のよいに煌めく。
今の現皇帝や甘やかされたアルメデスの兄と比べるでもなく彼の方が皇帝に相応しかった。
そんなアルメデスに対する俺の友愛が敬愛に変わるのにそう時間はかからず、俺は唯一人の従者としてアルメデスに使えることを誓ったのだ。
俺を見つけ出し、名を与えてくれた俺にとっての一人の皇帝。
“様”をつけて呼ぶことや従者として接することを大層不満にしていたが、俺の熱意が勝った。
苦笑しながらも、しかし威厳に満ちた態度でアルメデス様は主従の儀を行なってくれたのだ。
アルメデス様が主従関係に慣れて暫くしてからのある日、いつもの様に城下へ出ていたアルメデス様が興奮した様子で、だが不安を滲ませた瞳で帰ってこられた。
聞く話によるといつも被っているフードが取れ、市場の数人にその瞳を見られてしまったらしい。
だが彼等は少し怯えを見せたもののアルメデス様を受け入れ、再びここへ来てくれと笑顔を向けてくれたのだ。
そう声を弾ませ、泣きそうに目元を赤らめながら話して下さった。
嬉しかった。
アルメデス様が喜んである事が、素晴らしい彼が人に受け入れられた事が。
「これからは貴方は一人じゃありません。」
「ああ。……でも、今までもお前が居てくれた。ありがとう、サン。」
「何言ってるんですか。私の命が自分のものだと駄々を捏ねたのは貴方でしょう。」
「なっ!だ、駄々など捏ねていない!!」
顔を赤らめた君主を見て、俺はこの幸せが続く事を願ったのだ。
………それが終わりがくる事も知らずに。
「アルメデス様、本当に行かれるのですか?」
「ああ。」
「ですが最近顔色が優れません。食欲も減っておりますし、今日も…」
「大丈夫だ。城下の皆に力を貰っている。今日だって直ぐに帰ってくる。」
その日アルメデス様は皇帝陛下に初めて城内へ呼ばれていた。
アルメデス様はこの頃毎日のように城下へ出てはいるが顔色が優れない。
今だって唇は色を無くし目の下には影が出来ており、何かの病気ではないかと心配している。
「すぐに帰ってくるさ。」
従者でありながら共に行けない自分が情けない。
「…暖かいスープを作ってお待ちしております。」
せめて、とそう言った俺に小さく微笑み扉から出ていった小さな君主を何故追いかけなかったのか。何故一人で行かせてしまったのか。
数刻後、別人のようになって帰ってきた我が君。
あの瞼に残る笑顔は消え城下へ行くことも無くなり、俺はアルメデス様の駒となった。
逆らうものは死罪とし、民に重い税を課す。
他の国すら飲み込んでしまおうと言う暴君へ変わり果てたアルメデス様はそれでも俺の命に代えて守る唯一人の君主である。
俺の隣に居てくれた我が友、我が主。
そんな彼に何を言える筈もなく。
俺が誓ったのは最後の最期まで暗く冷たい淀みに囚われてもアルメデス様の傍にいることだった。
++++++
「く、はは、やはりお前は最高に使える男だ、サン。」
俺の後ろにいるアルメデス様がそう言った。いつもの歪な笑みを浮かべているのだろう。
腹に痛みは感じないが、ただ焼けるように熱い。
一時は捕らわれていた少女が驚愕の表情で自分を見ている。
アルメデス様
貴方が俺に誓わせた約束を貴方自身は覚えていないでしょう。けれど俺は覚えています。
だから心より謝罪します。
ずっと傍にいることを叶える事が出来ない事を、貴方の闇に飲まれた心に添うことが出来なかった事をお許し下さい。
そうして、閉じた瞼の裏に浮かんだのはやはりあの笑顔。
それを最後に俺の意識は闇へと落ちていった。
走馬灯的な感じでしょうか?