陛下と皇帝
その日は季節の寒さも緩やかになるような陽射しが差していた。
窓から入るその光りに一瞬目を細めた後、ギルヘルムは目の前の人物に意識を戻した。
城の一室、品良く美しい調度品が飾られた広い部屋の大きなテーブルを挟んで、ルディースル国の王とカルト国の皇帝は向かい合って座っている。
「して、此度の訪問の理由を聞かせて貰っても良いか?」
ギルヘルムが率直に問う。
それにゆらりと笑いながらアルメデスは答えた。
「勿論、大陸大戦後も代わらない我々の平和協定の強化の為…と言いたいのですが。今回はそちらにある提案を持ってきました。」
「言うてみよ。」
「ふふ、慌てないで下さいよギルヘルム殿。」
アルメデスの隠された見下しに護衛としてその場にいるアレンはそのこめかみをヒクリとさせる。
そんなアレンから目を離さないのはアルメデスの隣に立つ男だ。
「この大陸が生まれてから度重なる戦があり、その度に地形や勢力は変わり勝国は栄え敗国は衰弱してきました。」
大陸大戦
その大戦はたった5年前の出来事だ。
だが大戦にあったにも関わらず各国の被害がそれ程大きくならなかったのはギルヘルムや国家騎士団の働きにある。
敗戦であると見える国や降伏してきた国との協定、併合、物資や資金援助、王族や民間人、兵士の身柄保証
これらを迅速に行う事で国々をルディースル国に吸収し、また反乱も無く復興することが出来たのだ。
「ギルヘルム殿もご存知の通り、我が国は4代前の皇帝が政めている際に起きた戦争で国を失った王族が再び創り上げた国。」
アルメデスの曾祖父が皇帝をしている際、この大陸で一番の勢力を持っていたのは今は無き彼の国であった。しかし大陸に散らばる国々が裏で手を組み同時に攻めてきた事によって、その国は跡形もなく消え去ってしまったのだ。
後に手を組んだ国々は勝ち得た領土を我が物にせんと内部分裂を起こし自滅した時には、既にアルメデスの曾祖父や他の王族達は大陸の端へと追いやられていた。
敗れた国が行着く場所が今のカルト国領土である。
「再び我等が国を治められる様になった時、曾祖父も祖父も父も、国の復興と度重なる戦をやり過ごす事に手一杯だった。
惨めだとは思いませんか?一度は大陸の殆どを手にした一族が、我々を切り捨てた国に頭を下げ支援して貰い、小さな国で…それも、黒の森を挟んだだけでこの国とは逆の厳しい環境にある土地で一生を過ごすなど。
土地は耕しても豊かにはならず、冷気が流れ込み、水脈は少ないとても厳しい状況です。
…ああ、素晴らしいこの国を切り捨てた国など…失言でしたね。いえ、当たり前の事なのですよ、その時代はこの国もまだ大国とは言えない国でしたので要らぬ飛び火を貰うよりはマシだ。…また失言でしたかな。」
そちらの護衛の視線が怖いもので。
言いながらアルメデスは優雅な仕草で冷めた紅茶を口にした。
「うん、冷めてもこの紅茶は美味ですね。是非我が国へ持ち帰りたい。」
「…して、提案とは?」
ギルヘルムは目線でアレンとアルメデスを睨み付けている若い騎士を制すと変わらない表情で聞いた。
「ああ、申し訳ありません。話しが蛇行しましたね。
それで、提案と言うのが…我が国の全武力をこのルディースル国へと捧げたい、と思いまして。」
これにはアレンも刮目する。
カルト国の武力。
ルディースル国には規模では劣るが優れた武器を造り出す技量は大陸一と言って良い。
「新しい武器を造り出す技量はあっても扱う兵力が居なければ意味が無い。お恥ずかしい事に我が国にはこの国の様な優れた兵士達が居ないのです。」
「つまり、カルト国の武器技術を我等に投資する代わりに兵力を借りたいと。」
「ええ、悪い話では無いと思いますが。我らの武器を使えば例え魔力の無い者でも優秀な国家騎士団にも見劣りしない力を得ることは証明済みです。」
「確かに…貴殿の国の技術は大陸一と言える。」
「では、」
「だが。」
言葉を切り、ギルヘルムの太陽の様な瞳が鋭さを増しアルメデスを捉えた。
「我々の武力は、兵士は貴国の戦争には貸せぬぞ。貴殿が…祭り事を利用して武力を掻き集めている事がバレてはいないとは思っておるまい?」
その時、それまで微笑んでいたアルメデスの頬が初めて歪んだ。
「…ええ。ルディースル国の密偵の方々は優秀なようなのでね。」
アルメデスは面白気に隣室に繋がる扉に目線を送った。
「先程も申し上げた様に我が国の国内環境はとても厳しい。私はその様な環境にいつまでも民を置いておこうとは考えていません。」
「それで、他国を飲み込もうと言うのか。」
「飲み込もうなど。……勿論、我々もただ厳しい環境に泣きを見てきた訳ではありません。様々な事を試しましたがどれも労力と資金の無駄でした。あの土地は改善することが出来ないのです。」
「貴殿が他国の手を借りたくないのは分かる。が、内で手を打つ法がないのならば…」
「いいえ、違います。あの土地が豊かにならないのには理由があるのですよ。」
「理由?。」
「黒の森です。」
人工では手に入らない、魔力を有する資源
それを手に入れる為に様々な国が争ったが決して手に入ることの無かった魔の森
カルト国とルディースル国はこの森の際にある。
「なぜあの森が魔力を有しているか知っていますか?なぜ森を挟んだだけで二つの国の環境が真逆なのか?
あの森の根源…、魔力はカルト国地下から森に吸収されているのですよ。」
」
これには表情が動く事の無かったギルヘルムさえ驚愕を表す。
自然界は魔力に溢れている。
それが大地と水脈を育て、人々の基礎治癒や体力を向上させる。
ルディースル国が豊かなのも魔力が深く関わっている。
「魔力の脈のようなもの。それが全て黒の森に繋がっているのです。
ですからどれだけ手を尽くしても全てを黒の森に奪われてしまうのです。」
「今までその様な事、聞いたことがない。」
それが本当ならば今までどれほどの苦労がカルト国にはあったのだろうか。自分の立場があるからこそ、ギルヘルムはそれを考えてしまう。
「魔力の脈を感じ取れるのは先代が持たない私だけの特殊な能力と言えます。他の国でも聞いたことはない。ですがこれは事実です。」
自然界が魔力に溢れているとされてもそれがどう流れているかなど人間が感じ取れるものではない。ギルヘルムでも、人が持つ魔力の高さは分かってもそれを知ることは出来ないのだ。
確かに、アルメデスならば特殊な能力を持っていても不思議ではないだろう。
“堕とし子”であるのだから。
「そして、黒の森へ溜められた魔力は大陸全土へと流れていくのです。」
アルメデスの赤い瞳が猫のような笑みを刻み、美しかった姿勢を崩し座る椅子に腰を深く置く。
「つまり、大陸が豊かなのも我が国のお陰。ギルヘルム殿、この国も例外ではありませんよ?ここは一番多くの魔力が流れている。」
「言いたい事は分かった。…しかし、国々が栄えてきた理由はそれだけではあるまい。それは国自身が多くのものを乗り越えた結果。
魔力の脈とて世界によって定められたものであり、人はそれを受け入れ厳しい環境の中だからこそ手を取り合い繁栄して行くのではないか。」
それを聞き紅茶に手を伸ばそうとしていたアルメデスは、口許は笑みを刻んだままグルリとその目をギルヘルムへ動かした。
「定め…ふははッ!面白い事を仰る。それは貴方がこの立場ではないから容易く言える事!
…私は、どうしても許せないのですよ。我が国が授かるはずだった自然界の恩恵を受け他の国が、一度は国を滅ぼし見捨てた者達が栄えるなど!全てはカルト国の恩恵。
それを気付かないなど!」
話している内に感情が高まってきたのか声が大きくなってくる。
既にアルメデスの微笑みが何かを含んでいるのを見て取った。
アレンは然り気無く腕をほどき愛剣の存在を視界に捉えた。
だがそれと同時に向かいにいる男も同じ事をしたことに気付いた。
こいつ…やっぱり只の従者じゃねぇな。
アレンは男を、ギルヘルムはアルメデスを見詰める。
「お恥ずかしい事に、国の財政も今は厳しい。少しでも同情して頂けるのならば、手を貸して貰えませんか?」
憂いを帯びた表情は十分に王子と呼べる相貌だ。
けれど
「今、貴殿の国では多くの民が姿を消しているらしいな。」
ピクリ
ギルヘルムの言葉にアルメデスが反応する。
「民だけではない。祭りに集められた武器商人達までもが城に集められた後から消息を絶っている。その数はすでに1000に達した。」
「…本当にお詳しい。」
皮肉気なアルメデスの言葉。
確かに「そちらの国を探っていました」と分かる事を普通ならば言わない。
しかしこの問題は既に見過ごす事が出来ない程だ。
この男に遠回しの腹の探り合いは通じない。
そうギルヘルムは判断した。
「最近、毛色の珍しい鼠が城周辺をうろついていたのですが、ここまで知られているとは中々に優秀ですね。」
「…否定もせぬか。」
ギルヘルムの目が一層剣呑になる。
「“魔”に堕ちたか、アルメデス。」
瞬間、アルメデスの顔から表情と言うものが削ぎ落とされた。
顔を伏せ、長い前髪が其れを隠す。
やがて彼の体が震え始める。
「…クッ。ふ、ふふ。」
そして、ゆっくりと上げたアルメデスの顔に貼り付けられていたものとは
禍々しい、壮絶な笑みだった。