第九十八話「紅蓮の天狼」
その時、二人が立つテラスに四人の足音が響いた。
二人は振り返り、その主を見つめる。
「ダルクさん!」
紅は、見慣れた仲間の顔を見つけ、歓喜の声を上げる。
「無事だったんですね!」
「ああ、まあ、あんまり無事じゃねえけどよ。そっちも、……まあ何とかなった見てぇだな」
ダルクはふらつきながらも、自身の足で歩みよってきた。
「ああ。そっちもな。……あっちでイースがやられてる、後で助けてやってくれ」
シリウスはダルクと目を合わせ、少しニッと笑いながらも、すぐに真剣な表情に戻る。
「こっちは、俺と同じ組織のアイリーンだ。そっちの二人がシャンクスとベアトリクスだそうだ。まあ俺たちと目的が同じ奴等だ、敵じゃねぇ」
ダルクは、時間もないので雑に紹介をする。
「……あれに溜まっている魔力を、何とかしないといけないわね」
アイリーンが装置を見上げて、必死に対応を考える。
「魔力を引っ張り出すだけなら、ぶっ壊せばいい。だがそうすれば、この場所はおろか、おそらく王都まで爆発で吹き飛ぶだろうな」
ダルクは装置を検分しつつ喋る。
「エリオーネの中にも、きっと相当の魔力が充填されているはずよ。強引に引きはがせば、彼女も危ういわ」
アイリーンはエリオーネの側に近寄り、彼女に触れそうな距離に手をかざして言った。
今もなお、エリオーネの体は青白い魔力の光に包まれており、爆発しそうなほどの威圧感を感じる。
「……この場で、装置の魔力を受け取り、その者が消滅するしかありません。私がやります」
そこに、歩み出たのはベアトリクスだった。
一同は驚きながら彼女を見る。
その表情は、至極当然だとでも言わんばかりに落ち着いていた。
「ベアトリクス!? 何言ってんだ!」
シャンクスは大声を上げ、それを止める。
紅は二人の事情は知らないが、当然そのやり方を反対する。
「ダメだよ、誰も犠牲になんて出来ない……!」
しかし、ベアトリクスは首を振り、頑なに拒否する。その意思はもう変わらないという風情だ。
「いいのです。私は元々、騎士団の人間です。こうなった責任は、私が取るべきです。それに、私一人の体で皆さんの未来が守れるのであれば、本望です」
「でも、……いくらあなたの力でも、これほどの魔力を受け止めきれないかもしれないわ」
アイリーンは装置を見上げ、その中に眠る途方もない魔力量に驚嘆しながら言う。
ゲヘナを処刑するための一撃を放つための魔力。
それは、アリーデを凌ぐほどの魔力を持つエリオーネに対して、更に上乗せされるものであり、普通の生身の人間ではとても耐えられないほどの膨大なエネルギーだ。
いくら、騎士団の人間であるベアトリクスでも、それを受け止めきれる保証は無い。
「……だったら、俺がやる」
そこに立ち上がったのは、傍らで気絶から復活したゲヘナだった。
まだ、硝煙の昇る体のまま、一同を押しのけ前に出る。
「この地上で、最も魔力に耐えられるのは俺だ。それに、元々こいつは俺を処刑するためのもんだろ。……そういう運命なんだよ」
「でも……」
アイリーンはその彼の肩に触れ、けれど引き留める言葉を投げかけることに躊躇する。
そんな彼女に対し、ゲヘナは振り返らずに言った。
「言っただろ。ヒーローになれって。俺は、お前たちすべてを救った英雄になれるんだ。これ以上ないくらいの、名誉だ」
かつて、祖国を守れず、悪魔と呼ばれた王子は。
今ここに、地上すべての人類を破滅から救った英雄へと、返り咲く。
「騎士団の女。お前はまだやり直せる。俺の分まで、その身を未来の人々の為に使うことだ」
ゲヘナはベアトリクスに向かって言った。彼女は、静かに頷くのみで、何も言うことが出来なかった。
「後は任せたぞ。王都の王子」
ゲヘナは、シリウスに向かって言う。
「……ああ。分かった」
シリウスは、それに応える。
二人の脱獄した王子は、奇妙な運命をたどり、ここに決意を一つにした。
「……決まりだな。紅ちゃん。もう一つの、最期の大仕事だ」
ダルクが、その最後のやり取りを見届け、作戦について段取りをする。
「まず、ゲヘナがあの装置を破壊して、中に溜まった魔力をすべて受け止める」
ダルクは球体の装置を指さす。
それに、ゲヘナは首を縦に振る。
「その瞬間、エリオーネに繋がる管を切断しろ。だがタイミングを間違えば、魔力が暴発して大変なことになるかもしれねえ。やるのは……お前だな」
ダルクが指さしたのは、シャンクスだった。
「お、俺!?」
「そうだ……悪いが、俺もシリウスもイースも、もうまともに腕が動かねぇ。それに、女たちにやらせるわけにも行かねぇだろ?」
ダルクは、ニッと笑う。
「あ、ああ。分かった」
シャンクスは事の重大さに震えながらも、了承した。
「そして、その管を通じて、今度はエリオーネから紅ちゃんが魔力を受け取る。その魔力をつかって……」
「俺を吹き飛ばせ」
ゲヘナが、最期の言葉を言う。
「う、うん……」
紅は、その後のゲヘナの状態を思いやり、素直に頷くことが出来なかった。
「魔術師。気にすることはない。俺は元々死んでいたはずの人間だ」
ゲヘナが、そんな紅に向かって言う。
「ここに居るお前たちが、それを気にする必要はない。……俺は魔力を吸い取ったらそのまま上空へ舞う。そこに最後の一撃を寄こせ」
ゲヘナは、それきり視線を装置の方に動かした。
「じゃあ、急ぐぞ。作戦開始だ」
ダルクの一言に、一同は緊張の面持ちで行動を開始する。
これが、正真正銘の最期の戦いだ。
まず、ゲヘナが宙へ飛び上がり装置の上部、球体に右腕を突き刺す。
中に溜まっていた青白い粒体は眩しく点滅を始め、そこからあふれ出す青白い光をゲヘナが体全体に吸い込む。
「うおおおおおおお」
咆哮と共に、紫色の魔力を全身から放出し、そのすべてを吸い尽くす。
「今だ! 管を切れ!」
ダルクの合図に、シャンクスがダガーを一閃させる。
「行くぞおおお!?」
シャンクスに一刀両断された管はプッツリと弾けた。
エリオーネと繋がる管が切れ落ちる。
彼女が貼り付けになっていた十字架から体を引きはがし、シャンクスが抱きとめる。
「そして、私が魔力を受け取る」
管の、エリオーネと繋がる方を紅が握りしめ、これまでエリオーネに溜められていた魔力を紅が受け取る。
紅の体に、魔力が充填され始める。
紅は、先ほどの一撃で、アリーデから受け継いだ魔力のすべてを使い果たしていた。
彼女自身の魔力を使うことが出来たといえど、その量は微々たるものだ。
再び以前のように魔術を扱うことが出来るのは、これが最後だろうと心の中で確信する。
「じゃあ、行くぜ。……未来を、頼むぞ」
ゲヘナが、一同に向かって言う。
彼はテラスから、遥か上空へ飛び上がった。
既に陽が沈み、真っ暗な闇が空を覆い尽くしている。
その黒一色のキャンバスに、一筋の粒が光を放ちながら飛翔する。
あっという間に、その姿は目ではとらえられないほどの距離に昇った。
そこに、紅は受け取ったすべての魔術を用いて、最期の魔術を放つ。
それは、一体の巨大な炎のオオカミ。
はるか上空、天空へ浮かび上がったゲヘナに向かって猛進する。
紅蓮の天狼。
天空を駆け上るそのオオカミは、やがて、その人を飲み込んだ。
夜空に、巨大な爆発の光が舞う。
それは、夜明けの光のように。
漆黒の空を切り裂いた。
「綺麗……花火みたい」
ポツリと、紅は呟いた。
その光は、やがて余韻を残し消滅していった。
ふっと、夜風が吹き抜ける。
「すべて、終わったんだ」
その様子を見届け、シリウスは言った。




