第八十九話「二択の道」
シリウスと紅、そしてダルクとイースは大聖堂の階段を上った。
グルードが待ち構えていた広間の上の階には、一本の廊下が走っている。
豪奢な赤絨毯敷の敷かれた廊下。
壁には様々な調度品や、燭台が並んでいる。
窓の外には、沈みゆく夕日が覗く。
「急ごう。日没が近い」
シリウスは廊下を進む足を速める。
アルタイルが宣告したリミットは日没。
そして、次の日の出には、最後の審判を下すと宣言していた。
一同は、速足で廊下を突き進んだ。
その廊下の先、四人の前方に、一人の男が立っていた。
彼はダークスーツを着込み、タバコをふかした総髪の男性だった。
「おや、あの不吉なジイさん、やられちまったのか」
男性は、タバコを地面に放り捨てると、訪れた四人の顔を見た。
「ほう、王子様御一行の方が先だったか」
「なんだこの男は……こいつも騎士団なのか?」
シリウスはその男と対峙し、思ったことをそのまま口に出す。
「ああ、こいつも見覚えがあるぜ。俺の情報によれば、騎士団十二番の男、ヴァージルだ」
ダルクはこめかみを撫で、記憶を呼び起こしながら言った。
十二番。その高位な数字に、一同は身を固く構える。
「確か、こいつは組織の統括役のはずだ。騎士団長アルタイルを除いた中で、一番数字が大きい」
ダルクが言う言葉に、ヴァージルは腕を組みながらうんうんうなずいた。
「ほう、俺の事をそこまで知ってくれているのか。そいつはうれしいねぇ。きっと優秀な情報屋がバックについているんだろうな」
「ふっ。そうかもな」
ダルクは、王都の酒場のマスターの顔を思い出しながら頷いた。
「十二番ってことは……やっぱり強いんだよね?」
紅は身構えながらも、けれどいつも通りの調子で言う。
先ほどのグルードが五番であったことを考えると、眼前の男は相当に位が高いと言える。
「おっと、お嬢ちゃん。俺の事をかってくれるのはうれしいが、生憎俺はあまり強くない。戦闘能力でこの数字を与えられたわけではないんでね。グルードやイズのように立ち向かってくる敵を全部なぎ倒す気はないのさ」
ヴァージルは種明かしをするマジシャンのように、両手をひらりと広げて見せた。
その様子に、しかし一同は警戒を緩めることはしない。
「と、いうと?」
彼の言葉の先を、シリウスは促す。
「俺が任されたのは、こっちの階段の上に誰も通さないことだ。そして、こっちの廊下の先には誰も通さないという命令は受けていない」
ヴァージルは二つの方向を指さした。
一つは、彼が背後に構える階段である。
それは急な階段であり、上部は暗がりになっていて終わりが見えない。
その様子から、外からも見えていた一番高い塔に繋がっていることが想像できた。
そして、もう一方はこの廊下をさらに進んだ先である。
赤絨毯と燭台の廊下の果ては、一枚の扉が見えた。
「つまり、俺たちが進むべきはその階段の上ということか」
シリウスは言葉を受け取り、刀を握る。
だが、ヴァージルは半分楽しんでいるかのように、言葉を続ける。
「うーん、半分正解というところか。こっちの階段の上にあるものを教えることはできないが、廊下の先については教えてやろう」
含み笑いをしたまま、その先を一同に教える。
「この先にはアルタイルが居る」
その言葉に、一同は無意識のうちに身を引き締める。
「そうさ。この分かれ道のどちらを進んでもいい。俺を倒して階段の上を確かめるか、廊下を進んでアルタイルの野望を止めるか」
ヴァージルの態度は明らかに楽しんでいる。
すべてを信用することは、到底できなかった。
「罠の可能性もある。迂闊には決められない」
イースは槍を構え、他の三人に言った。
「いいさ、答えは一つだ。お前を倒して階段の上も確かめるし、廊下の先にすすんでアルタイルも止める。それだけだ」
シリウスは重苦しい空気を跳ね除けるように、威勢よく言った。
「ほほう、強情だねぇ」
その様子にヴァージルは笑って返す。
「さあ、そこをどいてもらう!」
シリウスは、刀『桜花』を抜き、構えて駆けだす。
悠然と立ち続けるヴァージルに対して、先制の一撃を繰り出す。
だが、ヴァージルはふらりと身を捻るだけで、その斬撃を回避する。
狭い廊下で、けれどもヴァージルは必要最低限の動きで、十分だとばかりに余裕の笑みを浮かべた。
「まだまだ!」
シリウスは最小限の気を刀に込め、鋭い連撃を繰り出す。
けれども、ヴァージルはひらひらと舞う木の葉のように捉えられず、攻撃をすべて回避する。
「大振りなこった、お疲れさんだねぇ……おらよッ!」
ヴァージルはシリウスの斬撃を回避した勢いのまま、回し蹴りを繰り出し、その踵はシリウスの腹部に直撃した。
シリウスの体は後方に吹き飛び、けれども空中で身を回転させて体制を立て直し、膝をついて着地した。
「ぐっ、体術か」
シリウスは急な反撃に驚きながらも、立ち上がる。
「ほう、咄嗟に腹に気を集中させて防御したのか……。戦闘のセンスはピカイチだ」
一方のヴァージルは余裕の表情で、首をコキコキさせている。
「それにしても、なんなんだあいつ……まるで、俺の動きを知っているかのようだ」
シリウスは、連続攻撃が一切当たらないヴァージルを警戒する。
「それなら、これでどうだ」
今度は、槍を構えたイースが飛び出し、ヴァージルに連撃を浴びせる。
鋭い槍の突きは、剣のような線の軌跡での攻撃ではなく、繰り出される点での攻撃である。そのため、攻撃の回避が難しい。
しかし、ヴァージルは相変わらず、ひらひらと身を捻るだけで、その連撃も回避する。
「ほほう……お前、ノーティス出身か」
「なに!?」
イースがその言葉に動揺した瞬間、ヴァージルの瞳が妖しく光る。
「おっと、隙は見せない方がいいぜ」
ヴァージルの拳がマシンガンのように打ち出される。
そのスピードに対応できず、イースは顔面から肩にかけてを多量の打撃を食らい、後方に引き下がる。
「ふう、こんなもんか。俺も意外と戦えるかもなぁ」
ヴァージルは息も切らさず、スーツのポケットからタバコを取り出して火をつけた。
「な、なんで……? シリウスもイースもすごい攻撃だったのに、一発も当たらないなんて」
「アイツは未来でも見えているのか?」
紅とシリウスは戦況を見て、頭を捻る。
確かに、ヴァージルの一撃はそこまで強力ではなかった。
それこそ、先ほど戦ったグルードの方が戦闘不能にする力で言えば強大であるといえる。
しかし、ヴァージルには一切攻撃が当たらないという不気味な強さがあった。
「くくっ、未来なんざ見えねぇよ。そんな力は羨ましいねぇ」
タバコをふかしながら、余裕の笑みを浮かべる。
しかし、ヴァージルを倒さない限り、階段の上に進むことはできない。
「……なるほどな。おい、三人は先に廊下の先へ行け」
ダルクが、これまでジッと戦況を見つめ、沈黙を守ってきた口を開く。
「な、どういうことだ」
ダルクのその言葉に、再びシリウスは目をむく。
「この階段の上については、俺が調べてくる。だからお前たち三人は先にアルタイルのところへ行き、奴を止めろ」
ダルクが一人、前に踊り出してそういった。
「ほう、自身満々なのは良いことだが、俺を打ち破らない限り、階段の上にはいかせねぇ」
「だから、打ち破ってやるって言ってるんだよ」
余裕の笑みを浮かべるヴァージルに、ダルクは強気に返す。
「ダルクさん、一人なんで、無茶だよ」
紅が心配そうにいうが、「……紅、どの口が言っているんだ」とシリウスまでも冷静に返答する。
その様子に、ダルクも微笑みをこぼす。
「俺の事前情報と、今の戦いぶりを見て確信した。シリウスとイースはこいつに絶対に勝てない。勝つ可能性があるとすれば、俺か紅ちゃんだ。そして、紅ちゃんはさっきの戦いで消耗している。アルタイルに対抗するにも、その魔力は必要だ。だから、俺が戦う」
ダルクの説明にも、イースとシリウスは納得いかない。
「絶対に勝てないって、どういうことだ?」
「あいつの記憶力は凄まじいってことだ」
ダルクは、答えなのか曖昧な言葉をいい、二人は首をひねる。
「ほう、ご名答だ。いいぜ、特別に種明かしをしてやろう」
だが、そのダルクの推理を拍手で称えたのはほかでもない、ヴァージルであった。
「俺は生まれてこの方、全ての事を記憶している、完全記憶能力を持った特異体質なんだ」
ヴァージルはタバコの煙と共に、自身の能力を告げる。
「それは、別に風景を記憶しているとか、言葉を記憶しているとかにとどまらねぇ。俺が戦った相手の動きや、それに対抗するためにとった俺の動きなど、筋肉の微妙な動き、呼吸、目線、仕草。すべてを記憶して、理解している」
ヴァージルの説明に、ダルクは続ける。
「だから、シリウスやイースのように、武術を習得した戦士については、その動きをすべて予測されてしまうんだ」
どんな戦士も、いや、戦士に限らず学問であったり仕事であったり、全ての分野において、先人の知恵というものは活用されている。
それは、『型』となって、現代を生きる者たちが便利に活用している。
武術を身に着けるものは、ゼロからすべてを考案するわけではない。
ある一定の流派に従って、基本的な型を身に着けてゆく。
だからこそ、習得スピードが早くなり、時代と共に技術が向上していく。
「……強い戦士、『型』に忠実な戦士や武士であればあるほど、俺は攻撃を見切ることが出来る。わずかに相手の右肩に力が籠れば、俺はこっちに回避すればいい。左足で踏み込んでくれば、こっちに避ければいい。俺がやっているのは単純なことなのさ」
それは、完全記憶能力を有するものだけに許された戦術。
特異体質があるからこそできる、唯一無二の戦闘能力だった。
「騎士団十二番の数字は、伊達じゃないってことか……」
シリウスは思わず驚嘆の声を漏らす。
「ああ。そして、そんな相手に対抗できるのは、未知数の魔術を扱える紅ちゃんか、型にはまらない自作の武器を扱う俺かの二択になる」
ダルクが、魔導銃を振りかざしながら言った。
「ダルク。任せた」
イースは早々に槍を背に戻し、廊下の先を見る。
「え、本当にいいの?」
その切り替えの早さに、紅は驚いた。
「ああ。ダルクのことは誰よりも信頼している。だから、大丈夫だ」
イースは相変わらず感情のこもらない声で言った。
「……そっか。そうだよね。ダルクさんを信じよう」
「……絶対、くたばるんじゃねぇぞ」
シリウスも、ダルクの気障な背中に言い残す。
「ああ。そっちも、白ピカ野郎に負けんなよ」
ダルクはひらりと手を振り、そしてヴァージルに向き合う。
「いいねぇ。仲間の友情か。俺にもそんな仲間が欲しかったねぇ」
「その余裕の態度も、いつまでもつかな」
二人の男は、廊下で視線を交錯させた。




