第八十七話「毒虫の軍勢」
戦いの火蓋は、唐突に切って落とされた。
グルードは杖を素早く振り回すと、その杖先から紫色の邪悪な光を放つ魔力の波動を飛来させる。
魔術による攻撃術、ショックである。
かつて、ローアン・バザーで交戦した際は、紅はこのショックにより一瞬で気絶してしまった。
しかし、それから幾多の戦闘を重ねてきている。
「もう、私にその程度の攻撃は通用しないわ!」
紅は炎の魔力を手のひらに集中させ、飛来するショックと衝突させる。
ぶつかり合った魔力はせめぎ合い、一瞬のうちに霧散した。
「レジストか。やっぱり紅ちゃんも腕を上げたな」
「……ああ、確かに」
ダルクとシリウス、そしてイースは扉付近で待機し、戦況を見守りながら、いざという時の為に加勢する準備をしている。
魔力は、基本的に相対する属性をぶつけ合うことで消滅させることが出来る。
消滅が成功することをレジストという。
そして、成功するかどうかは、せめぎ合う魔力の強い方が勝る。
「……属性の概念が無いショックでさえも、レジストするとは……小娘。なかなかの魔力量だな」
グルードは自身の魔術がレジストされながらも、余裕の態度は崩れない。
本来、炎が打ち消すことが出来るのは水の属性であるが、紅は巨大すぎる魔力によって、属性の概念を超えてレジストを成功させていた。
「今度は、私の攻撃よ!」
紅は得意の炎剣を三本、空中に発生させ、グルードに向けて矢のように射出する。
繰り出される攻撃に対し、グルードは地面を滑るように移動し、ようやくその場を動き回避する。
「ほう……だが、こちらもこの程度の攻撃は効かん。今度は容赦せんぞ」
回避された炎剣は、背後の壁面を爆散させた。
瓦礫が吹き飛び、外から寒風が吹きこんでくる。
グルードは杖を再びクルクルと振り回す。
今度は、先ほどのショックに併せて、爆散し飛散した瓦礫を操り砲丸のように降り注いでくる。
土砂崩れのように降り注ぐ物量攻撃にも、紅はひるまない。
「……魔術じゃない物体自体はレジスト出来ない、か。それなら!」
紅は地面に手をつき、魔力を集中させる。
そこから吹き出すは、炎の壁。
マグマのように高温な炎の壁が紅の前に立ちふさがり、飛来する瓦礫を熔解させる。
その間にも、グルードは滑るように移動し、炎の壁の側面に回り込みショックを飛散させてくる。
それをすかさずレジストし、紅は炎剣で反撃をする。
「……すごい、あのグルードは得意の状態異常系の魔術を使えないにしても、戦闘は手練れだ。それに、一切押し負けていない」
イースは握る槍に汗をにじませる。
「紅……」
シリウスは、今にも飛び出したい気持ちを抑え、状況を見守る。
戦況は一進一退を繰り返しながらも、徐々に紅が優勢になりつつあった。
無尽蔵に湧き出す紅の魔力に合わせ、その戦い方も慣れが見える。
足元を炎の壁で塞ぎ、グルードを少しずつ壁際へ追い込んでいく。
炎剣の攻撃も、かわし切れず杖を使い弾き、弾道を逸らすことで堪えるようになってきた。
「ここで、一気に攻める!」
紅は再び魔力を集中させ、空中に巨大な炎の球を作り出す。
やがて、そこから形作られるのは巨人の腕。
炎で出来た拳は、逃げ場を失ったグルードに向けて振り下ろされる。
「くらええええ!」
「ぬううう!?」
圧倒的な魔力の物量に、これまで余裕の態度を崩さなかったグルードでさえも、声を上げる。
爆風が広間を包み、煙幕が立ち込める。
その様子を紅は見据える。
「どう、少しはやるようになったでしょ?」
自身満々に振り向く姿に、男性陣は苦笑するしかなかった。
「……こりゃもう、怒らせちゃまずいな、兄さんよお」
「なんの、話だ」
ダルクはシリウスを小突く。
しかし、晴れた煙幕の向こうには依然として石膏顔の魔術師が立っていた。
「ハァ……ハァ……。まさか、ここまでとはな」
その姿は、これまでのローブ姿ではない。
爆風によって吹き飛ばされたローブの下に現れたのは、骨と皮だけしかないような四肢と、その身に纏った刺々しい拘束具のような鎧だった。
「うわ……」
再び、紅は悲鳴を上げる。
「我のローブは、防御障壁となる魔力が込められたものだったが……それを一撃で吹き飛ばすとはな」
グルードの無表情な仮面の顔にも、声からは焦燥感がにじんでいる。
「もはや……一遍の油断も許されぬということか。いいだろう」
だが、彼はまだ杖を構えて戦闘姿勢を崩さない。
「素直に死ぬことが幸福に思えるような、生き地獄を見せてやる……ッ!」
グルードは、しきりに何かを呟きながら、杖を振る。
呟くは、呪文の詠唱だ。
聞いたことが無いような言葉、しかも、びちゃびちゃと舌をうねらせる気味の悪い言葉を、呟き続ける。
杖は、まるで花壇に水を与えるかのように、先を少し落とし、地面に撒くように魔力を放出する。
「な、なんなの……?」
紅はその様子に、一瞬面食らってしまう。
「ダメだ! 紅ちゃん! 阻止しろ!」
ダルクが危険を察知し叫んだ時、「ククッ、もう遅い」という不吉な声が聞こえた。
「出でよ……我が下僕たちよ……その生意気な小娘を食らい尽くせ!」
グルードの掛け声と共に、床面が不気味に光り出す。
魔力の光で出来た沼のような空間が、辺り一面に広がった。そこから現れるは、体長一メートルを超える異形の毒虫たち。
巨大な足を何本を生やした蜘蛛や、顔面はドクロをしょったムカデなど、様々だ。
十、二十……数えることすらできないほどの巨大な虫たちが、地面から這い出てきた。
「いやああ!? と、とにかく吹き飛ばす!」
紅はそのビジュアルに慄きながらも、炎剣を発生させ毒虫たちを攻撃する。
直撃した者は爆散し、気色悪い汁を噴出させながらも消滅させることが出来た。
しかし、一匹を倒すよりも、地面から這い出して来る量が上回る。
「ククッ……アヒャヒャ! もがくがいい! 苦しむがいい!」
グルードは解き放たれたかのように、不気味な笑い声をあげる。
「おい、まずいぞ……俺たちも加勢を」
「ま、待て! あの虫の死体から溢れる汁には触れるな!」
飛び出そうとするシリウスに対し、ダルクは虫の死骸を指さす。
地面にあふれる汁は、濃硫酸のように地面を侵食していた。
「あれに生身で触れたら、ひとたまりもねえ」
「紅! 炎の壁だ! 熔解するしかない!」
シリウスは戦況を読み取り、紅にアドバイスを飛ばす。
「わ、分かった!」
紅は自分の周囲の地面をぐるりと囲うように、炎の壁を発生させる。
地面を這うムカデ達は、その壁に阻まれ動きを止めた。
「なんとか……あの術者を止めないと」
紅は炎の隙間から、グルードを見やる。
その男は、何か精神のタカが外れたのか、ふらふらと歩き回り、天を仰いで高笑いを続けていた。
「ここからなら、もしかしたら狙えるかも!」
紅は炎剣を一本発生させ、狙いを定める。
引き絞る弓矢のように、発射方向を研ぎ澄ます。
……一撃でも食らわせられれば。
紅は脳内で呟く。
炎の壁の周囲には、無数の虫たちが発生し続けている。
今は壁で遮ることが出来ているが、物量で押し切られたら、突破されてしまう。
もう少し……。
じっくり狙いを定める紅。
「……今だ!」
グルードの動きが収まった瞬間、炎剣を放つ。
だが、発射を行う直前に、紅の首に何かが絡みついた。
そこからは、一瞬の出来事だった。
紅の体は宙に引っ張り上げられる。
と同時に、四肢にも何かが絡まりつき、大の字に引っ張られ、空中に拘束される。
「ぐっ……な、なにが……」
紅は自分の状況を目線だけで確認する。
自分の首、両腕両足に絡まりつくのは、真っ白い粘着質の糸。
「紅! 上だ!」
シリウスの叫びで、ようやく視線を上にあげる。
そこには、巨大な毒蜘蛛の無数の瞳が、こちらを見ていた。
「っっ……!?」
喉が締め付けられていて、叫び声があげられない。
紅は巨大な毒蜘蛛の蜘蛛の糸によって引っ張り上げられ、拘束されてしまっていた。
そのまま首が締め上げられ、ガクリと頭を落とし紅は意識を失ってしまう。
「待ってろ! 今助けに行く!」
シリウスは刀、『桜花』を握りしめ飛び出した。
気を身に纏い、一目散に紅の下へ駆け寄る。
「ククッ、アヒィ!? 獲物は、……お前だァ!」
そのチャンスを、狙っていたのはグルードだった。
杖を振り下ろし、シリウスに向かって魔術を放つ。
それは、これまでのショックとは異なる。
虫の羽音のような不快な低音と共に、灰色の波動がシリウスを狙う。
グルードは紅を餌に、シリウス達が出てくるのを待ち構えていたのだった。
「危ないっ!」
シリウスをかばうように、イースが体当たりをする。
二人は横に飛び転がり、グルードの魔術を回避した。
「マダマダァ!」
グルードはすかさず、第二撃を放つ。
「そうはさせねぇよっ!」
今度はダルクが転がる二人の前に躍り出て、地面に向かって魔導銃による炸裂弾を発砲する。
爆風と共に地面を抉り上げ、魔術を防ぐと共に、目くらましを作り二人を引っ張って後方へ退避する。
「待てっ!? 紅を助けるぞ」
「ああ、助けたいのは山々だが……このままじゃ全滅するぞ!」
もがくシリウスに対し、けれどダルクはそれを引き留める。
「ふざけんな! 放せ! 助けねぇと……」
「……ちっ」
ダルクは、言葉を飲み込んだ。
目的はエリオーネの救出であり、アルタイルの野望を止めることだ。
しかし言葉では、口では簡単に言えても、いざ目の前で紅を見捨てることを選択させるのは、あまりにも酷だと思ってしまったからだ。
(俺も、情にほだされちまったのかね……でも、だからと言ってどうしようもねえ)
毒虫の群れに突撃することは最悪の手段であるのは自明の理だ。
だからと言って、何か打開策があるわけでもない。
ダルクが魔導銃で射撃したところで、グルードも毒虫の群れも止められないだろう。
「仕方ないなァ……! まずはその小娘を食らってしまえェエ!」
グルードの指示に、毒蜘蛛はその大口を開く。
粘着質な液を滴らせる蜘蛛の大顎。
それが、紅の頭部に迫りくる。
「紅ーーー!!」
シリウスの叫びが響く。
だが、その声もむなしく、紅の体は蜘蛛の大口の中に吸い込まれた。
蜘蛛の胴体が奇妙にうごめく。
紅は毒蜘蛛に丸呑みにされてしまった。
「な、……く、クソがァ!!」
シリウスは犬歯をむき出しにし、闘気を滾らせ絶叫する。




