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紅蓮の天狼  作者: 弥七
第六章 最後の審判
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第八十六話「不吉の魔術師」

 騎士団の神殿には、人の気配は全くなかった。

 本来であれば、神殿の周囲にあるわずかばかりの集落に住まう使徒たちや、騎士団の兵士達が守護に務めており、荘厳ながらも人の多い場所ではある。


 しかし、今は恐ろしいほどの静粛ぶりだった。

 聞こえるのは、降り注ぐ雪と風の声のみだ。


 白塗りの豪勢な大神殿の入り口、観音開きである半円の大扉を開いても、中には誰も居ない。


「ここから、あの塔の上まで行けるのかな」

 紅は、扉の内側を恐る恐るのぞき込む。


 中は、礼拝堂のような広間があり、立ち並ぶ長椅子や教壇の奥には、上層階へ続く螺旋階段があった。

 そこに、無遠慮にコツコツと足音を響かせ、ダルクは歩を進める。


「だろうな。あの演説の後だ。コソコソ入ったところで意味もない。ここからは、正面から挑むしかないだろう」

 ダルクは魔導銃を構えながら、螺旋階段へ向かう。


「きっと、騎士団の中でも意見は割れているんだ」

 イースは考えを述べながら、ダルクの背に続く。


「大教皇イザードに付き従っていた配下は、おそらくアルタイルの下には入らないだろうな」

 シリウスも、この大聖堂の閑散とした様子に心寒さを覚えながらも続く。

「ああ、だが、騎士団の番号持ちの奴等はきっとそう単純な奴等じゃない。むしろ、あの『最後の審判』とやらに賛同しているかもな」


「どういうこと?」

 紅はダルクに尋ねる。


「そうだな。紅ちゃんは会ったことも見たこともないから無理もないな。騎士団の番号持ちの奴らは、どこか普通の教徒とは違うんだよ。戦闘に長けたものだったり、特異体質の奴だったりな」

 ダルクは、「まあ、俺も伝聞やチラ見した程度の話だが」と付け足す。

「俺の想像じゃ、大教皇イザードとアルタイルは、まったく別の企みがあったんじゃねえかな。この大陸の権力者になり、反抗する勢力を抑え込む。その先は……」

「大陸の外か」

 シリウスは言葉を継ぐ。

「ああ。それも、ただ海の向こうだけの話とも限らねえ」

 ダルクに続き、一同は螺旋階段を上り始めた。


「が、まあそんな話ももう無意味だな。大教皇は消えた。残る奴は止めなきゃヤバい魔術をブチかまそうとしている。そんなら、立ちふさがる連中は打破するだけだ」

 強気な語気と共に、魔導銃を振った。


 螺旋階段を昇りつめた先には、一枚の大扉がある。

 その扉を、開け放つ。


 その先は、大広間だった。

 かつては、ステンドグラスから差し込む光に、円卓のテーブル、その中心に玉座が据えられていた、この場所。

 騎士団たちの会合の場であったが、今は魔術同士の衝突の末に無残な姿となっていた。


 その残骸の上に、待ち伏せているのはフードの魔術師だった。


「ようやく、現れたか」

 シリウスは犬歯をむき出しにし、騎士団の魔術師であろう姿に相対する。

「あの姿……前に会ったことがある」

 紅は、かつてローアン・バザーで遭遇した鎧の騎士と共に居た、フードの魔術師であることを思い出した。

 あの闇医者ヴェッセルが王都の地下に監禁されていたこともあり、当時の記憶がよみがえる。


 一方のフードの魔術師は、暗がりになった素顔がよく見えず、しかしこちらに気が付いた様子で頭を上げる。

 その拍子に、フードが外れた。


 そこに現れたのは、無表情の顔を象った石膏の仮面だった。

 一文字の口に、眼球部分だけがくりぬかれた仮面は、表情が無く不気味だった。


「うわっ……」

 紅は思わず、声が漏れる。


「……来たか。反逆の咎人共よ」

 不吉な重低音で喋った男は石膏の顔でこちらを見つめる。

 その周囲には、重くのしかかるような威圧感が溢れていた。


「そこをどいてもらおうか。悪いがお前には用はない」

 シリウスは刀を取り出し、構えながら叫ぶ。


「……ククッ。威勢のいいことだ。……その顔が苦しみで満る様が楽しみだ」

「なんだと……っ!」

 シリウスは今にも飛び掛かりそうな勢いだが、ダルクが冷静にそれを制す。


「待て、奴の事は以前聞いたことがあるぜ……。最も気を付けなければならない相手だとな」

 ダルクは、石膏顔の魔術師を目視するなり、一同に向かって言った。


「どういうことだ」

 シリウスはダルクに問う。


「奴は、騎士団五番の男、魔術師グルードだ」

「五番目……」

 シリウスは騎士団との闘いは初である。

 十三人いるという騎士団幹部の中で、単純に数字の大きさで言えば、むしろ小さい方である。


「騎士団の数字は、戦闘能力に限った話じゃない。組織を統括する能力とか、いろいろなもので決まるそうだ」

 その考えを読み取ったのか、ダルクは言葉を付け足す。


「そして、あいつは今回のような、少人数での戦闘時はかなり厄介だぜ」

 一同は広間の中心に立つ魔術師グルードを見やる。

 その手には、節くれだった無骨な杖が握られている。


「……ほう、少しは我の名も知れている様子。しかし、上層階に行くにはここを通る他ない。いずれにせよ、我との戦闘は避けられまい」

 グルードは、静かに杖を構える。


「なあ。奴の何が厄介なんだ」

 イースは緊迫した状況でも、極めて冷静にダルクに聞く。


「……見てわかる通り、あいつの顔。まともじゃないだろ。あいつは元々、拷問官として王都に務めていた男らしい」

 ダルクは吐き捨てるように言った。


「……拷問官」

 その言葉を、シリウスは苦々しく呟く。


 かつて、戦乱の世では捕虜とした敵兵から情報を引き出す役割を担う者がいた。

 彼は、その一人であった。


 その当時は、必要な役割を担う人材だったのだろう。

 そのことに、シリウスは胸が痛くなる。


「数々の精神錯乱を引き起こす状態異常魔術を得意とする男だったそうだぜ」

 ダルクは忌々しい口調で続ける。


「……そうだ。我もかつては生身の人間の顔だったんだがな。仕事のし過ぎで顔が変わってしまったのだよ」

 グルードは相変わらず、杖を弄びながら佇む。


「顔に張り付いた『笑顔』が消えなくなってしまってね」


 不吉な声で、グルードは言う。


「……ちっ、ただのサイコ野郎かよ」

 少しでも同情した自分が馬鹿だったとばかりに、シリウスはにらみつける。

 

 だが、状況はむしろシリウス達の方が不利であった。

 グルードが得意とされる状態異常系の魔術は、シリウスやイースのような戦士には抜群に効果がある。

 魔術の効果を受けてしまえば最後、抵抗する手段が無いに等しいからだ。


(つまり……喰らえば一発アウトの魔術か)

 拷問に使用された魔術がどのような効果をもたらすか、想像もしたくないとシリウスは内心で思う。

 

 しかし、こうして会話している間にも魔術を放ってこないということは、効果範囲はかなり限定的と言えるかもしれない。

 更に、グルードはシリウス達の存在を認めてから、一歩も動いていない。

 この先に人を通さないことが目的だとすれば、こうやってシリウス達の動きを抑止するだけでも十分だ。

 

「みんなは下がってて」

 攻略の糸口を探っていた時、紅が一言と共に前に躍り出た。


「おい、何バカなこと言ってんだ」

 シリウスはその肩を掴み、引き留める。


「アイツの魔術には、みんなは罹ったら多分大変なことになると思う」

 それでも紅は、真っ直ぐ前を見据えて下がらない。


「でも、私には効かない」


 紅の瞳には、戦いに向かう闘志が漲っていた。

「確かに、紅ちゃんは今までも毒物を克服してきている。魔術師同士の戦いなら、レジストで打ち消すことも可能だ。俺たちの中で一番適任なのは、紅ちゃんかもしれないな」

 ダルクは腕を組み、状況を把握する。

 

 紅の中に宿る魔力は「裁きの炎」と呼ばれるほど強大なものだ。

 天罰神の依り代にもなり得るほどの魔力を秘めたアリーデの力は、どんな毒物や状態異常系の魔術も跳ねのける。

 それは、これまでの冒険の中でも証明されてきた。


「だからって! 一人で戦わせられるか!」

「大丈夫。……私を信じて、シリウス」

 声を荒げるシリウスに対し、紅は真剣な瞳で返す。

 その言っても聞かない頑固な様子に、シリウスも根負けするしかなかった。


「くっ……わかった。今のお前なら、信じる。だけど、もしもの時は容赦なく飛び込むからな」

「うん。ありがとう」

 ニッっと笑って、紅は戦闘に繰り出す。


「最期の別れは済んだか。どうせ、皆はここで死ぬ。あの世での再会の挨拶を考えておくがいい」

 グルードは杖を構え、紅に相対する。

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