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紅蓮の天狼  作者: 弥七
第六章 最後の審判
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第七十七話「最後の審判」

 王都グランアビィリアから北、大陸の最果てに位置するのは北の聖地と呼ばれる地域である。

 年間を通して雪が降り、寒く厳しいこの地では農作物も育たない。

 けれど、大きくそびえたつ大聖堂と、その中で説かれる宗教の教えの為に、大聖堂を囲うようにわずかながらの集落が築かれている。

 そこには、献身的な信者たちが、日々教えを説くために務めている。


 かつて、はるか太古の時代では、この大陸に人は存在しなかったという。

 別な大陸から箱舟がたどり着き、人が降り立った。やがて大陸全土に開拓の手が広がり、今に至る。

 その箱舟がたどり着いた始まりの地こそが、この北の聖地であるとされている。


 この聖地で説かれる宗教は、人々の自由と平和を願う物である。

 開拓のつらく厳しい作業や、永遠に続く労働に心を疲れた者たち。しかし、彼らもまた、神の名のもとに使命を与えられた使徒である。

 与えられた役割をひたむきに果たすものには、生ある間の幸せと、死の後には恒久の平穏が与えられるという。


 大教皇イザードは、今まさに大聖堂の中、円卓の中心に座り瞑想を行っていた。

 巨大なステンドグラスからの光が差し込み、時刻は朝を迎えたことを悟る。

 顔に刻まれた深い皴をかき分けるように、瞳が開かれた。 


「大教皇様。ただいま戻りました」

 その円卓の間に、一人の男が歩を踏み入れる。


「アルタイルよ。よくぞ戻った。すなわち、使命を果たしたということであろう」

 大教皇イザードは、改めてアルタイルを見据える。


 蒼白な顔色の男は、僅かながらに口元に笑みを浮かべている。


「はい。あの悪魔、ゲヘナを捕縛しました。今はイズが拘束台の方へ連行しています」

「そうか。よくやった」


 日が昇ったということは、本日が終戦記念式典の当日ということになる。

 今日をもって、あの悪魔を処刑することになる。

 この二十年間ずっと果たせなかった、抜けきらない棘のようなものが、ようやく消すことが出来る。


「しかし、あの悪魔はまたしても悪行を働きました。……グレベインが、抹殺されました」

「……なんだと」

 大教皇イザードは、珍しく狼狽した。

 それもそのはず、グレベインは騎士団第十一番の高位な騎士だ。


 騎士団は、神の使命を守護する騎士として、十三人が選ばれる。

 その序列は数字が大きくなるごとに高くなるが、単純に戦闘力で決まるわけではない。

 とりわけ、戦闘能力が最も高い男はグレベインであると大教皇イザードは認識していた。若さがあり、戦闘技術という面で劣ることがあるかもしれないが、ゲヘナと直接戦闘して勝つことが出来るのはグレベインだけだと考えていた。

 

「……アルタイルよ。貴公が開発した対悪魔用の術式がありながら、なぜ同胞たちがこれほどまでに命を落とすのだ。そして、なぜ貴公自身は全くの傷を負わずに奴を捕縛できるのだ」

 大教皇イザードは、疑念の目を彼に向ける。

 彼は、相変わらず口元に笑みを浮かべている。


「おっしゃられている意味が分かりかねます。あの悪魔の所業など、到底私には理解できません。単純に、戦闘の結果、同胞たちは敗れ、私は運も良く奴を捕縛出来ただけのこと」

 朗々と語るアルタイルに、大教皇イザードは深い皴をより一層濃くしてにらみつける。

 しかし彼は全く意に介していないようで、話を続ける。


「それとも、大教皇様は解せないことがあるのでしょうか。……例えば、能力的に劣るはずの、騎士団長がこれほどまでに生存し続けていることに」

 アルタイルは、もはや口元の怪しい笑みを隠す気はないように、言う。


「どういう意味だ」

 大教皇イザードは座を握る手に力がこもる。


「私が騎士団として任命されたのは、かの大戦で悪魔に対抗できる唯一の術『天罰術式』を開発し、そして終戦へ導いたこと。そして、私が騎士団長となることで、あなたも都合がよかったはずだ」

 アルタイルは、長年伏せてきた言葉を解き放つ。


「能力的には、騎士団の中でも中位程度の私が騎士団長であれば、自分の地位を揺るがすことはあり得ない、と」


「馬鹿な。そんなことを考えておったのか」

 大教皇イザードは、ふっと緊張が抜けたように嘲笑する。


「ええ。そして、悪魔を処刑する術式の開発に着手させた。しかし、悪魔の処刑が終わった後、貴方はそれをどうするおつもりでしょう?」

 アルタイルは依然として、挑戦的な口調をやめない。


「何が言いたい。我々は神の使命の為に、この地に教えを説くことを目的としている。自由と平和、それが保たれることが何よりの願いだ」

 大教皇イザードは、教本にもあるとおり、この宗教の大前提を繰り返す。

 それには、アルタイルも首肯する。

 

「そうですか。私ももちろん、自由と平和を願っています」

 その言葉と共に、しかしアルタイルは話を続ける。


「けれども、人々の争いは絶えません。我々の教えが大陸に広まると、それに対抗する者もあらわれる」

 アルタイルは、中央市街の地下に巣食っていたドレッドノートという組織や、密かに王都に対抗策を模索しているワイルクレセント国のことを想像する。


「決して、今のままでは自由も平和も、絵空事でしかないのです。そして、今の使徒の人々や貴方でさえも、絵空事で仕方ないと考えている」


「……そんなことはない。当然、現状も大小こそあれ、争いがあることは承知の上だ。しかし、ひたむきに教えを説いていけば、いずれは……」

 イザードは、ここまでアルタイルが食い下がってくる事を不気味に感じた。

 これまで、言った命令に忠実に従う男であるとしか、認識していなかったからだ。


「それは、諦めというのではないでしょうか。失礼ですが、大教皇様。世界が平和になるよりも、貴方が天寿を全うする方が先だ。貴方には、もう諦めるしかできることが無いのです。貴方は、この天罰術式をただの保身の道具として利用し、今の地位を守ることしか考えていない。まして、この大陸の外にまで、勢力を伸ばそうなどという愚考をしているのではないでしょうか」


 アルタイルの言葉に、もはや大教皇イザードは渋面を隠そうとしない。

「ほう、ならば聞かせてもらおう。アルタイルよ。貴様はいったい、どうすることが良いというのかね?」

 大教皇イザードは、アルタイルに問うた。

 そこまで言うのなら、答えを示せと。


「……『最後の審判』を、もう一度下します」

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