第七十六話「閃光の騎士」
男、ヴァージルは名前を名乗る。
「ああそうかい。でも、俺は名乗らねぇぞ」
シャンクスは足を動かしその場から逃走を試みる。
「悪いな。お前の名前を記憶する気はねぇよ。ここで死ぬ相手だからな」
シャンクスは、背筋にこれまでの人生で感じたことが無い悪寒を覚えた。
それは、まるで腹をすかせた猛獣のような、獰猛すぎる殺気だった。
「なっ……!?」
シャンクスは、先ほどまで眼前に居たはずのヴァージルが消えたことに気が付く。
と、同時に首、腰に触れられた感覚がする。
腕先にしびれが走り、抱えていたエリオーネを落としてしまう。彼女は地面に落ち、小さい悲鳴を上げた。
だが、シャンクスの視界はそれをとらえた直後、ぐにゃりとひしゃげる。
自身の体が宙を舞っているということを認識するのに、地面に叩きつけられるまでの数秒間を要した。
「ぐ……あ……」
背中を打ち付け、呼吸が困難になる。
「……俺は、騎士団十二番の男だ。よく覚えておいてくれ。俺は最強の戦士でもなければ、悪魔を退ける魔術を開発することもできない。何か特別な力があるわけではないんだ」
ヴァージルはコツコツと、足音をたてシャンクスに近づく。
「ただ、記憶力が人よりいいだけなのさ。だから、これから死にゆく奴の名前なんか、覚える気が無いんだ。悪いな」
そういうと、ヴァージルは拳を振り上げた。
特別な力がないというのは、あくまで彼の謙遜だ。比較する対象の力が大きすぎるだけで、彼自身の力も並大抵のものではない。
拳ひとつで、脳天を叩き割る程度のことは、造作もない。
「ッ……!?」
シャンクスの眼前に迫るのは、今まさに彼の頭を破壊しようとする男の拳だった。
殺される。
シャンクスの脳裏にそうよぎった。
しかし、彼はまだ叩きつけられた衝撃で、十分に息を吸うことができていない。体を動かすのにはまだ、ほんの一秒以下の間が必要だった。
体を固くする。だが、堪えられるはずがない事もわかっている。
絶体絶命の危機に、骨髄がしびれるような感覚がした。
その時だった。
ヴァージルとシャンクスの間を、眩い閃光が通過する。
ヴァージルの拳は、閃光を回避するために僅かに停止した。
その一瞬の隙を、シャンクスは逃さなかった。
地面を両手で叩き、身を反転させる。その勢いのまま転がり、何とか相手の間合いからの脱出に成功した。
「……大丈夫ですか、シャンクス」
「ベアトリクス! サンキュー」
閃光の発生源には、乳白色の鎧を纏った女性が、細身の剣、レイピアを構えて立っていた。
「ほほう、こいつは面白いことになったな」
その様子を見て、余裕の笑みを浮かべたのはヴァージルだった。
「閃光のベアトリクス。生きているとは思っていたが、まさかこの状況で現れるとはな」
ヴァージルはスーツのポケットに手を入れ、タバコを取り出した。
咥えた細い筒の、先端を指で弾くと火が灯る。
「ええ、私もいつまでも逃げていられないことは承知していました。ヴァージル」
ベアトリクスはレイピアを構えたまま、ヴァージルに向き合いシャンクスの側に移動した。
「なんだ、知り合いなのかよ」
そのやり取りを聞きながら、シャンクスは態勢を立て直す。さらに、故郷の幼馴染エリッサから借りたダガーを取り出し構える。
「そうだ。閃光のベアトリクス。騎士団第七番の女戦士。それがその女の本当の姿だ」
答えたのは、ヴァージルだった。
「騎士団か……どうりで、逃げ切れねぇわけだ」
シャンクスはニッと笑った。
故郷の田舎町には不釣り合いなほどの実力者であるとは思っていたが、まさか騎士団であるとは想像していなかった。
しかし、彼はそんな経歴にこだわったりはしない。
「隠していて、申し訳ありません。私も、いずれかは決着を付けなければならないと思っていました」
ベアトリクスは一言、詫びる。
「決意のあるガキは嫌いじゃねえ。それに、旧知の仲間に会えたんだ。俺だって気分がいいさ。……でもよ、俺は騎士団の十二番。それに、役割としては組織を統括することも任されているんだ」
ヴァージルは、タバコの煙を十分に口に含むと、火のついたそれを吐き捨てた。
「裏切者は、抹殺しなければならない」
「生憎ですが、そう簡単にやられません」
改めて、殺意を放出するヴァージルに対し、ベアトリクスは強気に返す。
「行きます」
ベアトリクスがシャンクスに合図し、一斉に飛び掛かる。
ベアトリクスの異名、閃光とはまさに身を持て名を現していた。
彼女の神速のレイピア捌きは、常人であるシャンクスの目では追うことが出来なかった。
繰り出される斬撃は、その刀身に光を反射させ、まさに閃光の異名のままだった。
そして、ベアトリクスの真髄は斬撃の中に、魔力により生成された斬撃の矢を織り交ぜることにある。
近距離には刀身本体の攻撃が、遠距離には魔力の斬撃矢が襲い掛かる。
「すげえ! 本気のベアトリクスはこんななのかよ!?」
シャンクスは驚愕する。
生身のヴァージルは、この斬撃を食らえばひとたまりもないはずだ。
しかし、戦況は芳しいものではない。
斬撃により巻き上がった砂ぼこりが収まるころ、その状況があらわになった。
「うそだろ……全部素手で受け止めたっていうのか!?」
シャンクスの目には、ベアトリクスのレイピアを指先で、さながらタバコを挟むかのように受け止めるヴァージルの姿があった。
「やれやれ、せっかくのスーツに埃が付いちまった……」
ヴァージルは空いた方の手で、スーツを払う。
シャンクスとベアトリクスの二人に対し、ヴァージルは一人だ。単純な数で言えば有利な方は明確だが、彼は騎士団十二番の男である。
戦闘力の高さで数字が決まるわけではないが、彼がその高位に身を置くには当然、実力も十分にあるということだ。
「やはり、通用しませんか」
ベアトリクスは僅かに悔しさをあらわにして言う。
「そうさ。俺は戦闘力で言えば、まあお前と同じくらいかな。騎士団の中でも真ん中ぐらいだろ。でもな、俺には特別な能力がある。魔術でもない、ただの記憶力がいいという才能さ」
ヴァージルは、言葉を続ける。
「俺の記憶を、お前は超えられていない」
ヴァージルは、レイピアを指先で押し返すと、空いた方の手を握り、鋭く打ち出した。
ベアトリクスの腹部を狙う拳に、彼女は身をよじって回避をする。
だが、ヴァージルは素早く腕をベアトリクスの胴に絡ませると、シャンクスに行ったように体を宙に放り投げる。
一旦は宙を舞うベアトリクスの体だが、空中で身を翻し華麗に着地する。
しかし、着地の隙を狙い、ヴァージルの蹴りが飛んできた。
回避が間に合わず、両腕をクロスさせてその蹴りを受け止める。
「甘いぜ」
蹴りの姿勢のまま、ヴァージルの体が宙で回転した。今度は、ベアトリクスのクロスした腕に足を絡ませ、彼女の体を地面に叩きつける。
彼女の鎧が地面とぶつかり、激しい金属音と共に悲鳴を上げる。
「調子に乗ってんじゃねえオッサン!」
そこに、ダガーを構えたシャンクスが襲い掛かる。
しかし、ヴァージルは顔色一つ変えず鋭く拳の連撃を繰り出すと、シャンクスのダガーは弾かれ、顎と肩に激しい打撃を何発も食らい後ろに吹き飛んだ。
「あーあ、シャンクスとか言ったか。名前を覚えちまったよ。でもな、お前の動きは覚える気にもならん。ガキの喧嘩はよそでやってくれ」
「ぐ、……くそ……」
手も足も出ない状況に、悔しさから奥歯をかみしめる。
眼前では、地面にひれ伏し肩を締め上げられているベアトリクスの姿があった。
「……シャンクス、あなただけでも、彼女を連れて逃げなさい……」
「おっと、そうはさせねぇ。……だが、女を見捨てて逃げ出す野郎が居たら、俺はただ殺すだけじゃ済まさんからな」
ヴァージルはシャンクスを試すように見る。
「クソ……やってやるぜ」
シャンクスは立ち上がり、再び戦おうとする。
その時だった。
「やめなさい! その人を、放してください」
少女の叫び声に、一同は固まる。
声の方を見れば、エリオーネが意を決した様子で立っていた。
「……まさか、止めろ。お嬢ちゃん」
わずかに、ヴァージルが窮している声を出すのをシャンクスは見逃さなかった。
「私は、どうなっても構いません。そのお二方を、解放しなさい」
そういいながら、エリオーネは自身の額、巻かれた包帯を外し始める。
サラリと、音を立てて包帯は外された。
両目を閉じたままの彼女に、一同は釘付けになる。
「さあ、その人を放すのです」
エリオーネは瞳を開く。
その美しいグリーンの目には、魔力を帯びた青白い光が灯った。
エリオーネは、『瞬き』をするまでのほんの数秒間に状況を見据える。
青いバンダナをした青年がシャンクス。倒れ、乳白色の鎧を纏った女性がベアトリクスだ。
ならば、倒すべき敵はあのダークスーツの男だけだ。
彼女は視点をヴァージルのみに絞る。
ベアトリクスが視界に入らないように注意し、一度瞬きをした。
その瞬間。
襲い掛かるは、無制限の破壊。
彼女の視界に映ったものはすべて、まるで巨人が暴力の限りに暴れ散らかしたように破壊される。
「うおっ、なんだこれ……!?」
その破壊の余波を受け、シャンクスは驚愕する。
まさか、この少女こそが。
彼は脳内で考えるも、まずはこの状況をどうにかするのが先だった。
「あぶねぇな。お嬢ちゃん。まさか自分からその力を利用するとは、なかなか根性があるな」
だが、ヴァージルはギリギリのところで回避していた。
彼のスーツは引き裂かれているが、彼自身は無傷だった。
エリオーネの背後に回り、視界に入らないように注意しながら目を破れたスーツの破片で覆い隠した。
「やめ、放してください……!?」
エリオーネは抵抗するが、ヴァージルの手からは簡単には逃れられない。
「悪いな。俺の用事はこのお嬢さんだけなんだ。お前らを処分したいところだが、こう暴れられちゃあ分が悪い」
そういうと、ヴァージルはポケットから何かを取り出し、地面に叩きつける。
煙幕が放出され、辺りを包み込んだ。
完全なる暗闇では、何も見えないためエリオーネが瞬きをしても魔術は発動しない。
「くっ……ゴホッ。どこだ!?」
シャンクスはヴァージルとエリオーネの姿を探すも、見つけられない。
やがて夜風がなびき煙幕が晴れると、その場に残されたのはシャンクスとベアトリクスのみだった。
「……大丈夫か」
シャンクスはベアトリクスを助け起こす。
幸いにも、彼女の傷は軽傷で済んだようだ。
「ええ。しかし、申し訳ありません。私の力不足で、エリオーネさんを守ることが出来ませんでした」
「そんな、むしろ俺が逃げ切れなかったのが原因だ……けど、あの魔術。やっぱり彼女が……」
「ええ。おそらくそうでしょう。まさか、あんな可憐な少女が、魔術兵器とされているなんて」
二人は、状況を改めてみる。
広場の、エリオーネが見えていたであろう範囲は、まさに抉り取られたかのように物質が崩壊しており、兵器と呼ぶにふさわしい威力を示していた。
「……絶対に、助け出してやる」
シャンクスは、決意を新たにする。
任務を遂行するだけではない。
あの孤独な少女を、悪の手から救うために。




