第七十三話「地下の番人」
王都・グランアビィリア。その外周を囲うように張り巡らされた城壁の外側。
ちょうど城から北西側を流れるリムール川は城壁の下に流れ込む。
王都の生活用水の一部は、このリムール川の水流を利用しており、王都の地下に備わる浄水魔術機関を経て各家庭へと飲み水が行き渡っている。
川幅は大きく、水流も緩やかだ。
王都への水路の入り口、レンガで作られたアーチが川の上を屋根のようにすっぽりと覆っている。
その脇には点検用の細い通路が設けられ、地下にある浄水機関へと続く道がある。
ここには見張り兵が数人巡回している程度で、厳重な警備は敷かれていない。
しかもその見回り兵は現在、気絶している。
「……すまない」
背中に大きな槍を担いだ褐色の青年イースは、先ほど手刀で気絶させた横たわる見回り兵に口先ばかりの詫びを入れ、合図として槍を掲げ光を反射させた。
「よし、行くぜ。一行さん」
ダルクは、その合図を川岸の向こう側からとらえ、三人乗りの小舟を操作するオールを翻した。
小舟は水面を滑り、穏やかな水面に一筋の波が生まれる。
「なるべく頭を低くしておくんだぜ」
ダルクは、小舟に乗るシリウスと紅にささやいた。
二人は頭に布切れを被せ、貨物の振りをする。
一方のダルクは全く似合わない三角帽をかぶり、水上の運送屋を装っている。
「なんだか、のどかだね」
紅はポツリとつぶやく。
「……そうだな。だが、上の街じゃ、終戦記念式典の前夜祭が行われるはずだ。きっと賑わっているだろうぜ」
シリウスはさして興味もなく言う。
時刻は夕暮れ時。薄暗闇の帳に紛れ、一行は王都への侵入を決行する。
三人を乗せた小舟は川を静かに進み、やがて城壁下部のアーチをくぐる。
日が陰り、湿気を多く含む空気が重くのしかかる。
小舟は川の縁、人工的に舗装された足場に乗り上げた。
そこから通路を抜け、先を行くイースに合流する。
「さ、ここからは地道に歩いていくしかねぇさ」
ダルクは変装道具を川底へ沈め、コキコキと首を鳴らした。
水路の脇、城の地下へ続く鉄格子の扉がある。そのカギをイースの槍が一閃、破壊する。
闇の奥底へ通じるような、暗い通路がそこにはあった。
***
王都の城の地下は、石造りの無骨な壁にコケやカビの生えたジメジメとした空間だ。
ダルクは予め入手していた地下層の地図を広げ、片手には魔力ランタンを持ち、歩みを進めている。
道通りに進めば、川水を浄化する設備へとつながる。
そこから脇道に逸れ、隠された通路の奥にある堅牢に閉ざされた扉をこじ開け、王都の奥深くへと侵入する。
「見張りは……いねぇのか」
「好都合だ」
「なんだか、拍子抜けだね」
ダルクは辺りを警戒し、イースと共に先行する。
紅は身構えながらも、人の気配を感じない空気に安堵しその後に続く。
シリウスは最後尾につき、腕を組み考えにふけるようにしている。
「こんな場所があったんだな……」
シリウスは、複雑な胸中で呟く。
そこは、シリウスも踏み入れたことが無い場所だった。
じめじめと湿気が立ち込める空気に無骨な鉄板丸出しの壁は、かつての中央市街で訪れたドレッド・ノートのアジトを思わせた。
「さすがの王子様でも、こんな水面下の事は知らないか。まあ、無理もねぇさ。ここはかなり微妙な立場にある」
そういうダルクに、紅は遠慮なく聞く。
「微妙な立場って?」
「転移魔術の研究施設だ。こいつは、表向きには公表されていない。過去に魔術学院で事故があったり、兵器転用などで悪用される危険性があるからな。それに、王都の研究機関と騎士団の関係性もある。本来は別な組織の王都と騎士団だが、近年はかなり関係性が密になっている」
ダルク達は知りえないが、騎士団十一番の騎士、グレベインもまた、ここで研究されていた転移魔術を戦闘に応用していた。
大戦でノーティス側に現れたゲヘナを退けた功績は、騎士団に多くの利権を与えたといって過言ではない。
「そうなんだ……お互いの秘密を隠しながら、場所は共有していたってこと?」
「そんな感じだ。王都の研究施設は、騎士団も有効活用したかっただろうな。実際、転移魔術の方にも騎士団が関与していた形跡もある。逆に、魔術兵器の方は完全に騎士団だけのものだろう。王都側としちゃ、気が気じゃないはずだぜ」
事実上、大陸を掌握している王都だが、自身の城の中で騎士団という組織が力を付けつつある。
そのような勢力に対抗する意味でも、王都側も対抗する切り札が必要だった。
「そのために、お前らみたいな諜報機関が必要だったわけか」
シリウスはダルクとイースを見ながら言った。
「まあな。……実際、俺たちの存在は王都の一部の人間しか知らない。俺だって、王都のために働いてるんだからこんな地の底からコソコソ城に入りたくはないんだがね」
ダルクは肩をすくめて言った。
「ダルク、お前の目的は結局なんなんだ」
シリウスは改めて尋ねる。この危険な戦いに身を投じる理由を。
「世界平和だよ。俺の大切なガール達が傷つくのを見たくないんでね。もちろん、紅ちゃんも俺の大切なガールの一人だぜ」
「あ、ありがとう。ダルクさん」
紅は困惑気味にうなずく。
「……ああ、聞いた俺が馬鹿だったよ」
シリウスは嘆息した。
そんな会話をしていると一行は、開けた空間に出た。
特に何かの設備があるわけではない、地層がむき出しになった空洞のような場所。
しかし、進むべき道は一本しかない。
「まて、何かいる」
先頭を歩いていたイースが何かに気づき、一行に警戒を促す。
その指さす先には、大きな岩石の山がある。
「嫌な予感……なんか見覚えが」
紅は、過去の記憶を手繰り寄せる。
「そうだな。懐かしいおもちゃのお目見えか」
シリウスは、ニッと犬歯をむき出しにする。
岩の山は、まるで命を吹き込まれたかのように、脈動を始める。
ビデオを逆回しするかのように、岩石の数々は宙を舞い、ある形を作り出す。
それは人の形。身長四メートルはあろうかという、岩の巨人が姿を現した。
「ゴーレムだ。まったく、警備は万全ってわけか」
ダルクは気だるく呟く。
スッと、魔導銃を取り出し、戦闘態勢に入る。
「待ってくれ。ここは俺に任せてくれ」
シリウスは、ずいっと前に歩み出す。
「だめだよ、あんな奴、剣で切れるわけない。私が魔術で」
紅は止めようとするが、シリウスは目で抑止する。
その眼には、「まあ見てろって」というちょっとした悪戯っぽい光があった。
ゴーレムは、侵入者の姿を四角い頭部の真ん中にある魔石で見定め、襲い掛かってくる。
シリウスは駆け出し、ゴーレムまでの距離を一気に詰める。
ゴーレムがそのハンマーのような腕を振り上げ、斜めに振りぬく。
だが、シリウスは跳躍し、ゴーレムの肩に手をつくとくるりと宙を舞った。
岩石の背中、ゴーレムの背後に回ったシリウスは、身に着けていた刀を鞘から解き放つ。
真っ白な刀身が、ダルクの持つランタンの淡い光を反射し白銀の輝きを纏っていた。
「すごい……綺麗な刀」
紅は、初めて見たシリウスの新たな武器に見惚れる。
「あれは……。とんでもねぇもん持ってきやがったな」
ダルクは、その刀に驚嘆する。
「ああ、こいつは借り物なんだ。大事に扱わないとな」
シリウスは改めて、握りしめる刀、『桜花』に力を入れる。
一瞬の集中。
体の中を巡る気を張り詰め、武器に集中させる。
その瞬間、刀に淡い光が灯り、刀身を纏った。
「あれは……気」
「アイツ、手に入れたみてぇだな。新たな力を」
イースとダルクは、シリウスの修行の成果を認める。
そして、シリウスは、今まさに振り向き彼に向かって追撃を放とうとしているゴーレムに向かい、その刃を一閃する。
硬いゴーレムの岩肌は、かつて対戦した時には容易くシリウスの攻撃を弾いていた。
しかし、今の一閃は異なる。
シリウスは振り抜いていた。まるで、紙を切るかのように何の抵抗感も見せずに。
「切った……のかな?」
紅はその行動の結末と見た景色の相違から、自信が持てなかった。
シリウスは確かに刀を振り抜いた。しかし、ゴーレムは依然、彼の前に立ちふさがっていた。
「少し、気合入れすぎちまったか」
シリウスは、けれどゴーレムに近づき、コンとその胸を小突いた。
すると、一瞬のうちに岩山の巨人は瓦解する。
轟音と土埃を巻き上げ、ゴーレムは破壊された。
「ま、こんなもんか」
シリウスは肩の埃を払いのけ、三人の方を振り向いた。
「すごーい! いつの間にそんなに強くなったの!?」
「コツみたいなものを掴んでからは、常に鍛錬を続けていたからな。まあ、もっと上達すればこんなもんじゃないだろ」
シリウスは勝ち誇ったように言う。
「そうだな。せいぜい途中でバテないように頼むぜ」
ダルクはそんなシリウスに軽口で返し、ポンと肩を叩いて先に進んだ。




