第七十話「外の世界」
「さ、ちゃっちゃと任務遂行しちまおうぜ」
シャンクスは気楽な声を上げて、式典の準備に追われる城下町を歩いていた。
隣に立つベアトリクスは無表情のまま、忙しそうに行きかう人々を眺めていた。
「そうね。でも、できれば王都に長居したくはないものね」
「そうなのか?こんな大規模な祭りならちょっとぐらい覗いてってもいいかもしれないだろ。ほら、あの辺とかもう店やってるみたいだし」
開会式を翌日に控えた王都ではすでに前夜祭のムードが漂い、食べ物やの屋台や怪しげな出し物をするテントなどが店を開いている。
シャンクスは目を瞬かせてそれらを眺めたが、ベアトリクスに首根っこをつかまれるようにして前を向き直された。
視線の先にそびえたつのは、王都グラン・アビィリア城。
ワイルクレセントのそれとは、けた違いの歴史と大きさを誇るその城は、二人に無言の圧力を与えていた。
「……わかってるさ。ぜってー無事帰るんだからな」
シャンクスは独り言のようにつぶやいた。
***
二人は一度、メインストリートから外れ、城の外壁伝いの人気のない街外れにやってきた。
街外れでは、荒れている様子はないものの、どこかさびれた空気が漂っている。
「この辺なら見張りもいないな」
シャンクスは周囲を見回し、通行人や見張りの兵士が来ない事を確かめた。
「それで、どこから侵入するつもりですか?」
ベアトリクスは腕を組んでシャンクスを見据えた。
「どこって、ここさ」
シャンクスが指さす先、それは高くそびえる城の窓だった。
「この辺の木をうまいこと登って中に入るんだ」
得意げに話すシャンクスに、ベアトリクスはこめかみを抑えた。
「あのね……田舎の町役場ならいざしらず、こんな巨大な城の警備がそんなに杜撰なはずがないでしょう?」
「でもさ、この辺誰も居なさそうだし、きっと式典の準備に忙しいだろうからさ。ベアトリクスはここで人が来ないか見張っててくれ」
そう言い残すと、シャンクスは身を軽くひるがえして木を登り始めた。
仕方なくベアトリクスは周囲に目をくばり、人の気配がないか注意する。
「いよっと」
シャンクスは慣れ親しんだ木登りで、あっという間に窓の高さまでやってきた。
城の窓は簡素なつくりで、二枚のガラスが枠にはまって互い違いになっているだけだった。これならダガーで軽く穴をあければ鍵を開けられそうだった。
狙いを定めて木の枝から飛び移ろうとした、まさにその時だった。
「誰かいるんですか?」
誰もいないと思っていた部屋の窓が開き、中から声が聞こえてきた。
シャンクスはとっさに身を隠そうとするが、声の主の姿が一瞬見えた。
その声の主は、目隠しをするかのように目を包帯のようなものでぐるぐる巻きにされて、一人で立っていた。
「あー、えっと、枝落としっす。ほら、明日の式典のために雇われて……」
シャンクスは適当に理由をでっちあげた。
もしかしたら、姿さえ見られなければ、このまましのげるかもしれない。
「……ですが、そこの木はほとんど枝がないはずですが」
声の主の言う通り、この木は一瞬見ると枯れているのではと思うほどに元気がなかった。
どうやらこの木のことはよく知っているらしい。
「あれー、あれーっ、そうだったかな……」
完全に取り乱したシャンクスに対し、声の主はおずおずと尋ねた。
「あの、もしよろしければでいいんですが」
「は、はい?」
「話し相手になってくれませんか?」
声の主の願いに、シャンクスは驚いた。
声の主は、目が見えないはずだがスムーズな動きで移動し、イスに腰かけた。
目が見えなくても体にしみこんだ動作はできるらしい。
そのまま、シャンクスは枝に乗ったまま、声の主と向き合った。
声の主は女性、それもまだ少女と呼ぶべき年齢のようだ。シャンクスは故郷のエリッサを思い出した。
「あの、話し相手っていうのは?」
シャンクスは戸惑い気味に聞いた。
「私、ずっとここに一人だったので……。本を読むのも好きだったのですが、目の具合も悪くて。外の世界の話を聞かせてくれませんか?」
その言い回しに、もしかしたらこの少女はずっとこの部屋にいるのではないかと思った。
しかし、下手に逃げようとすると兵士を呼ばれるかもしれない。シャンクスは仕方なく、少女に外の世界の話をすることにした。
「まあ、これは……俺の友人の話なんだが」
そういう建前で話すのは、もちろんシャンクス自身が見てきた世界の話。
彼自身も、故郷であるハーバーサイドしか、世界を知らない。
だが、そこから見た世界の姿は、この城の部屋だけで暮らす少女とは全く異なるものに違いない。
シャンクスは多少脚色しながらこれまでのあらすじのようなものを聞かせてやった。
少女は時折うなずいたり、くすくす笑ったり、実にいい聞き手を演じて見せた。シャンクスも気が乗ってきたのか饒舌になっていた。
「それじゃあさ、今度は君の話を聞かせてよ」
シャンクスは冗談交じりに聞いてみた。
どうしてこの少女は城にいるのだろう。王族にしては、こんな端のさびれた部屋にいるのは変だった。
「私……ですか」
一瞬ためらうような仕草を見せるものの、意を決したのか、口を開いた。
「これまで、誰にも話したことのない話です。おそらく、だれに話しても信じてもらえないでしょう」
そう、前置きをすると、少女は滔々と話し始めた。
「私は物心がついたときから、父が居ませんでした。それはどういう経緯なのかはわかりませんが、周囲の人の力を借りて母と二人で平和に暮らしていました。そんな時、母に再婚の話が持ち掛けられました。その相手はとても、とても裕福な人物です。母はその人を信頼し、私のことを思い再婚をしました。その相手にも連れ子がいて、私には父親と兄ができました」
「それからの数年は、今までにないくらい幸せでした。兄は強く優しく、いつも私を連れて、守って、遊んでくれました。父は非常に理解のある人間で、私と母を手厚く加護してくれました」
「しかし、その幸せもある日を境に崩れていきました。母が行方不明になりました。その理由は私にはわかりません。しかし、母が帰ってくることはありませんでした」
「そして、母の行方不明を境に、私の周りで不穏な動きがよくみられるようになりました。父に頻繁に会いに来る人や、私や兄を観察するような人影。何かがおかしいという空気を肌で感じていました。それと同時に、父が調子を崩し始めます。それは精神的なものなのか、あるいは外部の人々のせいなのか、私にはわかりません。しかし、何かが確実に父を蝕んでいました」
そこで、少女は一息ついた。
まるで、これまでため込んでいたものを吐き出そうとしているようだった。
「そしてついに、父は狂いました。まるで、何かに洗脳されたように私に襲い掛かりました。私は父に押さえつけられ、悲鳴を上げました。そこに運悪く、兄が駆けつけました。兄は装飾品の剣を手に取り、父を背後から一突きしました。倒れこむ父、私は床に投げ出され気を失いかけます」
「しかし、その日のことは今でも鮮明に覚えています」
「父を手にかけたと思った兄はその場に茫然と立ちつくします。しかし、騒ぎを聞き駆けつけた真白な兵士たちに押さえつけられました。そして、そのままどこかへ連れていかれました。兵士たちは私を気を失ったものを見なして、触れようとはしませんでした。私は朦朧とする意識と狭まる視界の中で、必死に状況を見つめました」
「背中に剣が刺さった父は、しかしまだ生きていました」
「でも、駆けつけた兵士のうちの、とりわけ白い騎士が、まだ息のある父を抱えてどこかへ連れ去りました。そして私は意識をついに失いました」
「目が覚めると、兄は殺人犯として、父は死者として。それぞれの顛末を進んだことを聞かされました。それ以来、私には頼るものもなく、この部屋にずっと閉じ込められていました」
少女は話し終えると、そっと胸をなでおろした。
その話は、田舎者のシャンクスでも知ってる。
王都で大変な騒ぎとなった事件のことだろう。
そして、この少女はまさにその渦中にいた人物だ。
「兄は無実です。そのことを、だれかに伝えたかったのです。いきなりで申し訳ないのですが話を聞いてくれてありがとうございました」
少女は、申し訳なさそうに頭を下げた。
おそらく、彼女の兄はもう死んでしまったか、手の届かないところにいるはずだ。
それに、今更になってその兄の無実を証明するのも難しいだろう。おそらく、城の内部に暗殺を企てた一味が存在し、今はその奴らが権力を握っているに違いない。
そして、もしかしたらの話だが。王都の魔術兵器の実験を行っているのはそいつらではないだろうか。
シャンクスはひらめき、またこの少女を放っておくことはできなかった。
「……。名前、聞いてもいいかい?」
「エリオーネ、です……」
フルネームだとさすがに素性がばれるからだろうが、しかし、シャンクスはもう大体予想はできている。
「そうかい、エリオーネ。いい名前だね。俺はシャンクス・ロッド。実は枝を落としに来た庭師じゃなくて泥棒なんだ」
シャンクスは素直に目的を話すことにした。
「実はこの城にちょっと探し物があってね。盗みに来たんだ」
その言葉に、しかしこの少女は驚かなかった。
「だからさ、まずは君を盗んでいくことにするぜ」
そういうと、シャンクスは軽やかに枝から窓に飛び移り、エリオーネの腰に手を回した。
エリオーネは何も反応することができず、ただ身を固くしていることしかできなかった。
シャンクスが体を救い上げるように抱きかかえると、そのまま枝に向かってジャンプした。クルクルと回るように枝から枝へ飛び移り、地面に着地する。
二人の体を浮遊感が包み込んだ。
しかし、不思議と不安感はない。シャンクスがしっかりと支えているからだった。
「あの、こんなことをしたら城の人が……」
エリオーネは城の外に出られた喜びよりも、あの騎士たちの反感を買い、シャンクスが危ないのではないかという不安が募った。
しかし、彼はそんな事情を知らないはずなのに、「大丈夫、俺は逃げるのだけは得意なんだ」といった。
その言葉に、エリオーネは身を任せることしかできなかった。
「見ることはできないかもしれないけどさ、一緒に行こう。外の世界へ」
耳元で告げられた言葉は、エリオーネをやさしく誘った。




