第六十八話「秘密の機関」
王都は今、祭りの準備の大詰めだった。
数日後に控えた大戦終戦二十周年記念式典では、その立役者となった北の聖地の教主である大教皇イザードが開会の宣言をする。
その時に使われるのが、王都城下町の中央広場だ。
中央広場の上には、円形の大きな広場を見渡せる位置に、城のバルコニーがある。
その張り出した部分に大教皇が立ち、中央広場には多くの人が詰めかけることだろう。
中央広場からは放射線状に道路がのび、各道路の沿線に出店や屋台などがひしめき合っている。
人々は祭りの準備に心を躍らせ、誰も彼もが忙しそうに行きかっていた。
中には仮装をした者や、地方から来たらしく民族衣装を身に着けた者、大げさな鎧姿の者もいる。
この数日間、王都城下町は宴による混沌の様相を呈していた。
「ったく、お気楽なこった。まぁそっちの方が俺たちにとっては都合がいいんだがな」
金髪の男は気障っぽくつぶやくと、忙しく動き回る人々をかき分けて道路を横切った。
ダルク・ハットは、他の仲間たちよりも一足先に王都に入り、彼の所属する王都直属諜報機関『グリフォンクロー』の基地へ向かっていた。
アーチがかかったり派手な装飾が煌めく大通りから逸れ、繁華街にある裏通りに入ると、それまでの雰囲気とは少し違っていた。
薄暗い空気が漂い、まだ昼間の日の高い時間帯にもかかわらず、酒臭い人が多かった。
ダルクはわき目も振らず、とある酒場のドアをくぐった。
薄汚れてはいるが、客の入りはいい。今でも数人がカウンターやボックス席に居座っていた。
この酒場『クロウ・クローズ』のバーカウンターにダルクは腰かけた。
彩り豊かな酒瓶が並ぶ棚の陰から、丸眼鏡をかけた若い男のマスターが出てきた。
「やあやあハット。久しぶり」
気のよさそうなマスターは柔和な笑みを浮かべてダルクを出迎えた。
「そっちも元気そうだな。カークス」
ダルクもその声に応える。
カークスは、表向きはただのしがないバーのマスターだ。
しかし、その本当の顔はグリフォンクローの幹部である。
彼は情報の受け渡しを担当し、多くの諜報員たちはこの酒場でカークスを介して情報を交換する。
「いやいや、君が来てくれて本当に良かった。状況は芳しいとは言えないからね」
カークスは酒をロックグラスに注ぎながら、世間話のように情報を伝える。
極秘情報が多いが、あからさまに隠すよりも、むしろ何気なく世間話のように話す方が情報が漏れにくいらしい。
ダルクもこのやり方に特に異論はなかった。
「こっちも結構奔り回ったからなぁ。これが終わったら海の見える街に別荘を構えて優雅に暮らしたいねぇ」
苦笑しながらダルクは酒を受け取る。
「さてさて、まずは王都の近況から伝えよう」
カークスはカウンターに肘を置きながら言った。
「王様たちの様子はいつも通りさ。ここのところ騎士団、特に大教皇イザードの言いなりさ。たぶん、今度の式典の開会宣言で、国民に対してもイザードが権力を握っていることが知らしめられるだろう。これは事実上、北の聖地がこの国を手に入れたといっても過言ではないね」
それは以前から、各所で有識者に言われていることだった。
中央市街でダルク本人が始末した、ドレッド・ノートのボス、バルジもこの状況を打破するために作戦を練っていたぐらいだ。
「あーそうかい。だが、必ずしも白ピカ野郎たちが悪いことをするとも限らねぇ。なんなら腑抜けた王族に任せるよりもまともな政治をするかもな」
ダルクは酒の入ったグラスを光にかざして、回していた。
「そうだね。ともかく、騎士団の動向を探るのが僕たちの最優先事項だ。特に魔術兵器のことは知っているね?」
「魔術学院で聞いたよ。学院長から直々にな。たぶんその他の周辺地域もピリピリしているだろう」
ダルクは何気なく「お前が知らせたのか?」と聞いたが、カークスの答えは「いいや、僕じゃない」だった。
「魔術兵器の実態の調査はまだできていない。できれば君に頼みたいんだけど」
「オーケー。どうせ城の中には用があるしな」
ダルクは仲間の二人の顔を思い浮かべながら頷いた。
「よかった。じゃあ、次は別の方だ。アイリーンの方から連絡があったよ。どうやら無事、奴と合流できたようだ。たぶん、こっちに向かってる」
カークスは手元にある手紙を見ながら言った。
「そうかい、それは恐ろしいこったなぁ。そっちに関しちゃ、あの女に一任しとくぜ。俺はできれば関わり合いになりたくねぇなぁ」
ダルクは心底嫌そうに言った。
これは、グリフォンクローの切り札といってもいい存在だ。
騎士団に対抗できる唯一の手段といってもいい。
だが、このことに関しては機関の中でも意見が割れていて、現在はアイリーンに一任されている。
「それじゃあ、次は君の話を聞かせてくれ」
カークスに促され、ダルクはこれまでの冒険を話し始めた。
それはシリウスと紅に出会ってからの、激しい冒険のあらすじだった。
ダルクの任務は、シリウス……もといヴァーリス王子の確保だった。
ドレッドノートのような反王都組織に囲い込まれる前に、彼を王都に連れ戻すのが彼の任務だった。
彼の存在は、騎士団に対する切り札にもなり得る。
(ま、当初の計画とは異なったがな)
ダルクは心中で思案する。
もともと、グリフォンクローがヴァーリスの確保を目指した背景として、彼自身が無実の罪で投獄された可能性があったからだ。
そして、彼の証言が騎士団に対抗できることを期待した。
だが実際には、シリウス自身が父親である国王クロードの殺害を自認していた。
しかし、シリウスがエリオーネの為に騎士団に対抗する戦士として立ち上がったことは、計画とは異なるが結果オーライだった。
(いずれにせよ、騎士団と戦いは避けられねえな)
ダルクはカークスにすべてを話し終えると、お代も払わずに席を立ち、店を後にした。
裏通りを抜けて、今日はあらかじめ予約してある宿へ向かう。
「さてっと……どうなるかね」
ダルクは心中、ほかの誰もいない自分の中で、考える。
(別に最後まで王都に仕える必要もない。本当に騎士団についた方がいいなら俺はそっちにつく)
かつて、ドレッド・ノートという組織の深くまで食い込み、結局は王都側についた。もし、状況が違えば逆の立場だったかもしれない。
「だが……仲間は見捨てるわけにはいかねぇな」
ダルクは一人、すでに暮れかけた王都の街を歩く。
***
王都城内も、城下町のそれと同じく式典の準備に駆られていた。
といっても、街のようにお祭り気分で楽しんでいるわけではない。
この式典は終戦を祝うものと同時に、これまでの争いに終止符を打つものとなる。
大教皇イザードは、普段暮らしている北の聖地から王都へやってきていた。
護衛には騎士団八番の男、イズと六番の女性、ウィルヘルミーナが付いていた。
イズは黒服に逆立った金髪をした軽薄な男で、背中に大きな剣を背負っている。
その姿は騎士団らしくないと、批判を浴びることはあるが大教皇イザードは黙認している。
ウィルヘルミーナは褐色の女性で、白色のローブと肌のコントラストが美しい。
長い髪を艶やかにうねらせて、腰にしなをつくっている。
「順調かね」
大教皇は、一人の人物に言葉少なく尋ねる。その相手は、現国王のディーンだ。
彼は禿かけた頭をかきながら、準備の進捗状況を大教皇に伝える。
ディーン国王は、かつてシリウスが起こした事件により混乱した国の中で、半ば無理やり国王のイスを押し付けられたような人物である。
本人は政治に興味が無いようだが、血統問題により他に適切な人物がいなかった。
その時の混乱を鎮めるのに力を貸したのが、この大教皇イザードである。
それ以来、この国のトップは大教皇に頼りっきりとなっている。
この式典の開会宣言、閉会宣言はどちらも大教皇に任せ、国民もその現状を理解しつつある。
今の王都に熱心に国を動かそうという者はいなかったため、むしろこの聖地の使者は歓迎している節がある。
「いやはや、もう大教皇様がこの国の王になってしまわれれば早いのですがねぇ……」
冗談めかして言うディーン国王に、大教皇イザードは口の端を歪めるだけだった。
「おい、ウィル。どうせ襲撃なんてないだろうからあっちで飲んでようぜ」
イズは退屈そうにあくびをしながら、ウィルヘルミーナを城内にある特設のバーカウンターに誘った。
ウィルヘルミーナは嫌そうに眉をしかめたが、退屈なのは同意なのかおとなしくついていった。
イズは乱暴に座ると、バーテンダーを呼びつけ酒を飲み始めた。
「しっかし、騎士団もずいぶんと減っちまったなぁ」
しみじみとイズは言った。
事実、今の騎士団は本来の十三人から九人まで減っていた。
「そうね。七番は別として、下の方がずいぶんと減ったわね」
現在、二番のラインハルト、三番のターロス、四番のティリオンが殉職していた。
これは騎士団創設以来の惨状だった。
「どーせなら詰まってる上の方が減ってくれた方がありがたいんだけどなァー」
「ちょっとイズ。無礼な口の利き方はやめなさい」
ウィルヘルミーナはたしなめるが、イズは挑発的な口調で続けた。
「ああ? お前はどうせ七番にすら上がれないだろうからなァ。俺は機会さえあればまだまだ上に上るぜ」
騎士団の番号は決して数字だけで強さが決まるわけではないが、数字が大きくなる方が優秀な働きをするとされている。
しかし、上の騎士が居なくなったからといっても自動的に繰り上がるわけではない。
大教皇の一任で、騎士団の数字が割り振られる。
「……ちっ。どうせあなたは戦うことしか能がない男よ」
「それは褒め言葉かァ?」
無駄口をたたく二人の前に、一人の男が立った。
真白な衣を身に纏う、十三番目の位にして騎士団長の座にすわる男。
アルタイルは厳然と立ちはだかり、二人は改まって彼を見上げた。
「今から、悪魔を捕縛する部隊を出動する。そこで、二人のどちらかに来てほしい」
アルタイルの言葉に、イズが勢いよく手を挙げた。
「俺が行くぜ。正義の名のもとに、刃を振るのは俺の仕事だ」
イズが高らかに宣言すると、ウィルヘルミーナはあきれ顔でうなずいた。
「好きにしなさい。私は大教皇様の護衛を続けます」
ウィルヘルミーナは二人を残して大教皇のところへ戻った。
「いよいよですね……大教皇様」
ウィルヘルミーナは恭しく大教皇のそばに寄り添った。
大教皇イザードはそんな彼女を見もせず、吹き抜けから見渡せる城下町を見据えた。
「わが神聖なる教えをこの大陸全土に広める……これこそが、我らが大命。喜びの時は近い」
厳格な口調でイザードはつぶやいた。
「アルタイルよ。あの滅すべき悪魔の捕縛、頼んだぞ」
後ろを振り返り、アルタイルとイズに向かって大教皇は言った。
「はい、仰せのままに。すべては我らの使命のために」
アルタイルは跪いて胸に手を寄せ言った。




