第六十七話「対抗の切り札」
ベアトリクスから告げられた言葉を、シャンクスはすぐに理解することができなかった。
それほど、馬鹿げた冗談だと思ったからだ。
「詳しいことはワイルクレセント城で話すらしいわ。私はそこまでの道案内を命じられただけ」
ベアトリクスは事もなげに事務連絡口調で続けるが、先に話を遮ったのはエリッサだった。
「それってどういうことですか? シャンクスがどうして……?」
「一応、能力を評価して、と聞いたわ」
ベアトリクスは事務的に感情が籠らない声で、聞いた話を伝えるだけだった。
しかし、能天気なシャンクスはその言葉で簡単におだてられてしまった。
「ほほう、つまりワイルクレセント国は俺の力を貸してほしいと……こりゃあ、いっちょ一肌脱ぎますかね」
「ちょっとシャンクス! 『俺はただのコソドロだー』ってさっき自分で言ってたじゃん!」
エリッサは彼を逃さないようにしっかりと腕をつかみ、ベアトリクスをまるで悪人のように睨みつける。
その様子を、無表情のベアトリクスが見つめ返す。
「どちらにするにせよ、ワイルクレセント城に行くべきだわ。断るとしても直接言わなければ無礼と言える。もっとも、国から直々の依頼を断ることができたら、の話ですが」
シャンクスの心内ではもう答えは決まっていた。
ただの市民からのはじき者だった自分にも、国から依頼が来た。
もしもこの依頼を無事完遂することができれば、城で働かせてもらえるかもしれない。
こんな田舎で、ろくな仕事もせずに暮らしている自分から脱出できると思った。
「行くよ。もちろん。道案内を頼むぜ、ベアトリクス」
彼は笑ってそう言った。
しかし、それに納得がいかない者もいる。
「どうして? おかしいって絶対! シャンクスはここに残るべきだよ!」
エリッサは駄々をこねる子供の様に、シャンクスの腕にしがみついて食い下がった。
「なーに、心配すんなって。サクっと仕事終わらせてコッテリ報酬せしめて帰ってくるさ」
彼女の頭の上に、意外と大きな彼の手のひらを乗せて説得する。
彼の言葉には何一つ根拠がないが、そこまでされてしまうと信じることしかできない。
「……ちょっと待ってて」
そう言うとエリッサは建物の中に戻り、何やらガサゴソ漁っているようだった。
しばらくして彼女が戻ってくると、彼女の手にはビール瓶ほどの大きさの箱が乗っていた。
「これ、パパの会社で扱ってるものなの。貸してあげる」
箱を開けてみると、中にはケースに収まったダガーが入っていた。
「おお! これあれじゃん、折れないナイフってやつ」
普通の鉄とは違い魔鉱石を加工した材質で、どんなに酷使しても折れない擦り減らない刃として、主に高級な工具や包丁に使われている代物だ。
エリッサの会社では魔鉱石を加工・販売しているのだった。
今の時代は、戦闘の道具よりもこういった日用品に技術が注がれていた。
「それ、まだ市場には出てない最高級品なんだって。貸すだけだからね! 絶対返しに来なさいよ」
「ああ、わかってる。ありがとな」
シャンクスは腰のベルトにホルダーをつけ、ダガーをぶら下げた。
重さを感じさせないが、その存在感ははっきりと伝わってきた。
「では、行きましょうか」
ベアトリクスは二人を促して、建物の外に出た。
ドアの前ではエリッサをはじめ、詳しい状況を知らない子供たちもシャンクスを見送るように手を振っている。
初めは不安そうなエリッサだったが、決意したのか、やがて笑顔で大きく手を振った。
その様子をひとしきり眺めてから、シャンクスは確かな足取りで町を後にする。
***
ワイルクレセント城は、ハーバーサイドから半日ほど馬車に揺られるとたどり着く。
そこまでの道中をベアトリクスとシャンクスは言葉も少なく、黙々と進んでいた。
ごとごと揺れる馬車に他の乗客はおらず、シャンクスは暇を持て余したのか、向いに座る鎧の女性に声をかける。
「なあ、ベアトリクスってさ。王都の出身とかなのか?」
「……ええ、まあそんなところです」
「じゃあさ、昔の知り合いとかもいるのか?」
「そう……ね、もしかしたらいるかもね」
いつもよりも歯切れが悪く、ベアトリクスは答える。
「私の過去について、いずれあなたに話すことになると思う。その時には……いえ、なんでもないわ。それよりもあなたの任務のことだけど」
「あー、それはワイルクレセントについてからにしようぜ」
それきり、シャンクスは腕を組んで頭の後ろに回し、眠るように目を閉じた。
ベアトリクスは、眼下に広がる雄大な平原に目を移した。
かすむほど遠くにそびえたつのは、王都グランアビィリア城だった。
その城を視界にとらえつつ、馬車はワイルクレセント王国へ向かう。
***
ワイルクレセント国は複数の小国が連合してできた国で、その歴史はまだ浅い。
そのため、ワイルクレセント城は城というよりも屋敷に近い。
木造の三階建ての平たい作りで、三角屋根が飛び出している。
その周りを兵士が囲っているのを見て、ようやく王城なのだと信じることができた。
ベアトリクスとシャンクスは馬車を降りた。
出迎えた丁寧な老紳士が二人を案内し、二人は屋敷の扉をくぐる。
中は外見とは裏腹に豪勢で、赤色のカーペットや各地から取り寄せた装飾品が壁を飾っていた。
二人は幅広い階段を登り、大きな扉を抜けると、そこが王室だった。
しかしそこは、王室と呼ぶにはあまりにも質素だった。
広い部屋にはテーブルと背もたれのついた椅子がある程度である。今、その椅子には剛毅な老人が座っているだけだった。
「よくおいで下さった。お二人とも。まずは座ってくれ」
用意されたソファに二人は並んで座り、改めて老人を見た。
彼こそがワイルクレセント王、ダイン・ヴァレンタインだ。
黒色系の肌に、鍛えられた肉体が伺える。彼は元兵士で、戦乱を何度もかいくぐり多くの人から厚い信望を得た。
その後、政治に関わるようになり、国民の支持からワイルクレセントの王となった。
「ずいぶん変わった城だなぁ。入り口の方はあんなに豪華だったのにこの部屋はなんだかうちの町の役場みたいだ」
シャンクスは相手が国王だろうと、いつもの調子で喋った。
ベアトリクスは頭を抱えながらも、黙っていた。
「はっはっは。それもそうだろう。ここは私の私室だ。入り口の方は客人が多く通るから豪華にしてあるが、ここは基本的に城の人間しかはいらん。……ここだけの話にしたい、今回は例外なのだ」
老人は快活に笑い、改めて任務の話を始めた。
「さて、君に以来する任務だがね。近頃、王都では魔術兵器の開発が行われ、その実験が周辺で盛んに行われているようだ。我々はこの事態を危険と考え、この兵器を秘密裏に入手する。そののち分析し、状況によっては破壊する」
ダイン国王は厳かな口調で話す。
ベアトリクスはようやく口を開き、質問をぶつけた。
「それは国全体で決めたことなのですか? もし、そのような考えが王都に知られれば戦争に至る可能性も考えられますが」
「いいや、これはごく一部の人間で考えた案だ。もちろん、表面上は今後も王都と友好的に振る舞う」
それに納得できないのか、ベアトリクスは続ける。
「ではなぜ盗み出すような真似をするのでしょうか。事実を国民に公表したり、その場で破壊や無力化をすれば……」
「我々は兵器がどのようなものなのかも分からん。それがある個人を攻撃するものなのか、はたまた世界を征服するほどのものなのか、現状では判断できん。情報収集という意味でも仕方のないことだ」
ベアトリクスは頷いたが、心中ではこれはただの表面上の言い訳だと考えていた。
結局、ワイルクレセント国は王都に対する切り札が欲しいだけなのだ。
今は友好的と言っているが、事実上王都の支配下に置かれていると言っても過言ではない。
王都が食糧支援をやめてしまえば、それだけでワイルクレセントは戦力が崩壊する。
しかし、王都の持つ兵器を奪うことができれば、王都と対等に渡り合うことができるかもしれない。
まさか戦争を始める気はないと思われるが、抑止力として、兵器を持つことを考えているのだろう。
「それで、やっぱり俺に依頼したのは俺の才能を認めてのことなんだな?」
シャンクスはベアトリクスの思考を遮るように、脳天気な声を上げた。
「ああ、もちろんだとも。君には期待しているよ。ただし、もしも失敗した時には」
ダイン国王は、そこで一度言葉を切り、身を乗り出した。
「決してワイルクレセントの名を出してはいけない。それは、君の故郷、友人、それから関係のない沢山の人々すべてを不幸にする。わかるね?」
「あ? ああ、もちろん」
シャンクスは頷いた。
ベアトリクスは、そこで耐え切れず二人に割り込んで宣言した。
「私も王都ヘ向かい、任務の手助けを行います」
驚いて見せたのは、ダイン国王の方だった。
「なんと、君は任務に向かう必要はない。それよりも、この城で働かないかね? 君はとても優秀なそうだね」
ベアトリクスはかねがねその能力を評価され、城で働かないかと誘われていたが、断ってきた。
「いいえ、私は彼が無事任務を行なうかを監視したいと思います」
ベアトリクスは一歩も譲らず、国王を見据えた。
やがて、その意志の固さに負けたのか、彼も頷いた。
「よいだろう。ではふたりとも、無事兵器を奪取することを願っている」
城を後にした二人は、ついに王都へ向けて出発する。
道中を歩き、シャンクスは口を開いた。
「なあ、どうしてベアトリクスもついてくるんだよ。もしかして報酬を横取りするつもりかぁ?」
ふざけた調子で話すシャンクスに、ベアトリクスは深くため息を付くだけだった。
その様子に、シャンクスはとうとう弱気な本音を口にした。
「……俺だって、俺だってわかってんだ。田舎でイタズラしてるクソガキを消すついでに、あわよくば政治の足しになればいいってことぐらい」
これまで明るい調子で話していたが、この言葉には彼の真意がこもっていた。
「でもさ、あのまま田舎でコソドロしてるだけじゃあダメだってことくらい、わかってる。これを好機と取るかどうかは俺次第だ」
田舎町で、人の物を盗んで暮らす日々。
国の言いなりになるつもりもないが、何かを求めるには動くしか無い。
「そうね、全ては自分次第だわ。……必ず、すべてを終えて帰りましょう。私も手を貸すわ」
「ああ、約束したからな。絶対見つけるもん見つけて帰ってやる」
シャンクスは腰にさしたダガーを抜き、まっすぐ掲げた。
その先には、厳然とそびえ立つ、王都グランアビィリアがあった。




