第六十五話 打ち上がる炎と旅路
メールルは、旧図書館の果てしなく高い本棚の上を眺めていた。そこには、邪悪に渦巻く魔力があり、おそらくその中では紅がアーネとともにいる。手のひらに汗がじっとりとにじむ。紅の無事を信じて、祈るように見つめる。
もうすでに教師たちとイースの攻防戦は行われていなかった。紅が魔力の渦に吸い込まれた時から、教師たちもそっと状況を見守っている。おそらく、下手に手を出さない方がよいと判断したのだろう。
メールルのそばに立ち、同じように見上げるセシア先生の顔にも、心配の色が浮かんでいた。
その時、魔力の渦に亀裂が走った。
まるで、繭から蝶が羽化するかのように、渦が開け、中から紅が落ちてきた。
一同は慌てて魔術を唱え、教師たちの熟練の魔術により、紅の体は優しく受け止められた。
気を失っている紅は、しかし満足げな表情で、静かに寝息を立てていた。
***
「あ、気が付いたんですか?」
紅が目を覚ますと、そこは初めて学院に来た時と同じく、医務室だった。ちょうど様子を見に来たマナと目があい、安堵の表情がうかがえた。
「うん、体も平気だよ」
紅はベッドから立ち上がると、マナからその後のことを聞いた。
メールルとガイトはどうやら先生たちに呼び出されて、こっぴどく説教を受けているらしい。マナやイースは部外者ということで、お咎めはなかったらしいが、十分な忠告を受けたそうだ。しかし、その場に居合わせたセシア先生の表情は、どこか嬉しそうだったという。
その後、説教を受け終えたメールル達と合流するために、学生寮に戻ることにした。時刻はすでに夜が明けて昼になっていた。寮の扉を開くと、あたりは大歓声に包まれた。
「な、なに!?」
大勢の拍手と歓声に、紅は驚きながらも、メールルを見つけ、事態の原因を聞き出す。
「なんでも、昨夜の出来事が広まっているみたいで。どうやら私たちが魔物を退治したという話になっているそうですよ」
見れば、生徒たちは熱狂的に囃し立て、ガイトはあたかも自分がヒーローとでもいうような風情で浮かれていた。
紅とマナは顔を見合わせて笑い、メールルも楽しげにしていた。
すべては一段落したのだ。
三人は騒ぎからそっと抜け出し、人気のない学園の外にある外周庭園のテラス席にやってきた。マナとメールルは、あの魔力の渦の中で何があったのかを聞いた。
「そうですか……。アーネちゃんはおそらく、今も私たちのそばにいるんでしょうね」
霊体ではなくなってしまったが、その意識はどこかで今も存在しているような気がした。
「あ、そういえば……」
紅は、自分の胸元にあるペンダントについている赤い宝石を取り出して見た。そこには、今までにはなかったはずの、白く揺らいだ模様が入っていた。
そこから確かなぬくもりを感じた。
***
「本当に、もう行ってしまうのね?」
セシア先生は、紅とマナ、そしてイースを順番にみていった。
校門の前に並んだ三人は、もう出発の時間だった。
「また、……いつでも遊びに来てくださいね。とても楽しい時間でした」
メールルは瞳の端をわずかに濡らしながら、別れの握手を交わした。
「うん、私も楽しかった」
「また一緒にお勉強しましょうね」
学院を出発すると聞いて、生徒たちも駆けつけたがったが、授業があるのでと、二人が見送りに来てくれた。
紅は、最後にセシアに質問をぶつける。
「あの時、最後の一押しをしてくれたのって先生ですよね?」
魔力の渦に押し負けそうになったとき、だれかの一押しがあったおかげでアーネのもとへたどり着くことができたのだ。
しかし、先生はただ口元をほころばせるだけで何も言わなかった。
だが、紅にとってはそれだけで十分だった。
「それじゃあ、行くか」
イースが背中に槍を担ぎ直し、学院から王都へと向かう道に歩を進める。紅とマナは最後に二人に手を振り、歩みだそうとした瞬間、背後から大きな声がとどろいた。
「おーーい、最強の炎使いの座は貸しておくだけだからなー!」
見れば、ガイトが学院の塔の上、尖った先端にしがみついていた。それを見たメールルは、「あのバカ……」とあきれた。
ガイトは腕を振って、何やら合図を出した。すると、学院の塔の上に、炎の球体がゆらゆらと立ち上り、大きな爆音とともに、大空に炎の花びらを描いた。どうやら生徒たちが一丸となって授業をボイコットし、紅達を見送る準備をしていたようだ。
ガイト主導の大花火は、真昼の空にもかかわらず、真っ赤な光を煌々を放っていた。
「ふふふ……後で説教をしないといけませんね」
そういうセシア先生は楽しそうだった。
こうして、紅は魔術学院を後にし、旅を再開させた。
目指すは王都。すべての物語の終着点となる場所へ。
***
北の聖地に属する騎士団、その中でも十三人の騎士はそれぞれの小隊を持ち、大きな権力を持っていた。一番の番号が与えられた騎士、ジェイドは今任務を与えられていた。それは騎士団長アルタイル直々に与えられたもので、悪魔を処刑するための『天罰神』という術の実験だという。
しかし、ジェイドは混乱していた。
「これが……天罰神の術……だと?」
ジェイドの眼前にいるのは、一人の少女だ。
目隠しを厳重にされ、イスに鎖で縛られ、座らせられている。白く、質素だが質感の良いドレスを身にまとい、恐怖からかわずかに肩を震わせてる。
ジェイドは十三騎士団の中でも一番若く、実戦経験も、先日のローアン・バザーにおけるヴェッセル医師奪還作戦が初めてだ。そこで、五番の番号を与えられたローブの魔術師、グルードとともに作戦を完遂させた。
だが、この少女の魔術実験はどこか違和感を覚える。
(なぜこのような少女が……? いや、深いことは俺には分からないのだろう)
大教皇様、そしてその右腕であるアルタイル氏には列記とした理由があるのだろう。
ジェイドは素直に命令に従うことにした。
ここは王都からやや南東に向かったところにあるアルフ森林。鬱蒼と木々が生い茂り、豊富な魔力生物がすんでいる。ここで、必要最低限の騎士を従えて、この少女の、いや、天罰神の実験を行う。
まず、少女が座る椅子の背後に回り、首をしっかりと固定する。ジェイドはなるべく手荒に扱わないよう気を付けながら、指示通りにした。
少女は一言も発せず、なされるがままにされている。
その次は、少女の前に、張りぼてのような的に鎧を着せて立たせておく。この時使う鎧は、騎士団に配給されている最高級の品で、並の魔術では破壊することができず、高い防御性を秘めているものを用いる。
そして、注意として、だれも少女の視界に入ってはいけない。
ジェイドは指示の通りにすると、少女の目隠しを外した。
「……? あの、ここはどこでしょうか」
少女はか細い声で尋ねた。瞳は淡いグリーンで、不安でわずかに濡れている。その瞳が、人が生きているなら当然のように、まばたきをした。
瞼が下に降りた瞬間、少女の眼前では暴力的な破壊が巻き起こった。それは爆発でも炎上でもない、破壊だ。まるで、大きな腕を持つ巨人がその力を乱暴に振り回したかのような、純粋な破壊。
木々は内側からはじけ飛び、大地はえぐれる。空気は暴風となって吹き荒れ、的になっていた鎧は無残にも砕け散った。その破壊の規模はすさまじく、森に一点の荒野ができてしまうほどに破壊されつくしていた。
ジェイドは少女の後ろ側に立ち、恐怖で足が震えた。
「なんだこれは……この力は……」
これが天罰神。これこそが、二十年前に大戦で猛威を振るった悪魔をこの世から消滅させることができる力。
少女がまばたきから、ふたたび目を開くと、目の前に広がる光景は破壊の後の無残な残骸だけだった。
「えっ?」
その光景を確かめるために、パチパチと数回まばたきをする。
その後に繰り返されるのは、残酷なまでの破壊だった。
少女は悲鳴をあげ、身をよじりイスから逃れようとする。縛りついていた鎖がガチャガチャと揺れ、顔を固定していなければ何が破壊に巻き込まれるかわからなかった。
ジェイドは慌てて目隠しを戻し、少女を再び静まらせた。
目隠しをして腕を縛り、状況を記録する。
少女がまばたきをするたび、その視界に映るものすべてが破壊される……
ジェイドはそう記録をつけ、詳しい破壊状況などを観察する。しかし、心のうちでは別のことを考えていた。
(果たして……こんなことが正しいのだろうか)
この少女は状況が理解できているとは思えない。たとえ、対悪魔という名義を持っていたとしても、この少女はもう二度と、この世界を見ることはできないのではないか。
ジェイドの持つ資料には、この少女の名前が記されている。
エリオーネ・ミッシェル。
無機質な文字は、かつて王都の城の中に捕らえられていた少女の名前を記していた。
今回で、第五章も終了となります。
次回からは、ここまでのあらすじと人物紹介をはさみ、第六章がある程度書き溜めたら再開する予定です!
なるべく早く六章を公開できるように頑張ります。




