第五十八話 満月と不思議な出会い
真夜中の魔術学院はひっそりと静まり返っていた。終わりが見えない螺旋状の廊下は昼とは打って変わって不気味な闇に包まれている。紅とメールルは忍び足で廊下を駆け抜けていた。
「待って、誰かいます」
先頭を走っていたメールルが小声で鋭く静止した。
紅はメールルの背中に顔をぶつけながらも、その場にとどまる。
暗闇の先には、うっすらと人影が見える。メールルは目を細めてその正体を見定めようとした。だが、人影のほうはこちらに近づいてくる。
(か、隠れないと……!)
紅は焦ってメールルの肩を叩いて急かすが、動きたくても動ける状態じゃない。二人は固唾をのんでその場に固まった。
やがて距離が縮まり、お互いの顔が見えるところまできたが……。
「あっ、紅さんとメールルさん! よかった~、合流できました」
「ま、マナかぁー……」
二人は肩の力が抜けていくのを感じた。
ガイトに決闘を申し込まれ、夜の十二時に実習室へ向かいに行く紅は寮を抜け出した。案内役としてメールルが付き添い、マナは一人セシアと同室になったはずだが、どうにか抜け出してきたようだ。
「なにか会議のような物があるみたいで、簡単に抜け出せましたー」
飄々と語るマナだが、帰りの時はどうするのかほのかに心配になった。
「会議ですか、こんな夜中に。……緊急を要するほどの事が?」
「そんなことより今は決闘だよ。実習室はどこなの?」
三人は身を寄せ合い、夜の校舎を進んでいた。
警備の巡回員がいるわけではないが、むしろ厄介なものがこの学院には備わっている。それは魔術で施された警報のようなもので、不適切な時間に生徒や外部の人間がそれに触れると、一瞬で教員に知れ渡る仕組みになっているらしい。
しかし、この警報も、メールルが慣れた手つきで感知し、回避することができた。
「こういうの慣れてるの?」
「まぁ、長くここで暮らせば自然と身に付きますよ」
それでは警報の意味がないのでは……と紅は苦笑いした。
「さあ、つきましたよ。ここの教室が実習室です」
メールルが引き戸を開けると、紅の学校の教室二つ分ほどの大部屋があった。綺麗に列に並んだ机の上に、ふてぶてしい顔のガイトが腰かけている。
「遅いぞ。……ヘマして見つかったんじゃないだろうな?」
「ふふん、あなたと一緒にしないでください」
「あんだと?」
すぐにいがみ合う二人の間に、紅が割って入り、どうにか話を進める。
「ハイハイ、私と決闘するんだよね?」
「あ? ああ、そうだ。どっちが真の炎使いかハッキリさせようぜ」
真の炎使いって……と内心では思ったが、紅にとっては初めての魔術仲間なので、決闘といえどワクワクしていた。
「あっ、でもどうやって決闘するの? 炎同士ならレジストできないんじゃ」
「ああ、だからこいつを使うのさ」
ガイトが手に握っていたリモコンのような物を操作する。
すると、部屋の真ん中に、直径三メートルはありそうな水の球体が浮かび上がった。わずかに波打つ表面はまさに水そのものだった。
「すごーい……これはいったいなんなの?」
「デモ・スフィアですよ」
メールルが歩み寄って水球に触れた。波紋が表面を伝った。
「授業などで実際に魔術を発動する際に使う的のような物ですね。この教室の真ん中にあるプロジェクターに魔鉱石を投入して射影させます……まぁ、詳しい説明は無用ですね」
「よし、さっさと決着をつけようぜ。ルールは順番に魔術をこいつに浴びせてレジストさせていく。だんだんデモスフィアの魔力を大きくしてって先に消せなくなったほうの負けだ」
「うん、いいよ」
ガイトも自信満々だったが、紅も負けるつもりはなかった。単純な力比べなら自信はある。
「俺から行かせてもらうぜ!」
ガイトは机の上から飛び降り、手のひらを広げた。次の瞬間にはその手にバスケットボールほどの炎の玉が握られている。助走をつけてそれを投擲する。炎の玉は一直線にデモスフィアに向かって飛び、水球を霧散させる。
「へっ、こんなところか」
「ふーん、じゃあ次は私の番だね。もっと大きくてもいいよ」
「な、なんだと……? じゃあ今の一回り大きいやつにしてやる。……ただし、無詠唱だからな!」
「はぁー、あなたの取り柄は無詠唱だけですか……」
メールルは呆れ顔だったが、次に現れた水球の大きさに少し驚いた。
「大丈夫ですか? 紅さん。このバカに付き合う必要はないんですよ」
「ううん、大丈夫だよ」
紅は現れた水球を一瞥し、火加減を考える。
(まぁー一本でいけるかな。……なんか久しぶりだな)
慣れた手つきで、炎剣を発生させる。今回は一本だけ。紅の頭上には矢のように切っ先を標的に向けた炎剣が宙に横たわっている。
ガイトとメールルは驚き混じりにそれを見て、マナはいつもの光景にワクワクしていた。
「いくよ……!」
紅の号令と同時に、炎剣がオレンジ色の軌道を残して宙を一閃する。水球に飲み込まれた炎剣は一瞬その姿を消すが、次の瞬間には水球の内部から爆発するように炎が巻き起こった。
デモ・スフィアの水球が消えた後も、そこには炎が残っていた。
「すげー……」
「すごい……」
メールルとガイトはそろって絶句していた。
***
「いいか! 勝負はお預けだ、今回の勝ち負けは関係ないからな! なんならこのまま続けたっていいんだからな!」
「はいはい。あんたはもう素直に負けを認めたら」
「な、おめぇは関係ないだろ!」
結局、あの後も決闘を続けたが、デモ・スフィアの限界値でも紅は軽々しく消してしまった。ガイトは最終的に詠唱を始めたりと、決闘はグダグダになってしまい、夜も更けてきたということで勝負はおしまいということになった。
「ふわわ……もう眠いですー」
マナが眠そうに眼をこすり、ガイトも大騒ぎしたせいか疲れ気味だった。
「さあ、帰りましょう。帰るまでが決闘ですよ」
メールルの軽口に促され、一同は教室から出ようとした時だった。
ガイトが何かに気づいたように戸口に目を凝らして叫んだ。
「誰だっ!」
「わっ、バカ、教師だったどうするのよ!」
メールルが焦ってガイトの口をふさいだが、戸口の影から現れた人物は教師ではなかった。
「お、女の子?」
おずおずと教室の中に入ってきたのは、ふわふわの髪とワンピースを身にまとった色の白い女の子だった。およそ十歳ぐらいだろう。マナよりも年下のようだ。
「迷子でしょうか?」
困ったような、何も考えていないような子供独特の目でこちらの事を見ていた。マナがそっと歩み寄り、満面の笑みを浮かべて、「お名前は何と言いますか? 私はマナといいます」といった。
「……?」
ちょっと首をかしげた。
あるいは言葉が通じないのかもしれない。
「大丈夫、心配しなくていいよ?」
紅もしゃがみこんで同じ目線に立った。
薄いグリーンの瞳は、不思議な魅力があった。
「……アーネ……」
「アーネ?」
「うん、なまえ」
「そっかぁ、アーネちゃんっていうのか。ねぇ、どうしてここにいるの?」
「あ、……」
「ん?」
「……あそぼ」
幻想的な少女は、おずおずと言った。




