第五十七話 秘密の会談と花園
「杖を下したまえ、二人とも」
学院長は静に告げる。セシアとマーティンは固い表情で目を見合わせたが、渋々従った。イースは無表情で学院長のほうへ歩み寄る。
「君にもぜひ話を聞きたいと思っていたところだ。警戒しなくてよい」
「それは結構、無礼を詫びる。しかし、俺にも詳しいところはわからないぞ」
イースの対応にセシアが眉をひそめるが、学院長は話を続ける。
「ふむ……異世界の存在は古来より研究されてきたが、実際にその存在を目にした者はいない。彼女の特異性は異世界によるものとすれば納得じゃが……。そもそも魔術はこちらの世界の物。その魔術を扱えるとはどういうことかの……」
学院長は組み合わせた指の上に顎を置いて静かに考えを巡らせる。
「学院長、炎といえば聖地の『裁きの炎』を思い浮かべますが……」
マーティンが思い出したように言った。
「『裁きの炎』悪しき魔術師を一掃したといわれる聖地の術式の俗称じゃな。実際にそれほどの魔術を扱える者もいたそうじゃが、そもそも南の地からやってきた少女が北の果ての高度な術式を扱えるじゃろうか」
一同の意見はまとまらずにさまよい続けていた。
「北の聖地といえば、騎士団だが」
イースが沈黙を破るように口を開いた。
「これから俺たちは王都に向かう。王都の異世界研究機関と騎士団。魔術兵器の開発に悪魔の脱走……」
「すべて、一つに収束する……とでも言いたいのかな?」
「ああ」
イースの言葉に、学院長はうなずく。
「君たちには……いや、なんでもない。学院のほうでもバックアップは惜しまないつもりじゃ。しかし覚えておいておくれ、我々は争いを望んではおらん。どうか、平和に事を運んでほしい」
「……善処する」
イースは背を向けた。
その背中を学院の三人は見送った。
***
「ほうほう、それで異世界……いえ、紅さんの世界でも学校は存在するのですね」
「うん、まぁ、勉強は全然違うけどね」
食堂は昼食を食べる学生で騒がしかった。その中では異世界の話をしても人に聞かれる心配はない。紅とメールルとマナは三人で一つのテーブルを占拠していた。
「それにしても魔術の存在しない世界ですか……興味深いですね」
「あはは……」
初対面の印象ではクールだったメールルだが、異世界の事となると熱くなるようで表情をコロコロ変えながらあれやこれやと質問を浴びせてくる。
矢のように飛んでくる質問に答える紅はすっかりヘトヘトになってしまった。
「私もいつか行ってみたいです~」
マナはのんきに紙パックのジュースをちゅうちゅう吸っていた。
そこに、一人の男子生徒がよってきた。
「ったく、お前。まだ異世界とか言ってたのか」
バサバサな黒髪で、若干目つきの悪い少年はメールルに文句をつけるかのように話しかけた。
「ガイトは黙っててください。それと、確かに異世界は存在するんです、紅さんが実際に証明してくれました」
けんか腰のメールルは、男子生徒のガイトに言い返した。突然始まった二人の言い争いに紅とマナは戸惑う。
「はっ、そんなの証明にならないだろ。そいつが勝手に言ってるだけだ」
「そんなことありません。紅さんに失礼です」
「ま、まぁまぁ……」
なぜか紅が二人の間に入ってなだめる。
「……失礼しました、紅さん。こちらはガイト。私たちと同じクラスメイトです。……一応、昔からの知り合いです」
「迷惑なほど腐れ縁なんだ」
ガイトはわざわざ一言付け加えた。
「そんなことはどうでもいいんだ。聞いたぜ? 風や土の魔術を全部炎でぶっ飛ばしたんだって?」
ガイトが聞いているのは昼の前に行った実習での話だろう。
「え、う、うん……」
紅は恥ずかしい失敗を蒸し返されて顔が赤くなった。
「俺もさ、炎系が得意属性なんだ」
「えっそうなの?」
ふん、と鼻を膨らませてガイトはうなずいた。しかしその横でメールルは笑いをこらえていた。
「そうなんですよ、ちなみに私の得意属性は水属性で、一度も私の魔術をレジストすることができないんですよ」
笑いをもらしながらメールルが言った。レジストができないということは、メールルの魔術のほうが力が上回っているということだ。
「なっ、それはお前の魔方陣がクソみたいにガチガチに組んであるからだろ! 無詠唱のスピードバトルならぜってぇ負けてねぇだろ!」
「あらぁ? 実践では力の強さがものをいうのよ」
「いーや魔方陣がなかったら俺の勝ちだね」
「ふっ、ふふふっ……」
「何がおかしい!」
耐え切れずにふき出した紅にガイトは噛みつくように叫んだ。
「二人とも仲よすぎだよ」
「そ、そんなことありません」
メールルは憤慨して否定したが、恥ずかしそうに顔をそむけていた。
「あーもう、そんなことはどうでもいいんだ! 要は俺と勝負しろ!」
「あら、私は負けないと言ったじゃないですか」
「お前じゃねぇ。こっちだ」
ガイトが指差したのは紅のほうだった。
「あたし!?」
「そうだ。お互い炎使いどうし、どっちが上かハッキリさせようぜ」
「う……うん、まぁいいけど」
「よし、じゃあ決まりだな。今日の夜十二時に実習室に来い! 絶対だぞ!」
そう言い残すと、ガイトは肩を怒らせて走り去ってしまった。
「はぁー。あれはあれで悪い人間ではないんです。でも無理して夜中に出る必要もありません。無視しましょう」
クールに戻ったメールルはこめかみを押さえながらつぶやいた。
「ええっ、それは可哀そうだよ!? それに炎系の人の話も聞いてみたいし」
そうして、今夜十二時の決闘に応じることにした。
***
生徒たちの寮は一番太い塔の中に存在する。女子寮が上層で下層には男子寮が並んでいる。女子寮の中はそれぞれ二人一組の個室と談話室のような共有スペースがある。紅はメールルの空いていたベッドに寝ることになり、マナはセシアの部屋で寝泊まりすることになった。
「今夜の見に行けなくて残念ですー」
「まぁまぁ、どうせ大したものじゃないだろうし」
「あら、何の話かしら?」
セシアにはバレるとまずいことになりそうなので慌てて誤魔化した。
教員用の寝室へ向かったマナを見送って、紅とメールルは顔を合わせる。
「それで、実習室っていうのは?」
ガイトが言い残した決闘場所だ。
「講義棟の三階の広い教室ですね。実際に魔術を発動しても平気な教室です。おそらくそこにあるデモ・スフィアを使うんでしょうけど……。ともかく、それまでまだ時間もあることですし、シャワーでも浴びますか」
「あっ、いいね!」
久しぶりの落ちつた時間に紅の顔もほころんだ。
魔術学院のシャワー室は扉がいくつもならんだごく一般的なものだ。しかし、扉の高さも首から膝ぐらいまでで、隣を仕切る柵も上と下が空いている。少女たちは談笑しながら己の体を磨いていた。
「あっ、メールルと転入生だー!」
「ほんとだ、ねぇねぇ話聞かせてよー!」
「うわぉ、いいからだだねー!」
入った瞬間に女子生徒たちに囲まれてしまった。何とか個室までたどり着き、シャワーを浴びながら改めて談笑の輪に加わる。
「それで、異世界出身ってマジなの?」
髪の長い女子が紅に尋ねる。
「うん、まぁ……」
何度もしてきた質問にやや辟易しながらも答える。だが、相手もその意図をくみ取ったのか、質問を変える。
「じゃあさ……あの男の人ってどういう関係?」
「えっ……?」
突然の質問に茫然とする。
「あの一緒に夕日見てた男の人だよ。もしかして……恋人とか?」
その途端、シャワー室には女子たちの黄色い歓声が上がる。戸惑う紅をよそに、女子たちは盛り上がり、メールルもしっかりと耳を傾けている。
「ど、どうなのかな……」
シリウスと自分の関係。長い間一緒に旅をしてきた仲間だ。それはお互いに王都へ辿り着くという目的があるからだ。しかし、それだけだろうか。普通の旅とは違う様々な困難が二人を待ち構えていた。その度に力を合わせて乗り越えてきたのだ。
普通の仲間といえるだろうか。
脱獄者と迷子。剣士と魔術師。
「ふーん、まっ、とりあえずメールルにも一応聞いてみますか」
「はいっ!?」
急に話を振られて肩がとびあがったのが見える。
「昼にもガイトと何やら熱くなってたじゃない」
「あれはあいつが……」
真っ赤になって弁解しようとしたメールルだが、周りの女子の反応は、
「まーまー、あそこの夫婦は今さらねぇー」
「煮え切らないよねぇー」
「もういっそくっついちゃえばいいのにねぇー」
と適当に囃し立てている。
「もう、みなさん静かにしてください!」
メールルはシャワーのお湯をまき散らして怒鳴った。
シャワー室の笑声に包まれて、紅は頭から熱いお湯をかぶる。
(シリウスとの関係か……)
胸の奥に、小さな炎がともった気がした。
しかし、いずれ来る別れを思い出さずにはいられなかった。
テンションあがってきた




