第五十五話 絶対に破りたくない約束
辺りは夕日の穏やかなオレンジ色に包まれていた。クロスフォード学院は海岸線の切り立った丘の上にあり、一歩外に出ると眺めの良い海を見ることができる。潮風に吹かれながら、海の見える広場のベンチに紅は座っていた。まだこの学院で目が覚めたのは今日の事だ。明日の朝一にダルクとシリウスは学院を出て、王都と橙国のそれぞれを目指す。
紅は三日の間、この学院で休養を取りつつ魔術を勉強する。そして、王都を目指して最後の旅に出る。
「こんなところにいたのか。体は大丈夫か?」
声のしたほうを振り返ると、シリウスが歩み寄ってきた。紅の隣に並んで腰掛ける。
「もう全然平気だよ。……ごめんね、心配かけて」
「それはもうお互いに言わない約束だ。俺はもっと強くなるし、紅も強くなる。それでこれからは誰も失うことのないようにしよう」
シリウスのその言葉に、紅は静かにうなずく。
「ねぇ、夕日。綺麗だね」
「そうだな」
二人で並んで、海に沈み行く夕日を眺める。灼熱の炎のように燃え盛る太陽が二人を照らす。どの世界でも、太陽と海は存在し、朝と夜を繰り返し、また新しい一日が始まる。水面は光が反射しキラキラ煌めいている。宝石をちりばめたようだ。ここまで美しい水平線と、その背後に広がる広大な地平線は元の世界では見られないような絶景だ。
紅は、心の中に密かに積もっていた思いを、ここで口にする。
「王都にたどり着いてさ。もしも元の世界に帰れることになったらさ。どうなっちゃうのかな」
「……どうなるって?」
シリウスは必至に落ち着こうとしているのがわかる。声の端がわずかに震えている。
「もう……こっちにはいられないのかな」
「それは……」
王都は旅の目的地だ。それは紅とシリウスだけではない。ダルクやイース、マナだって皆一緒に王都を目指してきた。そして、その目的が果たされればこの旅も終わる。
紅の旅の終わりは、元の世界に帰ることだ。
「王都に着いてから考えればいいさ。もしかしたら自由に行き来できちまうかもしれないぜ?」
「そうだよね。まだ帰れるって保証もないのにね」
それでも紅の不安は消えない。
元の世界の事が気にならないと言えば嘘になる。両親や友達の顔が浮かぶ。だけど、もう悲しまないと決めたことだ。いつかは絶対に帰ってみせる。しかし、元の世界に帰ってしまうと、シリウス達とはお別れしなければいけない。それは……嫌だ。
「よし、決めた」
シリウスが立ち上がって紅のほうを振り返った。
「また、ここに来よう」
「ここって、この場所に?」
「そうだ。ここが約束の場所。すべての俺たちに関するゴタゴタに片がついてさ、紅も元の世界に帰ることができて両親にただいまって言ってからまた戻ってきてさ。ここでまた二人で会うんだ」
「……約束だね」
「そうだ。約束する。俺は絶対にここに来るし、紅がもし来れなさそうだっら俺が迎えに行って無理やりにでも引っ張ってくるからさ。……俺はもうお前を悲しませたりはしない」
シリウスは強い決意に満ちた顔で言った。
その顔に、いつも安心させられてきた。そして、今も。
「うん、絶対だよ」
「ああ、絶対だ」
二人で顔を見合わせて頷き合う。そこで紅は思いついた。
「じゃあさ、指切りしよ」
「ゆびきり?」
「絶対に破りたくない約束をするときにね、するおまじないの事。ほら指出して」
「こ、こうか?」
二人の小指を絡ませ合い、魔法の呪文を唱える。
「ゆびきった」
「……これでいいのか?」
「嘘ついたら炎剣のますからね」
「ははっ、それは勘弁だな」
***
「紅さ~ん。あーさでーすよー」
「ん、う~ん」
紅は体を揺さぶられて目が覚めた。ふかふかの白いベッドに柔らかな日差しが照りつけられている。
クロスフォード学院の医務室。昨日の夕方に目覚めたばかりの紅は結局この場所で眠ることになった。
自分の胸の上に馬乗りになったマナを押しのけて起き上がる。
「おはよ、マナ」
「もう、ダルクさんとシリウスさん。もう出発しちゃいましたよ?」
「うん。朝早くに行くって昨日言ってた。次に会うのはもう王都だね」
「お別れの挨拶をしなくてよかったんですか?」
「……大丈夫、だってまた会えるから」
たとえ、どんなに遠くに行ったとしても。
約束したから。
クロスフォード学院は大きな三本の塔で構成され、基本的に塔以外の建物は体育館ぐらいしか存在しない。一番太い塔が医療関係と生活関係を担当していて、紅も今ここにいる。
他の二本の塔は学業関係で、講義塔と魔術塔に分かれている。
「まずは教職員室のセシア先生のところに行くんでしたよね」
マナは塔の地図を片手に廊下を歩く。
クロスフォード学院の廊下は塔の内部なので微妙な傾斜を持つ螺旋状にできている。基本的に一本道なので迷う心配がないが。
「今日から三日間、特別に講義に参加させてもらうんだよね」
「はい、どんなお話が聞けるのか楽しみです~」
教職員室に着くと、柔らかな微笑を浮かべたセシアが迎えてくれた。
「紅さんとマナさんね。いまからホームルームを行いますからついてきてください」
セシアの背後に着いて、一旦外に出る。そこから学業関係の講義塔に行く。外は既に朝日が昇り、すがすがしい朝だ。
講義塔は先ほどの塔より少し細い。それでも十分すぎる大きさだが、こちらは一フロアごとにちゃんと階段がついていた。階段を上り、三階の廊下の突き当たりにある教室が、紅たちの参加する教室だ。
「マナさんにはちょっと難しい内容かもしれないけれど、それは我慢してちょうだいね、こちらの都合でクラスを分けるわけにはいかないの」
「いいえ、全然かまいませんよ!」
むしろ紅のほうが構いそうだ。年齢的にいえば相応しい教室なのかもしれないが、紅は魔術の勉強なんて一切したことがない。
(だ、大丈夫かな……)
教室のドアをじっと見つめる。
異世界とはいっても、学校の知らない教室に入るのは緊張する。転校生の気分だ。
(なんて喋ればいいのかな……)
緊張が徐々に頭に上ってきたところで、セシアがドアを開き二人を中へ導いた。
「今日から三日間、見学をすることになった二人よ」
セシアが紅とマナについて何やら説明していたらしいが、紅の耳には全く入っていなかった。いきなり前に立たされて、ようやく自己紹介をするのだと思い至った。
クラスメイト約三十ほどの視線が一斉に紅に集中する。全員制服のローブを着ていて、あまり紅の世界の高校と変わらない。
「あ、あの、えっと……。異世界から来ました、雛沢紅です。得意科目は体育です、よろしくお願いします」
言い終わってから、空気がおかしいことに気づいた。
「い、異世界……ですか」
「ああ、ええと、それぐらい遠いところって意味です」
クラスが微妙な笑いに包まれた。
(ああもう、私のバカ……)
その後のマナの自己紹介では、可愛らしさ爆発で女子からはもちろん、男子の一部からも熱狂的な支持を得た。
「それじゃあ、お二人は後ろの空いてる席にすわってくださいね」
意気消沈した紅はゆっくりと指示された席に着く。
すると、隣に座っていた女子生徒が声をかけてくれた。
「あの、私はメールルといいます。三日間よろしくお願いします」
「あ、うん。よろしくね」
メールルと名乗った少女はショートカットの綺麗な子だった。淡いブルーの瞳がとても美しい。紅が見詰めていると吸い込まれそうだった。
「それで、異世界というのは」
「ああ、あれは冗談だよ。なんかスベっちゃったけど」
軽く笑ってごまかすことにしたが、メールルの目は真剣だった。
「異世界は存在しますっ。父が王都で異世界転移の研究を行っているんです。そしていまだに人間の転移には成功していませんが、それでも異世界の存在は確認されているんです」
「えっ、そうなの? それが本当なら……」
「こら、そこ。いつまでもおしゃべりしてないで静かにしなさい」
セシアにとがめられ、二人は黙った。
お互い無言で視線を合わせ、ちょっと笑う。
ずいぶん久しぶりの紅登場。主人公が聞いて呆れます。
これから魔術学院編スタートです。いつまで続くかな笑
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