第五十四話 朝露の旅立ちの時
夜が明けた。朝日が空に舞い上がり、世界を漆黒から穏やかな橙色に染め上げる。穏やかな風が木々を揺らし、鳥や小動物の声が聞こえる。
昨晩の出来事はまだ誰も知らない。シズカとシリウスを除いては。
ただこれ以降辻切り事件は起こらないだろう。一応、模倣犯や他の犯罪が起こるのを防ぐ意味でもしばらくの間は警戒を強める必要があるが。
これで橙国の平和は戻ったのだ。
しかし、それと同時にこれから先も、平和を維持するのは難しい。けれどシズカは胸に忘れられない傷跡とともに、そのことを一生抱き続けるのだろう。
キョウシの遺体は発見されなかった。
普通の人間が落下すれば、まず助からない高さから落下したが、彼には気を扱うことができる。生存する余地はあるのだ。しかし、今後彼が姿を現すことはないのだろう。彼の意思はあの夜、カタナとともに打ち砕かれてしまったのだ。もしかしたら生きているかもしれないし、姿をくらまし山の中で野垂れ死んでいるのかもしれない。
すべての未来は、シズカに託されたのだ。
橙国の正面門の正反対の方向、ちょうど城の裏から抜け道がある。そこは小さな隠し扉があるだけで、その外はもう森の真っただ中だ。門の前でシリウスはシズカに別れの挨拶をしていた。
「本当に、世話になった。もしも、今後俺に力になれることがあったら言ってくれ」
「ええ……。むしろ感謝したいのはわたくしのほうです。あの夜、勝ことができたのはシリウスさんのおかげですから。それと……」
シズカは小脇に抱えていた長い木箱のようなものを差し出す。
「これも受け取ってください。せめてもの感謝の気持ちです」
受け取ったシリウスはふたを開ける。
その中には、黒光りする鞘に収まった一振りのカタナが収まっていた。幽玄な威圧感を与えるそれは間違いなくあのカタナだ。
「〝桜花゛……いいのか? これは国に伝わる大事なものだろう」
「いいんです。しかし、貸し出すだけです。シリウスさんの戦いが終わった時に、返しに来てください。これは、今のこの国には必要のないものです。力は必要です。けれど、刃は人を傷つけるための物です。わたくしに必要なのは人を傷つけずに守るための力なんです。……それでも、シリウスさん。今のあなたにはまだ刃という力が必要です」
「ああ、わかってる。俺も、もう人を傷つけるために剣を握るんじゃない。大事な人たちを……守るために戦うんだ。約束する。絶対返しに来るよ」
そういうとシリウスはシズカと、橙国に背を向けた。
ふと振り返って、その姿を見る。
まだ大人になりきれていない少女、彼女が背負うにはあまりにも大きすぎる問題だった。それを彼女は精一杯がんばった。
少しくらいは……休んでもいい。
今の間だけは、ごく普通の少女として、感傷に浸っていても咎める者は誰もいない。
シリウスは鬱蒼と生い茂る森の中に足を踏み入れた。
目指すは故郷、王都グランアビィリア。すべての始まりの地であり、すべての終着点だ。
***
真っ白な光に包まれた大聖堂には、巨大な円卓のテーブルが置かれていた。ある中心の一点を囲うように椅子が十三並べてある。
そして、その中心部には豪奢な玉座が置かれている。
ステンドグラスを抜ける日差しは色を変え、真っ白な大聖堂に様々な色を加える。天井までは見上げるほどの距離があり、それを支える柱も大木ほどの太さがある。
白を基調とした大聖堂は、騎士団の総本部であり、ここは集いの場であった。
一番の席に着いた、白い鎧の男ジェイドは視線すらも慎重に辺りを見回す。
中心に座る大教皇様は眠るように目を閉じ、肘をついて拳の上に顎を置いていた。痩せているが与える威圧感は計り知れない。真っ白なひげを指でもて遊んでいる。
その肩越しに見えるのは騎士団長アルタイルだ。彼も真っ白なローブを身にまとい鋭い相貌をのぞかせている。その両端にはそれぞれ、十二番と十三番の騎士が連なっている。ジェイドが座るのは一番の位が低い席だ。とはいっても、下級騎士はこの下に数百といるのだが。
その時、大教皇が重い口を開いた。
「それでは始めよう」
しかし、ジェイドは動揺を隠すことができなかった。席がまだ完全に埋まっていないのだ。四つの空席がある。二番のラインハルトは既に殉教しているのは知っている。七番もずいぶん前に抜けて以来埋まることはない。だが、まだ三番と四番の席が空いていた。
「おいおい……マジかよ、じいさん」
口が悪い男は八番に座るイズだ。逆立った髪に黒い服装は騎士団の教えに反しているが、咎める者はいない。そんな破天荒な彼でも驚いていた。
「……死とは突然やってくる。しかし悲観することはない。彼らは先に神の元へ向かったのだ。黙祷をささげよう」
大教皇の言葉に、席を囲む一同がうなずく。
しばし、沈黙が辺りを包んだ。その中でもジェイドは平静を取り戻すことができなかった。自分の上三つの席が空いたのだ。だが騎士団の階級はそのまま繰り上がることはない。もちろん相応しい人物なら上がるかもしれないが、大抵の場合は空席のままになる。いつ補われるかは誰にもわからない。
だが、ジェイドは出世に興味がない。
そもそも大戦後に騎士団に加盟した彼は、まだ若い。志望理由は単純で大戦を事実上終結させた騎士団を正義の味方のように感じたのだ。そして自分も誰かの役に立ちたい、少年のような動機だった。
嫌でも脳裏をよぎるのが、自分が死ぬ姿だ。騎士団の階級は基本的に上に行くにしたがって力量が増す。つまり自分より強い三人が殺されたのだ。
そう、殺したのは紛れもなく……
「そこで、私のほうから報告がある」
声を上げたのは、十二番の席に座る男、ヴァ―ジルだ。総髪に髭を生やし、サングラスと黒いスーツをまとったこの男は、騎士団の人事の管理などもやっている事実上の司令塔だ。
「悪魔≪ゲヘナ≫の捕獲、処刑を終戦記念式典のうちに行うために、そしてこれ以上犠牲者を出さないためにこの件に関しては優先的にあたるべきだ。よってこの件の全責任を騎士団長アルタイルが負うことにする。異論はないな?」
その問いかけに、アルタイルは苦々しくうなずいた。
そもそもが彼が奴を逃がしてしまったばかりに起きた事だ。異論があるはずがない。
「続けて、『天罰神』のほうだが……順調か?」
これも、全権アルタイルが負っていることだった。ゲヘナに対する魔術全部を開発したのはアルタイルだ。処刑に用いられる術式、『天罰術式』と『天罰神』の開発も行っている。
「順調だ。問題ない」
「了解した。私からは以上だ」
そして集いの中心は大教皇に戻る。
「それでは、皆には終戦記念式典に尽力してもらうことになる。そして我々の悲願、大陸全土の人民に加護と教えを授けるという大命も心に持っていてほしい」
大陸全土に教えを授けること。
それが大教皇の、そして騎士団の大命であり使命だ。
ジェイドには詳しいことがわからない。教えを授けることがどういうことなのか。しかし、それで救われる人々がいるのなら、それで構わない。集いは解散した。それぞれ席を立ち、三々五々に散ってゆく。ジェイドはそのまま席に座っていた。
***
「あれあれ? 浮かない表情をしているけどどうしたのかな?」
「黙れ、カース。身をわきまえろ」
アルタイルは大理石でできた床を踏んで大聖堂の廊下を進んでいた。ローブをはためかせ急ぎ足で進むがぴったりと歩調を合わせて仮面づらのカースが顔を覗き込んでくる。
「いやいや、それにしても驚いたよ。まさか天罰神にいたいげな少女を使うなんてね。むしろ君が天罰を食らいそうだよ。アハハハッ」
「……黙れ」
「うんうん、君の気持もよくわかる。必要な犠牲ってやつだよね。まぁいいや。君がそれでいいならさ。しかし、君のその判断は誤りだったかもね」
「……」
アルタイルは無言のままに続きを促す。
「そもそも君は後腐れの無いような人選をしたみたいだけどね。あの少女を血眼になって探す連中もいるってことだよ。それとね。君の計画はホントに面白いよ。大教皇もまだ気づいていない、もしかしたら君が“天地をひっくりかえす”かもね」
ようやく終わりました。橙国編。短い予定だったのですが、ずいぶん長くやっていた気がします。この橙国編で、(更新の停止をのぞいて)お気に入りの増減が結構あり、いろいろ考えさせられました。「そこで増えるか」と喜んだら「そこで減るんだ」と落ち込みました。でも、やっぱりここまで、こんなところまで読んでくれるのは素直にうれしいです。ありがとうございます。
ちなみに、というか補足でもないですけど、オマケです。
橙国の登場人物は名前は漢字が一応あります。静、綾乃、清獅、崖堂、といった感じです。どうでしょう?




