第五十一話 暮れる橙国と戦いの決意
橙国内部では、大規模な捜索が行われていた。昨晩の襲撃で気絶した兵士達も朝には目を覚まし、捜索に参加していた。犯行からまだ半日程度しか経過していないという事で、新兵達も動員し、何が何でも証拠の一つは見つけようと躍起になっていた。
市民ははじめ、驚き戸惑っていたが、やがて屋内に引っ込み、事態の収束を待っている。
そんな外の様子を尻目に、城内の道場でシリウスとガイドウは剣を交えていた。
数十分前、ガイドウからの呼び出しに応じたシリウスは、重苦しい表情の彼からこう告げられた。
「……こうなってしまった以上、もう悠長に構えては居られん。剣を持て。稽古をつけてやる」
「待ってくれ。……これは憶測かもしれないが、あなたは何か知ってるんじゃないか?」
逡巡の後、ガイドウが口を開いた。
「全ては稽古の後だ」
そうして二人は無言のまま剣を交えた。
ガイドウの剣先は迷うことなくシリウスを狙ってくる。真剣ではなく、刃の無い練習用の剣だが、その動きは真剣そのものだ。稽古というよりも、決闘といったほうが正しい。
ガイドウは初めからシリウスに目をつけていた。それがどのような理由なのかは分からない。しかし、彼が何か思う所があるのは確かだ。
ガイドウの一撃がシリウスの防御をかいくぐり、喉元を一直線に刺した。正確には寸止めだったが、シリウスの額には冷や汗が伝った。
「……」
無言のまま、視線が合う。
そのとき、道場の扉のほうから声がした。
「ほう、これはお邪魔だったかもしれないですね」
戸をくぐり、長身をまげて入ってきたのはキョウシだった。その表情は穏やかだが、鋭い視線を放っていた。
「ふん、貴様か。何用だ? 捜索に顔を出さなくても良いのか?」
「生憎、もう兵士ではないのでね。多少の自由は効く身なんだ。それをいうならシリウスだってこんな所で特別訓練とはね」
「これは貴様には関係の無い事だ。早く捜索に参加しろ」
剣幕を放つガイドウに対し、キョウシは至極冷静だった。
「ボクは一つ、質問に来ただけですよ」
キョウシは続ける。
「この事件の犯人、誰だと思いますか?」
「……」
分かるはずもない質問だ。とシリウスは思った。この辻きり連続事件。過去に何度も被害者を出しながらもその手がかりすら掴めていない。ガイドウが知っていたなら、事件は既に解決しているだろう。
「ボクが思うに、犯人はかなりの使い手だ。他の被害者はともかく、アヤノはそう簡単に殺されたりはしない。警備兵を全員気絶させる事も相当な技量が必要だ。そして、それほどの技術を持つ人間はこの国内に数名しか居ないだろう」
「……何が言いたい?」
ガイドウの皺が一層寄り、その顔は鬼の形相だ。
「犯人の動機は不明だ。しかし、これだけは確実だ。この国の人間を殺している。つまり……」
「反逆者。とでも言いたいのか?」
「簡単には言い切れないだろう。でも、もしもそうなると、ボクはむしろ国外の人間が怪しいと思う。あと、一つの事実がある。最近国内に入った外部の人間はただ一人」
そこでシリウスは、背筋が凍る思いだった。その人間とはつまり、
「シリウス。君だ」
「待て、俺は違う!」
シリウスは叫んだが、キョウシの表情はむしろ理解ある顔だった。
「そう、君は違う。君が橙国に入ったのは二日前の昼。つまり、全ての犯行を行うどころか、今回の一件しか行うことが出来ない。しかし、その事実を知る人は少ない。君はうまく紛れ込んでしまったのだから。でもよく調べれば、君が王都出身である事は簡単にバレてしまう」
「えっ? 何故王都出身と……?」
一番触れられたくない過去が胸の中で疼く。
「剣筋。流派といえば分かりやすい。君の剣を扱う癖は王都の、それも王家でよく見られるものだ。剣の達人が見ればすぐに分かるよ。そして、それを知るものもまた、極数名」
「回りくどい言い方は止めろ! ハッキリ言え」
ガイドウが叫んだ。
「ガイドウ師匠、あなたはシリウスを犯人に仕立て上げたかったのではないですか? そのために急激な特訓をした。外部の人間だから扱いやすいでしょうね、彼が何を目的として橙国に侵入したか……まぁ、大方予想はできるが、貴方が彼の特訓に付き合う義理はないはずです。率直に考えれば国外の人間の犯行だ。シリウスは犯人に見えるんですよ、いえ、見えやすいと言い換えましょう」
ガイドウは黙してキョウシの話を聞いていた。しかしその額には青筋が浮かんでいる。飛び掛からないのが不思議なほどだ。しかし、そんなことよりもキョウシの話の内容の方が衝撃的だった。
(ガイドウが犯人……そんなばかな)
心の中で否定はするが確証はない。もちろん、犯人であるという確証もないが。
「貴様の言いたいことは分かった。わしを拘束でも何でもするがいい、できるのならな。それだけだ」
ガイドウは背を向け、道場から出た。
シリウスは後を追うこともできず、その場に立ち尽くしていた。
「シリウス、君も気を付けた方がいい。あまり派手に動かないべきだ」
シリウスはもう明日にはこの国を出る予定だったが、できることならば犯人を捜し出し、仇を討ちたい気持ちだった。
「あの……シズカの様子はどうですか?」
親しい人間を殺されたのだ。朝見たときはその表情をうかがえなかったが、内心では相当苦しんでいるだろう。
「部屋にいる。一人にさせてあげようと思ってね。ずいぶん落ち着いた、本当に強い子だよ、彼女は」
その時、シリウスはふと、道場の入り口を見た。そこにはもうすでにガイドウの姿はないが、一瞬人影を見た気がした。
「どうかしたのかい?」
キョウシにのぞきこまれ、シリウスは首を振った。見間違いだろう。
結局、その日はもう訓練を行うことがなかった。ガイドウの行方が分からなかったからだ。とはいってもガイドウが指名手配され、大々的に捜索されたわけではない。キョウシはおそらくまだ誰にも先ほどの話をしていないのだろう。
日が傾き、大捜索の末に、やはり何も見つけだすことができなかった兵士たちが城に帰還し、アヤノの葬儀が行われようとしていた。
シリウスの脳内ではキョウシの言葉や、さまざまな人の顔が浮かんでは消え、かすかに体の芯が震えた。夕日に照らされ、淡い橙色にそまる城を宿屋の窓から眺めていた。
葬式に参加すべきだと思ったが、キョウシの言葉が思い出された。防具をまとっていれば素性をごまかせるが、喪服すら持っていないシリウスが式に参加すれば、外部の人間であることがバレ、厄介な事態になるだろう。
大通りを、黒い着物を着た清潔な恰好の男たちが列をなして歩き、城の正面門から棺が運び出されてきた。その列の中には、鮮やかな着物を着たシズカの姿も見える。その表情はここからではうかがい知れない。
大衆が見守る中、棺が大通りを進む。
シリウスはそっと目を閉じ、手のひらを合わせ、黙祷を捧げた。
日が暮れ、夜になった。橙国での最後の夜である。明日にはもう王都へ出発しなければいけない。気のヒントは得た。今、この瞬間にも、神経を集中させ、力の制御の精度を高めていた。
今夜も綺麗な満月だった。雲一つない、晴れた夜空だ。星々が蒼く輝き、暗い橙国の夜を柔らかく灯す。窓は開いているが、風の音しか聞こえなかった。人の声は全くしない。しかし、今夜も外では兵士の見回りが行われているはずだ。
小さな音が聞こえた。それは石で木をコツコツと叩くような音だ。窓の方から聞こえる。シリウスは目を開け、ランプの明かりを掲げた。窓の外を塗りつぶす黒を払って辺りを確認する。
そっと窓枠に近寄った時だった。
途端にシリウスの顔面に何かがぶつかった。覆いかぶさったと言ってもいい。咄嗟のことに身構えながら何かの正体をさぐる。よく見れば、それは手だった。窓の外、宿屋の外壁の淵に立つ人間が手を伸ばし、シリウスの口を塞いでいた。
「喋らないで」
短い声が聞こえた。
闇の中に立つ人間の顔は見えないが、シリウスにはもうその正体がわかっていた。
(シズカ……?)
困惑するシリウスを宿屋の部屋の中に押し戻し、自身も窓枠をくぐって中に入る。シリウスには見慣れた町娘の格好だ。
「静かにして。そうしたら手を離すわ」
その言葉にシリウスは喋ることができないので、短く頷いた。
シズカがそっと手を離した。
「何の用だ? 普通に下から訪ねてくればいいのに」
シリウスの部屋は二階だ。窓枠をくぐってくる必要はない。
怪訝に思い、シズカの身なりをよく見ると、その片手には、黒塗りの威圧感を与えるカタナが握られていた。間違いない、闇払いで使用したカタナだ。
「おい……?」
シズカの目は、悲しみに暮れても、復讐に燃えてもいなかった。不思議と据わっていた。まるで、覚悟を決めてきたかのように。
シリウスの脳内で、キョウシの言葉が響く。
(まさか、俺を犯人だと……)
胸の中で戦慄する。冷や汗が背筋を伝う。シズカは女性だから単純な力比べでいえば、シリウスの方が強い。だが、今シリウスは武器や防具を一切持っていない。カタナ一振りで終わりだ。この部屋では逃げ場も少ない。
構えるシリウスに対して、シズカが口を開いた。
「お願いです。わたくしと共に来てください」
状況が飲めず、固まるシリウスにもう一言加えた。
「仇を討ちます」
その言葉は決意に満ちていた。
橙国編もいよいよ佳境です。




