第五話 地図と街
「まぁ、魔術を簡単に言えば『魔力を燃料として不思議な現象を起こす』って事だな」
「不思議な現象ってあの炎の剣とか?」
紅は首から提げたペンダントを撫でながら聞いた。
「ああ。他にもいろいろある。次々に開発されていくから無限にあるんだ。それでも炎の剣、しかも無詠唱なんて並の魔術師でも使えないぞ?」
「無詠唱?」
「そうだ、魔術ってのは生物の持つ魔力を変換して体外に放出するわけだ。魔力ってのは、強いて言えば体力みたいなもんだな。生物のうちにある力のことだ。でも、ただ念じれば放出できるわけじゃない。複雑で膨大な理論を頭の中で組み立ててやっと魔術が使える。でも頭の中だけじゃ膨大な理論をまとめきれないから、言葉に出して言霊の力を借りたり、衣服や装備品、または地面なんかに魔術刻印を刻んでおいたりするんだがな」
「あ、え!? 言霊?」
初めの方はなんとなく理解できた気がしていたが、後半にかけて紅の理解能力の限界を超えてしまった。
「ようはお前はとんでもないことを軽く仕出かしたってことだな」
「ふーん、じゃあ魔術で空も飛べるかな?」
子供の頃からの憧れであった、魔法使いが箒で空を飛ぶ様子。
もしかしたら実現できるかもしれないと目を輝かせる紅だった。
「あのなぁ、そんなことするには、それこそ膨大な理論を考えなきゃいけないんだぞ? そんなことよりお前は元の世界に帰る方法を考えなくて良いのか?」
「そうだった、召喚魔術って何?」
危く目的を忘れかけていた紅に頭を抱えるシリウスだった。
「これも俺の専門外だから詳しくは分からないが、王都の研究機関で召喚魔法が開発されているらしい。なんでもそれを発動すれば異世界と扉をつないで、物体を行き来させることが出来るそうだ」
「ということは、私もそれでこの世界に来たって事?」
しかし、シリウスは唸った。
「いや、俺も聞いた話だからなんともいえないんだが、異世界を行き来する際に、莫大な魔力の流れに身を投じることになるから生物が生きたまま異世界にはいけない……という話を聞いたことがある」
「よくわからないけど、やっぱり無理なの?」
「いや、確かめてみる価値はあるだろ。王都に行けば何か分かるだろう」
そこで、紅は思い出した。シリウスの向かう先も王都だった。
「じゃあ一緒に王都に行こうよ!」
「断る……つもりだったが、お前の魔術はなかなか役に立ちそうだ。いいだろう、一緒に行こう」
そこで紅は「やったー」と歓喜の声をあげ、シリウスは、おいおい……と頭を抱えた。
こんなにも無邪気に笑っている少女が、ワイルドベアーを蹴散らしたと思うと、何故だかすごくおかしく見える。
「じゃあもう寝るぞ。明日は出発するからな」
そう言ってシリウスは部屋の明かりを消し、月明かりだけがこの部屋を照らした。
紅にとっては、この世界での初めての夜。
元の世界ではどうなっているのか、とか、本当に帰ることができるのだろうか、とかは全然気にならなかった。
その理由は、紅にははっきりと分からなかったが、なんとなく、シリウスが居ると心強く安心できた。
(なんだか……疲れちゃった)
紅は自然と、眠りに落ちていった。
***
「おい、起きろ。もう出発だぞ」
「あとごふ~ん」
「ちっ、置いていくか。ここの村は優しい人だらけみたいだしな」
「ふぉ!?」
紅が身を起こすと、窓からは月明かりに変わって日差しが煌々と射している。もう朝だ。
「ほら、ついてくんなら起きろ」
「ま、まって~~」
紅はベットから飛び降りる。制服のまま寝ていたのでしわくちゃだったが気にしている暇が無い。
階段を転がるように下りてシリウスについていく。
シリウスの腕の包帯はもう取れていて、傷口も塞がっているようだ。
外に出たところで、村人が各々の仕事を始める中、貨物車が宿の正面に止まっていた。
「いよっ! お嬢さんたち。朝から元気だねぇ」
おじさんが挨拶をしてきた。たしか、昨日の山菜取りの人だったはずだ。
「とりあえず街まで行く貨物車に載せてもらえることになったからな」
貨物車の前には牛のような生き物が二頭居る。しかし、牛とは決定的に違うのが、角が一本、額の正面に生えている。三十センチぐらいだが、尖ってて危なそうだ。
「さあ、のったのった」
***
「それで、これからどこへ行くの?」
田舎特有の広大な面積の田んぼや畑、近くには川も流れている。
所々に防風林のような一直線に並んだ木々が生え、そよ風に揺れている。
ここまで壮大な草原を見るのは初めてだった。
草原に生える雑草ですら、風に揺られて統一性のある動きをする。
そんな大自然に触れられることが、紅は素直に楽しかった。
「ここから森を抜けて北にある商業都市、ローアン・バザーに行くぞ」
貨物車には、村の伝統工芸品のようなものがたくさん積まれ、その後ろに紅とシリウスは並んで腰かけている。
「ここで資金調達と装備も一式揃えるぞ」
「ふーん、じゃあ王都まではどれぐらいかかるの?」
紅の問いに、シリウスはおもむろに一枚の折りたたまれた紙を取り出した。
広げると、それは大きな地図だった。
「今俺達はここだ」
地図には一つの大陸が描かれている。大陸は簡単に言うと十字型をしている。丸い中心部から東西南北に半島が四つ飛び出した形だ。
そして、シリウスはその南端の半島辺りを指差しながら言った。
「んで、今の目的地、ローアン・バザーがここだ」
今度は南に出た半島の根元を指差して言った。
「そして王都、グラン・アビィリアがここ」
ちょうど地図を上下半分に真ん中で折ると、ローアン・バザーと重なるような位置。つまり北側の半島の付け根辺りを指差して言った。
「なんか……結構遠いね」
紅はこれからの旅路を思い浮かべて苦笑した。
まあな、とシリウスが頷くと、貨物車を操縦していたおじさんが声をかけてきた。
「街までは結構時間かかるから、昼寝でもすると良いぞ」
「あ、じゃあお言葉に甘えて……」
紅は貨物車の後ろに積まれた毛皮に身を投げ出し、寝転がった。
そよ風が頬を撫で、とても気持ちよかった。
身を翻し、うつぶせになると目の前には先ほど広げられた大陸地図があった。
「ねぇシリウス。こっちの方には何があるの?」
興味本意で訪ねてみた。ちょうど東側に突き出した半島は、他のそれよりも格段に太かった。
「ああ、そっちの方には大陸一の国土を持つ独立連合国、ワイルクレセント国がある。二十年前の゛大戦"の時に王都と協力関係にあった国だ」
広大な面積の国土は農作物が豊富な反面、未開発地域も多く、人口は王都よりも少ない。
「大戦?」
「そう、ちょうど反対側の半島があるだろ? こっちには古代都市ノーティスがあったんだ。ここは古代神話の宗教が盛んで独自の文化を持ち、孤立していた。だが、王都がその力を拡大していくと、奴らは王都を目の敵にしてきた。やがて二国のいがみあいが始まり、……戦争になったわけだ」
「戦争、かぁ」
紅の世界では、正しくは紅の国では戦争なんて、あまり感じる機会はなかった。その初めての感覚に、少し戸惑った。
「結局、王都の連合軍が勝利したんだ。大変だったみたいだけどな」
そこでシリウスは話を終えた。
二十年前といえば、おそらくシリウスもまだ生まれていない。それでも大きな爪痕があちこちに残っていただろう。その反面、何も知らないで居ることは幸せなのだろうか。
***
「お、もうすぐ街に着くぞ!」
貨物車の操縦しているおじさんの声が響いた。
紅は身を乗り出して街を眺める。丘の向こうには、黄土色の荒野の真ん中で、円形の外壁の中に灰色の建物がビッシリと詰まっていて壮観だった。
よく見ると、建物にも色々な色の種類があり、まさしく日本とは異世界なものだった。
「すごーい……」
「確かにすごいな。ローアン・バザーはその昔、商人ローアンがたった一人で何も無い荒野に店を構えたことから始まった街だ。治安は悪いがにぎわってる良い町だぜ」
治安が悪いのは良い街なのかと紅は疑問に思ったが、それでも毎日がお祭り状態な街は楽しいに決まっている。
「よし、じゃあもうひとっ走りだぞ!」
おじさんが楽しげに、牛に鞭を入れた。




