第四十四話 外の世界を夢見る小鳥
シリウス達がクロスフォード学院に辿り着く数日前、王都の城下町は賑わいを見せていた。それもそのはず、街中では『終戦二十周年記念式典』の準備の真っ最中だからだ。
この式典では、実際に大戦を経験した人も、そうでない新たな世代の人たちも同じように、心から楽しい気持ちで準備に臨んでいた。二十年間の復興で、大戦の傷跡も消え去り、新たな時代の幕開けであった。
あちらこちらで、忙しそうに人が駆け回り、飛び交う大声の中にも苦労と楽しさをにじませている。おそらく当日にはパレードなどもあり、王都の外からも多くの人が訪れ、街中はお祭り騒ぎとなるのだろう。それはもう、無類の楽しさがあるのだろう。
ふと、本人も気づかないうちにため息がこぼれ、視線を窓の外の街並みから、膝の上に広げた本に写した。窓際に寄せたイスには、穏やかな夕日が差し込み、読んでいる物語を優しく彩る。
王都の中心にそびえる、グラン・アビィリア城の片隅、王都の大臣や家来の私室が並ぶ居住フロアの奥にある人気のない廊下にある一室。そこが彼女の部屋であり、すべてであった。
あの日以来、あの事件以来、彼女はずっと一人だった。
一応王家の人間という事で、まるで腫れ物を扱うかのように距離を置かれ、味方のいない寒々とした心境の中、今日までこの部屋で過ごしてきた。
部屋は無駄に広く、二人は寝れるのではないかと思うベッド。一人しか居ないのに、二人がけのソファ。部屋の壁が見えなくなるほど敷き詰められた本棚には、お気に入りのノベルが収まっていた。その中でも好きなのが冒険ファンタジーだった。まるで、この狭苦しい部屋から、無限に広がる大地へと冒険へいざなってくれるような、そんな気持ちにさせてくれる。でも、現実はなんら変わりはしない。そんな事に今更絶望などしないが。
まるで鳥篭の中に閉じ込められた小鳥みたいだ。
本来空を飛ぶための羽は切り落とされ、惨めに止まり木に貧弱な足でしがみ付いている小鳥。鑑賞用として、命をすり減らすだけの存在。しかし、今の自分は誰からも見られていない。それでは小鳥以下の存在だ。籠の隙間のような窓からは、城下町の人々が見える。だが、彼らはこちらに気づいたりはしない。
自分は小鳥であって、いや、それ以下の存在であって、捕らわれの姫君ではないのだ。
決して、白馬の王子も、無敵の冒険者も、さすらいの旅人も、一緒に過ごした家族でさえも、助けに来る事のない。ただの存在だった。
ノベルの中のお姫様はいつだって、主人公に助けてもらう。だが、自分には主人公が居ない。
このまま、この部屋で年を取り、時代は流れて、やがて死んでゆくのだろうか。
食事には困る事はない。いつも、決まった時間に、使用人のマリアが運んできてくれる。唯一の外の世界とのつながりであるマリアは気のよい女性で、たずねてくる時は必ず外の世界のニュースや雑談をしてくれる。ここにある本もすべて、彼女が持ってきてくれた。だが、彼女にも、ここから救い出す事はできない。もちろんその事で彼女をうらんだりはしない。
誰もうらんでなど居ない。
あの事件の誰も、うらんでいない。
その時、コンコンと、ドアをノックする音が聞こえた。
いつもマリアが来る時間よりも早い。だが、この数年間、マリア以外の人間が訪れた事などなかった。だから、何の疑いもなくドアへ向かい、部屋から顔を出した。
「急な訪問失礼いたします」
そこには、純白にローブを身にまとった背の高い男性が立っていた。見知らぬ男だった。
「どなたでしょうか……?」
困惑して、ドアを閉めたくなる。
だが、男はそんな態度にも気を害することなく、話を続ける。
「私は騎士団長アルタイルと申します。実は、貴女に訪れて欲しい場所があります。私に、付いて来てくれますか?」
男は紳士的な笑みを浮かべて、手を差し伸べた。
これは、白馬の王子なのだろうか。それとも、悪の死神の化身なのだろうか。
しかし、今の彼女には、何でもよかったのかもしれない。この部屋から抜け出せるのなら、何でもよかったのかも知れない。
「では行きましょう。エリオーネ様」
アルタイルの導きで、エリオーネは廊下を歩く。数年ぶりに出た、部屋の外。
この道が、王都の地下奥深く、日の光の届かない闇の中へ続くということを、彼女はまだ知らない。
***
クロスフォード学院を出発したダルクとシリウスは途中まで同じ道を歩いていたが、それぞれの目的地は違う。ダルクはそのまま王都へ向かい、諜報部隊に一報を入れる。その間、シリウスは橙国へ行き、修行を行う。
今、シリウスは一人、橙国へと続く林道を進んでいた。人が通るように道が整えられていたが、手付かずの森林に囲まれたこの道は、酷く荒んでいた。本当にこの先に国があるのか不安に思えてきた。まだ日が昇ったばかりだというのに、森林に囲まれた道は薄暗く、先もよく見えない。城のような建物すら見えず、人が住んでいる気配もない。
にわかに疑念が沸いてきた頃、シリウスの眼前にようやくそれらしきものが見えた。巨大な柵のような外壁が見えた。それは周りに溶け込むように木で作られていて、門番のような男が二人立っていた。
門番は、薄手の着物に三度笠をかぶっていて、腰にはカタナを挿していた。その一人がおもむろにシリウスに近づき、尋問をするように止めた。
「何者だ。何か用か」
短く必要な事だけを聞き、鋭い視線をシリウスに浴びせる。
「旅人なんだ、頼む、中に入れてくれ。もう食料も何もないんだ……」
とにかく、門の中に入れてもらわないことには修行も何もない。もしダメなら門を無理やり越えるしかなくなるが、出来れば合法的に入りたい。
しかし門番達は顔を見合わせ、答えた。
「何者だ。どこの国のものだ?」
「だから旅人だ、世界を歩き回ってる。国には住んでないんだ」
「怪しい者め。ダメだ、入れるわけには行かない」
独自の文化を持ち、閉ざされた国と聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。これでは中央市街以上の治安維持とも言える。その中央市街も裏では闇がうごめいていたわけだが。
ここで門前払いを喰らうわけには行かない。何とか食い下がろうとするが、門番達は顔色一つ変えない。
「頼む、これ以上進めないんだ、一泊だけでいいから」
「怪しい者を中に入れるわけには行かない。ここの道を引き返し北へ向かえ。王都グラン・アビィリアがある」
門番はそれきり、取り合おうともしない。シリウスは憮然として、ついに門を乗り越えようかと思ったが、口論を続ける三人の背後から、女性の声がかかった。
「何をしているのですか? 門を開けなさい」
シリウスが振り返り見れば、ちょうど紅と同じくらいの年齢の女が歩いてきた。着物を着て、長い黒髪を後ろで結い、腰にカタナを挿している所を見ると、橙国の人間のようだ。
「ハッ、しかし、この者は入れるわけには……」
「何故です? 旅人のようです、さぞ疲れているのでしょう。門前払いする必要はありません」
「しかし……」
言い訳を続ける大の男に、女は呆れたように言った。
「責任は私が負います。とにかく門を開けてください」
「……了解しました」
渋々門番達は動き始め、門の開放作業を始めた。それを尻目に、女は申し訳なさそうに視線を下げながらシリウスに歩み寄った。
「御免なさいね。少し国内で問題があってね。ピリピリしてるの」
「あの、いいのか? 俺を入れても」
「ええ、見た所武器も持ってないし、こんな森の奥まで歩いてきたんだもの。疲れてるのでしょう。私はアヤノ、何かあったら城に居るから訪ねてください」
「城って事は、王家とかの人間なのか?」
「姫の侍女なんです。今はちょっと使いとして外に出てましたが」
それきり、門をくぐった先で別れた。
アヤノは広い大通りを抜けて城に向かったようだ。この橙国は城を中心として碁盤の目のように道が張り巡らされている。城はちょうど門の外から見えないように低く平べったい形をしているが、それでも他の建物よりも大きく立派だ。三角のかわら張りの屋根も、石垣でできた一階部分も堅牢な印象を与える。
民家も木造でかわらの屋根と、シリウスは知る由もないが、紅が見たら日本の江戸の街並みを思うかもしれない。それぐらいに似通った文化がここにはあった。
「さて、無事中に入ることが出来たし、まずは武器の調達か」
中央市街では手に入らなかったが、ここではカタナが手に入りそうだ。着物服の市民に訝しげな視線を浴びせられながらも、シリウスは物色するように街を歩き始めた。
碁盤の目状になっているので、隅から道を辿れば簡単に国全体を見てまわれる。しかし、小さい国といっても国土は一日で歩き通せるほどではない。早めに修行場所も見つけないといけない。
「アヤノに聞いておけばよかったか……」
今更ながら、手際の悪さを後悔した。仕方なしに道行く人や店の人などに話を聞いて、道場などの集まる区画が北西部にあると知った。その足で北西部の区画まで行ったが、シリウスは言葉を失った。
「誰も人がいないじゃないか……」
ゴーストタウンを思わせるほど、人気がなかった。それに加えて、道場も開いている気配がない。カタナ職人の店ですら、扉が締め切られて、商売をやっている雰囲気ではなかった。
しかし呆然と立ち尽くしている暇はない。
近くの道場の扉を開いて、勝手に中に入らせてもらった。
「誰かいませんか!?」
大声で呼んでみると、奥のほうから人が出てきた。いきなりの訪問に戸惑っているようだ。
「どなたでしょう」
「すみません、旅の者なんですが。道場は開いていないんですか?」
シリウスの問いに、出てきた女性は静かにため息をついて、答えた。
「御免なさいね。今はもうどこの道場もカタナ鍛冶屋も閉まってると思うわ。最近国内で辻きりが横行してるのよ。元々武術は近年衰退気味だったのだけれど、そのせいでもう人が寄り付かなくなってね」
「辻きりですか……」
そういえば、門番ともめていた時、アヤノも国内でピリピリしてるとか言っていた。
ともあれ、今の橙国で気の取得どころか、修行すら出来そうにない。落胆して肩を落としながら、道場を出ようとした時、女性の声が背にかかった。
「ああでも、城の中に仕えている武士様が新兵の指導をしているそうよ。辻きり対策と言っていたから……」
そこで、シリウスはアヤノが困ったらいつでも訪ねてよいといっていたのを思い出す。単なるリップサービスみたいな物だろうが、ここまで来た以上、図々しくいかせてもらう。
「ありがとうございます。城のほうへ行って見ます!」
シリウスは道場を飛び出して、城へ向かった。




