第四十一話 三本の塔の学院
海に面した広大な丘陵地に白い塔が三本生えたように突き出しているのが見えた。塔の周りを囲うように塀が建てられ、宿舎のような平べったい建物が綺麗に並んでいた。建物はすべて乳白色と水色で彩られていて、歴史ある建物なのに古臭さがなかった。豪勢な正面門の前に、シリウス達はやってきた。
「ここがクロスフォード学院か」
塔を見上げながらシリウスはつぶやいた。王都で育った彼だが、街の外はあまり見た事がなく話で聞いただけの知識しかもっていなかった。実際に見てみたクロスフォード学院の塔は、雲がかかるのではないかと思うほど巨大だった。
「大戦時にも、魔術師は兵器ではない、の一点張りで徴兵に応じなかったらしい。衛生係や医療係として王都内を中心に活動したらしいな。それほどに堅物の集まりみたいだが……こっちには病人がいるんだ。門前払いってことはねぇだろ」
ダルクは門の前をうろうろしながら言った。
シリウスは背中で荒い息をしている紅の様子を確かめてから、門を開けようとした。
「ん? どうやって入るんだ?」
門は鍵が閉まっているのか、押しても引いてもビクともしない。かといって、門番の姿も見えない。
ここまで来て、入れないなんて事は避けたい。
「どうやら……人が来たみたいだよ」
イースが指差す方向に、広大な敷地の先から、舗装された道を通って学院の人間が門にやってきた。門越しに、シリウス達を一瞥し、「何か御用でしょうか」と硬い口調で言った。
まだ若い女性だが、鍛錬を積んできたのか物腰は落ち着いていて、タイトなスーツに細身のメガネはいかにも教師を思わせた。
「病人がいるんだ。普通の病気じゃない、毒薬を打たれて……その、解毒とか回復とかをお願いしたいんです。普通の毒薬じゃなくて……」
焦りでシリウスがたどたどしく説明するが、スーツの女性は真摯に受け止めてくれたのか、指で門を一撫でし、ガチャリと鍵を開けた。
「医務室へ案内いたします。どうぞ、こちらへ」
女性に導かれ、シリウス達は学院の敷地をまたいだ。
シリウスが導かれたのは、大きくそびえる三本の塔の内の一番太い所で、医務施設などの生活のサポートが中心の塔のようだ。塔内部は、それ自体が大きな螺旋階段のように、緩やかなカーブを描いて上部につながっていた。内装も綺麗にタイル舗装された床や、廊下にたくさん並ぶ窓からの日差しで明るく清潔な印象だ。
ちらほら、生徒だろうか、制服を着た十代の子供を見かけた。みんなシリウス達を見てもあまり反応を示さない。こういう来客には慣れているようだ。
「それにしても若いですねぇ。新人教師ですか?」
ダルクは状況にお構いなしに、先導する女性に声をかけていた。
「ええ、今年度から教師になりました。セシアと申します」
セシアはそんなダルクに、女性としての警戒心を見せながら、一定の距離を保って前を歩いていた。
「こんなに美しい先生に教えてもらったら、授業内容なんて全然頭に入らなさそうですねぇ。ハハッ」
「ハハッ、じゃねぇよ……」
シリウスは緊張感のないダルクに、頭を抱えた。
「こちらが医務室になります。それでは私は学院長に話を通しておきますので」
そういうと、逃げるように小走りで立ち去ってしまった。
「相当嫌がられてるぞ」
呆れた視線で、ダルクを見ながらシリウスが言うと、「いや、あれは照れ隠しだな」なんて寝言を言っていた。おそらくずっと隠されたままなのだろう。
「君たちが病人連れの人たち?」
医務室から、丸メガネの線の細い男性が顔を出した。
「あっ、はい」
「どれ、診せてくれるかい?」
シリウスは背負った紅を医務室の中にあるベッドへ下ろした。丸メガネの男性は紅の顔色を調べた後、おもむろに一メートルぐらいのクネクネ曲がった杖を取り出した。
早口に何かつぶやくと、杖は独りでに宙に浮き始め、クルクルと旋回を始めた。それがセンサーのように紅の体の上をゆっくりと飛ぶ。
「見た感じでは、もう一段落ついた感じだね。でも何の病気かは検査の結果によるだろうね」
男性は、シリウス達の事情や、素性を探ろうとせずに、診療に専念してくれた。それがなんだか慣れた様子なので、シリウスは思わず聞いてしまった。
「よくあるんですか? こういう駆け込みみたいなものは」
「あはは。まあね。大陸唯一の魔術学院だからね、魔術で解決してくれって依頼はよく寄せられるんだよ。まぁ、病気はまだいい方さ。もっとくだらない事や、不可能なくらい大袈裟なことを依頼しに来る人もいる。こっちはなんでも屋じゃないのにね」
苦笑する男性を見ていると、なんだか申し訳なくなって来た。
「すいません、勝手に押しかけて……」
「なあに、気にする事じゃないよ。それより、毒薬がどうこう言ってたみたいだけど」
門でセシアに言っただけのことのはずだ。シリウスが首をひねっていると、男性は「門でのやり取りはここでも聞けるんだよ」と、診療机の上にあるスピーカーのようなものを指差して付け足した。
「はい、それは結構複雑な問題になるんですけど……」
「あっ、いや。言いたくないならいいんだ。病人を治すのが僕の仕事だからね。僕はマーティン。見てのとおり医者だ」
気さくに笑いながらマーティンは言った。
「検査にはまだ時間があるから適当に見学してみたらどうだい? 基本的に部外者にも出入りは歓迎してるはずだから」
硬く閉ざされていた門を思い出して、曖昧に笑いながら、シリウスはみんなを連れて病室を出た。とりあえず、紅は大丈夫みたいだ。そう思うと急に安堵が広がって、腰が抜けそうになる。
「とりあえず、見学させてもらおうか?」
クロスフォード学院の内部は新鮮なものばかりで、見て回るだけでも楽しそうだ。
マナが目をキラキラ光らせながら、「じゃあ魔道図書室が見てみたいですっ!」と手を挙げて意見した。
「自由に見てくるといいさ。こんなかじゃ安全だろ。なんならイースに着いていってもらおうか?」
ダルクは微笑ましくマナを眺めた後、「じゃあイースさん、行きましょう!」と駆け出していってしまった。
「さて、男二人でこれからどこデートする?」
「気持ち悪いな、あんまり近寄るな」
じゃれあうように腕を組もうとするダルクを、シリウスが押しのける。
言い合う二人の前に、いつの間にかセシアが戻ってきていた。
それに気づいた二人は沈黙して彼女を見る。
「……不潔」
ボソリとつぶやいた言葉に、二人の心は大怪我だった。
「学院長が話しがあるそうです。院長室までお越しください」
先ほどよりも露骨に距離をとりながら、セシアは二人を導く。その間、会話はなかった。
学院長室はてっきり最上部にあるのかと思ったが、どうやら向かっているのは下のほうだった。
「こちらの部屋から上部に転移します。どうぞ、お入りください」
一見するとただの物置にしか見えない。だが、セシアが素早く囁くと扉は独りでに閉まり、部屋の中の物が青白く光り始める。魔力が通っているようだ。どうやら目では見えないように施された魔方陣があるらしい。
シリウスは部屋ごと上昇するような浮遊感に、少し気分を悪くしながら壁にもたれた。
「それで、どうして学院長自ら話を?」
「それはあってみればわかると思います。実を言うと私は詳細を聞いていません」
こともなさげに言うセシアは、実はただ関わり合いになりたくないのではとシリウスは思ったが、言わない事にした。
「いい心がけだ。無知なのは無実だ。本人の意図に関係無くな」
ダルクは含みを持って言ったが、それは彼の職業柄付きまとう問題なのだろう。
そうしているうちに、物置は最上階に着いたらしく、扉が開かれた。
物置から出ると、まず日差しが彼らを照らした。雲にかかりそうなほど巨大な塔の最上階からは中央平原を見下ろす絶景と、遮るもののない強い日差しが照りつけていた。
「ようこそおいでくださいました。わしがクロスフォード学院、学院長。グラン・マギオンでございます」
白髪の背の高い老人が二人を出迎えた。
グラン・マギオンはもう年齢も分からないほど老けていたが、弱弱しさは微塵も感じられず、むしろ卓越した仙人のような雰囲気をかもし出していた。白いひげをもてあそびながら、ローブの裾を引きずって歩み寄り、握手を交わした。
学院長室の上質なソファに並んで腰掛けたシリウスとダルクは身構えながら、学院長の話を待つ。二人の前に紅茶と菓子を並べたセシアはそそくさと退散した。
「それで、お話というのは?」
「ふむ。落ち着いて聞いて欲しい。そして、わしには敵意が無い事も理解して欲しい。シリウス・グランジ氏、ダルク・ハット氏」
「おやおや、もう名前もご存知でしたか」
学院長は感情の読めない表情で頷いた。
「それだけではない。王都第三十六代王子、ヴァーリス・ミッシェル。父親クロードを殺害し、監獄島に収容された王都の黒歴史の一端。そして王都直属諜報部隊グリフォン・クローの一員であり、ドレッドノートにも加盟していた過去を持つ男」
感情の篭らない声で学院長は言った。
咄嗟に立ち上がろうとしたシリウスをダルクは片手で制止し、静かに紅茶のカップを傾けた。
「概ね正解ってとこか。それで、話ってのは?」
ダルクはあまり驚いていないようだが、シリウスとしては本名や過去の経歴まで知られてる相手が多い事に愕然としていた。
「王都で不穏な動きがあっての。学院から南部に広がるアルフ森林で魔術兵器の実験が行われているようじゃ」
「ほう……。王都の動向は俺の組織でも追っているが、魔術兵器か……。でも何でその話を俺達に?」
ダルクの組織に報告するのは分かるが、最近まで別任務に当たっていたダルクを呼び出すより、王都に使いを出すほうが道理だ。それに、シリウスも同席する意味もない。
「実験現場で、少女が目撃されているようじゃ……。その少女の情報はまだ少ない。じゃが、ちょうど実験が開始される直前に姿を消した少女がおる」
「……それは誰なんですか?」
シリウスは手のひらに嫌な汗がにじむのを感じた。動悸が早くなり、意味も分からず緊張する。できる事ならば、話しの続きを聞きたくない。
「エリオーネ・ミッシェル。君の妹君じゃ」
シリウスが一人、王都に残してきた少女。今も、一人ぼっちで城に住んでいるはずの彼女が、姿を消した。
「そして、実験現場で目撃された少女と酷似しておる。これはシリウス、いや、ヴァーリス王子に関係する話じゃ」
執筆中、ドレッドノートがドレッドニートになってました。『の』と『に』って打ち間違いやすいですね。
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